豊見城市 民俗文化財巡り(19)『真玉橋地区』③

2008年01月18日 00時05分59秒 | 沖縄現地情報

▲<「真玉橋拝所」の入口に立つ真玉橋拝所整備移転建立記念碑。地区内には24か所の拝所があったと書かれています。>

真玉橋の南側バイパスを渡った直ぐの所に「真玉橋拝所」があります。
国場川南側に建設された「那覇東バイパス」(1994年完成)によって、この地区の地形は様変わりしました。
その影響で、この地区にあった民俗文化財もずいぶん移転したり形が変わりました。

▲<大井の上(ウフカーノイー)、ちゃんと中には水が湧いていました。>

ここは、昔から村にとって重要な聖地であり、「大井の上(ウブカーのイー:御嶽)や「骨神」「地頭火の神」などが同じ場所に祀られています。

▲<左、真玉橋地区の祖先が祀られている「骨神」の祠。右、「地頭火の神」の祠。>

▲<左、「神風之殿」。右、「大神の御石」>

他には、「遊庭井(アシビナーガー)」「今帰仁井(ナキジンガー)」「臼井(ウーシガー)」は、バイパス建設のために、この場所に移転されている。


真玉橋地区の祖先が祀られている「骨神」とは別の、「骨神」の石碑があります。
こちらは、当時、国場川が氾濫するたび橋が流されていたが、一人の老神女が神のお告げとして、「子年生まれで髪を七色の元結をした女性を人柱に立てると成功する」と、告げた。しかし、探しても見つからなかったが、その神女自身が条件に合ったため、自ら人柱になりました。その後、真玉橋は流されなかったいう話です。うちなー芝居にもなっています。

▲<人柱になった人が祀られた「骨神」。>

「真玉橋拝所」は、真玉橋地区の神がすべて集まっている「真玉橋総合拝所」と言える場所です。
しかし、バイパス建設がなければ、こんな状況にはならなかったと思います。
我々の生活を便利にしていく事が、同時に民俗文化財の形を変えて行っています・・・。


▲<拝所の近くの民家の一角にある「井戸」。>
この井戸は、昔、真玉橋を造るために長嶺城から石を運んでいた人夫達の休憩場所として使用され、ここで水を飲んでいたらしい。水の恩を忘れないようにという感謝の気持ちで、今でも地域の住民は礼拝に訪ねています。
⇒次回は、真玉橋地区の集落始祖の碑や祠、およびハーリーの発祥の地を訪ねます。