憲法記念日に思う
私たちの愛する日本国憲法は、平和憲法と言われる。そして、その憲法の前文は、聖書の次にすばらしいと常々思う。前文を読むたびに、世界に誇れるものはやはりこれだと思う。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。政府によって、再び戦争が起こらないようにするために、この憲法は作られた。
にもかかわらず、政府は、この憲法をないがしろにし、国民の意思を無視して、再び戦争をする道を歩み始めているのは残念。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と存在を保持しようと決意した」。
私たち日本人は、どうやって我々の安全と存在を保持しようと決めたかというと、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」ということである。強力な武力を保持し、それを使用することによってではない。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
だから、私たちは、「自国のことにのみ専念し、他国を無視してはらない」。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」。この前文が、崇高な理想であるのは承知の上だという。そして、誓っているのは、私でありあなたなのだ。
平良 師