虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

2羽のひな

2006-05-31 | 日記
ムクドリ。まだ2羽のひなだけ。少し、身体が黒くなってきた。木をゆらすと、すぐ画像のように口を大きく開けてくる。あとは、ねている。
残りの2個の卵はどうなっているののだろう。生まれるのだろうか。

ついでなので、今日の朝日の社説から。「教育に刑罰は似合わぬ」というなんか焦点がぼやけた社説。先日、東京都の高校の卒業式に来賓として出席した元担任が、保護者に国家斉唱のときには、できたらご着席をと訴えた事件だ。罰金20万円の判決が出たことに対する社説だ。だれだ?これ書いたの。
「元教師の行為は批判されてしかるべきだ」と書いている。

大新聞社としては、法で罰せられた者に対しては、こう書いておかなければ論旨が進められないのかもしれないけど、この元教師ほどの時代に対する危機感、責任感をもてなくなっているのが、今の大新聞社のジャーナリストなのか?
「保護者が式場に入る前に声をかけるといった方法をとれなかったのか」なんて書いている。まったく、マジでいっているのか?といいたくなる。

元教師の苦衷に思いをよせ、、都教委を批判するのが、ジャーナリズムだろう!


ムクドリ子育て始まる

2006-05-28 | 日記
なかなか近づけない。遠くから写したのでよく見えないかもしれない。
親鳥がなんか(?)している。
なにしろ人の気配を感じると、すぐ飛び立つ。そんなら、人の部屋のすぐそばに巣をつくらなければいいのに。

これからのBS映画

2006-05-28 | 日記
最近のBS映画は見たいものがなかったけど、これからはちょっと楽しみなのもあります。

まずフランス映画が多い。「恐怖の報酬」(イブ・モンタン)(明日)、「男と女}(5月31)、「太陽はひとりぼっち」(6・7)、「wataridori](6・8)、「望郷」(6・12)、「居酒屋」(6・14)。
フランス映画ではないけど(イタリア映画?)、チェーホフの原作をもとに作った「黒い瞳」もあるし、「武器よさらば」もある。文芸路線なのか?

買い物のついでに長谷(能勢)の棚田を見に行った。
田植えが終わり、田に水がひかれて眺めがいい。カエルが鳴いている。日曜画家が何人か座って絵をかいていた。田のあぜを歩くと、へびがいたので、びっくりして逃げて帰った。



大庭柯公の「江戸団扇」

2006-05-23 | 読書
大庭柯公(大馬鹿公とよむ)については、ここで1度書いたことがある。
ロシア語を学び二葉亭四迷とも親交のあったジャーナリストだ。
堺利彦らとともに日本社会主義同盟の発起人に名をつらね、ロシア革命後のロシアに新聞記者として潜入するも、行方不明(スパイとまちがえられ、銃殺されたという説もある)。

ブックオフで「江戸団扇」(中公文庫)という江戸文化の随筆集を手に入れた。
この中で、大庭は、大塩平八郎を高く評価している。

例えば、こう書く。義侠の風は江戸の専売のように考えられているが、なんの、大阪には大塩がいる。東京人は、赤穂義士をあげるかもしれないが、あれはあくまでも封建時代の産物であって、現代では、もはや過去の記念にすぎない。これに反して大塩は、今日および今後、時代の進むにつれて、民衆的義人として永久に活くべき人だ、と。しいて東京に同類を求めるなら木内(佐倉)宗五郎か、しかし、スケールにおいては大塩におよばない。幡随院長兵衛などはただの一侠夫にすぎない。
大阪が江戸に対しての絶対の誇りは、淀屋辰五郎でもなく、鴻池でもなく、また懐徳堂でもない。大塩先生である、と大庭は書く。

今、大塩とか佐倉宗五郎はどのくらい知られているのだろう。また、大塩はえらい、とか佐倉宗五郎はりっぱだという言論人はどのくらいいるだろう。

平成の今、何の調査だかは知らないけど、一番人気のあるのが信長らしい。信長の名は子どもでも知っている。NHK大河がしつこいほど繰り返した成果だろう。
しかし、戦前、明治大正の時代、庶民段階で信長の人気なんかなかったはずだ。おかしいよ。

なぜ信長がいいのだろう?天下を統一したからか?なぜ自分を武将とか支配者、政治家の立場にして考えるのだろう。その発想がわからん。小泉首相と自分を同じ立場に見る発想なのか?あの時代に生まれていたら、ほとんどの人は武将ではなくて、農民のはずだ。農民にとってみたら、信長はたまらん支配者かもしれない。信長は天下統一を早めた、とかいうけど、天下統一がもっと遅れ、もっともっと統一されない混沌とした時代が続いていてもよかったのではなんてことも思う。支配者としては、まったくなってなかった室町時代、庶民の力はけっこう自由で豊かだったそうではないか。










堺利彦全集

2006-05-21 | 読書
図書館から堺利彦全集全6巻(法律文化社 川口武彦編)を借り出してきた。

堺利彦。明治3年豊前豊津出身。日露戦争に反対して万朝報を退社し、幸徳秋水とともに「平民社」を設立して「平民新聞」を出したことは有名だ。司馬の「坂の上の雲」の秋山真之と同世代で、立身出世に胸膨らませた明治青年の一人だ。
幸徳秋水死後の暗い「冬の時代」も社会主義、平民主義の理想は絶やさず、大正デモクラシー、昭和と平民の立場からの著述、運動を続け、後年、日本の社会主義運動の父といわれる。

虎尾の会の清河八郎が、幕末の反体制運動のキーパーソンだとしたら、堺利彦は、明治大正の反体制のキーパーソンだ。明治大正の虎尾の会主人だ。この人を無視した明治大正史はないはずだ。

二人の人物像は対称的だ。もちろん、時代の違いもあるけど、八郎は、自ら英雄豪傑を任じ、家庭も命も犠牲にして国事に奔走する志士だが、堺は、凡人を任じ、家庭を大切にし、よき生活者であろうとする。あえて英雄豪傑を否定する。
幸徳秋水の方がむしろ清河八郎的かもしれない。画像を見ても平凡ですよね。
小田実は、この人(堺)こそほんとうの革命家だとどこかで評価していたような記憶があるが、わかる。

でも、堺も地に足の着いた志士であることはちがいなく、暗殺されかかったこと2回、投獄されたことが2回もあり、畳の上で死ねたのは僥倖といえる。

人にあたたかく、友人を大切にし、酸いも甘いも知りつくした苦労人で、広さと深みのある、ほんとに「いい人」。こんな先輩や友人がいたらほんとに頼りになると思う。
清河八郎と同じく、友人知己は多く、当時の良心的知識人はどこかで堺とつながりを持つ。

全集をペラペラとめくってみたけど、堺らしくとても読みやすい。とかく、社会主義とか、政治的な文章は難解なのが多いけど、この人のはだれにでもわかるように淡々と書く。あまりにわかりやすいので、もっと深みやうがちがほしいと物足りなく感じるほどだ。大塩騒動や秩父騒動の文もある(百姓一揆の記事がないのが残念)。

今なら、格差社会をどうするか、とか難しいことをいっているけど、堺なら、資本家階級の紳士閥と平民との差ができるのは、資本主義上、当たり前だ、というでしょう。あたりまえのことを簡単にいえないのが平成の今。いつのまにか社会主義という言葉も禁句になってしまったけど。

共謀罪というのは、きっと堺利彦のような人物やグループを出現させないための対策だと思っている。
社会主義運動グループというのは、資本主義の国では、組織的犯罪集団となる。
大新聞社は、共謀罪に反対しないはずだ。おっと、話がそれた。

全集では、第1巻の日記が興味深い。堺の長男は生まれるとすぐに病死し、奥さんも続いて病死するのだけど、こんな日記があります。
「これから先、ミチの病中、2年か3年か5年か知らぬけど、予は全くミチを養うために働こうと思う。予の功名心はそのあとで満足させればよい。予が国家社会のために働くことがあるならば、やはりそのあとで働けばよい。病みたる女房のある間は、その療養と看護とのために予の全力を費やして少しも残念でない」

あと、堺利彦は、樋口一葉の作品を尊敬しています。

ムクドリの親

2006-05-17 | 日記
夜は雌親があたためにくるらしい。フラッシュをたいても知らん顔。
お昼は、のぞくだけで、気配を感じてすぐに飛び立つのだけど。
しかし、写りが悪いから見にくいかな。おそらく、あと1週間くらいでヒナが誕生するかな。

映画「夜明け前」

2006-05-07 | 日記
映画「夜明け前」(ビデオ)を見た。
監督吉村公三郎。脚本新藤兼人、青山半蔵に滝沢修、半蔵の娘お粂に乙羽信子。
1953年(昭和28年)の作品。白黒。2時間半近い。

もちろん、おもしろくはない。原作も退屈な叙述が続き、おもしろくないのだけど、幕末維新を木曽の平田国学好きの草莽を通して描くという歴史のとらえかたがやはり今でもユニークで、そうした興味で最後まで見た。

冒頭も、映画の本編の中でも木曽節(きそーのーなーなかのりさん)が謡われるが、これが好きだ。

もうずっと前、20年以上も前だけど、木曽福島に実家がある友人がいて、お盆にその木曽福島の友人の家に1泊させてもらったことがある。夜になると、聞こえてくるのです。木曽節が。町の通りへ出ると、村の人たちが(30人くらいか)まるく輪になって、静かにゆっくり踊っているのです。暗い山に囲まれた中で聞く木曽節、よかったです。あんなにゆっくりと歌うんだ、と思いました。

木曽福島の友人は少し固すぎるくらいの真面目な人だったけど、半蔵もそうだった。山の人というのは真面目になるのかもしれないな。山に囲まれた土地の夜の静かさ、暗さというのはちょっと神秘的な気持ちにさせられます。



スカンポ

2006-05-05 | 日記
車で山野を走っていると、スカンポを見つけた。
子どものころ田舎で暮らしていたころ、山の斜面によく生えていた。
茎がポンと音をたててわれ、茎をかむとすっぱい汁がでてくるやつ。
懐かしい味だ。
正しくは、イタドリといわれるそうだ。水にひたしてからあげると、うまい。
能勢にもけっこう生えている。

家でゴロゴロ

2006-05-04 | 日記
天気がいいので、どこか行こうと車に乗って出発したけど、道路はすぐに渋滞だった。気が短い私は、すぐにひきかえして家にもどった。

岩波文庫「寒村自伝」を読んだ。幸徳秋水や堺利彦、大杉栄や田中正造など平民社時代もおもしろかったが、下巻のロシアへの旅の部分(けっこう長い、100ページはある)が一番おもしろかった。やはり未知の土地への旅行記というのは、窓を開け放したような解放感がある。しかも、寒村が訪ねたロシアは、トロツキーの時代のロシアなのだ。寒村は、トロツキーの風姿を目撃し、演説も聞いている。ロシア民衆と共に感激している。

話は変わるが、憲法記念日の3日、今年は朝日はとうとう社説に「憲法改定」については書かなかった。世論調査は発表しているのに、だ。逃げた、としかいいようがない。

戦後60年らしい。60年といえば、黒船が幕末日本を訪問してから、草莽志士がたちあがり、幕府を倒し、自由民権運動を起こし、憲法をつくり、堺利彦たちが平民新聞を作り出すまでの期間だ。この60年の日本人の精神革命はたいしたものだった。それにくらべて戦後の60年は、・・・なんてやぼなことは言わないようにしよっと。