虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

 樋口三郎「実記 天誅組始末」 復刻

2010-09-30 | 読書
今朝の朝日の大阪版に「天誅組」研究書37年ぶりに復刊」の記事。

樋口三郎さんの足で調べた天誅組の本は貴重だが、今や希少本のひとつで、アマゾンでも3000円から5000円の値がついていた(しかも部数は少ない)。

藤井寺市の天誅組研究家、草村さんという方が、樋口さんの親族に依頼され、今回、復刻したそうだ。1200円。安い。300部発行。いいニュースだ。

きっと天誅組ファンは飛びつくだろう。

天誅組というと、その名前から、過激なテロ集団、天皇主義者、右翼を連想する人もいるかもしれないが(実際、戦前は、右翼がさんざん持ち上げた)、実態は、武士以外の百姓、町人の参加も多く、首領の吉村虎太郎は、元庄屋、藤本鉄石は絵描きであり、二人とも清河八郎の同志でもある。世直しを求めて立ち上がったことはまちがいない。藩によらない草莽による決起だ。その後は藩、武士の軍隊ばかりが主導権を握ってしまう。

天誅組は、上の政治情勢の急変で、はしごをはずされ、見捨てられ、勤王の先鋒隊が賊軍になってしまう。盟主にあおいだ中山忠光は、長州に逃れるも、長州は、幕府をはばかってひそかに暗殺してしまう。政治はこわい。

不完全禁煙中

2010-09-29 | 日記
タバコがほしくなるので、今は、酒もコーヒーもやめている。
タバコも買っていない。
ただ、やはり、がまんできなくなると、子供のタバコを、そっと1本くすねている。それでも、せいぜい、3本くらいだ。あんまり吸ってないから、吸うと、頭がくらくらし、うまくない。

数分ごとに、猛烈に吸いたくなる悪魔がやってくるようだ。

「いいんじゃない、1本くらい」「無理しないでね」「一番の健康法はおいしくタバコを吸うこと、と言った90歳のおじいさんもいるのよ」「タバコを吸うときの幸福感、他にあるかしら?」とかなんとかささやくのだ。

これに対抗するにはどうしたらよいか、「だまれ悪魔、立ち去れ!」と叫ぶか、般若心経の「ムーシキショウコウーミソクホー無色声香味触法」と唱え、味などない、香りなど存在しない、無だ、と念じるか。

数分をがまんしたら、欲望は消えるが、また数分たつと、悪魔がやってくる。早く寝るにかぎる。

外来禁煙だとか、ニコチンパッチだとかはぜったいにしたくない。あれは、きっとアメリカから来た療法にちがいない。いかにもアメリカらしい。あなたは病人ですから、薬にまかせましょう、と、医療と製薬業界が手を結んで・・・、けしからん、と思う。
意志の弱い男の不完全禁煙中です。そのうち、完全禁煙を。

画像は廬山寺。

禁煙ゆるゆるスタート

2010-09-27 | 日記
禁煙1日目。
起きてからお昼まで吸っていなかったが、お昼、1本。その後、夕方、1本。寝る前にまた1本数つもり。まあ、3本くらい許して。やめる意志はまだある。

今夜は、早く寝る。起きていると、吸いたくなる。おやすみ。

画像は、「雁の寺」、端春院。

禁煙

2010-09-26 | 日記
あと、タバコは残り3本ある。今夜でやめることにしよう。

医者からも家族からも強くやめるように言われいるのだが、毎日、30本吸ってきた。
さすが、こんな毒に400円は出せない。
やめる。
明日、今朝から吸っていない、という記事をここにのせたら、半日がまんできていることになる。
たばこについて、なんにも書いていなかったら、いつものごとく失敗したものと笑ってほしい。

画像は元興寺の境内の石仏。桔梗と彼岸花。

上京区 御所周辺探索

2010-09-25 | 日記
秋だ。
京都上京区の御所周辺を歩いた。
まず、新島襄の旧邸(画像)。
新島襄も幕末人だ。元治元年、池田屋事件のあった年に日本脱出。10年後、明治7年に日本に帰る。この新島旧邸で同志社英学校を開校したそうだ。ここは、同志社発祥の地。新島は早死に(46歳)したのが惜しまれる。

このあと、御所の長い長い塀沿いに歩き、梨木神社へ。
ここは、明治維新で登場する三条実美とその父三条実萬を祭っている。本殿は改修工事をしていたが、参道には、赤い萩の花が咲いていた。萩の名所でもあるようだ。また、参道の途中に、「染井の水」といって、京都の名水があり、ペットボトルを持って並んで水をくんでいる人がいた。

梨木神社と道路を隔てた場所にあるのが、廬山寺。紫式部邸宅跡のようで、ここで源氏物語が書かれたそうな。
ここで、近くに他に見るとこない?と聞いたら、相国寺、といわれたので、そこへいくことにした。相国寺。でかい、広い。足利義満が創建した臨済宗の大本山。夢想国師が開山したそうな。法堂の天井には龍の絵。お客さんは、龍に向かって手をたたいていたが、反応するのかしら。鳴き龍といわれるらしいが、わたしがやっても反応なかった。

相国寺のそばに、水上勉が小さいころ、修行し、後年、直木賞をもらった「雁の寺」の舞台となった瑞春院がある。公開していたので、見学する。水上勉は、ふすまにかかれた孔雀の絵を子供のとき、雁と思って「雁の寺」を書いたが、雁の絵は和尚さんの部屋のふすまにあり、小僧である水上勉は、それを見たことがなかったそうだ。小説を発表して20年後、この寺を訪れ、自分が雁だと思ったのは孔雀だったことを知り、背筋が凍りついたそうです、と説明してもらった。

小さなお寺だが、庭もいい。大きなのもいいけど、やはり、ひっそりとしたお寺がゆかしいな。

画像をたくさんのせられないのが、ほんとに残念。なんで1枚しかのせられないのだ?

カフェ探索 奈良 よつばカフェ

2010-09-23 | 日記
過日、奈良のなら町通りにある「よつばカフェ」を訪ねた。
以前から、訪ねたいと思っていた。

築100年近くたつ古民家を「コーヒーと雑貨」のお店にし、レトロなお店としては、先駆的かもしれない。

昔は、古いなら町はあまり人も通らなかったそうだが、10年ほど前から、若い観光客の姿が多くなった。こうしたお店が若い人を引き寄せたのだろう。

開業は今から8年前。もともとカレー屋さんだったそうだが、閉店すると聞き、この古民家のお店が気に入っていた独身女性(美人)が借りることを決心。資金は40万円、それからたった3ヶ月で開業したというから、そのバイタリティには驚く。コーヒーの入れ方を初め、飲食業の経験はまったくなかったのだから、若い女性の力ってすごいよな。

店内は、古いレトロな家具、古いステレオ、いろいろな雑貨あり、庭を見ながら、落ち着く空間になっている。タバコも吸わせてくれるのはありがたい。

今は、結婚したのか、店主は奥で料理、コーヒーを持って来たりするのは、マスター(ご主人?)かな。

この近くには、もう一つ「カナカナ」というこれもたしか民家を利用したお店があり、ここは本格ランチメニューもあるので、いつも盛況で、外で待っているお客さんもいるほど。ここも若い夫婦がやっている。

「よつばカフェ」は「カナカナ」に比べると地味で、1日に10人も来てくれたらいいわ、とのんびり静かに営業しているように思う。しかし、どちらもいいお店だ。

近くには元興寺(がんごうじ)という世界遺産に登録されているお寺がある。
歩いていると、「酒仙堂」という小さなお店があった。何のお店だろう?と興味をそそられたけど、なんだかドアを開けられなかった。いい名前だけどなあ。

ナバロンの要塞

2010-09-20 | 映画・テレビ
録画してもらっていた古い映画「ナバロンの要塞」を見た。
これは、未見の映画だった。
おもしろかった。当時は、ヒットしたにちがいない。スケールも内容も、当時の日本映画とは比べものにならない。昔は、洋画はやはり日本映画と違う、とみんな思ったはずだよな。

最近はそうでもない。新兵器をうちまくる戦争映画やゾンビ映画、アクション映画、なんだかイラク・アフガン戦争とだぶって、後味はよくない。

「ナバロンの要塞」は適地に忍び込んで要塞を爆破する、という話だが、こういう強大な敵地に単身、あるいは少人数で忍びこむ、という話が大好き。チャーチルを誘拐せよ、という特命を受けて敵地に忍び込む「鷲は舞い降りた」もそうだ。007なんかもこういう話は多いね。

日本では、どんな話があるだろう。大坂城に忍び込む石川五右衛門、他に、えーと、あまり思い浮かばないのだ。江戸攪乱の使命を帯びて江戸薩摩藩邸に向かった相楽総三?あるいは、幕府募集の浪人を引き連れて京都にむかう清河八郎?駿河に向かう由比正雪?冒険者の心境だなあ。

夢でもよく見る。敵地に忍び込んであわや危機一髪になる夢。
忍びこむ、というのが好きなのだ。やはり忍びの者の血が騒ぐのだろうか?(笑)


十三人の刺客

2010-09-19 | 映画・テレビ
昔の東映映画「十三人の刺客」のリメーク版が今度、上映されるそうだ。
これは観たい映画だ!

昔のは片岡千恵蔵主演で、けっこうおもしろかった。時代劇で片岡千恵蔵が死んだのはこの映画がはじめてだった(それまで、時代劇で千恵蔵が死ぬことってなかった)。東映の時代劇路線を変えた映画だった。

殿様の行列を宿場で襲うのだが、昔の映画は殿様側もせいぜい50人くらいだったが、今度の新作では300人だという。どんな内容かちょっと不安。

敵が300人だったら、大砲や地雷くらいの準備は必要だが、リーダーはちゃんと作戦たてているのだろうかな。なんの作戦もなく、体当たり攻撃、玉砕作戦はいやだな。宿場を貸し切るほどの資金があるのだから大砲の準備もできるはずだが。
侍は、兵法家でもあるのだから、勝つ作戦をたてるものだ。太平洋戦争時代の玉砕攻撃などは、武士のすることではない。負けると読めば、逃げるが武士だ。

実際に、侍が大名の行列を襲おうとした事件はあったようだ。

南部藩の相馬大作が津軽藩の殿様の参勤交代の行列を峠で大砲を準備して待ち構えていた事件だ。このときは、13人ではなく、3,4人しかいなかったのではないか。
津軽藩の殿様側は道筋に不穏の企てがある情報を知って、道筋を変えて無事だったが、数人の武士に待ち伏せされて、逃げた、と後で江戸の庶民の悪評を得、相場大作の評判は上がった。

藤田東湖も吉田松陰も相馬大作を詩にしているそうだが、江戸時代はあっぱれ武士として尊敬されたようだ(むろん、相馬大作は幕府に逮捕され、刑死するが)。

相馬大作は戦後はあまり話題にならない。長谷川伸「相馬大作と津軽頼母」、海音寺潮五郎「列藩騒動録」に書かれているくらい。なぜだろう。津軽藩と南部藩の確執が生んだ事件で、動機がわかりにくいからだろうか。あるいは、津軽藩の殿様の子孫(華子さん)が皇族と結婚したから、はばかっているのだろうか?

さて、十三人の刺客、どうしようかなあ。観にいってがっかりするもいやだし、ビデオになるのを待とうかな・・・。

女性コミック

2010-09-17 | 読書
ブックオフではマンガ、コミックコーナーは歩いたことがない。用がない。不案内だし、買わない。

でも、今日、運び込んできたダンボールの中にはコミックがいっぱい。それも女子コミック。
いらないと思ったが、ふと見ると「T・E・ロレンス」とある。おお、アラビアのロレンスではないか。神坂智子とある。知らないなあ。全7冊だ。知っている人は知っている漫画家なのかもしれない。コミックだって、ベルサイユの薔薇とか、真面目に時代を研究している作品もあるのだから、これもその手なのかもしれない(ベルサイユも読んでないが)

他にどんなマンガ家の本があったかというと、河あきら、秋里和国、東城和美、こなみ詔子、筏川かおる、明智抄、竹宮恵子、荻尾望都、竹宮恵子。

最後の荻尾望都と竹宮恵子だけは名前だけ知っていたが、ほかはまったく知らない。

女性コミックを手にしたのは初めてだが、コミックも置いておいた方がよいかもしれないな、とちょっと欲が出てきた。でも、ネットでは売らないつもりだ(売るなら白土三平 笑)。もし、店舗を持つとして、堅い本ばかりのなかに、コミックが少しあるのも店の気分がやわらいでいいかもしれない。なによりも、コミックは重さが軽いのがいい。床がつぶれる心配もない。


それにしても、このコミックの世界は広くて深いのだろうなあ、と思う。いつのまにか一大文化になってしまった。恐ろしくて近づけない(おじさんは無理)。男性マンガ、女性マンガと区別したけど、女性マンガってやっぱり女の子が読むのだろうか。男の子も読むのだろうか?

こちとら、漫画といえば、白土三平、手塚治虫、横山光輝、わちさんぺい、赤塚不二夫などの時代で止まったままだ。それででいいのかも。荘太郎が現代の女性コミックを読んでる図はちょっと恐ろしいぞ(偏見かな)。

ところで、マンガとコミックはどうちがうのだ?(それすら知らないのだ)


多田銀銅山のレトロなお店

2010-09-15 | 日記
多田銀銅山にレトロなお店が先月開店した。「ton ton ton 」という名のお店。
骨董・古民具・生活古道具などが展示され、販売している。カフェスペースもあり、部屋にあがって、レトロな家具や道具を見ながら、ゆっくりコーヒーを楽しむことができる。

場所は、多田銀銅山資料館「悠久の館」のすぐそば。資料館を見たついでに立ち寄ってみてはいかが。(車は資料館の無料駐車場が使える)。

店主は多忙の身で(なんでもやる便利事業所を他の場所で営んでいる)、ふだんは奥さんがお店を切り盛りしている。で、コーヒー、ジュースなど飲み物があるが、前払いで一部セルフサービス。北摂の大人の隠れ家だ。

多田銀銅山は、猪名川町の唯一の観光スポットだと思うが、残念ながらあまり知られていない。
わたしは、隣町の池田市に何十年も住んでいたが、多田銀銅山の名前すらも知らなかった。
五年ほど前、「いながわ道の駅」へいって、その観光案内板で初めて知った。ジャスコやニュータウンのある町に銅山があるなんて、信じられなかった。訪ねて驚いた。ほんとにあったのだ。

かっては、ここに3000戸の家が建ち並び、相撲場、芝居小屋、傾城屋などもあり、1万人以上の人々で賑わったそうだが、今は信じられないほどの寂しさ。

生野銀山、石見銀山は有名で、多くの観光客が訪れているが、猪名川の多田銀銅山を訪れる人はまれだろう。かつて、15年ほど前、ここを一大歴史自然村にする計画もあったそうだ。当然だろう。その資格は十分にある。この文化的歴史的遺産をもっと世間に広めるべきなのだが、計画は実現せず、ただ数年前に資料館「悠久の館」ができただけ。

資料館そばの「ton ton ton」のお店は、この土地を活用し、人々に呼びかける民間では最初のお店になる。このお店ができたことで、資料館の他にもひとつ、寄ってみることができるお店ができたわけだ。1度、訪ねてみてほしい。多田銀銅山は、猪名川町だけでなく、関西の歴史スポットとして大いに注目されていいところだ。

このブログでは画像は1枚しかのせられないので(ほんとはできるのかもしれないけど、わたしの技術がない)、あとの画像は、古本うしおに堂にのせます。

実は、これは企業秘密だけど(笑)、このお店の店主はうしおに堂の業務にも強い味方になってくれることになった。


近代史文庫 

2010-09-07 | 宇和島藩
「近代史文庫」とは、愛媛の松山市を拠点にする地域歴史研究団体だ。
わたしは、この名前を「無役地事件」をきっかけに知った。
この近代史文庫が発行する明治初期農民運動史料に「無役地事件」の史料が揃っているからだ。しかし、この会が活発な活動をしていたのは、40年ほど前で、もう今は休止状態ではないのだろうか、とながく思っていた。ところがなんのなんのまだりっぱに活動しているようだ。

昨年9月に「えひめ近代史研究」65号が出ている。1990年に58号が出ているので、19年間に8冊、平均すると2年に1冊のペースか。

無役地事件の史料もまだ在庫があるようで、ここに申し込むと手にすることができる。


最新刊の「えひめ近代史研究」65号には「無役地事件再考」と題して、広島修道大学の矢野達雄氏が研究論文を発表している。無役地事件、40年ほど前は宇和島の三好昌文氏が積極的に書いていたが、最近は、法制史学者の矢野氏が取り組んでいる。

南予の無役地は、東予、中予では「庄屋抜地」と呼ぶらしい。東予、中予の「庄屋抜け地」裁判闘争は勝訴になったところもあるようで、南予と東予中予の比較もおしろい。
裁判史料は戦災で焼失したものが多いそうだが、新しく史料を発掘してあるようなので、今度の新刊が楽しみ。

65号には、「大逆事件百年と坂本清馬資料」という文章があった。
2003年、愛媛県南宇和郡一本松町から大逆事件の被告になった坂本清馬の資料が発見されるが、その経緯について書いてある。

なぜ、坂本清馬の資料が南予から出てきたのか。それは晩年の清馬をささえた妻(旧制安岡みちえさん)が、一本松町の出身だったそうだ(みちえさんは戸籍上では養女になっているそうだが)。

愛媛の地名はぜんぜん知らない。一本松ってどこだ?と思って地図を見たら、ほとんど高知より、宿毛の近くだ。隣には城辺という町がある。おお、城辺は3歳くらいのとき、わたしも住んでいた町ではないか(まったく記憶はない)。

どうも、いつも自分の話で終わってしまうブログであるよなあ(笑)。

「庄屋抜地事件と無役地事件」(矢野達雄著 創風社出版)

2010-09-06 | 宇和島藩
このブログでも「市村敏麿と無役地事件」については書いてきたけど、先月、創風社出版という松山の地方出版社が、「庄屋抜地事件と無役地事件」(矢野達雄著)を出したそうだ。

「明治年間、愛媛県で起こった、土地をめぐる一連の訴訟事件「庄屋抜地事件・無役地事件」を取り上げ検討。地域法曹史と訴訟事件史を結合させるという新たな試みにより、近世から近代への土地制度の変化の具体的全貌に迫る。「史料集」として、庄屋抜地事件および無役地事件の今日、知りうる全ての判決を翻刻して収録」とある。

高いのだけど(4200円)、これはなんとか工面して手にいれなければなるまい。

育児の百科

2010-09-06 | 読書
息子夫婦に赤ちゃんができたので、さっそくブックオクで松田道雄の「育児の百科」を買ってきた。これを参考に、と渡そうと思う。

30年以上も前の育児書で、わたしも、長男が生まれた時は、これを買って帰り、「よく読んでおくんだぞ、あとは頼んだぞ」と渡したことがある。(わたし自身はまったく読んでいない。昔の無責任な父親だ)。

この本の帯にもこうある。「2世代、30年にわたって ゆるぎばい信頼を得てきた 育児書のロングセラー」

1998年、12刷とある。定価は3300円だがブックオフなので、100円。

こんな大昔の育児書だが、これは最近、岩波文庫にもなったそうだ。
病気や医学は30年前のものでは古いが、育児にそんな変化はないだろう。
だれからもアドバイスを得られない新米の親にとっては役にたつのではなかろうか(やっぱり、古いか)。

手品・マジック研究家の松田道弘は松田道雄の子供だそうだ。

裕次郎のルーツは南予

2010-09-02 | 宇和島藩
佐野眞一の「誰も書けなかった石原慎太郎」(講談社文庫)を読んでいると、石原慎太郎の親父について詳しく、それによると、石原本家の菩提寺は愛媛県保内町にあるという。

うー、保内町といえば、わたしの先祖の墓があるところだ。石原慎太郎とルーツが同じなのはうれしくないのだが、まあ、弟の裕次郎、裕ちゃんと同じと思えばいいか。

石原裕次郎のほんとうの人や思想など知らないが、映画の大スターだった裕ちゃんは少年にとっては、「喧嘩の強い兄ちゃん」であり、龍馬のような憧れの的だったものだ。

NHKで司馬の「竜馬がゆく」がドラマ化されるとき、竜馬役は、石原裕次郎かもしれない、という噂を聞き、「北大路より、裕次郎がだんぜんいいな」と思った。むろん、顔は丸くて細身の竜馬とはちがうけど、あの存在感、ちっとも男前ではないのに、あの輝く不思議な魅力は快男児竜馬に合うと思った。

さて、裕次郎の親父、石原潔は、旧制宇和島中学を一年で中退して、吉田町出身の海運王山下亀三郎の山下汽船に入り、たたきあげで、重役になる。

わたしの母は吉田の山下女学校(山下亀三郎が作った)の卒業生だが、その時の先生で、井上なんとかいう女の先生がいて、この人が石原裕次郎の親父の兄弟と結婚したらしい(すぐに未亡人になったらしい)、その子供が裕次郎にそっくりだった、という話を聞いた。

吉田町にもけっこう裕次郎に関連する話はあるようだ。

裕次郎は親父に似て、慎太郎は母親似だそうだ。

裕次郎の祖父、石原信直は、文久二年生まれ。保内町といえば、無役地事件の二宮新吉のいた土地であり、最も早く無役地事件に立ち上がった土地だが、石原信直はどうしていたのだろう。その後、警察官になったということだから、あるいは、取り締まる側だったのか?