平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2011年12月4日 時代は終焉に向かっているが

2011年12月20日 20時28分24秒 | Weblog
   時代は終焉に向かっているが

 この時代が、終わりにさしかかっている。そんな予感に慄く2011年である。日本だけでなく世界経済も泥ぬま、東日本で大きな震災が発生、大地は放射能に汚染され、また、環境の悪化から来る自然災害も多発している。独裁者を豪語する者が現れても、大差で勝利する時代が訪れた。
 これから日本は、ある方向に大きく旋回していくのだろうか。恐ろしい気がする。そうかといって、キリストの教会に救いを求める者が押し寄せることもない。人々は、今、何を考え、これからどう生きようというのだろう。そして、教会は、それらに対して、どう応えていけるだろうか。つまり、どう寄り添い、どう否を言っていくのだろう。
 私たちは、時が良くても悪くても、福音を伝えることが使命であるが、時は悪化の一途を辿ろうとしている。何の圧力もなかったとは言えないが、法的には、これまで保障された中で伝道活動は許されてきた。にもかかわらず、キリスト教は伸びなかった。しかし、実に微々たる数ではあったが、日本におけるキリスト者たちの果たしてきた役割は小さいものではない。
 政教分離原則を主張し、戦い、日本が戦前のような危ない道へ進むことを抑え、日本の民主主義への発展、平和構築にも大いに貢献してきたと思う。それでも、人々の救いを願うなら、このままでいいはずがない。教会もまた無為無策のまま、時代の流れに飲み込まれていっていいはずがない。祈りつつ、具体的に未来の道筋を定めよう。


平良師

2011年11月27日 日本のキリスト教は本物か?

2011年12月20日 00時05分14秒 | Weblog
   日本のキリスト教は本物か?

 1988年4月に西南学院大学に入学し、今年で23年になる。私のような怠け者で、役に立たない伝道者が、いまだに教会で奉仕することが許されていることは感謝すべきことであるが、少し不遜ではないかと思っている。
 最近、表題の本が出版されたことを知って、私自身あらためて「自分自身が奉仕していることは役に立っているのか?」「自分の宣教は本物か?」と考えなおす必要があるのではないかと思うようになった。
 「自分の信仰は本物か?」という問いは何度も問いただしてきたつもりであったが、いまだにはっきりした決着点に到達してはいない。一生かかっても解決できないのかもしれない。神の喜びたもう人間には達しえないかもしれないが、より近づこうとして歩むことで、ゆるしていただけると思って日々の生活を過ごしているのが現実の姿である。
 よき先輩、後輩の献身者との交わりを与えられ、教えられて、喜びに満ちた年月を過ごしてきたことを考えると幸せであったし、すべて感謝すべきことばかりであったとしかいえない。これまで平尾教会、その他の教会の多くの兄弟姉妹との交わりが、どんなにすばらしいものであったか、あらためて神の導きと恵みを覚えてつきないものが山ほど与えられてきた。この身がどんなに見すぼらしいものであっても、神の愛と支えが如何に強大であったかを思う。今年も、もう残り少なくなったが、本物のキリスト者に近づけるよう励みたいものである。


松村師