時代は終焉に向かっているが
この時代が、終わりにさしかかっている。そんな予感に慄く2011年である。日本だけでなく世界経済も泥ぬま、東日本で大きな震災が発生、大地は放射能に汚染され、また、環境の悪化から来る自然災害も多発している。独裁者を豪語する者が現れても、大差で勝利する時代が訪れた。
これから日本は、ある方向に大きく旋回していくのだろうか。恐ろしい気がする。そうかといって、キリストの教会に救いを求める者が押し寄せることもない。人々は、今、何を考え、これからどう生きようというのだろう。そして、教会は、それらに対して、どう応えていけるだろうか。つまり、どう寄り添い、どう否を言っていくのだろう。
私たちは、時が良くても悪くても、福音を伝えることが使命であるが、時は悪化の一途を辿ろうとしている。何の圧力もなかったとは言えないが、法的には、これまで保障された中で伝道活動は許されてきた。にもかかわらず、キリスト教は伸びなかった。しかし、実に微々たる数ではあったが、日本におけるキリスト者たちの果たしてきた役割は小さいものではない。
政教分離原則を主張し、戦い、日本が戦前のような危ない道へ進むことを抑え、日本の民主主義への発展、平和構築にも大いに貢献してきたと思う。それでも、人々の救いを願うなら、このままでいいはずがない。教会もまた無為無策のまま、時代の流れに飲み込まれていっていいはずがない。祈りつつ、具体的に未来の道筋を定めよう。
平良師
この時代が、終わりにさしかかっている。そんな予感に慄く2011年である。日本だけでなく世界経済も泥ぬま、東日本で大きな震災が発生、大地は放射能に汚染され、また、環境の悪化から来る自然災害も多発している。独裁者を豪語する者が現れても、大差で勝利する時代が訪れた。
これから日本は、ある方向に大きく旋回していくのだろうか。恐ろしい気がする。そうかといって、キリストの教会に救いを求める者が押し寄せることもない。人々は、今、何を考え、これからどう生きようというのだろう。そして、教会は、それらに対して、どう応えていけるだろうか。つまり、どう寄り添い、どう否を言っていくのだろう。
私たちは、時が良くても悪くても、福音を伝えることが使命であるが、時は悪化の一途を辿ろうとしている。何の圧力もなかったとは言えないが、法的には、これまで保障された中で伝道活動は許されてきた。にもかかわらず、キリスト教は伸びなかった。しかし、実に微々たる数ではあったが、日本におけるキリスト者たちの果たしてきた役割は小さいものではない。
政教分離原則を主張し、戦い、日本が戦前のような危ない道へ進むことを抑え、日本の民主主義への発展、平和構築にも大いに貢献してきたと思う。それでも、人々の救いを願うなら、このままでいいはずがない。教会もまた無為無策のまま、時代の流れに飲み込まれていっていいはずがない。祈りつつ、具体的に未来の道筋を定めよう。
平良師