常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

琵琶湖

2008年10月11日 | 旅先の風景
10月10日日の出


伏見稲荷に無事遷座を終わり、琵琶湖温泉でつつましく宴を張った朝、二つの太陽が湖面を紅く染めた。
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音羽の滝

2008年10月11日 | 旅先の風景
清水寺

懸崖造りの本堂から石段を下って音羽の滝に出ると、周りが修学旅行の生徒さんでごった返していた。
列の先は、三本の樋から滴り落ちる滝の裏側に続き、子供達は背面から霊水を長い柄の柄杓で受止めて口に含んでいた。
諸病に効くといわれ、頭脳を明晰にする効果もあるという。
中学生の時、修学旅行でここにきた。
ほとんどの事は忘れたが、霊水を飲んだことだけは覚えている。
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ご遷座の旅

2008年10月11日 | 旅先の風景

松本を6時30分に出発して、金木犀が香る竜谷大学の脇を抜けて、11時に伏見稲荷のついた。
特別な遷座式はなかった様に思う、拝殿に参上し祈祷を受け、更に舞殿で浦安の奉納舞の後、巫女の軽やかな鈴のシャワーを受けて儀式が終わった。
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金木犀の香り

2008年10月08日 | 季節の便り
アザミ

黄昏の中に漂う香りで金木犀の開花を知った。
鼻腔障害による嗅覚の減衰があって、しばらく香りの世界から遠ざかっていたのが徐々に復活の兆しがあって、過日は大分から恵贈いただいたカボスの香りが満喫できた。
湿った重苦しい夕暮れに金木犀の香りだけが光った。
信州大学構内に祭られていた稲荷神社が「政教分離」の精神に反するかどで撤去された。
従来この稲荷神社の管理、祭事を行ってきた任意団体の有志が、ご神体を京都伏見稲荷へ遷座することにきまった。
多少の関わりを持つものとして明日の遷座式に同行することになった。
秋の琵琶湖の観光を兼ねて


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柿が赤くなると

2008年10月07日 | 季節の便り
平種無柿


柿が色づいてきてその数の多さにびっくりした。
枝が重さに耐えかねて枝垂れ柳である、夏の頃もっと摘果すべきであった。
渋柿で平種無(ひらたね)というらしい、名のとおり種が無いから干し柿に最適だ。
「柿が赤くなると医者が青くなる」という言葉があった、この時期、気候が健康増進に作用し、病気する人が少なかったのだろう。
行政からインフルエンザ予防接種を勧めるはがきがきた。
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コスモスの咲く峠

2008年10月06日 | 季節の便り
コスモス


長野県から山を越えて群馬県に続く街道の一つに、コスモス街道があった。
自動車専用道路が開通する以前のことで、花の時期に一度だけ通ったことがある。
道路脇だけでなく、周辺の農地にまで淡いコスモスの花が広がっていた。
細い繊細な葉と、透き通るような花が、この季節合って、柄にもなく無常を思った。
同じころ、スキー場一面に咲くコスモスも見た。
コスモスはこの季節を演出する花である。


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小鹿物語

2008年10月05日 | 季節の便り
葉も花も実もない蕎麦畑

蕎麦同好会の計画書によれば、10月25日、刈取り・脱穀、11月には待望の「新蕎麦を味わう会」とある。
しかし蕎麦畑はご覧のありさまである、集落からわずか100メートルほど離れた畑地であるが毎夜鹿が出没しているらしく蕎麦の横芽が伸びる隙も与えない。
鹿を夜見たという人の話を聞いた。
悠然と羽のある神馬が空を駈けるように軽やかに飛躍して山に帰っていった。
短い時間であったけれど、スポットライトに浮かび上がった雄鹿の美しさと大きさに感動したという。
昔観た「小鹿物語」の、青い月夜に、とうもろこし畑の高い柵を飛び越えた小鹿の姿を思い出す。
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アルコール依存

2008年10月04日 | 季節の便り
更科しょうま


2人の友人
アルコールが己を駄目にしている事は充分わかっているのだけれど、一人身のわび住いに秋の短日は寂しさが募る。
人は元来弱いものだ、監視の目がなければ大抵の人は誘惑に負けてしまう弱い存在なのだという。
妻や子供達の悲しそうな面影を振り切って茶碗に酒を注ぐ。あるいは夜の街にさ迷いい出る。
一人は別れた家族の暖かい説得で再起を誓い専門病院に入院した。
一人は老いた母の嘆きをよそに、今夜もうつろな目で夜の街を彷徨している。

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濃霧

2008年10月03日 | 季節の便り
朝霧の季節


朝の霧は低地に発生し、時間とともに川の水位が上がるように量を増やしつつ、あらゆるものを包み込んでしまう。
朝霧が出る日は、秋晴れが約束されたようなものだ。
日が登るにつれて、霧は雲散霧消し、天高い秋の空が現れるからである。
夜間の気温が下がり、月下美人は朝になってようやく満開になって、昼間咲く花に変わる。



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景観条例

2008年10月02日 | 季節の便り
アンテナの林

美ヶ原高原台地に自動車の乗り入れをめぐって、激しい論争が展開した。
時の環境庁長官が現地視察に及び「ノー」との結論に達したと聞いている。
この結果が自然保護という目的に合致したかどうか判らない。
全く手を加えない自然保護と、人手を掛けないと守れない自然がある様に思う。
強い植物は必ず他を制圧する、勿論 数千年、数万年のサイクルで植生は世代交代を繰り返すのだろうけれど、人間は先が短いからせっかちだ。
ずっと以前 翁草が咲き乱れる草原があった。
そこは家畜用の草刈り場でもあった。不要な潅木は切払われ、いつもみずみずしい青草に太陽が降り注ぎ、春には翁草が咲いた。
村から家畜が消えて、草原は藪に変わり、翁草は園芸センターで外来種しか見られなくなった。
高原の高台にアンテナが乱立し、もしかしたらアツモリソウが下敷きになっているかもしれない。
日本中いたるところで見られるこの景観は異常だ。
世論を喚起する筈のメディアも人里離れた自然の中では無言だ、それも自然保護なのだろう。
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