晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(55) 丸山とイモリ村 5/29

2011-05-29 | 歴史・民俗

2011.5.29(日)雨

 東北地方にははやま信仰といわれる山の信仰がある。はやまとは葉山、羽山、端山などと記され形の整った里に近い山で、どこの村にもひとつぐらいはあるものだ。その山に「はやまの神」が居て、里の人々の農耕を見守っていてくれると信じられている。人が死ぬとその霊ははやまに上がり、そこで数年を過ごしまた高みのある奥の山に上がっていくと言われる。現実にはやまに山上墳の痕跡があるものもあるという。山形県寒河江(さがえ)の葉山では奥の山は月山である。東北の地図を見ていると実に多くのはやまがあり、これ等のはやまの写真を見たとき将に老富の丸山がはやまに当たるのではないかという気がした。Img_0506

死んだ人の魂は葉山を経て月山に集まるという。(2006.9.6)


 はやま信仰は如何なるものか、文献は多くない。はやまの神まつりの具体的な報告などは目にすることはできるのだが、はやま信仰がどこから来たのか、いつごろ始まったのか、どのような意味があるのかといったことはなかなか解らない。
 はやまの神まつりの記事を読んでいると、その中に共通して浜下り(はまおり)神事があることに気付く。浜下りは沖縄、奄美など南の島々の伝統的行事、祭事という理解があるが、これが東北のはやま信仰の中に生きているというのは驚きである。この浜下り神事についても実はどのような意味があるのかよく解らない。
 海に関係のある神事であることは想像できるけれど、東北ではおよそ海とは縁のない内陸部でも行われているのだ。死者の魂の行きつくところも、沖縄では海だし、東北では山と考えられている。九州南部にもはやま信仰があるという説が民俗学者小野重朗氏によってとなえられていると言う記事を見たことがあるが、これも確認できていない。Img_3036
 
徳和瀬(徳之島)のナーバマ(浜下りの浜)
(2007.3.7)

 東北には”はやま”はいくらでもあるが、丹波で見つけるのは難しい。はやま信仰に類似する信仰や習俗も見あたらない。しかし仮に東北と南九州にその信仰が存在したとしたら、中間にあるこの地にも有ってもおかしくないと思うし、少なくとも死者の魂は山に還るという考えは間違いなくあったと思うのである。つづく
(大唐内のこと(54)は2011.5.26)

今日のじょん:なんでも検定流行の昨今なので、じょん検定を作ることにした。是非チャレンジして貰いたい。今日のじょんの読者なら簡単。
(第1問)今日のように雨の日にレインコートを着せられて、困っている様子を表す諺をのべよ。答は明日のこのコーナーで。Img_0929

コメント (2)
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