平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2015年8月16日 苦い経験は活かさなければ

2015年08月27日 22時59分38秒 | Weblog
苦い経験は活かさなければ

 苦い経験は、活かしてこそ意味がある。苦い経験は、傷になることも多いが、活かしてその後の人生に役立てることをすれば、あれがあったから二度と失敗をしないで済んだと、その出来事を無駄にしないで、つらいけれども少しは肯定的に受け止めることも可能となる。そして、少しは傷が癒えることもあるのだ。
 ところが、苦い経験を活かそうとしない懲りない人々も多いのはどういうわけだろう。それは盗人のように、悪いとわかっていながら、今度は絶対に見つからないようにやるぞ、という輩に似ている。川内原発が再稼働した。わが故郷である。福島であれだけのことが起こり、広島、長崎と同じように、ほんとうにつらい経験を強いられたのは、盗人ではない善良な市民だった。
 原発事故は、どのように慎重を喫しても、いつでもどこからでも起こりうることはこれまでの事例から明らか。すべてが完璧にできたとしても、隕石が落ちてきたらどうするのか。確率の非常に低い、荒唐無稽な例だと笑うことができるだろうか。現に今も、大小は別として、隕石が落ちてきたという話は、世界中にある。
 内側の事故の可能性をゼロにできたとして、津波だけでない、地震もある、噴火もある、隕石も降ってくる、これらのことを原発施設が食い止められるとはとても思えない。これほどの危険なものは、早くに解体してなくす以外に道はないと叫ぶ人々が多くなった。福島の苦い経験を無意味なものにしたくないものだ。


平良 師