屯田物語

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阪神淡路大震災の祈り

2007年01月18日 | 日常
阪神淡路大震災から12年

平成7年1月17日・・
出勤するや兄の自宅(西宮)へ何度も電話をかけ続けたが、
まったくつながらない。
刻一刻と甚大な被災状況が明らかになるにつれ、
連絡がとれない不安な時間だけが過ぎてゆく。

夕方になって、やっと兄の無事を知ったが、
まわりの家屋が倒壊しているなかで、生と死の分かれ目はどこにあったのだろうか。
東京の義兄はすぐに食料や飲料水を持って西宮へ向ったが、
札幌ではどうすることもできない。
そのときのじりじりした気持ちはいまでもよく憶えている。

昨年の秋、神戸を訪ねたが、
被災のつめ跡は感じられなかった。
それは犠牲になられた方の魂が、
復興の礎になったからである。

「手稲山の晩鐘」
晩鐘とは夕方につく鐘、老いとは人生の夕方、人生の晩鐘である




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