はるにわ日記

古民家再生の記録、薪ストーブ、子供との戯れ、大好きなバイクと英国旧車のこと、サッカー、カフェ。徒然なるままに・・・・。

1円を笑わない

2010年05月14日 22時41分28秒 | 古民家暮らし
今日1円拾いました。
あまり自慢にはなりませんね・・・

1円を拾うのって、けっこう勇気が要りますね。
みんな気付いているはずなのに、誰も拾おうとしない・・・・。
自分が拾うと皆に注目されている気になります
「あ、オレが恥ずかしくて拾えなかった1円アイツ拾ったぞ」

1円拾わなくても、特に困ることは無かろうし、恥ずかしい思いをして拾うこともなかろうに、と思うのですが、昔のある経験から、どんなに汚かろうが、1円だろうが5円だろうが、敬意を表して必ず拾うことにしています。
その経験とは・・・

って、大した経験と言うほどのものでもないのですが

10年以上前に公園で汚い、汚れた50円玉が落ちているのを見付けました。
一旦手にとったものの、あまりに汚かったのと、友達と一緒だったということもあり見栄を張って、遊具の上に残してきてしまったのです。

その後近くの道の駅でジュースを買おうとして、財布の中を見ると10円玉が7枚と50円玉が1枚。
丁度ジュースが買える金額です。
嬉しいですよね~、「小銭が減る」と喜んで50円玉を取りだした、その拍子に手が滑り下に落ちた50円玉はコロコロと転がって自動販売機の下へ・・・・

覗いてみましたが、既に手の届かないところにあり。
もうずいぶんと昔のことなので、千円札をくずして買ったのか、買うのを我慢したのかは覚えていません。

しかし相当衝撃的だったことを覚えています。
「1円を笑うものは1円に泣く」といいますが、復讐されたとかバチが当たったという感覚ではなく、50円を粗末に扱ったことによって自分の50円があちらに呼ばれて行ったような、因果応報というか、作用反作用と言うか、そうなってもあたりまえで仕方ないこと、そんなような感じです。

もともとチョット後ろ髪を引かれながら残してきたということもあってか、まずいことやイケナイことをしたというよりは、50円玉に対して失礼で申し訳ないことをした、という気持ちでいっぱいになりました。

どんなに汚くても50円玉は50円の価値があるんですもんね。
1円だって1円の価値がある、その価値は多寡に関係なく尊重せねばという気がします。

それ以来おカネが落ちていれば、どんな状況でもお必ず拾って、貨幣経済の循環の中、おカネが唯一その価値を価値として認識される世界に戻すことにしています。

そういえばあの50円玉、その後公園に戻ってみたけど置いた場所には残っていなかった、ような気がします。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿