虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

二葉亭四迷「浮雲」を読む

2005-04-30 | 読書
二葉亭四迷「浮雲」といえば、高校で、名前だけはみんな知ってるけど、読んだ人って少ないですよね。今回、はじめて読んでみました。あーー、読みにくい。イライラしてきました(笑)。

だって、出だしがこうですからね。「千早ぶる神無月も最早跡二日の余波となった廿八日の午後3時頃に、神田見附の内より、塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸きいでて来るのは、いづれも・・・」
漢語が多い(ルビがふってるけど)。

しかし、しかたありませんね。なんせ、100年前の小説。明治20年に出版されたのですが、江戸幕府が滅んだのは、たったの20年前、まだまだ江戸人が大勢生き残ってる時代です。一葉さんは、15歳、漱石もまだ高校生でしょうか。勝海舟も生きていれば、草莽の志士の生き残りもいる。そんな時代の人々の暮らしや考え方をのぞくことができる、という意味ではとても興味深い。
読みにくいけど、会話が多いので、一葉さんなんかと比べたら、読みやすくわかりやすい。

これを書いたとき、二葉亭は23歳です。
ロシア文学に圧倒され、全身ロシア文学に毒された(?)四迷が、江戸と明治が混在したような時代にロシア文学みたいな小説を書く。不可能なことにあえて挑戦した果敢な試み。

主人公は元幕臣の子で(家族は静岡に移住)、学問はあるけど、口下手で、不器用な青年文三。
好きな女性に告白できなくて、なんども口ごもってしまう。下宿の叔母さんに処世のまずさをくどくどと責められ、いじめられても、口答えができない。ケンカしようとは思うが、いや、大人気ない、ここは、少しこちらががまんして丸くおさめたほうがいい、とか考えてしまう。
要領がよく、弁が立ち、出世のことしか考えてないようなイヤな奴に恋人までとられそうになる。
内省的な青年を登場させ、その心理を表現します。

文三のしゃべりかたがおもしろい。役所を免職になったことがなかなか言い出せなくて、「えー、まだお話し・・・申しませんでしたが、・・・・実は。ス、さくじつ・・・・め、・・・・ム、めん職になりました」「ど、ど、どうしてだか・・・私にもわかりませんが・・・・大方・・・ひ、人減らしで・・・」

江戸幕府が倒れてわずか20年後の人々の姿がうかがえて、おもしろいです。





紀州を走る(根来寺、青洲の里、野半の里、慈恩寺、真田庵)

2005-04-29 | 日記
大型連休、みんなどこへ行くのだろう?小さい子どもがいる家庭では愛知万博?
どこも車でいっぱいだろうと思って、紀州を走ってみた。これが意外にすいていた。

連休でどこかへ行く、というのは昔の話かもしれない。
子どもは大きくなったし、諸物価は高くなるし、所得は減るし、先行き不安だし、日ごろの超過勤務で身体ボロボロだし、家にいるのが一番いいのかもしれない。でも、天気がよかったので、紀州へ行ってみた。
コースは根来寺、華岡青洲の里、野半の里、慈恩寺、真田庵。
目的は青洲の里と真田庵で、あとのは、コースの途中にあったので寄っただけ。

根来寺、広い。自然公園になっている。お弁当を持って川辺でくつろいでいる家族もいた。
根来忍者というのは、ここと関係あるのだろうか?ここはさくらの里でも有名らしい。

青洲の里には、春林軒主屋といって、青洲が開いた住居兼病院・医学校が復元されていた(例によって、蝋人形がおいてある)。近くには、青洲の墓もあった。のどかな里です。

野半の里は、温泉に入って、外でビールを飲むところだ。今度は、飲む目的でこなければならない。今回は飲酒はパス。

慈恩寺。世界遺産だとか、高野山は女人禁制だったけど、ここまではこれたところか?よく知らない。

真田庵。いやー、びっくりした。小さなお寺。駐車場もなかった。真田幸村といやー、男の中の男、武将の中でちょっと興味がある人なのですが、こんな程度の保存のされかた?という感じ。でも、ここは、蟄居していた場所で、信州の方にちゃんとした資料館があるのかもしれない。資料やパンフレット類は何もなく、昔のNHKドラマ真田太平記のふるぼけた写真がはってあるだけだった。

行きも帰りも、訪問地もすいていた。連休でも紀州はすいているのですね。片道2時間。


べ平連の緊急集会

2005-04-27 | 新聞・テレビから

30日はベトナム戦争終結から30年になるということで、30日に芦屋で、べ平連の元よびかけ人(小田実や鶴見俊輔他)があつまり緊急集会を開く、という記事があった。
ベトナム戦争反対の回顧をするだけでなく、何かを始めると思うのだが、その元気というか(小田実はもう70を越えてるのだろう)、変わらぬ志には感動する。
この記事を書いた以上、朝日の記者よ、どんな集会であったか、きちんと報道してくれよfont>

BS2[大理石の男}放送予定

2005-04-26 | 映画・テレビ
今、テレビの予告で知ったのだけど、(たしか)5月4日にBSで「大理石の男」を放映するらしい。これは、録画しておこう。

これは、昔、映画館で見ました。社会人になってからは、めったに映画館には足を運ばないのですが、わざわざ梅田まで行って見た記憶がある。見て、よかった、と思った珍しい映画。当時は、アンジェイ・ワイダという監督の名も、ポーランド事情も何も知らずに見に行ったのだけど、わたしには、実に新鮮でスリリングな映画だった。

映画作家志望の女子学生が倉庫に捨てられている大理石の男(昔の労働英雄(煉瓦工)のドキュメントをとるため、その労働者の足跡をさぐっていくもの。労働英雄にされた労働者はいつしか社会から疎外され、行方不明になる。ラストはその労働者の息子と会う。
この続編が「鉄の男」で、息子と女子学生が結婚し、ワレサまでが出てくるポーランド現代史になる。

「大理石の男」の主人公、労働者役の俳優が実にいい(名前は知らない)。内気で、やさしくて、純情で、だからこそ社会の不正にもだまっていない、なつかしいような人柄。

女子学生もかっこいい(女子学生にしては、かなり年取ってみえるのだが)、タバコをすい、長い足を投げ出し、歴史の真実を果敢に追いかける。この映画を見たとき、日本やアメリカ映画では長らく見たことのない映画を見た気がした。

でも、なにしろ昔、見た映画だから、忘れてしまったので、今度見たら、感想はちがってるかもしれない。
ドキュメンタリータッチです。2時間半くらいある。おすすめ。

成績評価主義と余計者

2005-04-25 | 新聞・テレビから
夕刊は脱線の大事故で紙面が占められているけど、朝刊の小さな記事をネタにします。

「成績悪けりゃ役人もクビ」という見出しで、鳥取県が勤務成績の低い職員5人を退職させた、というかこみ記事が出ていた。県では、実績や積極性、企画力などを見て職員を5段階に評価し、それによって、昇任、昇給なども決めるそうな。武士であれば、辞表をたたきつけてやめたい職場ですね。

産業界では、成績評価主義(要するに、経営者側にとって都合のいいリストラ策だろう)は声高に論じられているけど、近頃は、産業界に歩調を合わせようと、役所や学校などさまざまな職場にも浸透しているありさま。

大昔、保険会社のビルの清掃員をしていたとき、事務室の壁に張り出された成績表を見て、こんな会社には絶対就職しない!と思ったものだ。しかし、今は、どこの職場でもこんな環境。

営業なら成績は数字で出てくるし、それなりにわかるけど、営業以外の世界での成績って何だろう?必要のない仕事をどんどん作って実績(?)をあげる昭和の関東軍みたいなことにならなければいい。

だれが評価するのだろう?上司だと思うけど、上司に評価できるのだろうか?これでは上司とケンカもできない。
上司と上司を囲む官僚体制(職場)の奴隷になるだけではないか。そういえば、日本人って、みんなおとなしくなったもんな。

二葉亭四迷の「浮雲」は、役所つとめをしていたが、上司と合わず、クビになる余計者が主人公です。余計者だけど、しかし、まだ、その時代は、余計者が主人公になるだけの存在価値があった。

今日のJRの大事故、JRの職場環境ともおそらく無縁の問題ではないと思う。
子どもが危ない、といってるけど、大人の職場が危機的なんではないだろうか。


ナロードニキと二葉亭四迷

2005-04-24 | 読書
渡辺雅司「明治日本とロシアの影」には、ロシア語の先生コレンコと、生徒22人がいっしょにうつした写真がある。

頭はつるつるで、あごにはりっぱな髭をはやしたコレンコ先生もナロードニキです。1920年代にソ連で編纂された「革命家辞典」にも出ているらしい。ペテルブルグ農業大学時代に政治活動で逮捕され、ペテロ・パウロ要塞監獄に拘留後、流刑、その後、アメリカに逃亡し、日本にきたようだ。髭をはやしているから年とって見えるけど、まだ30代の先生なんだ。

生徒の中に二葉亭もうつってるけど、顔は四角張っていて、口は大きく、硬派の顔ですね。けんか強そう。他にも眉目秀麗なやつ、ぼんやりした顔、しっかりした顔、おとなしそうな顔の少年がいるが、たぶん、みんな今の高校生くらいだと思うけど、なんだか中学生くらいの顔に見える。
なつかしい顔をしている。二葉亭の他の少年たちは、どんな人生を送っただろう?と思わざるをえない。

コレンコのあとの、グレー先生もナロードニキで、それもかなり大物だそうだが、まだ謎の人らしい。グレーさんは、ロシア文学を生徒の前で名調子で朗読して聞かせてくれたそうで、生徒に忘れられない印象を残したとか。コレンコ先生もグレー先生も、メーチニコフの紹介で赴任したようです。

二葉亭四迷に興味を持ちました。今度、読んでみよう。


入手「明治日本とロシアの影」

2005-04-24 | 読書
注文していた渡辺雅司「明治日本とロシアの影」(ユーラシアブックレット)を入手しました〈600円+税)。出版は2003年となっているので、在庫はまだあったのですね。

ブックレットですから、約60ページくらいの小冊子。内容は、岩波文庫「回想の明治維新」の解説を少しふくらませた程度です。新資料として、メーチニコフがいたころの東京外国学校の外国人教師たちの記念写真(メーチニコフも写っている)が表紙になっていました。また、メーチニコフの生徒であった、村松愛蔵(愛知では郷土の偉人になっている。自由民権過激派の指導者)と星野義文(ペテルブルク大学の日本語教師)についてすこし詳しく紹介されています。

岩波文庫の解説にもあったけど、メーチニコフは大物の革命家ですね。「三銃士」を書いたアレクサンドル・デュマがメーチニコフを主人公にして物語を作ろうとして接触したこともあるらしい。

著者の渡辺雅司さんには、メーチニコフと日本についてこんな小冊子ではなく、まとまった長い本をぜひ出してほしいと思う。しかし、あんまり需要はないのかもしれない。

著者は、あとがきで、「このところのロシアばなれは眼を覆いたくなるほどだ」と書いてある。多くの大学でロシア語は第二語学からはずされ、ロシア文学も敬遠される傾向にあるという。たしかに、面接で、ロシア文学が好きです、なんて答えたら、敬遠されそう。そんな雰囲気さえかもしてはいけないような、バリバリした会社がふえている。

著者は小学校から英語をおしえて何になるか、といってるけど、まったく同感だ。
みんながわれもわれもと役に立つことばかりの習得にいそがしい。英語とパソコンはその代表かもしれない。役にたたないことは見捨てられていく。

これは、明治日本のころからそうで、当初、東京外国語学校のロシア語科の学生は少なく、薩長藩の子弟は一人もなく、立身出世とは無縁の道だったそうな。

しかし、実益にならない世界こそが、人の世に深みを与えるのにな。




学力低下に歯止め(朝日)

2005-04-23 | 新聞・テレビから
毎日、ここに書くとなると、ネタがなく、やはり新聞ネタを使うのが一番ベンリ。

今日の朝刊〈朝日)のトップ記事は、文部省が実施した学力テストの調査結果の報告。「学力テストに歯止め」が見出しだ。

いつのまにか子どもの学力低下が問題にされ、国の憂慮する問題として議論されているようだけど、(最近は、問題点と議論の方向はいつも上から当然のごとく与えられている感じだ)、ほんとにそうか?と思う。問題なのは、子どもの健康のほうだろう。

子どもに学力テストをするなら、まず大人の学力テストをしてみたらいい。
わたしは、昔、就職試験の問題に中学生の因数分解がでてきて、まったくできなかった。
結婚相談所のアルバイトに採用され、事務打ち合わせのとき、相性診断テストという文字を読んでください、と担当の人にいわれ、「そうせいしんだんてすと」と元気よく答えて笑われたことがある。

子どもの学力低下を云々するなら、大人たちの学力、教養、考える力、文化度も憂慮すべきだろう。今の新刊屋の本屋さん、まったく魅力ない。昔の本屋さんは、人でいっぱいで、本の前に立つだけで汗をかいた記憶もある。新聞、雑誌、テレビ、どれもワクワクするような内容のものはないでしょう。

子どもの学力低下を云々するのは、きっとまた別の思惑があるのでしょう(教育の意図的改変とか)。

問題のすりかえというのは、もういろいろな問題で使われていますね。憲法問題もしかり。
岩波文庫「田中正造文集〈二)」の開巻1ページにそのことを書いています。
谷中村の人は、100人中99人は、谷中村の問題は鉱毒の害ではなく、水害問題だと思っている。そのわけは、古川市兵衛派の流言および村中の悪漢らが鉱毒を口にせず、ただ水害水害とのみ唱えるために、この深き誤解に陥りたるならん、と書いています。

話がかなりとんじゃった。

「明治日本とロシアの影」

2005-04-19 | 読書
毎日、何かをここに書く、というのは、大変。
でも、どんなことでもいいから、書き続けてみようっと。
というわけで、今日、見つけた本の紹介。

「回想の明治維新}(岩波文庫)を訳した渡辺雅司氏の「明治日本とロシアの影」という本(ユーラシア・ブックレット、東洋書店630円)があることを知った。もう在庫がないかもしれないけど、これは注文したいと思った。もちろん、メーチニコフのことだ。

ナロードニキ精神は、東京外国語学校の露語科で日本人に伝えられたようだ。
メーチニコフの赴任がきっかけになって、東京外国語学校のロシア語科では、ナロードニキ系の亡命ロシア人が教鞭をとることになり、かれらは、ロシアの政治状況を文学の講義という形で伝えたそうだ。



日本に来たナロードニキ

2005-04-18 | 読書
日本に来たロシア人革命家、ナロードニキがいました。
岩波文庫の「回想の明治維新一ロシア人革命家の手記」(渡辺雅司訳)の著者メーチニコフという人です。

この人は、ゲルチェンとも親しく、ゲルチェンの「過去と思索」という自伝にも出てくるし、バクーニンとも仲がよく、秘密警察の密偵にあとをつけられる筋金入りの革命家です。

この人が明治7年(1874年)に日本にきます。たしか2年くらいで帰るけど。
1874年といえば、ヴ・ナロード運動が最高潮になった年で、メーチニコフの日本行きも一種のナロード運動の一つといえないこともない。パリ・コミューンがつぶされ、ゲルチェンも死に、ヨーロッパが保守反動化したころ、日本に革命が起きた、というニュースを聞いて、日本を見たい!と思ったのでしょうね。

もともとは、(その経緯を書くと長くなるけど)、パトロンは西郷隆盛。
パリで大山巌と知り合い(互いにフランス語、日本語を教えあっていた)、ついで、岩倉使節団のトップ岩倉、大久保、木戸と話す機会を持ち、薩摩藩のための学校の教師として招聘されます。

ところが日本に着いて見ると、西郷さんは故郷に帰ってしまっていたため、文部省の東京外国語学校のお雇い教師として採用されることになります。このとき、東京外国語学校の校長が中江兆民、生徒には、自由民権運動の飯田事件の首謀者村松愛蔵などがいます。

日本の最初のロシア語科教師にナロードニキがいたとはおもしろい!
メーチニコフについては、調べたらもっとおもしろそうなので、いつかまた書きたい。

ついでにトルストイの有名な短編「イワン・イリイチの死」の主人公のモデルはこのメーチニコフの長兄。メーチニコフ自身はこの作品では、「いくさきざきでへまばかりしでかし、・・彼の父親や兄弟、とりわけ細君連中は、彼と会いたがらなかったばかりか、よほどの必要でも迫られないかぎり、その存在すらも想いだしもしなかった」と書かれているそうな。(「回想の明治維新」解説)。革命家って、世間の人から見たらこんなもんでしょうね。


田中正造文集〈二)

2005-04-17 | 読書
石川啄木は、日本にはヴ・ナロード!と叫ぶものなし、と嘆いたけど、田中正造をどう見ていたのだろう?

田中正造は、ちょうどロシアでナロードニキ運動に飛びこんでいった若者と同世代です。
もちろん、正造は、ロシアの運動や思想に影響を受けたわけではないけど、正造こそ、人民の中に入って闘った人ですね。ロシア人も、田中正造の存在を知ったら、きっと尊敬するでしょうね。

田中正造は全集が19巻もあるとかで、研究者やよっぽどのファンでないかぎり、なかなか読むことはできませんね。その点、岩波文庫が、コンパクトに2冊の文庫にまとめたのは賢明。これなら、少しかじってみようか、という気になる。

やはり、文集の〈二)がいいですね。当時も、そして今も、正造の発想は一般の理解と賛成を得られてないけど(日露戦争よりも、谷中の鉱毒のが大事だ、という視点)、しかし、正造は、どうせ話してもわかってくれないと、あきらめ、沈黙するような人ではありません。

「人は正直で、強い正直でなければ用に立たぬ。弱い正直は役にたたぬ」とか、「人ばかりたよるこじきこんじょうになってはこまります。どこまでも自分でやるせいしんはなくなさないようにねがいます。よわい心ではいけぬ」と、いっています。

やっぱり、気が弱いのはあかんなあ。

渡辺京二「江戸という幻景」(弦書房)

2005-04-17 | 読書
渡辺京二「江戸という幻景」(弦書房)を図書館で借りました。
これは、同じ著者の「逝きし世の面影」の姉妹編といった本です。

「逝きし世の面影」は、幕末明治に日本を訪れた外国人の記録を通して、江戸時代の日本人の姿を探ったものですが(おもしろかった)、これは、日本人の記録から見た江戸の世の中のようすです。

記録者として登場する人は、勝小吉、渡辺崋山、高山彦九郎、川路聖ばく、清河八郎、菅江真澄など50名ほど。

例によって、走り読みしただけど、「真情と情愛」という章が印象に残った。江戸人の情愛深さ、人や動物への子どものような純真なやさしさがあった、という記述。

江戸時代に住んだことはないけど、ああ、こういう人たちが昔はいたなあ、となつかしく感じられるのはなぜだろう?

走り読みしたので、清河八郎がどのページに出たのかわからなかった。






ゲルツェン  

2005-04-16 | 読書
ゲルツェンはロシアの「虎尾の会」(幕末の清河八郎が作った会なんだけど)の創立者といってもいい人かも。

この人の「過去と思索」という自伝が世界文学大系(筑摩書房)の83巻、84巻にあり、今日、図書館から借りてきました。すっごい分量。トルストイの「戦争と平和」くらいの長さ。あきっぽいので、とても読めないと思う。図書館にある、ということがわかっただけでよしとしよう。

ここに、デカプリストの乱からパリコミューンまでの時代のロシアやヨーロッパの時勢、思潮、人々の様子がつづられていて、これは、この時代の貴重なドキュメントです。ゲルツェンは小説も書く文学者だから、ざっと見た感じ、文章も読みやすそうです。清河八郎のように交際範囲の広いゲルチェンは、バクーニンやトルストイはもちろん、ガリバルヂ、ロバート・オーエン、ルイ・ブラン、マルクスなど当時のヨーロッパの最高の知性との接触もあります。少年の時に、親友と丘ににのぼって、デカプリストの遺志を継ぐことを誓い、大学に入って、「虎尾の会」〔笑)を結成して、同志をふやそうとしたことや、当時の貴族の生活、農奴の様子、なんでも書いてあります。

生涯をロシア農民の解放のために捧げたゲルツェンですが、生意気な若い世代からは、「あなたたちは、飢えを知らない。莫大な財産があるのに、解放運動をしている。それは、必要からではなくて、道楽だ」などといやみをいわれこともあったようで、何よりも、革命家個人の心情、苦悩も知ることができます。

16年にわたって断続的に書かれたものであり、回想、手紙、日記、エピソード、時代の動き、いろいろなジャンルをぶちこんだ独創的な文学で、トルストイはゲルツェンをロシア五大作家の一人にあげているそうです。

この年になるまで、こんな作品があることを知りませんでした。出版年を見ると、昭和39年とある。当時の出版界は、まだ隆盛していたのですね。

今の出版屋さん。「右能を鍛える漢字ドリル」だと? 斬る!(^^)


ロシア革命と明治維新

2005-04-12 | 日記
「フランス革命と明治維新」というタイトルの本はいくつか出ているけど、ロシア革命と明治維新という本は出てないのかもしれない。ロシア革命は20世紀だけど、幕末日本と同様19世紀半ばから動き出しているし、1905年、日露戦争までの両国の半世紀の歩みを比較してみるのもおもしろいと思う。

両国とも、ヨーロッパ文明との接触で自国の後進性に気づいて改革に向かうのだけど、ロシアは、日本とちがって、西洋の技術よりも思想により衝撃を受けている感じですね。ヨーロッパはやはり近いから気軽にいけたのでしょうね。

もし、日本が、幕府時代に、ルソーやフランス革命などの思想が入ってきていたら、どうなっていただろう、と考えるのも楽しい。ロシアのナロードニキたちは、フランス革命をかなり学んでいます。

幕末の政治運動は、攘夷か開国が主なテーマで、人々のために、とか身分差別からの解放なんてテーマはほとんど出てこなかったけど、ロシアの場合は、農民の解放が中心テーマですね。それだけロシアの農民(農奴制)の環境はひどかった。当時の日本の農民は世界の中ではうらやましがられる環境だったのかもしれない。

ロシアって、反逆者が英雄になる土地ですね。デカプリストの乱は英雄たちの伝説になっているし、その前のプガチョフの乱、ステン・カラージンの乱など、農民一揆の指導者は英雄としてあつかわれている。プーシキンなどの国民作家が、農民一揆の指導者について書いているくらいだもの。日本では、百姓一揆もたくさんあったし、大塩平八郎も出たけど、一般的にはやはり暴民扱い。

19世紀のロシア文学を読むと、資本主義時代の前の庶民の、生活は苦しいけど、実に人なつこくて、やさしい気持ちを持った人々がでてきて、なつかしい思いもします。何の仕事もせずにブラブラとしているニートみたいな人が出てくるけど、仕事仕事ばかりで、イライラしてばかりのわれわれよりましかも。

ナロードニキの本

2005-04-11 | 読書
1870年代のナロードニキの青年たちの運動について書いた本はあまりありません。
解説書としては、荒畑寒村が岩波新書に書いた「ロシア革命運動の曙」。同じく荒畑寒村が書いた「ロシア革命前史」(筑摩書房)があるだけ。荒畑寒村は、クロポトキンやトルストイの同時代人といってもよく、日本のだれよりもナロードニキに共感を持ってしかるべき人なのでしょう。

ナロードニキ運動の体験者の本としては、2冊あります。

クロポトキンの「ある革命家の思い出」(岩波文庫、世界教養全集)。これはおもしろいし、この時代のロシアのことをわかりやすく教えてくれます。

もうひとつが、ヴェーラ・フィグネル「遥かなる革命」(批評社)。
これは先日、図書館で借りてきたけど、大部の著作で、借り出し期限がきたので、ペラペラめくっただけでもう返してしまった。

小説では、ツルゲーネフの「処女地」というのが、ナロードニキ運動を題材にしているそうだけど、未読。

チェーホフにも探したらありそうです。短編「中二階のある家」は、「わたし」が中二階のある家の姉妹と知り合いになり、妹と親しくなるのですが、姉に別れさせられる、という話。
この家は、もともとかなり資産のある裕福な一家なのですが、姉は村の小学校の教師となり、その月給だけで自活し、村のボスとたたかおうとしています。この姉はナロードニキでしょう。
「わたし」は口先ばかりで、ただブラブラしているので、この姉からは冷たくされてます。
女性の自立というのも、この時代のロシアから始まったのかもしれません。しかし、どこが名作なのか、わたしにはわからなかった。

他にもナロードニキの本でごぞんじのことがありましたら、教えてね。