常念が見える部屋から

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季節の移ろいに写真を添えて発信します。

来し方の記

2013年03月11日 | 来し方

福寿草 

私の初出勤は昭和32年(1957)の3月11日で、今日と同じ月曜日であった。

不思議な巡り合わせである。

昨日までの馬鹿陽気が一転し、霜柱が立ち ようやく咲いた福寿草は霜に打ちひしがれた。

3月11日の常念  御殿場の孤高の富士山も素晴らしかった

3月末の退職に当たり、社内誌への寄稿依頼により提出したものを要約する。

その1

『振り返ると、入社以来既に56年が過ぎていました。

昭和32年(1957)3月、松本工業高等学校定時制電気科を卒業し、有限会社中島尚誠堂医療器械店へ技術職として採用されました。

社長以下13人が家族のように寄り添う会社で、営業職以外の入社は私が初めてと聞きました。

時代は高度医療機器の黎明期で、心電計をはじめガストロカメラ(内視鏡)がようやく一般に使われる様になった頃です。

会社はアフターサービスをテコに新時代に相応しい医療機器の販売を目指したものと思います。

修理対象機器は診断、治療、研究、測定と多岐にわたりました。

宇宙開発から派生した新テクノロジーはいち早く医療機器に採用され、工業高校出の若僧にとって、とても新鮮で魅力的な職場でした。

各メーカーの研修会に参加し、試行錯誤を繰り返しながら、年を経て、なんとかユーザーやメーカーそして同僚の信頼に応えることができるようになりなました。

重い工具鞄を担ぎ、バスや汽車に揺られて県内のみならず、遠く上越まで出張した事を思い出します。』

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