松本に向かう汽車が急勾配を喘ぎながら登り、それから鉄路を軋ませながらゆっくりスイッチバックして姨捨駅に停車する、わずかな乗客がホームに降りて改札口に向かって歩いて行く。
乗客を吐き出して一呼吸置くと汽車は動き始める。
しばらく走ると汽車は冠着トンネルに入る、その手前で機関手は鋭く警笛を鳴らすと、乗客は心得て窓を一斉に締める。
急勾配の登りトンネルである、気合を入れて石炭を投入し、馬力を最大限に引き出さないとこのトンネルは抜けられない。
窓のない機関室に瞬く間に煙が充満しする、機関助手泣かせといわれる所以である。
客室の中にも窓の隙間を通して、石炭臭く、喉を刺激する煙が容赦なく入り込んで、乗客はハンカチやタオルで顔を覆い、車内の視界は極端に悪くなる。
乗客はひたすら耐えた。
トンネルを抜けると乗客は先を争って鎧戸の様な重い窓を開けると、野の花が咲く別世界が開け、流れ込む新鮮な空気を思い切り深呼吸した。
ローカル線での電気機関車運行など夢の又夢であった。
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