晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雪中八策 防獣編(6) 2/25

2012-02-25 | 日記・エッセイ・コラム

2012.2.25(土)雨

 集落を取り巻くエリアを分類すると考えやすくなる。
A:居住地、付随する農地。人の営みの圧力が大で獣は立ち入れない。
B:里山と居住地から離れた農地。しょっちゅう人が出入りして獣は立ち入れない。
C:山間。山仕事や猟で人が通い、獣と人の圧力が拮抗する地帯で両者混在地帯。
D:奥山。原生林で人が入ることはまれ。獣の生息地。

 この四つのエリアは人間が生活を始めることによって生まれた。原始はDDDDですべて獣のエリアで歴史的にはこの期間が最も長い。
 人が居住するようになるとDDDCという形になり、これも何万年も続いただろう。狩猟採取の時代で、居住地といえどもABにならないのは獣がいないと成り立たないからである。縄文時代がこれにあたる。
 やがて農耕が始まるとDCCAからDCBAという形にすすむのだろう。
 DCBAという形は近世に入ると定着しバランスを保って高度経済成長が始まるまで続いたのではと考える。
 このように人の営みの圧力をエリアで分類すると、いままで居ないとさえ思われていた獣達が人里に出没し害を及ぼす理由がはっきりしてくる。
 つまりかつては人の居住地AはDのエリアで棲息していた獣からB,Cという見えない濠で守られていたわけである。見えない濠とは「人の営みの圧力」である。
 上林では鹿は昔は居なくて、若狭から来たとか奈良から来たとか言われる方がおられるが、そうでは無くて奥山Dにひっそりと生存していたのだろう。そのD地域は奥上林方面に多いと思われる。動物の個体数が奥上林に多いのはそのためだろう。Img_3857

念道の集落、耕地が豊富なため集落の周りは里山のみで、古屋や老富などに見られる里山の谷間の田んぼは見当たらない。

Img_3868  
古屋の谷奥、かなり奥まで田の跡がある。小唐内なども同様である。これらがBエリアと言える。



 そして現在、BCにおける人の営みが無くなって、DDCA状態になっており、少なくとも外濠は埋められた状態である。
 山間の集落や過疎化が進んだ地域ではDDDA状態となり、外濠も内濠も埋められた大阪城炎上のような状態である。
 これこそが獣出没、獣害の本質的な解明では無かろうか。そしてそれが解明されれば解決策もおのずと見つかるというものだ。
 
 家の周りや隣接する畑などもしっかりと獣害にあっている。そこには「人の営みの圧力」は充分にあるはずなのにどうしてだろう。
 隣地は獣の独壇場なのに我が家の敷地には入ってこないという風に過去に書いたが、例外はある。この4年間に猿による大根、椎茸の被害1回、猪による掘り返しの被害1回、小動物による野菜の被害数回、そして今鹿が連日侵入し龍のひげや蔦の食害に合っている。なぜ侵入するかというといくら敷地内に人の営みの圧力があったとしても、その周囲は圧力も何も無いいわゆるD地帯だからだ。P1000934

我が家の裏山では容易に鹿の姿を見つけることが出来るし、猪のヌタ場もあればクマらしき爪痕も見つけられる。完璧D地帯だ。


 例えばこの4年間に隣接する裏山に人が入ったのは、間伐の数日間とお墓工事の数日間である。これでは圧力にはならない、つまり獣の生息地と居住地が隣接しているわけで、その間の緩衝地が無いわけである。このことが獣侵入の最大の理由だろう。つづく
 
今日のじょん:夕べ10時前ぐらいかじょんが異常に吠えた。外に何か来ているのかと耳を澄ませるが、じょんの吠え方がうるさくて何も聞き取れない。「やかまっしゃい」と言いながら、外を見渡すが何者も無い。
 朝になって見回ると食害、足跡、鹿の糞、、、、やられた。
P1010165P1010162P1010169



食害(向こう側の蔦)、足跡、糞                                                                                    

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