1月15日は、旧暦の12月8日『カーサームーチーの日』です。

2008年01月16日 00時05分25秒 | 沖縄現地情報

▲<ムーチーの、米の粉販売コーナーです。>
今日、1月15日は、旧暦の12月8日です。
この日は、沖縄ではムーチー(餅)を作り、サンニン(月桃)のカーサ(葉)に包んで蒸した餅を食べます。
子供の年の数のムーチーをすだれ状に編んで、壁や柱に吊るす風習もあります。

鬼餅と言われ、元来は悪鬼悪霊の退散を祈る物忌み行事料理のひとつです。
保育園や幼稚園では、由来を絵本や童話にして、お話しをする郷土学習として取り組まれています。
旧暦の12月8日に作って、神棚や仏壇、かまどなどに供えて子供の成長や家族の健康を祈り、厄払いします。

▲<写真は、いずれも1月14日「フアーマーズいとまん」です。サンニンは、5~8枚セットで80円で売られていました。>
ムーチーの作り方は、もち米の粉に砂糖を混ぜ、水を加えてこね、しばらく寝かせて、こぶし大の大きさに分けて、サンニンの葉の裏にのせて、平たく長方形になるように包み蒸し器で蒸して食べます。

▲<写真は、紫芋のムーチーです。スーパーサンエーで3枚入り450円でした。蒸したてで温かった。>
サンニンの葉の香りが付いて独特の香りがするなつかしい食べ物です。

「ファーマーズいとまん」は、糸満市の埋め立て地の中にあり、地元農家の人が自分で値段を付け名前入りの値札を張って、各コーナに置く、生産者と購入者の直接販売マーケットです。県道331号線の新道「小禄バイパス」を使えば、空港から10分少しで行く事が出来ます。

成人式の沖縄

2008年01月15日 00時15分40秒 | 沖縄現地情報
今日、1月14日日は、全国的に「成人式」です。
私のように、1972年に成人式を迎えた者には、1月15日が本当の成人式の日なのですが、それももう昔の事になりましたね。
成人式の日は、沖縄の大騒ぎがあまりにも有名になり、毎年テレビで報道され、他府県から顰蹙をかっていました。
こちらに移住して来て、静かな、マナーの良い優しい子が、なぜあんな風になるのかが不思議でした。

この夏、全島エイサー祭りや那覇市エイサー祭りを観て、統一された美しい古式伝統作法・動作を見て感激しました。
成人式で暴れている、同じ若者とは思えませんでした。

エイサーは、まとめ役のリーダーの苦労も含めて、メンバーも厳しい練習を積み重ねて本番に臨みます。
「岸和田のだんじり祭り」でもそうでしたが、祭りではリダーや先輩の言う事は絶対です。

青年団を活動を通じて、地域愛や人間としての成長が育まれる。
沖縄のエイサー祭りを観て、本土にはない素晴らしい風習だと感心しました。
これほど、幼稚園児や小学生が憧れる郷土祭りは、他府県ではあまり無いのではないでしょうか。
参加する事が、名誉であり自分自身の誇りになっている。

私の推測ですが、那覇市の成人式で暴れる子達は、きっとエイサーの無い町かエイサーに入っていない子ではないかと思っている。
エイサーに入っていれば、きっと青年団の先輩達が黙っていない。
その前に、そんな事はする者は、青年団から出されてしまう。

▲<上の2つは、07.8.5那覇エイサー祭り。下の2つは、07.9.1沖縄市全島エイサー祭りの写真です。>
・・・と、いう風に思って、今年は注目していました。
今夜の地元テレビニューズには、那覇の成人式の荒れ模様は出なかった!
全国放送にも出なかったという事は、主催者や地域住民、参加者の意識の変化だろうか?
何はともあれ、嬉しい。
20歳の諸君。おめでとう頑張ってください。

追記:後日、地元新聞に成人式後、那覇県庁前で成人式を終えた若者が約100人集合して騒いだと報じられていました。残念です!

豊見城市 民俗文化財巡り(19)『真玉橋地区』①

2008年01月14日 00時05分53秒 | 沖縄現地情報

▲<真玉橋から国場川の下流を望む。この下流に漫湖(那覇市内でマングローブの原生が見られます)があります。>
豊見城市真玉橋(まだんばし)地区は、国場川を挟んで那覇市に接しています。
真玉橋は、1522年に首里城および軍事的要素である那覇港を防御する目的として、尚真王によって架けられた橋で、首里王府と南山を結ぶ交通の要所でありました。

▲<那覇市側から見た真玉橋下流面>
当初は木製でしたが1707年に石組の橋に架け替えられました。その後1837年に改修工事を行い戦前までは姿を留めていましたが、先の戦争で旧日本軍によって破壊されました。
戦後、米軍によって鉄橋になり、石橋は埋められてしまいました。

▲<豊見城市側の旧真玉橋遺跡>

▲<那覇市側の旧真玉橋遺跡>
1995年の試掘調査によって埋もれていた石橋遺構が確認され、豊見城市と那覇市で発掘されました。新しい橋の両サイドに一部が保存され観る事が出来るようになっています。
戦後、半世紀を過ぎて再び「旧真玉橋」の風格ある姿をあらわした事によって、当時の石工技術の高さに驚かせられます。

▲<那覇市側から国場川の上流を望む>

▲<那覇市側から見る真玉橋の上流面。左端の白い建物が真玉橋公民館。>
真玉橋地区の文化財は、真玉橋たもと(東南側)にある「真玉橋公民館」を起点としてスタートします。
橋のたもとにある公民館前には復元された「重修真玉橋碑」があります。戦前の拓本は、公民館に保存されています。


橋の西側へ少し入ったケーキ屋さん裏のゲートボール広場に、「龍神神・火の神」があります。
昔、このあたりに砂糖製造場があり、龍宮神は、海との関係が深い事から海の神に感謝し、航海安全、健康繁栄を願う場所として拝まれています。


⇒次回は、真玉橋地区の「村石獅子」を探索します。

沖縄の不思議&驚き(6)『バスの中の出来事』

2008年01月13日 00時05分48秒 | 沖縄現地情報

年末の日曜日にバスに乗った時の話です。那覇市「国際通り三越前」からバスに乗って家に帰ろうとしていたら、バス停に人が溢れていた。
ずいぶん待つ人が多いなぁと思ったら直ぐにバスが来た。
乗り込んで席に座ったら、私達より前からバスを待っていた客が、バスに乗った直後から運転手に「バスが遅い。年末だからちゃんと運行してくれないと困る。あまりにも待たせ過ぎだ。」と、大きな声で、クレームを言い続けている。
運転手はというと、「私が悪かったんですー。私が国際通りに乗り入れなかったら良かったんです。」と繰り返し言い続けているので、なかなか、話がかみ合わない。

少し経って、内容が理解出来た。
普段の日曜日は、毎週12:00~18:00まで歩行者天国で、一切車が入れなかったのです。
当日は、日曜日でしたが年末という事で、歩行者天国がなかったようです。
しかし、どういう訳かバスだけは、乗り入れしない日だったようです。タクシーは確かに走っていた。

それを知らない乗客は、来ないバスを待っていたのでした。
そこに来ないはずのバスが、随分遅れて来たものですから、乗客のイライラは最高潮に達し、さきほどのクレームになった訳です。
バスの運転手は、運転手で間違って国際通りに入ってしまったら、バスが来ないと言って怒られて、自分のミスを悔やんでいたんです。
バスの運転手の話では、迂回路でこのバスを知らないで待っている人が居る様子でした。
なんともはや、沖縄のバスの運転手ののんびりした受け答えに年末の忙しさを忘れて笑ってしまいました。

豊見城市 民俗文化財巡り(18)『饒波地区』③

2008年01月12日 00時05分59秒 | 沖縄現地情報

再度、シーサーのいるバス停に戻る。バス道を東へ少し歩いた山側に、「ヌバル殿」があります。

「ヌバル殿」南側バス道路下には、「野原井(ヌルバルガー)」が形式保存でありました。
<ヌルバルガー>
集落南部東端の民家ブロック塀前に、「レンクシガー」がありました(芋の葉が大きくて美しい)。

饒波公民館、西側の道路沿いに、「饒波ガンヤー」がありました(ガンヤーについては、高安ガンヤーを参考にして下さい)。

この地区は、農業従事者が中心と思われ、新しくアパートなども建ち始めていますが、地域性の強い地区だと思いました。
⇒これで、饒波地区の探索は終わります。

豊見城市 民俗文化財巡り(18)『饒波地区』②

2008年01月11日 00時05分21秒 | 沖縄現地情報

▲<地区で一番高い所へ行く途中、振り返ると見える対岸の大型スパーと平良地区のユダマグスク>
シーサーのある所へ戻り、北側の急勾配の道を上がると、突き当り三叉路上に「火松・・・」と書いてあった祠があった。

右手の道を少し上がると「ノハ御嶽」「儀間之殿」「名称不明のカー」がありました。広くゆるやかな斜面地は、饒波の聖地・拝所である事が理解出来ました。


さらに上の道(一番高い場所に東西に走る旧村道100号線)へ上がると、すぐ右手に「饒波ビジュン」がありました。

▲<「饒波ビジュン」の遠景と近景。>
ビジュンとは、一般的に「ビジュル」と呼ばれ、霊石を祀る習俗で、豊見城市には「高安」「宜保」「饒波」の3か所があります。高安の例では、毎年旧暦の9月13日に「ビジュンヘーシ」という行事が行われ、戦前はその前日にの役員が馬に乗って瀬長島に行き、サンゴ石を拾ってきて祠に納めたと言います。
また、各家々等から重箱を持って参拝に集まり、夜遅くまで三線を弾き、歌い、踊ったとも言われます。一年以内に出産や新築のあった家は、ビジュンに報告し、酒やウブク(赤飯の盛飯)を供えたと言います。
ビジュンを拝むのは区民のみだけでなく、遠くは中部や首里、那覇からも参拝に来たと言います(豊見城市教育委員会資料より)。
左側の道には、手前から「カニマン井」「マジガー」「ウマ小のチミ」「イサーラ井(インサンツガー)」が並びます。この事からも、さらにこの一帯が、この地区の聖地であった事がうかがえます。


⇒次回は、東側地区と南側地区の「ヌバル之殿」「レンクンガー」「ガンヤー」を探索します。

豊見城市 民俗文化財巡り(18)『饒波地区』①

2008年01月10日 00時05分01秒 | 沖縄現地情報

豊見城市饒波(のは)地区は、高安の東部に位置し、集落は西側に集中しています(東側は耕作地)。民俗文化財は、集落内にあり効率良く探索出来ます。
饒波地区には、教育委員会の地図では、8つのカーと3つの殿(トゥン)、ひとつの御嶽(うたき)が印示されていましたが、2つのカーが探せなかったが、地図にないカーを2つ見つけました(標識あり)。



最初は、村石獅子「饒波のシーサー」を見ます。
県道249号線を東へ進むが地区に入った直ぐの2差路を上の道へ入った直ぐの所にバス停があります。名前は、ストレートな《饒波シーサー前》です。新しい陶器のシーサーと2匹で南の方を向いてバスを待っています。ここの、琉球石灰岩で出来た古い方のシーサーは、前足が長いのが特徴で、顔は唇が厚くてユーモラスです。
この場所は、「中森殿(ナカムイ之殿)」でもあります。

そこから住宅街を西へ、2ブロック歩いた住宅街の道に「ナカヌカー」があります。

「ナカヌカー」南側の民家屋根が実に美しい。シーサーも「のらくろ」みたいで可愛い。

「ナカヌカー」周辺にあった民家の塀にあった「石敢當」オオイタビの緑とのコントラストが美しい。
⇒次回は、饒波地区の北側の「ノハ之御嶽」「ビジュン」「ガー」を探索します。

豊見城市 文化財巡り(17)『高安地区』

2008年01月09日 00時05分44秒 | 沖縄現地情報

▲<住宅の垣根に紫の美しい花が咲いていました>
豊見城市高安(たかやす)地区は、饒波(のは)川の北&東岸にあります。高安地区は、南北に長く、北部住宅地は那覇市に近く早い時期からベットタウンとして開発された所です。
進入路は、県道11号線を真玉橋から南下する方法と、西側県道7号線豊見城交差点から県道11号線経由高安橋から入る方法があります。
民俗遺跡は南部住宅地(饒波川北岸)に集中しているので、今回は高安橋側から入ります。
高安橋を渡り、ひとつ目の道を左へ入り橋を渡った所に、小さな運動公園があります。ゲートボール場の手前に、「崎山之殿(サキヤマノトゥン)」があります。

▲<左、「崎山之殿」 右、立派なポインセチアと高安公民館前広場で遊ぶ子供達>
Uターンをして県道249号線へ入り、「高安公民館」を目指す。豊見城市教育委員会の地図では、高安地区(南部のみ)には、6つのカーと3つのトゥンがあるはずですが、結果は「崎山之殿」と「名称不明」のカーを一つ見つけたのみでした。

▲<左、住宅街道路傍にあった名称不明のカー(柵の中には水がありました)。 右、県道側から見た南部地区の住宅地>

▲<県道249号線沿いにあった「ガンヤー(龕屋)」。ガンヤーとは、葬式の際に死者を棺に入れて墓地まで運ぶ屋形の担ぎ輿のことです。豊見城市では、昭和30年代までは各村にありましたが、火葬の普及と共に消えて行き、今では、保栄茂、饒波、高安の3か所だけに見られます。(豊見城市教育委員会2002年3月現在)>

⇒この地区の民俗遺跡には、案内板が一つもなくそのうえ、所在地は山林・雑草地で侵入出来ない状態でした。公民館から北側は、急斜面地で日当たりは最高ですが、車がなくては生活が出来ない地域でした。南部地区は、地元性が強く新しい人には住みにくいと思われる。北部戸建住宅団地も古い造成で、こちらも詳しくは調査をしていませんが、新しい人が入り込むには難しいのではと推測しました。
※このブログの読者から、遺跡ではなく現在も活用・信仰するものなので不適格な表現との、貴重なアドバイスを頂きました。検討した結果、以後は、「文化財」と表現致します。

豊見城市 民俗遺跡巡り(16)『宜保地区』

2008年01月08日 00時10分58秒 | 沖縄現地情報

▲<上田小学校北側のマンション建設現場。中央のコンクリート壁上に「宜保総合拝所」があります>
豊見城市宜保(ぎぼ)は、那覇市と隣接した南斜面の陽当りの良い住宅地です。交通手段は、バスとマイカーですが、最近、区画整理事業で、南東の角には新しく小・中学校出来ました。区画整理事業が進み、10年前の教育委員会の地図を片手に歩いたが、10分位で完全にお手上げ状態になりました。その訳は、昔の区割りが完全に消えてしまい、以前「ガー」のあった所は、4車線道路や児童公園になっていて、どこを探しても「ガー」気配すらない!

▲<宜保バス停にあったきれいな児童公園、後ろにはマンション建設現場>
がっくりして、車を置いた所へ戻っていたら、上田小学校北側の道沿いに「字宜保総合拝所(平成19年11月)」があった!

そこには「5つのガー」と「2つの御嶽」が、さらに「2つの按司墓」まで、すべて揃っていました(金網の柵があり鍵が掛かって勝手には入れません)。







▲<一番下左は、字宜保総合拝所。右、新しい街並み>
⇒大規模な区画整理があった時は、こんなに風になるんだろうなぁ(痕跡やモニメントも無くなっている地区が多い中、致し方がないか・・・。)理想的には、そこだけ残して区画整理をして欲しいのだが、街造りには難しいのだろうと実感した次第。

『2007年ふーみんの観賞映画ランキング』

2008年01月07日 00時05分56秒 | 沖縄現地情報

昨年(2007年)の映画鑑賞本数は、142本(昨年比+38本、旧作含む)でした。
内訳は、劇場(21本)、DVD(89本)、TV(32本)。
洋画(79本、56%)、邦画(63本、44%)。
昨年比では、劇場(-24本、46%)、DVD(+39本、178%)、TV(+23本、355%)。

劇場が減ってテレビとビデオが増えたのは、昨年6月に沖縄県那覇市に移住してきたことが主な要因。
以前住んでいた、東京の飯田橋にある「ギンレイホール」の年間会員だったので、2週間に一度、2本立てを観ていたのが見れなくなった事と、逆に沖縄では近くに「ビデオ1」があり、旧作100円のビデオレンタル増えた事。

以下、昨年の観賞映画ランキングです(旧作含む)。
洋画部門
1)ミリキタニの猫
2)ヒロシマ・ナガサキ
3)シャーロットのおくりもの
4)ホテル・ルワンダ
5)幸せのちから
6)麦の穂をゆらす風
7)SPIRIT
8)ボーン・アルティメイタム
9)ジャスミンの花開く
10)ディアハンター

邦画部門
1)夕凪の街桜の国
2)ALWAYS続・三丁目の夕日
3)それでも僕はやっていない
4)ナビィの恋
5)涙そうそう
6)沖縄カーウボーイ、よろしくゴザイマス。
7)ゆれる
8)手紙
9)白百合クラブ東京へ行く
10)侍 

※沖縄に移住した年だったので、沖縄関係の映画を良く見たため沖縄関連が多くランキングしました。
1位は、どちらも那覇桜坂劇場で観た作品(20本中4本入った)。
過去このブログで、紹介したのが、5本含まれている(ミリキタニの猫、ヒロシマ・ナガサキ、夕凪の街桜の国、ナビィの恋、沖縄カーボーイ、よろしくゴザイマス。)。
今年も、100本は観たいと思っています。

『首里あしびうなぁ』で、ランチをして来ました。

2008年01月06日 00時05分39秒 | 沖縄現地情報


久し振りに、首里にある「あしびうなぁ」へ行き、昼の定食を食べて来ました。
席は、いつもの庭に突き出た縁側席に座りました。
冬の日差しが、靴を脱いだ足に当たり暖かくて気持ちが良かった。
前回は、夏だったので庭の木々の緑が深かったが、今(1月3日)は、緑が随分少なかった。
当日は、晴天で日差しも強く、小鳥が水浴びをしているところが見れました。

▲<私が食べた「沖縄そば定食」800円、右上(イリチー)、左上(もずく酢)、左下(じゅーしー:炊き込みご飯)>

▲<妻が食べた「イカ墨麺焼きそば定食」(刺身付き)850円>

▲<真中が「コーレークース(島とうがらし)」島トウガラシを泡盛に付け込んだもので、沖縄そばに振りかけます。>


⇒琉球王朝の三司官(大臣)の住居跡に建てられた、築60年の古民家を利用した店で、庭は270年前の雰囲気を残している。ふんだんに植えられた植栽がいつ来てもゆったりとした気持ちにしてくれます。店構えに比べて料金は普通です。気軽に使えるところも気にいっています。

首里松山御殿『佐司笠樋川』見学記

2008年01月05日 00時39分12秒 | 沖縄現地情報

▲<美しい水がこんこんと湧き出ている>
以前、那覇市遺跡探索散歩『首里真珠道巡り』(9月26日)の時、「松山御殿(まつやまうどぅん)跡(第三代琉球国王尚真王の王女・佐司笠按司の御殿として築造された)」を訪れた時、当日は「佐司笠樋川」を観る事が出来ずそのままになっていました。
あれから3ヶ月経ちましたが、1月3日に、やっと「佐司笠樋川」を観る事が出来ました(この樋川は、個人所有の庭にあるため簡単に入れません)。
松山御殿は、尚順男爵がこの庭で、亜熱帯植物を集めて栽培研究をしたくらいですから、現状は、亜熱帯植物が欝蒼と茂る森になっています(夏に入らなくて良かったと思ったくらい)。当日は、綺麗に草刈りをされていて気持ち良く拝見させて頂きました。


私も、沖縄に来て100件くらいのガー・樋川を観て来ましたが、ベスト3に入る規模と保存状態でした。

もうひとつ、予定していなかった「昔石道(んかしいしみち)=(佐司笠樋川から隣にある「世果報御井小:ユガフウウカグワー」へ続く、両側が石垣で組まれ一部トンネルのある石畳道)」も観る事が出来ました。貴重な建造物を観れてさらに感激しました。


▲<右下、こちらは残念ながら水は湧いていない>

松山御殿の敷地内にあるという事も含め、今でも「佐司笠樋川」には拝者が絶えないとの事ですが、聖なる土地として厳かな空気が漂っている場所でした。

見学後の休憩に、隣接地の「ラフォンテ」で、美味しいケーキとコーヒーを飲んで帰りました(ゆいレール「儀保駅」まで、徒歩5分弱)。

▲<「ラフォンテ」の庭も、「松山御殿」でした。綺麗な、庭と樋川が保存されています。樋口から流れる水が美しいので、一見の価値あり。>

首里城『新春の宴』に行って来ました。

2008年01月04日 00時05分35秒 | 沖縄現地情報

▲<御庭で行われた「国王・王妃出御」>
首里城では、1月元旦から3日まで、琉球王朝時代の正月儀式を行っています。
特に、元旦・2日は、8:55「御開門(うけーじょー)、9:00「御座楽(う
ざがく)」、10:00~11:50「朝拝御規式(ちょうはいおしきしき)」
が、3日は、「国王・王妃出御(こくおう・おうひしゅつぎょ)」が、午前中にあ
ります(いずれも、御庭<有料区域>)。
午後は、3日間とも「下座御庭(無料区域)」で、元旦「歓待の舞」2日「新春の
舞」3日「寿ぎの舞」が行われます。
併せて「御酒・御茶振る舞い」があり、首里泡盛蔵元4社提供による4種類の泡盛が
飲めました。
私は、3日に行って来ましたので、3日の状況報告をします。


▲<国王(外間悠一郎<19歳>さん)とは、11月3日の「古式行列」以来のお会いでした。>

▲<「かぎやで風」祝賀の時の座開きとして踊られる祝いの舞。古典舞踊の中で最も
「御殿風」と呼ばれる名の通り王の御前で奏でられた5曲の中で、一番敬愛され親しまれている古典舞踊。>

▲<「稲まずん」五穀豊穣を予祝する歌詞にのせて踊る舞。右手には豊穣の象徴の
稲穂を持つ。>

▲<「上り口説(ぬぶいくずち)」薩摩に統治されていた時代、王府の役人が薩摩
へ旅する姿を凛々しく描いた二才踊り。>

▲<「寿・しゅんどう」美女2人と醜女2人が組んで踊る打ち組踊。古典舞踊の中で
仮面を使用するのはこの踊りだけ。>

▲<「前の浜(めいのはま)」空手の所作を取り入れた活発な二才踊り。
前の浜に飛び交う浜千鳥や渡し舟の美しい風情を祝いの舞として振り付けた。>

▲<4社4種類の泡盛が飲めた「御酒・御茶振る舞い」は、美味しかった!>

『トックリキワタ満開中!』

2008年01月03日 00時05分15秒 | 沖縄現地情報

気になっていた、与儀小学校西街路樹「トックリキワタ」の花を見て来ました。
夏に通った時に、幹の中ほどが異様に膨らんでいる変な木を見て、後でその木は「トックリキワタ」という木だと知りました。
その木の花は、後に綿となり、その綿の様なものが空を飛ぶらしいと知る。
いつ咲いて、いつ綿が飛ぶのかを詳しく調べないままに時間が経っていました。
12月15日、那覇市寄宮の老人ホームへ行った際に、車中からチラッと、ピンク色の花が目に入ったが、その時は、立ち寄れなかった。
12月30日に、見に行ったら花は満開中でした。

家に帰って調べたら、原産地はブラジルでパンヤ科。11月頃から咲き始め春過ぎに種子になり、中を割ると綿が出てくるとの事。インドでは、その綿を「ぬいぐるみ」や「まくら」「クッション」に詰める仕事をする人がいるらしい。

花は、大ぶりで蘭のような派手な形でピンク色が美しい。

木の幹は、ユーモラスな徳利(ビア樽)形だが、近寄って詳しく見ると、鋭い大きな刺がいっぱい付いている。この幹は、漆器の材料に活用されるらしい。


今度は、春先になったら種子を拾いに行こうかと、今から思っているところです。

『2008年初日の出を見に、ニライカナイ橋へ行って来ました。』

2008年01月02日 00時05分25秒 | 沖縄現地情報

▲<ニライカナイ橋の上も車で一杯(7:00頃)>

▲<展望台も、日の出を見る人で一杯>
沖縄バスの「ニライカナイ橋から見る初日の出ツアー」(@3850円)に参加して来ました。
5:40、小禄ジャスコ前集合。6:50頃、南城市知念にあるニライカナイ橋に到着。7:15、日の出予定が、小雨と強風で初日の出は拝めなかった。

▲<1時間後、少し晴れ間が見えました(移動中の車中から)>
8時頃に、「沖縄ワールド(玉泉洞)」で、お正月特別御膳朝食を食しました。

11:00、小禄に帰着。
帰路、車内の沖縄クイズで、2回とも最終まで残り、景品を2つ頂く(今年は春から縁起がいい)。

▲<沖縄ワールド内の売店風景>

昨年6月、沖縄に移住して、初めて沖縄で正月を迎えました。
昨年は、3月末日まで勤務先で仕事をして退職しました。
4~6月12日までは、引っ越し準備。
6月15日、沖縄に移住。季節は、梅雨の真っ最中で「湿度85%の湿気(パンパースの中と同じ)」に驚愕。
7月12日、「台風12号」の洗礼を受け沖縄の元気の良い台風を体験。
8月5日、「クリーンキャンペーン」に参加し、58号線明治橋付近で1時間のごみ拾い。午後から、那覇国際通りで、「那覇エイサー祭り」を観る。
9月2日、沖縄市の「全島エイサー祭り」を観る。9月24~25日、「久米島」へ行く。
10月14日、「那覇市大綱挽き」に参加。10月20日、「津堅島・勝連城ツアー」に参加。
11月2日、「三線」を購入。11月3日、「首里古式行列」を観る。
12月23日号のアサヒ芸能に出ました。
2007年、沢山の出会いに感謝。2008年、どんな年になるやら楽しみです。
今年も宜しくお願い致します。

▲<沖縄ワールド内、売店の屋根にいたシーサーです>