庭先のフルーツ その⑥『パッションフルーツ』

2007年08月16日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

パッションフルーツの花に受粉中(糸満観光農園のHPより)。

果実の食べ方は、割った中の黄色く粘っている種の周辺を舐める。
最初に食べた人は、よく食べたとなぁ思われるようなフルーツだ。

完熟になる頃具合を測るのが難しく、早く食べる人が多く、甘くないと思う人が多いらしい。
もう駄目だというようになってから食べると良い(外の皮がガタガタになるまで待つ)。
スプーンですくって食べるのもいいが、ジュースにするのが一番合っていると思う。
糸満の観光農園では、パッションフルーツのワイン製造に成功して、販売していた。
試飲したが、すごーく甘いワインだった。

庭先のフルーツ その⑤『グアバ』

2007年08月15日 00時04分19秒 | 沖縄現地情報

30年以上前に、竹富島唯一の喫茶店で「搾り立てのグァバジュース」という飲み物を飲んで、世の中にこんな美味しいものがあったのかと感激した記憶がある。
その後、缶入りグアバジュースや濃縮ボトルが出来て、「グアバジュース」もポピュラーになった。しかし、その実態は、詳しくは知らなかった。

沖縄では、「パンシル-」と言って、道端に生えているもので、子供達が学校の帰り道に採って、かじる程度のモノで、庭に植えるほどの評価がされていないモノらしい。

それが、最近「グアバ葉」のお茶(発酵グアバ)が、血糖値上昇抑制作用がある事が、報告されて急速に評価が上がっているらしい。
インシュリンの改善効果もあり、糖尿病の予防にも期待されている。
小禄南図書館のグアバ
先日「牧志公設市場」に出てたので、購入した(皮をむかずそのままかじると聞く)。
冷やして、翌日そのまま噛んでみたが、味は良いのだが種が多くて、たくさん食べられるモノではなかった。

やっぱり、ジュースにした方が良いモノと思った。
しかし、味は何か懐かしい感じがする、何とも例えようないフルーツです。

『TOMITON』へ行ってきた。

2007年08月14日 00時05分31秒 | 沖縄現地情報

8月13日、4日振りに雨がやんだので、8月9日にOPENした「TOMITON」(豊見城市豊崎)へ行ってきました。
豊見城市が開発した埋立地に出来た、沖縄で一番新しいショッピングモールです(那覇から車で20分弱)。
同じゾーンには、アウトレッモール「あしびなー」「ヤマダ電機」「戸田書店」がすでに営業しています。

TOMITONの、チャレンジフードコート「Patio Fiesta」12つのブースの内9つのブースの飲食店が腕を競っている(人気のない店は退場を言われるのだろう)。

「スポーツデポ」「GOLF5」「ライトオン」「シュープラザ」「ダイソー」などが営業していた。
残念ながら、三越の沖縄初郊外型食品館「MyKitchen」は、9月1日OPENで入れなかった。
隣接の、アウトレットモール(65店舗)やヤマダ電機を回れば、一日掛ってしまう。
家族連れが、今後はもっと増えるエリアになるだろう。
ほとんどの人が、車で来ている(TOMITONだけで約860台の駐車場有)。

奥の黄色い看板がアイスクリームの「ブルーシールBigDip」
車の無い観光客には、ゆいレール「那覇空港駅」発「赤嶺駅」経由で、無料のシャトルバスが便利です(一時間に一本運行、時間は10分程度)。
帰りは、「赤嶺駅」には止まらないので要注意(帰る日の半日をそこで過ごせば、土産物やファッションのショッピングに便利)。

『はだしのゲン』

2007年08月13日 00時05分05秒 | 生き方・人生観

8月10・11日、フジTV系で「はだしのゲン」を放映していた。
マンガ「はだしのゲン」は、広島に居た時、お好み屋や散髪屋に置いてあったので、
少し読んだが詳しいストーリーは、覚えていない。
今回、沖縄に来て「広島原爆記念日」に、「ヒロシマナガサキ」を観て、製作した監督が、英訳版「はだしのゲン」を読んで、原爆被爆者をテーマにした映画を作った事を知った。
その映画を観た直後だったので、二夜連続でじっくり見た次第。
    
一部では「家族愛」、二部では「生きる力」を学んだ。
原作者中沢啓治氏の実話だけに、リアリティがあり、子役二人の演技も良かった。
暗いテーマだが、子供達の明るく生きる姿に胸がジーンとした。

食べ物が無い生活が「飽食の時代」に、大人を含めた子供にもどう伝わっただろうか。
また、「自殺の多い時代」に、原爆投下後の命の尊さは、どう伝わっただろうか。
ドラマだから所々、おかしな所があったが、簡単には創ってない作品になって。
よその国の出来事ではなく、この国で62年前にあった事実という事を、日本の現在の若い人に一人でも多く知って欲しいTVドラマだった。

庭先のフルーツ その④『ドラゴンフルーツ』

2007年08月12日 00時02分32秒 | 沖縄現地情報
ドラゴンフルーツの花
名前は以前から知っていて、貴重なトロピカルフルーツとして憧れていた。
パパイヤのように木になる果実だと思っていた。
7月下旬から、スーパーにも並び出したので、妻が早速買って食べた。
中身が赤と白がある(丸いのは赤、楕円が白らしい)。味は、薄くて淡泊(キウイの薄あじ)。沖縄の人は、蜂蜜をかけたりして食べる人もいるらしい。

そんな頃、ベランダから見える畑のサボテンンの花が、ある日突然に赤くなったので、もしかしてと思い、確認に行ったら、先日まで咲いていた黄色いサボテンの花が、ドラゴンフルーツに変身していたのだった。
ドラゴンフルーツは、サボテンの花が実になった時の姿だったのです。

沖縄では、民家の垣根や棚に派手な花を咲かせ、その後、果実が垂れ下がっています。その果実は、真っ赤で美しいです。
 

庭先のフルーツ その③『パパイヤ』

2007年08月11日 00時03分46秒 | 沖縄現地情報

以前、竹富島の民宿に滞在した時に、庭に黄色いパパイヤが付いているのを見て、沖縄に住めたら、庭にパパイヤの木を植えて、好きな時に食べたいと思った。
沖縄に来たら、そこかしこにパパイヤの木がある(空地にもある)。
 
パパイヤは、種を蒔いておくと直ぐに芽が出て育つ。
しかし、土地の栄養をすごく取るので、土地が枯れるらしい。
パパイヤは、性別がありオスの木には実がならない。

パパイヤには悪いが、マンゴーに比べると味はいまいちで、スーパーでもパッとしない存在です。そのかわり、青いうちに野菜炒め等で食べると、美味しい事を知ったのは収穫です(木になる瓜ですね)。
 パパイヤの苗木


庭先のフルーツ その②『バナナ』

2007年08月10日 00時04分27秒 | 沖縄現地情報
 
バナナの木(実は草)に、バナナの房が垂れ下がっているのを、住宅地で見かけたりすると、本土で育った私にはなぜか羨ましい。
バナナは、「芭蕉」と親戚。糸を取るのは「糸芭蕉」。実を食べる「実芭蕉」がバナナ。ほかに、花が美しい「花芭蕉」の3種類があるらしい。

島バナナは、青くても甘いらしい(今度、食べてみようと思うが、しかし島バナナは、小さいくせに200円くらいして、東京で輸入バナナを100円位で購入していた者には、高く感じてなかなか買えないのだ)。
バナナは、沖縄では「島バナナ」が庭や畑に植えられているから、輸入品は買う気がしなくて売れないので、需要と供給のバランスで高くなるのだろう。
 
上(左)の、バナナの台風後の姿です
今回の4号台風で、一番被害を受けていたのは、バナナだった。
葉が大きいだけに、風を受けて途中から折れている。
見るも哀れな状態が、ここ一カ月位見るたびに痛々しい。
しかし、近所のバナナは、いつ見てもそのままだが、誰が収穫するのだろう?
見る度に気になって仕方がない。
採ってしまいそうになる自分が怖い!今日この頃です。


庭先のフルーツ その①『マンゴー』

2007年08月09日 00時05分24秒 | 沖縄現地情報
 
沖縄へ来て、一番興味を持ったのが「アップルマンゴー」だ。
本土でも知っていたが、高価で手の出せない高級フルーツだった。
沖縄では、ジャスコで他のフルーツよりは高いが、地元の人用に1000円~売っている。
贈答用は、2個入りで4000~5000円(普及品)、ブランド物は2個入りで8000円程度。
 
東風平のビニールハウス(7月下旬)
宮崎のアップルマンゴーが有名だが、最近は沖縄でも色んな所で作られている。
沖縄では、宮古島の有機農法のマンゴーが一歩先行している。
 自宅前、民家のマンゴーの木(7月上旬)
そんな時に、近所の庭先にマンゴーを見て羨ましく思った。
店頭に並ぶものは、上記の様にビニールハウスで大切に作られているのだが。
 
散歩途中で見かけたマンゴーの鈴なり(6月中旬)
「庭先のマンゴー」は、時々袋を被せたもの見かける事があるが、殆どは何もせずにぶら下ったままだ(たまに、落ちてもそのままのものも見る)。
そんな状態を見ると、沖縄は亜熱帯地域だなぁと感じるのです。

広島原爆記念日に。

2007年08月08日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

映画『ヒロシマナガサキ』を那覇市桜坂劇場で観ました。
この映画は、1952年ロサンゼルス生まれの日系3世のスティーヴン・オカザキが、英訳の「はだしのゲン」を読み広島・長崎の原爆投下に関心を深め1981年、広島に初めて訪れ、被爆者を取材した作品「生存者たち」('82)を発表。
日系人強制収容所を描いた「待ちわびる日々」('91)で、アカデミー賞ドキメンタリー映画賞を受賞。
アメリカでは、原爆投下が「戦争を早期に終わらせ、日米両国民の命を救った」との認識が強い。
オカザキ監督は、ヒロシマ・ナガサキの事実を伝え、核の脅威を世界に知らしめる事を自分の役目と考えるようになった。
被爆者14名の証言が、原爆の恐ろしさと、被爆者にしか語れない、実態がフイルムに収められている。
また、実際の投下に関与した4人のアメリカ人の証言や、アメリカ側の貴重なフイルムも公開されている。
日本人の多くが知らない、被爆者の実態を知る貴重な映画です。

映画は、現在の若者が62年前の8月6日に何があったかをインタビューするところから始まる。しかし、それが何の日であるかを、誰一人も応えられない。
そんな日本への警鐘でもある。

「原爆が落ちたのは世界で日本だけ、伝えていかなければ、愚かな人間はすぐ忘れてしまう。我々に出来る事は、繰り返し、繰り返し、耳にタコが出来るほど、伝えて行く事。この映画でまた改めて被爆者の方々の苦しみが今も続いている事を痛感する。その苦しみと恐怖は想像を絶する。また時間とともにそれが薄らいで行く愚かな自分が恐い」役所広司(パンフレットより)
世界中で、一人でも多くの人に観て頂きたい映画だと思います。
7月28日~岩波ホール他、全国で上映中。8月6日、大手HBOケーブルTVで19:30~全米放映された。

一万人エイサー祭りIN那覇。

2007年08月07日 00時02分14秒 | 沖縄現地情報

クリーン沖縄キッズ・プログラムの後、一度家に帰ってシャーワを浴びてから「一万人エイサー踊り隊」を国際通りに見に行きました。
県内各地のエイサー(83団体6000人)が、大太鼓やパーランクー(手太鼓)を叩きながら、国際通りを15:00~19:00頃まで道ジュネー(行進)した。

各地域のチーム個性(衣装・振付・音楽・チームワーク)と、統率がとれていて、いくら見ても飽きなかった。
特に、小さな子供が熱心にリズムを覚えて、大人に合わせている姿が可愛かった。
   
デジカメの撮影カットは、気が付けば200カットを超えていた。
手の動きが一斉に揃う時、音も揃って気持ちが良い。
暑い中、踊りながらジュネーしている様を見ると、こちらも力が入る。
終わると精一杯拍手をする。

保育園児が、お兄さんお姉さんに合わせて演奏する。
随分、お家で家族に教えてもらって練習してきた様子だ。
よき伝統を伝承する風習が沖縄に残っている。

沖縄の各地で、行われているエイサーだが、那覇の中心地でこれだけ、数多く揃って見れる機会は貴重だ。
今年で13回目らしいが、動員数は、13万人(主催者発表)だったらしい。
今後も続けてもらいたい良いイベントでした。


『クリーン沖縄キッズ・プログラム2007』に参加しました。

2007年08月06日 00時05分16秒 | 沖縄現地情報
 旭橋駅高架下(旭橋バス停)
8月5日、10:00~10:30に那覇空港~名護市役所まで国道58号線(約70km)を、約500人で一斉に清掃するものです。
参加者は、子供と保護者×250区間+20名(運営事務局)。
主催は、「沖縄美ら島地域・産業おこし100人委員会」。
協力支援:内閣府沖縄総合事務局、南部・北部国道事務所、沖縄県バス協会、沖縄都市モノレール、マスコミ各社。協賛:県内企業各社。
対象ゴミは、タバコの吸い殻、空き缶、ペットボトル、および紙屑などの一般ゴミです。
作業の場所は、事務局が指定。私は、那覇市内の旭橋⇔奥武山公園の区間でした。
 
参加者には、ゆいレールと公共バス4社の「一日フリーパスポート」が配布されました。
 
裏は、バスの一日フリーパスになっている
33℃の猛暑の中、参加者は楽しく作業を行いました。
 
私が、約40分間で拾ったゴミ。(奥武山公園前バス停)
ゴミは、バス停からバス停だったこともあり、タバコのフィルターが約50個、ペットボトル・カンが約10個、意外に目立ったのが、コンビニのレシートだった。
帰り道、奥武山公園前のバス停からゆいレールの奥武山公園駅まで、約5分位の道のりでも、ゴミが気になり拾って帰ったら、ゴミ袋に半分くらいまた拾ってしまいした。
11:30~14:00まで「宜野湾海浜公園」で、参加者交流会(FC沖縄の選手と子供の交流会やミニライブ、バーベーキューなど)がありましたが、私は参加しなかった。
その理由は、後ほど書きます。

沖縄には『瀬長亀次郎』というエライ人がいた。

2007年08月05日 00時03分07秒 | 沖縄現地情報
 
琉球新報の番組紹介記事

8月1日、NHK「その時歴史が動いた」で、『瀬長亀次郎』を取り上げていた。
前日、小林よしのりの『沖縄論』を読んだところだったので、タイムリーで良く理解出来た。
戦後の沖縄で、占領軍や支配下にあった琉球政府を糾弾し、堂々と日本復帰を主張し続けたすごい人物です。
その人生を、NHKが全国放送した事は、特筆すべき事です。
本土のほとんどの人が、日本の戦後独立は1952年4月28日と思っている。
しかし、その喜びの裏で北緯29度線以下は、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約により、米軍の施政下に置き去りにされた事は当時本土では、大きくは報じられなかった。
それから、1972年5月15日まで20年と17日間、復帰出来なかった苦難の沖縄県の歴史がある。
その間、米軍とその支配下琉球政府に対して、信念を持って県民の生命と生活を守り、本土復帰を言い続けたリダーが、瀬長亀次郎だった。
所属政党が、共産党だったので、毀誉褒貶があって本土には全く取り上げられなかった人であったが、那覇市長当選直後、米軍から補助金をストップされた時、市長を助けるために、那覇市民が納税(77→86%へ)をして市の財政を救ったエピソードがあるくらい市民に信頼されていた。
そんな人が、戦後の沖縄に存在した事は、こちらに来て初めて知って驚き、活動を知るにつけ尊敬した。
沖縄の知られていない歴史や人物を学び、その上で沖縄をもっと好きになって行きたいと思った次第です。

 

沖縄の言葉 その②『人名』 解答編

2007年08月04日 00時03分46秒 | 沖縄現地情報

昨日『人名』の解答です。
①東江(あがりえ)②安谷屋(あだにや)③阿波根(あはごん)④入慶田本(いりけだもと)⑤親富祖(おやふそ)⑥我喜屋(がきや)⑦喜友名(きうな)⑧喜舎場(きしゃば)⑨喜屋武(きゃん)⑩謝花(じゃはな)⑪瑞慶覧(ずけらん)⑫渡慶次(とけし)⑬大工廻(だくじゃく)⑭仲村梁(なかんだり)⑮平安山(へんざん)⑯平安名(へんな)⑰真栄原(まえはら)⑱真境名(まじきな)⑲屋宜(やぎ)⑳饒平名(よへな)

薩摩藩の命令で、日本風の2文字姓を3文字姓に強要された際、東→比嘉・比謝、船越→富名腰、福山→譜久山、徳山→渡久山、前田→真栄田 等々、に変えられた無理な当て字が読みにくくなっている原因ではないでしょうか。
地名に、琉球読みが残り、氏名は日本語読みになっているので、余計にややこしくなっているのだと思う。例:上原(ういーばる→うえはら)、山城(やまぐすく→やましろ)比嘉(ふぃじゃ→ひが)

★おまけです。「沖縄県の名前ベスト20」(   )内は人数
①比嘉(9108)②金城(8909)③大城(8153)④宮城(6540)⑤新垣(5305)⑥玉城(5094)⑦上原(4798)⑧島袋(4316)⑨平良(3907)⑩山城(3252)⑪知念(2965)⑫宮里(2853)⑬仲宗根(2552)⑭下地(2493)⑮照屋(2389)⑯砂川(2362)⑰仲村(2158)⑱城間(2158)⑲新里(1826)⑳新城(1811)
※「苗字館」より300位中20位までを出しました。
  

沖縄の言葉 その②『人名』 

2007年08月03日 00時02分29秒 | 沖縄現地情報

地名に引き続き、人名です。
人名は、住んでいた土地の名を使ったものが多く、土地名が読めればだいたい当たるはずですが、土地は琉球読みが残り、名前は日本読みになっています。
読み方は、その家の問題で確認を要します(地元の人でも間違ったりするそうです)。
薩摩侵略以降、家名(ひらがな書き)を漢字に充てた。
のちに、1624年「大和めきたる名字の禁止」がされ、日本風の2文字から3文字姓に変更を強要された(地名も変えられた所あり)。
廃藩置県後、沖縄でも庶民に姓の使用が認められ、同時に姓は日本風に読むようになり、琉球方言の読み方はごく少数になった。
戦後、「戸籍整備法」に伴い、本土名への改姓もあり今日に至る。
※Wikipedia「沖縄の名字」を参考にしました。
★問題
①東江(    )
②安谷屋(    )
③阿波根(    )
④入慶田本(    )
⑤親富祖(    )
⑥我喜屋(    )
⑦喜友名(    )
⑧喜舎場(    )
⑨喜屋武(    )
⑩謝花(    )
⑪瑞慶覧(    )
⑫渡慶次(    )
⑬大工廻(    )
⑭仲村梁(    )
⑮平安山(    )
⑯平安名(    )
⑰真栄原(    )
⑱真境名(    )
⑲屋宜(    )
⑳饒平名(    ) 


沖縄の言葉 その①地名 解答編

2007年08月02日 00時02分29秒 | 沖縄現地情報

昨日の答えです。
安次嶺(あしみね)、天久(あめく)、宇栄原(うえばる)、奥武山町(おおのやまちょう)、鏡水(かがみず)、小禄(おろく)、金城(かなぐすく)、久茂地(くもじ)、国場(こくば)、東風平(こちんだ)、首里金城町(しゅりきんじょうちょう)、首里平良町(しゅりたいらちょう)、高良(たから)、田原(たばる)、通堂町(とんどうちょう)、保栄茂(びん)、真地(まあじ)、宮城(みやぐすく)、水納(みんな)、銘苅(めかる)。

他にも、安里(あさと)、安謝(あじゃ)、宇栄原(うえばる)、鏡原町(きょうはらちょう)、首里桃原町(しゅりとうばるちょう)、繁多川(はんたがわ)、真嘉比(まかび)、寄宮(よりみや)などがあります。
訓読みが主流と思ったら、音読みも多い。
上記の、保栄茂(びん)は、3文字でどの文字が「びん」になるのかは解らない。
あまり深く考えずに、覚えて使っていくしかないですね。