虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

これでいいのか?こんなものか?テレビ局

2008-11-30 | 映画・テレビ
今日のお昼、読売テレビの「たかじんのそこまで言っていいんかい」で話題になった自衛隊トップの多母上氏が出た。

むろん、田母上氏を応援し、田母上氏の説を支援する内容だ。議論するといいながら、8人のパネラーのうち、田母上氏の言動を問題にする人は新社会党の女性(原なんとかいう人)と天木直人の2人だけ。ゲストは田母上氏のほかに元自衛隊幹部の2人もいる。たかじんや司会の辛坊も当然、田母上氏側なので、この番組は11人対2人の議論ということになる。しかも、天木や原が話し出すと、必ず、他から横槍を入れて十分には話させない。読売テレビが求める一方的な論をおもしろおかしく広めるだけの番組。まったく品格ゼロ。テレビ局の人、恥ずかしくはないのだろうか。

ついこの間も、フジテレビだったか、石原都知事、東国原宮崎県知事、橋下大阪府知事、とたけし、大田光が「教育」について長時間、議論する番組があった。3人の知事とも、「たかじんのそこまで言って委員会」と同じような側の人だ。こんな人たちの「教育論」を長々とテレビで流されて不快に思わないのだろうか。

朝日テレビの「たけしのTVたっくる」も、この種の番組のさけがけだろう。

こうした番組に出る論者は、必ず、左派が悪いという。まるで、まわりは左派だらけのようだ。4、50年前の話ならうなずけないことはないが、現在、左派なんているだろうか。そんなものは、どこかに逃げてしまって(どこかにいるのかもしれないが)、実際、そんな言動をする人はとんと見かけない。いないけど、声高に、左派とか共産勢力とかいう。これは、かつて、昭和時代に、社会主義者でも共産主義者でもないのに、ただ自由主義者だけなのに、国に異論を唱えるものは、一括して「アカ」として排除していった風潮と似ている。憲法を守れ、というだけで、左派、国賊にされる時代が来ている。

追加して書く。「たかじん」の今日の番組では、まるで北朝鮮の司会者のような声で(だれかわからない女性の声)で、次のような質問が出る(これは視聴者にもネットを通じて質問しているようだが)。
それは、こうだ。

「日本を守ってきたのは何でしょう?自衛隊?在日米軍?アメリカの核の傘?
護憲派は、憲法9条=平和憲法があったればこそ日本は戦争に巻き込まれなかったと主張してきました。しかし、平和憲法とと共に自衛隊が存在するのも事実。自衛隊の存在を否定する憲法によって活動が縛られ、戦力を保有する自衛隊の存在が憲法を有名無実化するとしたら・・・・
そこで質問です。
・今、日本と国民を守るための妨げになっているものは何だと思われますか?」

こんな前ふりがあったら、答えは当然、憲法という答えを期待しているのだろう。
実際、パネラーは憲法と答えていた。こうして、この番組は田母上氏をゲストに向かえ、憲法9条反対の主張を流したいわけだ。
うっ、おぞましい!

画像は秋篠寺の苔

奈良の寺

2008-11-29 | 日記
清河八郎の「西遊草」ではないけど、今日は、親孝行をかねて、母親を奈良の寺に案内した。

秋篠寺ー西大寺ー唐招提寺ー薬師寺だ。

秋篠寺以外は、みな広く、でかい寺だ。どの寺でも仏像を見ることができた。
たくさん仏像を見ると、どれがどれやら区別がつかなくなるが、秋篠寺の仏像だけは印象に残る。秋篠寺の本堂に仏像が8体か9体(?)あるが、その左端に立っているのが「伎芸天」。天女の像だ。ちょっと首をかしげていて、顔になんともいえない魅力的な表情があるのだ。だいたい尊い仏像さんは、近寄りがたいお顔が多いのだけど、これはとても親しみを感じる。帰って、画像を探して見てみたが、このよさは写真ではわからない、実際に見るとよくわかると思った。
わたしは、ふつう、仏像はパッパッと見てそのまま通り過ぎるのだけど、この仏像は、もう1回本堂に入りなおして2回眺めたくらいだ。
ここは駐車場も無料(さすが奈良の寺。京都のお寺とちゃう)。境内に行くまで苔庭の木々の中を歩く。

西大寺も大きい。秋篠寺から歩いて20分くらいのところ。
本堂(釈迦如来立蔵他)、四王堂(11面観音像他)、愛染堂(愛染明王他)と、どのお堂にも立派な仏像が。

唐招提寺。駐車場は何時間でも300円。でもかなり空いていた。奈良の寺はやはり訪れる人は少ないのか。あるいは、みんな紅葉の名所の寺ばかり集まっているのか?仏像を見られるところがあるが、100円だ。ただし、鑑真像は年に何回しか公開していないようだ。

唐招提寺から一直線に15分くらい歩くと、薬師寺。
五重塔が二つも並ぶ。修学旅行生も来ていた。行儀よくお坊さんのお話を聞いている。「みなさん、けがをしないようにしてください」「え、けがない?」「はい、わたしは坊主ですからけがない」とかオヤジギャグをいっていたが、これは、高田好胤以来の説法の伝統なのだろうか。修学旅行のとき、高田好胤を見たことがあるので、たぶん、わたしも修学旅行でここにきたことがあるにちがいない。どうも、バスガイドさんの顔しかおぼえていないのだが。

画像は秋篠寺の本堂。この中に伎芸天がいます。

清河八郎は秀吉ファン

2008-11-27 | 読書
「西遊草」(岩波文庫)をペラペラめくってみたら、八郎は、秀吉好きなことがわかる。八郎にとって、秀吉は英雄の中でも別格、いや、ひょっとしたら、一番好きな英雄かもしれない。

八郎は、秀吉の誕生地、尾張中村まで訪ねている。そこの太閤山という小さなやしろにいき、秀吉が幼年のとき、手植えしたひいらぎの木や産湯をつかった井戸などを見ている。そこは今も太閤山常泉寺という寺があるそうだが、聞いたことがなかった。八郎は書く。「いずれにしても、英雄の降誕せしところなれば、志ある者は必ずとむろうべきなり」。

京都東本願寺の飛雲閣を訪ねたときも、飛雲閣はもともと秀吉の聚楽殿にあったのを引き移したものだとかで、秀吉の感想。

「それ、太閤は、百姓の卑賤よるいでて天下を掌握し、その身死して豚児、家を継ぐことあたわず。つにその業を失うも、これまた天のしからしむるところ、大丈夫、なんぞ、彼をひきてこれをとがむべきや。ただそれ、百姓の卑賤よりいでてその業滅亡するとも、片々隻々の垂跡も人の称美にあずかる。天下に志あるものここにいたりて、あに扼腕せざるべし」

大阪の安治川を舟で渡っているときも、堤に秀吉が植えた松を見て、また秀吉を思う。
「太閤は元尾州の土民の子として、少年より大胆、人を驚かし、闊達大度、細事を治めず、一村のにくしみにあいたる悪少年なりしに、一旦、時のいきおいに乗じ、天下を掌握し、海外に威名をとどろかし、大世界中の四大将のうちにいるは、まことに古今稀有の英雄、漢の高祖よりもまされり。」
まだ続くが長いので、とちゅう、省略。
「ああ、人は同じく人なり。わずか5尺に足らぬ短男子なるに、胆の大小によりて或いは太閤のごとき不世出の人のあるは、人間ほどへだてあるものは世にあらじ。」
とちゅう、略。
「時のまわり合いといえども、志さえ確然たるときは、たとえ太閤の功業はいたらずとも、英名を天下にとどろかし、一世の大人といわるるは及びがたきにあらず。有志の者、太閤の事を片時もわするべからぬことなり」

秀吉では評判の悪い朝鮮侵略についても八郎は弁護する。どこかの自衛隊幹部が聞いたら喜びそう。
「浅き慮見の者は、何の益もなき人を費やしたるように謗り笑うも、さにあらず。事の成否はとにかく、日本の威光を万国にあらわし、今にいたるまで万国のわが日本を軽蔑せざるは、あに太閤の威光をあらわしおきたる功にあらずや」

他のところにも太閤への思いを書いたところはあるけど、長くなったのでこのへんで。

秀吉は草莽の志士にまで影響を与えているのですね。徳川幕府、なにものぞ、という八郎の意識は秀吉の存在も大きい。そうう意味では、「太閤記」という書物は江戸時代は危険な書物だったかもしれない。

画像は哲学の道






バカモノ

2008-11-25 | 日記
コインを入れるパーキングに車を停めた。
用事が終わって、精算しようと思ったが、駐車料金が出てこない。まず、駐車番号を押して、精算のボタンを押す。駐車番号は6。何回やってもダメ。や、故障だ。すぐに、看板に書いてある会社に電話をかける。「故障だ。なんとかしてくれ」「30分くらいでそちらにいきます」「30分もかかるの。その30分間は無料だよ」「了解」。寒い中、車の中にいたり、外に立ったりして待つ。くそ、今日はついてない。

他の車がそこに入ってきて停めようとする。わたしは、手で×の合図をする。「故障してますよ」。親切のつもりだ。了解、とその車は停めるのをやめにして去っていった。
ここに駐車していた人が帰ってきて、機械で精算している。あれ、料金は出ているようだ。その人に近づく。「え、料金出たのですか。おかしい。わたしがやると出ない。やりますよ、見ててください」。やっぱり、出ない。おかしいですね、と私をあわれむようにしてその人は去っていく。

やっと、会社の車が来る。「料金が出ないのですよ。ほら、6を押してもダメです」「・・・お客さん、9番ではないのですか」「・・・・・・」

なんで気がつかないのだろう。バカバカ!

画像は法然院。

八郎の寺めぐり

2008-11-24 | 日記
寺で宝物を金をとって拝観させるのは江戸時代も同じで、八郎も文句をいっている。
例えば、平等院。
「百銅(百文)にて開帳なすなり。このへん、なにとなく心さみしくぞ思わる」。また、東本願寺では拝観料五百銅(500文)を払って座敷を見学しているが、「細工も下品で、いたって見飽きするなり」と書き、特に一向宗は何事も黄金を用いて事をなすゆえ、人々自然ときそいて、にぎわいをなす。他宗は、一向に比べると寂寞たる風だけども、これは真に仏の本旨にかないしなるべし。だから、われは一向宗を俗仏宗というなり」。
まあ、八郎が、今の京都の有名な観光寺院を見れば、みな俗仏宗なり、というでしょう(笑)。

東山銀閣寺については、「随分相応の地なり」と書く程度で、義政の悪政を語る。「天下を退廃し、自分の楽しみばかり長ぜり。まことに憎むべきものなり。いわんやこの争乱、民人窮乏の時にあたり、かくなる閣を築き、天下の民をなやませ、将軍の任を勝手にいたしたるありさま、にくむべきにして称すべきにあらず」。

金閣寺を見たときも同じような思いを書いています。義満について「おのれ一人、奢りをきわめ、天下をもって一身の楽しみをいたす。もっともにくむべきのはなはだしきものなり。俗人は、当時のことを知らずして、いたずらに庭の綺麗に感服するはいらぬこと、これみなその時の百姓たるものの血を用いて築きしものなり」
いよぉ!清河八郎!草莽の精神、ここにあり。

八郎は安楽寺のわきも歩いています。ここは「松虫、鈴虫の墓があるところなり」とあります。よく知っています。

永観堂では、みかえり観音(みかえり阿弥陀)を開帳を頼んでいます。そして、みかえり観音の伝説について語り、仏徒の話は、とかく奇怪な話ばかりだ、と書いています。

南禅寺は「東山にてはうつくしき寺宇にて、探幽の水飲の虎という名画あり」などと書いていますが、八郎は南禅寺の門前の豆腐屋で豆腐を食べ、用を思い出したのか、入らずに一人で帰っています。京の豆腐、昔から名物だったのですね。

当時も宿では観光ガイドみたいな人を世話したようで、八郎たちもガイドさんをつけていますが、八郎のガイドさん評を。

「この日、案内せしものは、一向不案内ものにてあれども、柔和の真実者にて、またひとしおよろしき所あり。もとより、一通りの案内などは、われらなどより古実ら問えるも存ぜぬ者にて、ただ道の順ばかりのものゆえ、たのむにたらぬものなり」

ガイドさんも、知識のある清河八郎の案内はたいへんだったにちがいない。
画像は南禅寺山門。

京都歩き2時間第二弾

2008-11-24 | 日記
今日も早朝から人を京都岡崎まで送っていったので、ついでに銀閣寺に行った。銀閣寺は初めて。というか、長く関西に住んでいながら、京都はこれまでほとんど訪ねていない。車では不便な所だからだ。

銀閣寺にある市営駐車場。2時間800円。
まず、銀閣寺に入る。拝観料500円。これはしかたがない。払ってゆっくり見ようと思った。入ると、なんと、あの写真でも有名な銀閣は改装中とかで、すっぽりカバーがかけられている。なんや、これ!アホな!庭を一巡する。紅葉はきれいだけど、ああ、銀閣が見たかったのに。

20分ほど見て回り、そのあと、哲学の道を歩いて、法然院、安楽寺、若王子神社、永観堂、南禅寺までいき、そこからまたひきかえした。片道わたしの早足で20分くらいで、往復1時間半で駐車場に帰ることができた。車で走り出すと、ちょうど雨が降ってきた。

法然院は人が少なかった。庭を拝観できる。茅葺のひっそりとした山門がいい。
安楽寺。山門は見たところ、法然院に似ていたが、門に近寄ると、拝観料をとっていた。で、ここはひきかえす。

哲学の道を歩くのははじめてだ。疎水沿いの道で、川には紅葉や枯葉が流れていた。
若王子神社に着く。小さな神社だが、清河八郎も寄っていた。新島襄の墓や徳富蘇峰の碑もあるようだ。神社の境内には、荒尾精の碑もあった。荒尾精は、宮崎滔天関係で、名前だけは知っていた。
この若王子神社のそばの喫茶店「若王子」は昔、テレビドラマ「燃えよ剣」の歳三役になった栗塚旭が経営しているそうだ。家に帰ってから知った。

永観堂。紅葉で有名らしい。大勢の人がいた。なんと拝観料1000円と書いてある。清河八郎ではないが、なんだか心さびしくなる。境内くらい自由に見させろよ。
拝観料をとらない紅葉、わが里の、人知れず立つ紅葉のやさしさを思え、だ(笑)。

最後が南禅寺。ここも紅葉観光の人でいっぱい。山門は、石川五右衛門が絶景かな、とかいった門か。上から眺めている人がいる。山門の上に登るのも拝観料500円なり。こんなもののためにお金は使わない。南禅寺には、琵琶湖疏水をどうにかしたというレンガ作りの古いアーチが立っていた。

では、また、清河八郎くんにも意見を聞いてみよう。
画像は銀閣寺。

八郎の知恩院案内

2008-11-23 | 日記
清河八郎が知恩院を歩いたのは、安政2年6月7日。

この日は、祇園祭り初日で、母親たちは見学に出るが、八郎は去年見たし、2度も見るほど馬鹿じゃなしと、と宿にひっこんでいます。八郎の祇園祭りへの評価は厳しい。「関東の祭礼とちがい、京都は人気柔弱で、競ったりにぎわったりすることなく、ただの古物見物で、張り合いがぬける」「まるで金襴緞子の古物の虫干しを見るようだ」なんていっている。

八郎は、昼からまた京都見学に宿を出ます。
三条橋の石柱ー本能寺ー瑞泉寺(関白秀次の墓あり)ー知恩院ー清水寺ー四条涼み河原(ここでまた一杯)。

知恩院については、「これ洛東第一の大伽藍にして、結構の品よきこと、筆舌の及ぶところにあらず」と大絶賛。ここは浄土宗の総本山です。

「山門の前は桜樹多くして、春花の時、錦をしくごとく、にぎわいいわんかたなし」「山門は堂々として、手数多からで、何となく人の称美するなり」「本堂の結構たくみしものも、一点のうらみなく満足に出来上がり、満つるものは欠くるとて、傘を忘れたる体にて軒の上にさしはみあり、世の知るところなり」
この傘、知らなかった。行く前に読んでいたら、確かめたのに。今でもあるようだ。
「京都古寺の縁板は、いづれの寺にても鶯張りとて、人の歩むにしたがひ鶯のごとき声を発するなり」
今でも、これは知恩院の七不思議になっているそうだ。これも確認せず(拝観料払わないと歩けないのかな?)

たしかに、ここは立派だった。
ただ、紅葉は今日見たどの寺もたいしたことはなし。
寺にある4,5本の紅葉よりも、やっぱり山にある紅葉のがいい。その意味では能勢や丹波の山寺の紅葉がいい。

画像は知恩院の山門。

八郎の京都案内から

2008-11-23 | 日記
清河八郎の「西遊草」では安政2年祇園祭りのころ、最も暑いころの京都案内が書かれています。八郎はすでに京都見物は何回かしているのですが、今回は母親を連れた親孝行旅行。それでも日に5箇所も6箇所も、いやそれ以上に名所旧跡見物のはしご。見物することでは早足のわたしも八郎には負けます。

「西遊草」は見学した日、宿に帰って、一杯酒を飲んだあと、忘れないように、見学したところのメモをしたのでしょう。

さて、真如堂、黒谷の金戒光明寺を訪れたのは安政2年の6月12日。
いかに八郎の旅がいそがしかったか。この日の行動をざっと書くとこうです。
「暑くて、水分ばかりとりすぎたので、腹がいたくなり、朝は遅くおきた」(酒の飲みすぎ!)。八郎は大津の琵琶湖西岸のほとりの宿を出ます。

東照権現社ー日吉神社ー白河越え(山)-知恩寺(百万編寺)-下賀茂神社ー
東山銀閣寺ー吉田神社ー芝薬師堂ー真如堂ー黒谷寺ー永観堂ー若王子

真如堂や黒谷寺については、「いたって高大なる寺宇にて、仏徒の尤も信心するところなり。略。門前に両家の茶店あり。食事よろしきなれども、もはや夕暮れに趣きけるゆえ、足をはやめて黒谷寺にいたる。これまた、真如堂におとらぬ大なる寺にて、法然上人の垂跡なり。山門などは新たにして立派なり。ー略ー寺の墓所に山崎闇斎先生の墓ありき。一大の豪儒ゆえ、吾ひとりいたりて見るに、一家族の墓ことごとくありき。この寺内いろいろ名所ありて、熊谷・敦盛の墓あり。略」

知恩院は次回。


画像は真如堂の三重の塔

2時間の京都歩き

2008-11-23 | 日記
昨日から、早朝、人を京都の平安神宮ちかくまで送る用事ができた。
家からは亀岡経由で一般道を通って、1時間半で平安神宮のそばまでいける。
手ぶらで帰るのはガソリンさんに申し訳ないので、平安神宮そばの岡崎公園駐車場に車を止めて一人で京都歩き。駐車場は最初の1時間が500円、そのあとは30分ごとに200円追加だって。急げ。

まず、すぐそばの平安神宮にいく。広い境内。サッカーもできそう。朱色があざやかだが、別にどうってことない。そうなのだ。ここは明治28年ごろ作られたそうでまだ新しい。しかも、40年前ほど、火災にあい、一部、立て直したとか。

そのあと、黒谷の金戒光明寺に(黒谷寺)。ここは幕末に会津藩守護職屋敷となった寺で、会津藩や新選組とも関係深い。平安神宮から北へ約10分ほど歩いたところにある。大きい寺だ。ここを土方も近藤も歩いたのだ、としばし幕末を連想。いやいや、拙者は新選組の敵なのだ(笑)。

この裏が真如寺。黒谷寺からいける。ここは紅葉がきれいだった。三重塔もある。

そこから、また逆戻り、南にむかって知恩院をめざす。立っている人に道を聞くと、「歩くと、かなりありますよ」といわれた。タクシーの運転手さんだった。
「けっこうです」といって、早足で歩く。今日は、昨日よりも人出が多いようだ。知恩院に着く前に青蓮院門跡があったので、そこに入る。

寺院門跡とは、皇室に関係の深い寺で、皇族が門主をつとめるそうで、特別、格式が高い。清河八郎は、この青蓮院宮の密旨(うそだが)を奉じていると称して九州に革命大集合の遊説にでかけた。
門を入り、境内の入り口に来ると、受付みたいなのがあり、拝観料500円をとっていたので、ここはUターンした。門だけカメラに。

その次が知恩院。さすが、でかい。圧倒される大きさだ。人も多かった。

そこから、円山公園を横切り、八坂神社へ。ここでは結婚式をしていた。恥ずかしいだろうな、と思った。八坂神社には、たこ焼き屋とか出店が多かった。

黒谷寺、真如寺、知恩院とも、特別のナニを(庭?部屋?)見るとかしたい場合は拝観料がいるけど、そのほか、境内や本堂の中は自由に見学できるので、拝観料はいらない。
駐車場にもどって、精算すると、ちょうど2時間で900円だった。京都の2時間旅でした。各寺の案内は、清河八郎くんも書いているので、そちらにゆずります。



グレースと公爵

2008-11-22 | 映画・テレビ
BSでやっていたのを録画し、今日、見てみた。
フランス革命期の話。グレースという名の王党派の実在の英国女性の回想録をもとに作った映画らしい。グレースはあのオルレアン公とかつて愛人だった人。

録画したのは、この映画の背景が油絵で、油絵と実写を組み合わせて作ったおもしろい試みらしく、フランス革命期の当時の風景がわかるかも、と思ったからだ。

オルレアン公の愛人なんて、て思いながら見たが、やっぱり途中で睡魔が遅い、目が覚めたら、終わりの方、ひどく年取ったロベスピエールが出ていた。この女性はギロチンにかけられるところを、ロベスピエールの失脚で助かったそうだ。
ほとんど眠っていたので、内容はよくわからなかった。

画像は、東寺の立体マンダラ。これをアップしたかっただけかも(ただし、これは東寺でもらったしおりにある写真)。

東寺

2008-11-22 | 日記
京都の五重の塔、東寺に寄ってみた。

司馬遼太郎は、人を京都案内するときは、まず東寺に案内した、とどこかで書いていた。京都の玄関にあたるからだろうか。

また講堂の中は空海が設置した立体マンダラ(仏像を空海の構想にしたがって配置しているらしい)があり、これはスゴイとかの話も聞いていたので、それは是非、見たいと思っていた。

でも、高校生のとき、修学旅行で京都にきて、東寺は見学したようなしなかったような気がする。思い出せない。昔は、京都に来ても寺や仏になんか関心あるものか、自由時間はわたしは、京都タワーの上のお風呂に入りにいった。京都タワーだけ印象に残っている。

で、東寺に入る。

講堂の立体マンダラ。ふーむ。別にどうという感じは持たなかったけど。こんなものですか。


魅力ある人

2008-11-16 | 読書
魅力ある人、その人がいるとまわりがパッと明るくなる人、なんともいえぬ親しみ深い存在感があり、何もしゃべらなくても、そこにいてくれるだけでうれしくなってくる人。めったにいないけど、坂本龍馬なんかはこういうその存在から発する魅力があったのだろう。

たまたま松田道雄の革命家についての解説文を読んでいたら、こんな一節があった。

小説家で、小林多喜二や宮本百合子の葬儀委員長をもつとめた江口カンという人がこう書いているそうだ。
「大杉はおそろしく個人的な魅力、いわば人間的な魅力に富んだ男だった。その点、比類のないものがある。1922年に暁民会の高瀬清が、高尾兵衛や長山直厚、吉田一などとひそかにソ連にはいっていった。そして、高瀬だけが一足先に帰ってきた。そのとき、わたしは高瀬に、「きみ。ロシアでだれにあってきた。レーニンにあったかい」ときくと、「いや。レーニンにはあえませんでしたが、トロツキーにはあってきましたよ」「トロツキーってどんな男だい」「大杉さんにそっくりですよ。通訳を中に入れて話したんで話は十分には通じないのに、顔を見ているだけでも、たちまち、たまらないほどすきになりました。トロツキーってそんな男です」と高瀬は答えた」(世界ノンフィクション全集26 レーニン 一革命家の思い出 大杉自叙伝 の解説文より)

たしかに、トロツキーは写真からでも何かが発散しているような力を感じる。
大スターになる人なんかも、どこかこんな魅力があるのかもしれないな。
まあ、メモとして、ここに書いておきました。

仇討崇禅寺馬場

2008-11-16 | 映画・テレビ
BS映画の12月予定を調べた。
これは!と思うのがないけど、録画しておこうと思うのが、「仇討崇禅寺馬場」だ。監督マキノ雅弘 生田伝三郎に大友柳太郎。なにせ大阪が舞台の時代劇だ。
崇禅寺にもいったことがある。生田伝三郎は遠城兄弟を返り討ちにするのだが、のち、遠城兄弟の墓(だったか?)の前で切腹する。

もうひとつ来週から「次郎長三国志」シリーズ全9作が放映されるが、これはどうしようか、と迷っている。幼児のころ、たしか親につれられて見に行ったことがある。退屈て、眠っていたような気が。主役の次郎長もふつうの平凡な顔の人で、インパクトがなかった。幼くて内容はわからなかったにちがいない。しかし、これはマキノ雅弘の代表作だという。全9部まである時代劇映画なんか珍しいだろう。時代劇ファンとしてはチェックしておきたいが・・・。

トルストイは暴力や悪には無抵抗で、と説く。
しかし、わたしは、まだこうはできない。
暴力をされたら、どう暴力で返すか、こんなことを考えてしまう(笑)。
やられたらやりかえせ。この精神はもう何千年と続いているのかもしれない。

だいたい、時代劇というのは、暴力対暴力の戦いだ。
無抵抗の時代劇映画はあるだろうか?
山本周五郎の「樅の木は残った」のみが、主人公はただ斬られるだけで、刀をぬかなかったっけ。

画像は篠山大国寺の紅葉

ヴェーラ・フィグネル

2008-11-15 | 読書
筑摩書房の世界ノンフィクション全集の27巻を古本で買った。300円。
中身は、ヴェーラ・フィグネルの「ロシアの夜」、ローザ・ルクセンブルクの「友人への手紙」福田英子の「わらわの半生涯」。

ヴェーラ・フィグネルの「ロシアの夜」が欲しかった。ヴェーラ・フィグネルはこのブログの一番初めに書いた。「遥かなる革命」の著者。しかし、この本はちょっと高い。ノンフィクション全集の分は原作の5分の一しか入ってないのだけど、ないより、まし。

ヴェーラ・フィグネル。裕福な貴族の生まれで、美人で賢く、本来なら貴族社交界の花になるような人が寒村に身をおき、保健婦になり、ナロードニキ運動、革命運動に身をささげる。死刑の判決をうけるが減刑されて無期懲役となり、20年間を独房で過ごす。ロシア青年のあいだでは「われらのヴェーラ」と希望の星で、彼女が逮捕されたときは絶望して自殺した青年もいたそうだ。

以前も書いたけど、トルストイも偉大だが、トルストイと変わらず、純粋に社会を変えようと理想に燃えた青年女性たちが何千何万とこの時代のロシアにはいた。

紅葉狩り

2008-11-15 | 日記
丹波篠山の洞光寺、大国寺の紅葉を見に行った。
近場の丹波あたりの紅葉の名所をネットで探したら、たまたまこの寺が出てきたからだ。
洞光寺は有名らしく、カメラで撮影している人、団体で紅葉狩りに来ている人がいた。大国寺はほとんど人がいなかった。小さな寺だ。重要文化財の仏像が拝観できるそうだ。でも、仏像は見なかった。
真紅もいいけど、黄色もすばらしいと思った。

画像は洞光寺