平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2007年1月14日 造られし者

2007年05月17日 23時09分12秒 | Weblog
     造られし者

 私は鬘をしようとか、植毛しようとか、育毛しようとか、増毛しようとか、そこらの類を考えたことがない。しかし、それは人それぞれで、鬘をしようが、育毛に心がけようが、自由であって、何ら批判するつもりもない。
 ある知人は、20代で禿げて、しばらくはいろいろと試みていたが、あるとき、面倒だあと剃り上げて、ツルツル頭にしてしまった。私は、どんなにみっともない状況になろうとも、これについては成り行き派である。私よりも一髪先を行くある牧師は、こう言った。「わが髪わが髪、どうして・・・」。牧師のくせに不謹慎な冗談を言う人だ。
 しかし、自分の状況を笑い飛ばして、禿になろうがそんなことどうでもいいじゃん、といった姿勢はお見事である。とは言え、鏡を見て、ときにはっとさせられることは確かである。また、頭髪のことでは屈辱的なことがないでもない。それは、理髪店に行ったおり、髪を分けるのだが、前は、7・3に分けていたものが、最近、8・2くらいの割合で、右の髪の毛を強引に左に持ってくることである。
 そこまでしなくてもいいのに、ほっといてくれ、と言いたくなる。理容師さんは、私のようなお客の場合は、このような扱いをするのだろうが、優しい心遣いご無用に願いたい。
 「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40:8)。造られし者、いろいろな衰えの変化は仕方がないが、神様の言葉が不滅であるということがハゲマシだ。


平良 師

2007年1月7日 継承というテーマを与えられて

2007年05月16日 23時33分13秒 | Weblog
 継承というテーマを与えられて

 今日から明日まで、連合青年会の修養会がある。テーマは「継承」。講師を頼まれた。このテーマは、教会だけでなく社会全体が未来永劫にわたって担うべき課題だ。日本は高齢化社会を迎えた。そして、教会も例外ではない。継承は、急務なのである。
 そして、その継承の中心は、福音である。礼拝の形などは、時代や地域において変化しうる。継承を考えるときに、しっかりと継承しなければならないことと、そうでもないことを区別する必要がある。
 パウロが、Iコリントの15章3節からのところに「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」と言って、伝えた内容は実に単純明快であるが、突き詰めるとそれしかないとも言えるものだった。
 キリストがわたしたちの罪のために死んだことと、三日目に復活したこと。私たちはバプテストの群れだから、この教派の先達たちが大切にしてきたものもまた継承していきたい。それから、平尾教会が大切してきたもの、これも継承していきたい。
 ただし、バプテストの教会はその構成メンバーが変われば、自ずと変化が生じるのは致し方ない。それは覚悟しなければならないし、むしろ、それを喜ぶくらいでいたい。
 なぜなら、私たちの教会運営は、民主的なものであり、一人ひとりが同じ一票を投じて、それに関わっていくからだ。2007年、私たちの教会は、何を継承し、どのような変革を行っていくのだろう。祈りつつ、主に委ねつつ。


平良 師

2006年12月31日 群れの広がりを感謝しつつ

2007年05月15日 14時50分53秒 | Weblog
  群れの広がりを感謝しつつ

2006年も大いに恵まれた年であったと思う。
 感謝である。4月以降、8人のバプテスマと10人の転入会者が与えられた。神様のお導きがそれぞれの兄弟姉妹たちの上におありだったと思う。私たちはこれらの方々を教会の群れにお加えして、また新たなる平尾教会の一歩を始めることになった。
 これからも明確な将来の夢や希望、計画を立てて歩んで行こう。そうした業に主の御心は働かれる。ヴィジョンが示されるのである。私たちはどのような教会を目指そうというのか。どのような礼拝を守ろうとするのか。人が増えた分だけ、考え方に幅が生まれ、豊かさが増し加わる。そして、その上に、主の御心が示されていく。
 ところで、2006年は加藤姉が神様の御元へ召され、波多江兄が召された。それは悲しく、つらいことだった。しばらくお目にかかれないけれども、いずれお会いすることになる。それまでの寂しさと悲しみをイエス様が共に担ってくださる。
 私たちの教会は、こうした悲しみや寂しさを包み込むことのできる群れでありたい。そのためには、受け皿を幾重にも作っておくことが大切になってくる。群れが大きくなると孤独感や疎外感を抱く方々もいよう。
 だから、教会学校、各会、各委員会ごとの活動、それだけでなく、地区別、年齢ごとのグループもできるとさらに豊かさは増す。どこかに所属すれば、教会生活のあれこれを共に分かち、担い合うこともできる。来る2007年も主の御心を求めよう。


平良 師

2006年12月24日 神はすべての人に愛を説き給う

2007年05月14日 13時52分22秒 | Weblog
 神はすべての人に愛を説き給う

 昨年3月20日、福岡市の玄海島から警固断層にかけて突然大きな地震が襲来したことは、ご承知のことと思う。わたしの大名町(旧紺屋町)の生家はその断層に接する地域であり、付近の大名、天神界隈はかなりひどい被害を受けた。昭和の初め呉服屋をしていた祖父の時代に倒産したのであるが、建物は、四棟のうち三棟は崩壊した。
 150年前に建築したものであったから、この際、家財道具は殆ど整理することになった。たいしたものはないのであるが、一つだけわたしが好きな額縁があった。それには「了々為人意」と竹筆で墨痕鮮やかに書かれているのである。浄土宗総本山の智海という大僧正が書いたものと父から聞いていた。「大きな心をもって、他人の気持をくみとって行動し、生活しなさい」という意味である。
 戦前・戦後、この額に書いてある意味については深く考えることのなかったわたくしたちであったが、殆ど役に立たないものばかりを整理、処分しているうちに、ふと、この書の意味を思い返すことになった。これは佛教の教えの一つでもあろうが、聖書(マタイ7章12節)にあるように、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」のことばと同じ精神が示されている。
 現代の宗教間の対立や抗争を見る時、とくにキリスト教とイスラム教のように、どうして人類はおろかな宗教上の戦いや審きあいをやめ、平和への道をとりあげることができないのか、わたしたちはもっと真剣に悔い改めねばならないと考えるのである。神は宗教を超えて、全人類に、真実の愛とへりくだりを強く求めておられることをあらためて確かめたいものだ。


松村 師

2006年12月17日 クリスマスはすべての人びとのために

2007年05月13日 14時28分13秒 | Weblog
クリスマスはすべての人びとのために

 クリスマスは、楽しく、うれしくあって欲しい。心躍り、うきうきし、すべてが幸せに満ちていることが望ましい。なぜなら、クリスマスは、すべての人々のためにイエス・キリストが来られた日だから、それはすべての人々が楽しく、うれしくあるべきなのだ。
 しかし、このとき、私たちはそうできない方々のことにも目を向けよう。それは、すべての人々のために、このお方は来たと言われているのだから。内戦状態で難民生活を余儀なくされている人々、ホームレスの人々、交通事故やその他のことで、親を失い、子どもを失った方々、病の方、体に不自由さをおぼえている人々、悲しみや苦しみの中にある人々に私たちは心を向けたいと思う。
 トルストイの短編小説に「靴屋のマルチン」という作品がある。クリスマスイブに、イエス様はマルチンに「明日、私はお前のところへ行くよ」と言われたが、当日イエス様は来られなかった。
 その代わり、赤ちゃんを背負った貧しい母親、盗みをはたらいた子ども、独り身のおじいさんなどの出会いがあり、彼らに優しくしたマルチンだった。イエス様は、その夜、夢の中で、あの人々が実は私だったのだと告げる。
 私たちは、社会にあって、イエス・キリストをどこに、いったいどなたの中に見出すのか、それがトルストイの問いであったのだろう。クリスマスをうれしく楽しく迎えられないでいる人々がいる。その方々と私たちが共にあろうとすることを主は喜ばれる。


平良 師

2006年12月10日 飛行機の旅で思った

2007年05月12日 14時56分54秒 | Weblog
    飛行機の旅で思った

 今週は連合の仕事で南浦和の連盟事務所に行くことになり、その往き帰りに飛行機を使った。私が使う航空会社は、他社よりも若干安いので、その点不便なことも多い。
 まず、受付カウンターも搭乗口も、ターミナルの隅にあるため、かなりの距離を歩かなければならない。それから最近は、飛行機の中でもお茶がでなくなった。客室乗務員が運んでくるお茶をいただくのは、何かの特権にあずかったようで、ささやかな旅の楽しみだったのに、残念。
 それから、どういうわけか、この会社の飛行機の中にあるスクリーンには、地図しかあらわれない。これは、とてもめずらしい。初めの頃は、どうしてこんな退屈な地図なんか、それもずっーと映しているのだろう、と思った。お金がないからなんだろう。その代わりに、安い運賃を提供してもらっているのだから、仕方がない。
 もし、私が、より便利で、多くのサービスを求め、快適さを求めるならば、それなりの賃金を払わなければならなくなるだろう。安いのだから、我慢我慢。地図もよく見ると、現在の高さが何メートルで、外の温度は何度で、と表示されてあって、もし、外に放り出されたら、マイナス50度かとか、そんなことを考えて退屈しのぎもでき、慣れたらどうということもない。
 しかし、主から与えられる救いの恵みは、私たちが払う運賃にはよらない。これはすべての人々に与えられる同一の恵みで、すべての人がファーストクラスの待遇を受けているのだろう。


平良 師

2006年12月3日 教会の大きな喜びに与った者として

2007年05月11日 15時04分31秒 | Weblog
 教会の大きな喜びに与った者として

 教会の喜びは、救われる方が与えられることだ。今年は、そういった意味では、私たちの教会は、とても大きな喜びにあずかり、神様の祝福におののいている。
 今年度、神様はさらにもっともっとたくさんの方々を救いへ招かれ、信仰の決断へと導かれようとされている、そう私には思えてならない。また、私たちの教会に転入会をされる方々も例年に比べると随分と多い。神様は、私たちの教会に大きな期待をされている。
 ならば責任がある。それとも、宣教50周年ということで、今年は特別に祝福されているのだろうか。大きな祝福に与ったのだから、この恵みに対して、私たちは応答したいと思う。新来者も主日毎に数名の方々が来られ、恵みは尽きることがない。しかし、せっかく教会に来られた方々へのフォローが行き届かない。
 これほどに神様が教会を祝福しているのに、私はそれに応えられないでいる。神様がお送りされている方々なのに、笑顔をもって温かく迎え、応対できているだろうか。教会員の方々はどうだろうか。もちろん、私たちもまた、一週間の疲れを癒されたい、慰めや平安が欲しい。
 しかし、教会員である我々はすでに救いに与った者たちだから、迎える側にできるだけ徹したいと思う。私たちは与えることがすばらしいと、主から教えられた。
 そして、そのキリストはさらにすばらしい。できれば、私たちもまた、あなたたちはすばらしいと、教会に初めて来られた方々からも、主からも思われたい。


平良 師

2006年11月26日 ポンペイ展を観て

2007年05月10日 16時01分58秒 | Weblog
   ポンペイ展を観て

 福岡市美術館で「ポンペイの輝き・古代ローマ都市最後の日」を観た。2001年にも「世界遺産ポンペイ展」がやはり福岡市美術館であり、そのときも大々的にPRがなされたそうであるが、どういうわけか不覚にもまったくそれに気づかずに見過ごしてしまったので、今回は一日時間をかけてゆっくりと観て回った。
 紀元79年8月24日、イタリアのナポリに近いポンペイの町は、海抜1200メートルのヴェスヴィオ山の噴火によってすっかり地中に埋もれてしまったのだが、18世紀になってようやく始められた発掘により、当時のたたずまいのままに(もちろん噴火による多くの破損を蒙ってはいるが)われわれの前に甦った姿を現わしたのだった。
 私は1996年のスイス滞在中に実際にポンペイを訪れて、やはり一日時間をかけてゆっくりと町全体を歩き回ることができたので(因みにそのときに撮ったフィルムはすべてカメラと共に帰路ミラノ駅に停車中の列車の中で盗難に遭って失なってしまったが)、展示の背景にも思いを馳せながら観ることができた。
 しかし今回は、遺跡では決して観ることのできない、避難する市民が持ち出そうとして果たせなかった数々の金貨や貴金属の装飾品類、1959年に発掘され、ローマ皇帝ネロの宿泊用だったかもしれないと言われているポンペイ近くの館の壁画「竪琴弾きのアポロ」などの展示があったので、深い感動をもって観て回った。
 それにしても、ポンペイを訪れたときにも感じたことだが、そして国際学会の折りに偶然食事で一緒になったナポリ大学神学部教授からも確認したことだが、キリスト教の痕跡が遺跡の現場にも、そして今回の展示物の中にも一切ない、という事実には考えさせられるものがある。
 唯一キリスト教(あるいはユダヤ教?)との関連を示すとされているものは、私自身は書物の中でしか確認していないのだが、通路わきの壁に書かれた「ソドム、ゴモラ」という落書きである。
 これは、今回の展示物からだけではまったく想像できないが、しかし遺跡現場を訪れればただちに目にすることになる古代都市ポンペイの「退廃ぶり」を皮肉った「信仰者」のコメントだと思われる。ローマ皇帝クラウディウスは紀元49年に、ローマのユダヤ人たちが「クレストス」(もちろんクリストスすなわちキリストのことであろう)に煽られて騒動を起こしたために、ユダヤ人のローマからの追放を命ずる勅令を出しているが(使徒言行録18:2参照)、このことはイエスの十字架から約20年を経たこの時期にすでにローマではキリスト教がかなりの影響力をもっていたことを予想させる。
 しかしそのローマから約200キロ南のポンペイでは、まだまったくキリスト教は力をもってはいなかったのだ。使徒パウロは紀元30年より少し前にローマに送検されてその地で殉教したと言われているのだが、彼のイタリア上陸地点のポティオリは、ナポリ湾に面した港町でポンペイから20数キロしか離れていない。
 使徒言行録28:13によればそこには複数の信徒がいたとされているが、20年後に大爆発を起こすことになるヴェスヴィオ山を右に見ながらローマに向かって北上したにちがいないパウロは、ポンペイ周辺にキリスト教が浸透していくのはいったいいつ頃になるとそのとき考えていたのだろうか。


青野 師

2006年11月19日 笑ってごめんなさい

2007年05月09日 13時28分25秒 | Weblog
   笑ってごめんなさい

 最近のニュースでちょっと申し訳ないが、笑ってしまった事件があった。否、「そんな人の不幸を笑ったらいかんやろう」と優しい皆様は思うに違いない。決して笑ってはいけないのだ。でも、思えば思うほど、よくできた話で噴出してしまう、ごめんなさい。
 人間は罪なものだ。ある画家が、地元の市に無料で自分の絵を何点か貸した。市は、公民館などにそれを展示していた。十数年たって、その画家は、自分の絵を他に貸し出そうと考え、市に返還を求めた。ところが、一点を除いて、その1点も倉庫の壁の一部と思われたために難を逃れたようだが、他のものは役所の倉庫に長く眠っていたためにゴミとして処分されていたのだ。
 その画家は、怒りを露にすることもなく「オレの絵はゴミか」と寂しそうに言っていた。話は、これで終わらない。その画家の妻は、家はいかにしたらきれいになるか、整理術関係の本を何冊も書いている有名な方らしい。ベストセラーにもなったとか。整理術、私にこそ必要な類の本だ。
 その本の目次の第1項には、こう書いてあるという。「整理のコツの第1は、見ないで捨てること」。市の倉庫に眠っていた画家の絵は、市の職員が見ないで捨てたのだった。なんという皮肉、なんという悲劇。
 見ないでしていいことは、信じることだけだ。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」。怒ったのは画家の妻、そこで一言「確認しないで捨てるなんて、まったく話にならない」。


平良 師

2006年11月12日 大物のすること、小物の考えること

2007年05月08日 15時23分08秒 | Weblog
大物のすること、小物の考えること

 先日、ある方の新築祝いの席に出席させていただいたおりのこと、驚くべきものを見てしまった。それは、そのお宅の建造物のすばらしさもさることながら、その台所のカウンターにおいてあった鯛だった。7キロという大物だ。私は、3キロくらいのものは釣ったことがある。
 しかし、それはお察しのとおり管理釣り場でのこと。鯛を祝いにと持参された方のは7キロもの大物だ。もちろん船釣りの釣果だ。そして、一緒に、同じくらいの大きさの平目も釣り上げ、それはすでに食卓に刺身となって並べられていた。その身の厚く大きいこと。ダイエットをしているはずの妻が、柚子入りのポン酢で丼飯をかき込むように、その平目を豪快に食べているさまを見て、こんな贅沢あっていいものかと思った。
 鯛は、5分で上がったというが、その5分、至福のときであったろう。何事にも上には上がいるものだ。私の管理釣り場での釣りなど、邪道で、小さく、情けないと思えてくる。私の師匠は、こんな釣りもあって平良君いいんじゃない、と今のところ付き合ってくれているが、果たして本音はどうなのだろう。
 確かに、上を見上げるときりがない。お金が降って湧く事態になったなら、そのときは、世界を巡って釣り三昧をしたいと思う。これもまた小物の考えることか。お金があろうがなかろうが、世界釣りの旅にでかけるのが大物というもの。否、これすらも小物。世界伝道の旅に出たパウロを見よ、彼こそは大物。


平良 師