平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2016年1月10日 もう一つのものの見方

2016年01月16日 21時53分59秒 | Weblog
もう一つのものの見方

 昨年のクリスマス礼拝の青野先生の説教では、クリスマスのもう一つの見方、別の観点から福音の真理に迫る見方があることを教えていただいた。それは、福音理解の深さ、広さ、豊さへつながった。私たちの教会の信仰告白(この信仰告白は、何人の信仰をも制限することなく、あかしとして又、はげましとしてこれを宣言します)を生きている先生である。
 同じ方向から見ていてはわからないことが世の中には多いことを知らされる。私などは実に狭い世界に生きているので、世の荒波のもまれ方も少ない。それじゃあ、一般社会では通用しませんよ、と思われていることも多いと思う。そして、それで多くの方々に迷惑をおかけしていることも多いのだろう。この場を借りて、お詫びしておきたい。
 しかし、なかには、それが牧師の務めだから、世の常識と同じことを言ってもらったり、振る舞っていてもらってもつまらないし逆に困る、そういう考えの方もおられるだろう。ただし、これは私に限らず誰にもあてはまることだが、ある程度の常識がないと話ができない、ということも事実ある。
 神様の存在を真実に信じているということ自体が、まず、常識を逸脱しているというのが、日本人の感覚かもしれないが、キリスト者が多い国々の人々からすると、神様の存在を信じていないという傲慢な人間は、信用できないと考えるということも聞いたことがある。多様性は、己に固執せず、見聞を広げることから生まれる。


平良 師

2016年1月3日 リセットのありがたさ

2016年01月16日 21時50分43秒 | Weblog
リセットのありがたさ

 元旦礼拝では、「リセットのありがたさ」という題で説教させていただいた。パソコンでも、コピー機でもごちゃごちゃしてきて、にっちもさっちもいかなくなれば、リセットをしたらよい。荒療治だが、いざとなれば電源を引っこ抜いてしまう事もあり。そうすると、新しく始められる。年が改まるというのは、つまり、そういう類のことなのだと理解している。新しい気持ちで、仕事でも何でも始められるのはありがたい。
 神様は、人間を創造されたけれど、その人間は神様の望むようには生きなかった。神様が望む、神様と人間の関係を回復するために、最初の人アダムとエバは楽園から追放された。二度目のリセットとおぼしきことは、ノアの方舟の物語だろうか。邪悪な人間たちは地上から一掃されてしまった。しかし、それでも人間は、罪を繰り返した。三度目のリセットは、バビロン捕囚であろうか。
 そして、ついにイエス様の十字架によって、最後のリセットが完了した。このリセットのおかげで、ようやく、神様と人間の関係は、神様が望まれる本来の姿に立ち戻れることになった。神様ご自身が愛をもって創造された人間をもう一度愛されることを決意され、私たち人間も神様のその愛を信じて生きていくことができるようになった。人間は、十字架の上に神様の愛が極まっていたことを信じたのである。
 年が改まれば、昨年の記憶は急速に遠ざかる。2015年は遥か遠い昔のように思えてくるから不思議だ。


平良 師