虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

「何をなすべきか」(チェルヌイシェーフスキー)

2006-07-30 | 読書
ロシア人が書いた「何をなすべきか」という本は3つある。レーニンの「何をなすべきか」とトルストイの「われら何をなすべきか」とチェルヌイシェーフスキーの「何をなすべきか」だ。

レーニンのは読んだことがないけど、トルストイのは読んだことがある。いい本だ。でも、トルストイの本以上に、ロシアの青年に熱狂的に読まれた本が、チェルヌイシャエフスキーの「何をなすべきか」だ。

チェルヌイシェーフスキーはロシアの吉田松陰みたいな人で、青年に革命への情熱を与えた。1860年代は、学生たちが続々と新しい生き方を思考し、ヴ・ナロード運動も盛り上がるが、その起爆剤にもなった本だ。学生の中で、この本を読んだことのないものはなく、学生のバイブルとなった。

チェルヌイシェフスキーは、1862年に反政府活動の理由で証拠もなく逮捕され、投獄される。この本は、獄中で、4ヶ月ばかりの間に書かれた小説だ。検閲を受けるので恋愛小説の形で発表したのが幸いしたのか、検閲を通り、1862年に出版。しかし、その反響に驚き、政府はすぐに発禁処分にし、40年間、発禁状態は続く。しかし、地下出版や写本が回し読みされる。レーニンの兄もレーニンも、もちろんトロツキーも読んだ本だろう。クロポトキンは、この小説は、ツルゲーネフよりもトルストイよりも他のどんな作家の小説にもまして、ロシアの青年にふかい影響を与えた、と書いている。どんな小説なんだ?と読んでみたくなるではないか。岩波文庫で上下2巻、古本屋で手に入れました。

主人公は、ヴェーラ・パーヴロヴナという女性。ヴェーラといえば、ヴェーラ・ザスーリッチやヴェーラ・フィグネルという女性革命家が有名だが、この命名は偶然なのだろうか、あるいは一般的な名前なのか。
今は、上巻の半分ほど読んだだけで、ヴェーラという女性が家から、特に母親から独立するために、男性と偽装結婚(実際、当時は多かったそうだ)するところ。
別に発禁にするような小説ではないじゃないか、と思えるのだけど、検閲があるため、随所に暗示や反語、象徴があるらしい。小説は初めて書いたそうで、突然、作者が感想をのべたり、主人公の夢を描いたり、破格。そのうち、革命家も登場するようだが、まだそこまで読んでいない。

ただ、当時、女性も男性と同じように独立し、社会に参加しなければ、という考え方は多くの女性をとらえ、ナロード運動や、革命家にも多くの女性がいたのは事実。このヴェーラはこの先どうなるのか、最後まで読めたら、改めて感想を書こうっと。ドスト「悪霊」のほうはもうやめてしまった(笑)


トロツキーの「レーニン」②

2006-07-30 | 読書
ロマノフ王朝を倒した2月革命の蜂起は、民衆が起こしたもので、その時、レーニンもトロツキーもロシアにはいなかった。自由主義者や社会主義者で構成する臨時政府ができあがる。

レーニンがロシアに帰り、大衆の前で演説をしたときは、レーニンの顔を知る者も少なく、レーニンの話を聞いた人々から、「彼はだれだ。彼はなんだ」という声が出、レーニンの演説は失笑、哄笑で迎えられたそうだ。レーニンは異端であり、孤立していた。しかし、レーニンはじわじわと自分の方針を浸透させていく。

トロツキーは(トロツキーだけでなく、他の人もそうだが)、レーニンは「自分がいったこたを信じていた」と書く。この文を読んで、フランス革命のとき、ミラボーがまだ無名なロベスピエールを見て、「彼は大きくなるだろう。自分の言っていることを信じている」と評したことが想起されます。

10月革命でレーニンが権力を握ったとき、権力の中枢は混乱をきわめていたようだ。外国とは戦争中だし、国内には、資本家、ブルジュワジー、地主、自由主義者、レーニンとは考えの違う多くの社会主義者たちがいる。外からも内からも大きな反革命の動きがある。しかし、政権には、軍隊も、金もない。
すべてを一から指令しなければならない。日本の明治維新の時も司馬遼太郎は維新政権を大海に浮かぶ小島に例えたけど、このときのロシア政権の危うさは、明治政権の比ではないだろう。パリコンミューンのように半年で崩壊してもおかしくはなかった。レーニンはトロツキーに言う。「あちこち逃げ回った非合法の状態から、権力を握るなんて、あらっぽすぎるよ」「目がまわるよ」
そんな革命政権のようすも書いています。

レーニンの早死には、権力をにぎったロシア革命の責任者としてのストレスが原因かもしれない。

松田道雄は、トロツキーはレーニンの人間をえがく資格をもつナンバー・ワンだろうと書いている。
西郷隆盛が大久保利通について書いた(逆でもいいけど)文章が残っていればきっとおもしろいはずだけど、これはそんな記録です。

ソ連崩壊後、レーニンの悪口、非難を述べた本もけっこう出ているようだ(読んだことないけど、「レーニンの秘密」とか)。
ただ、レーニンを批判し、悪口を書いたのは、革命前も革命中も無数にいて(トロツキーも論争した)、敵の多いのが本来のレーニンだ。レーニンはなんというだろうか。

トロツキーの「レーニン」①

2006-07-30 | 読書
トロツキーの「レーニン」(河出書房新社)を読んだ。ここには、「若い日のレーニン」という、レーニンが生まれてからマルクス主義者になるまでの伝記と、「レーニンについて」という「イスクラ時代」と10月革命時のレーニンとの日々の回想記がおさめられている。

他のレーニン伝は読んだことがないのだけど、若きレーニン伝を読んでも、トロツキーの文筆家としての才能は感じる。読んでおもしろいのだ。ソ連崩壊後、レーニンの資料は開放され、トロツキーが書いたものよりも数段詳しいレーニン伝は出ているのかもしれないが、なんといっても革命の巨人トロツキーが書くレーニンや時代背景の分析は興味深い。特に、ナロードニキからマルクス主義がロシアの学生に浸透するまでの経緯に詳しい。

「マルクス主義がロシア革命家の精神のなかに浸透するためには、一連の客観的、物質的状況が、一定の連鎖の中で、決定的な関係においてあらわれてこなければならなかった。資本主義がたゆみなく進歩をつづけなければならず、インテリゲンチャが可能なあらゆる道・・・バクーニン主義、ラヴロフ主義、農民階級へのプロパガンダ、農村での定住、テロリズム、平和な文化活動、トルストイ主義・・・を、最後まできわめていなければならず、労働者がストライキを組織し、西洋の社会民主主義者の運動がより積極的なものになっていなければならなかった。そして、ついには、1891年の猛烈な破局的な大飢饉が、ロシア経済のあらゆる潰瘍をむきだしにしてみせなければならなかった。そのとき、はじめて、そして、そのときのみ、約半世紀前に理論形成の途につき、ロシアでは1883年以来プレハーノフによって告げ知らされていたマルクス主義思想は、ロシアの大地にやっと受け入れられ始めたのである」

60年代70年代の学生たちの運動の盛り上がりのあと、80年代は沈滞し、だれも大問題について議論しなくなる。そうした時代にあらわれたのが、チェーホフであり、とりわけトルストイの後期の無抵抗主義の哲学だった、と語る。

ネチャーエフについては、「ロシア革命家の肖像のなかでも際立って偉大な人物の一人」と書き、「レーニンはネチャーエフの闘争戦術を用いていると、反対者からくりかえし批難されることになる」と書いてある。

レーニンの兄がアレクサンドル3世暗殺に関わって処刑されたのは有名だが、その兄の意志を継いで革命家に、という伝記作者が書きそうな推論は否定し、兄と弟のちがいを特筆している。兄は内向的で、ドストエフスキーの熱心な読者だが、レーニンはドストエフスキーとは大人になっても無縁で、ツルゲーネフやトルストイのフアン。レーニンは陽気で、社交的で、粗暴ですらあるような青年だったようだ。

長くなったので、この本の第2部の「レーニンについて」は次回に。

ザスーリッチとトロツキー

2006-07-24 | 読書
ヴェーラ・ザスリーッチについて書いたのはつい最近だけど、たまたまトロツキーの「レーニン」(河出書房新社)を図書館で借りたら、その後のザスーリッチのことが出ていたので書いておきます。

流刑地を脱走した若きトロツキーはロンドンにいるレーニンを訪ねます。
レーニンはロンドンで「イスクラ」という新聞を発行し、ロシアに革命政党をつくろうとしていました。トロツキーはその「イスクラ」の最も若いメンバーになります。そのメンバーには初めてロシアにマルクス主義を伝えたプレハーノフなどもいますが、ザスーリッチ(当時53歳)もいました。トロツキーはザスーリッチと同じアパートに住むことになり、とても親しく交際します。

松田道雄が訳した「レーニンについて」という回想記の中にあるのですが、トロツキーはザスーリッチの個性的な面影をいろいろなエピソードの中で伝えています。

「スリッパをひきずって歩き、たえず手製の葉巻をすいながら、吸殻や吸い残しの葉巻を窓際の椅子やテーブルの上に、ところかまわずおき散らし、はては、その灰を彼女の上着や、手や、原稿や、コップのなかのお茶や、ひょうっとするとお客の上にまき散らした」

「彼女のなかには、70年代のロシアの急進主義者の道徳的政治的基礎が死ぬまでそのままの形で残っていた」

「ザスーリッチは奇人だったが、妙に魅力的だった」

ザスーリッチがレーニンこう話したことも書いてある。
「プレハーノフはグレイハウンドよ。彼は敵をさんざん振り回して、放り出すの。でも、あなたはブルドッグよ。咬みついたら、咬みころしちゃうんですもの」

「衣食住は、もっとも質素な学生と同じであった。物質的なものに関する彼女のおもなたのしみは、タバコと芥子であった。

ほかにもいろいろあるけど、ここまで。

松田道雄「ロシアの革命」

2006-07-23 | 読書
このごろ、ロシア革命に興味が向いてきたので、松田道雄の「ロシアの革命」(河出書房の世界の歴史シリーズ22)を再び読んでいる。わかりやすくていい本だ。
この本で、わたしは、はじめてレオン・トロツキーを知った記憶がある。

松田道雄は京都の町医者で、べ平連などの市民運動にもかかわりをもったオールドリベラリストだ(まだご存命なのだろうか?)。この人の「育児の百科」も有名で、わが子が生まれたとき、この分厚い本をさっそく買ってきて「これで育児をたのむな」とポイとわたしたことがある。そのくせ育児にはまったく協力しない無責任な男だった(笑)。この「育児の百科」はたいがいのことは、「そんなに心配しなくても大丈夫」って書かれていて、母親を安心させる育児書だったような気がする。

この「ロシアの革命」のあとがきで、松田は、なぜわたしのようなアマチュアがロシアの革命をかかなければならないのか、それはマルクス主義を本職とする学者が、ロシアの革命を書いてないからだ、と憤懣をのべているが、その後、30年以上たったけど、日本人の書いたロシア革命史でこれを越えるものはまだ出ていない(と思う)。

ロシアの革命は1917年に突然勃発したものではない、1905年からでもない、レーニンなどのマルクス主義者たちが始めたものでもぜったいない。もっと長い闘いの歴史があった。

一般にロシアの革命運動の歴史は3期に分けられる。
1期が1825年のデカプリストの乱からから1861年の農奴解放までの時代、
これは貴族の反乱の時代だ。
2期が1861年から1895年までの時代。学生の反乱、ナロードニキ運動の時代だ。日本の幕末維新期に重なる。
3期が、ロシアに資本主義が進み、マルクス主義派の党が生まれ、労働者の運動が始まった時代だ。

わたしとしては、この2期のナロードニキの時代の若者たちの運動、生き方に強い関心を持つが(ロシア文学の傑作はこの時代に続々と生まれる)、松田道雄の「ロシアの革命」のいいところは、この本の半分までは、1期2期のロシア革命前史について書いてあることだ。

日本の幕末維新史でも、草莽たちは先駆けながら、その後は抹殺され、黙殺されているけど、ロシアの草莽、学生は日本の草莽どころではない。何千何万という無名の若者が流刑にあい、獄死、処刑されてきたか、かれらの苦難はいったいなんのためだったのか、その後の今日までのロシアの歴史を見ると暗然としてしまう。

世界ノンフィクション全集

2006-07-20 | 読書
1960年代に筑摩書房から刊行された本だけど、ほしい、と思っている。
30巻で8000円と「日本の古本屋」に出ていた。1冊は500円から1000円で売っているが、30巻で8000円だと、1冊300円以下だ。しかし、買っても、本を置く場所がないので、たぶん、買わないと思う。

それにしても、その多岐にわたる内容、どの巻も魅力がある。当時の出版人の意気を感じる。全50巻の内容をここで紹介できないのが残念だが、ぜひ各巻の題名を見てほしい。あれもほしい、これもほしい、いや、全部ほしい、と思ってしまう。

昔は図書館にも並べてあったのだけど、こういう古い本は書庫行きになって、最近は、棚から取り出すこともできなくなった。1巻に数種類の内容を詰め込んでいるので、抄訳のものもけっこうあるのがちょっと惜しいけど。

ヴェーラ・ザスーリッチ

2006-07-17 | 読書
ヴェーラ・ザスーリッチという女性はネチャーエフの団体に関係し、逮捕されるが、ルネ・カナックの「ネチャーエフ」という本には、こんな場面がある。

ヴェーラがネチャーエフの話に納得しない顔をしていると、ネチャーエフは部屋の中を大股に歩き始め、突然、ヴェーラの前に立ち止まってこう叫ぶ。
「きみを愛しているってことがわからないのか」
ヴェーラは無愛想に答える。
「私、あなたを尊敬していますが、愛していません」
(ヴェーラの回想記にでもこんな場面が書いてあったのだろうか?出典も何もないのでわからない)

このヴェーラはネチャーエフ事件の6年後、ペテルブルグの長官トレーポフ将軍を銃撃して、これがテロの開幕となる。トレーポフ将軍を銃撃したのは、政治犯の虐待に抗議するためで、外国の新聞社に訴えるとかいろいろ手を尽くすも、万策つきて、ついにだれの命令も受けず、単身で実行。世論を喚起し、陪審員裁判で無罪になり、外国に亡命。相手は負傷で命に別状なかった。「政治犯の虐待への社会の関心を集めることができて満足」と語ったそうな。ヴェーラの頭の中の政治犯の中にはネチャーエフもいたにちがいない。
この裁判にはドストエフスキーも傍聴している。

ドスト「悪霊」はちょっと中断状態。
ネチャーエフについては、カミユの「反抗的人間」にも特別に1章を設けられている。カミユは革命前のロシアのテロリストたちを歴史上の最後の反抗的人間としているようだ。戯曲「正義の人々」もロシアの心優しきテロリストたちの話だ。


ネチャーエフの本

2006-07-16 | 読書
ルネ・カナック著「ネチャーエフ」(現代思潮社)を読んだ。200ページほどの伝記。小説を読むように気軽に読めるが、どこまでが事実なのか、考証とか研究調査の注もないので、どこまで信用してよいものか。しかも、フランスのこの著者は、解説によると、大学教授資格者という以外何もわからない人物。

著者は、殺人を犯したという汚点があるものの、革命の先駆者、早すぎた革命家として、ネチャーエフを評価している。

たしかに、ネチャーエフの時代には、革命の議論はあるものの、行動的な革命の秘密結社の組織はまだなかった。革命の火ぶたを切るためには、嘘でもはったりでもよし、着手しなければならなかったのかもしれない。清河八郎もそんな一人だった。
ネチャーエフ事件のあと、秘密結社への幻滅から、学生たちは、エリートであることをやめ、ヴ・ナロードと人々の中に大挙して入っていく。しかし、農民たちの無理解と政府の弾圧で、ナロードニキ運動も衰退、そこから生まれてきたのが、皇帝に戦いを宣言するテロリズム組織、人民の意志党、これはネチャーエフが企図した組織ではなかったか。この組織は、ネチャーエフを脱走させることを計画するが、ネチャーエフは、「脱走計画よりも皇帝暗殺を」と伝える。発狂する者の多い過酷な独房生活にたえた強靭な精神力にもふれている。

ネチャーエフの同士殺害は救いようのない汚点だが、政府の秘密裁判であり、反革命キャンペーンに利用された面もあり、当時のロシアの進歩的な人々の間での人権思想からの反感も大いにある。同時代の日本では、清河八郎、伊藤博文、武市半平太、大久保利通、高杉晋作だって、暗殺にかかわっているのだけど、なぜか不問にされているようなところがあるな。武士は特別なのか。

ネチャーエフがスイスに亡命するとき、小さなカバンに入れていた愛読書が、ルソーの「告白」とロベスピエールの「メワール」だったそうだ。

当時のロシアの時代雰囲気について、当時の人は、「だれもじっとしていられなかった。社会全体が動いている」「どこへ行っても対談、議論、おしゃべり、宴会、講演だった」と書いてある。

ロシア文学、特にドストエフスキーなどは、ながながと議論が続くが、やはり、そういう特異な時代だったのですね。


ネチャーエフと清河八郎

2006-07-12 | 読書
「悪霊」、半分ほど読んだが、話はあまり展開しない。で、ちょっと余談。

「悪霊」は学生革命家同志の内ゲバであるネチャーエフ事件をネタにして書き始められたそうだ。ロシアでは、ネチャーエフ事件を契機に学生運動が一時沈滞したほど、当時の人々の間では、陰惨な暗い事件として印象に残っているようだ。

このネチャーエフも、清河八郎に似た点があるといったら、八郎ファンはおこるだろう(わたしもおこる。プンプン)。

ネチャーエフに与えられた言葉は、こうだ。山師、詐欺師、狂信者、策謀家、虚言家、マキャベリスト。

スイスにいる革命の大御所バクーニンやオガリョフに、ロシアを脱獄してきた革命委員会の代表(これは嘘)として接触し、その信頼を得て、資金をひきだしたネチャーエフは、ロシアに戻ると「世界革命同盟」という団体のロシア代表(これも嘘)と称して、秘密結社を作る。この秘密結社に疑いを持ち出した学生を殺害したのが、ネチャーエフ事件だが、ネチャーエフ自身は逮捕前に再び亡命、しかし、バクーニンらからは絶交され、人々の信頼を失い孤立して、ついに逮捕20年の懲役刑にされる。このとき、23,4歳か?

九州に遊説して、志士たちを京都に集めるかと思えば、幕府お雇いの浪人軍団を京都に引っ張り、尊攘の部隊に、江戸に帰れば横浜焼打ち計画。内ゲバなんかおこさなかったら、たった一人で、破壊活動の策謀に従事した清河八郎のような働きをしたかもしれない。ネチャーエフは、貧しい労働者の息子で、仲間を組織するのは、八郎以上に困難だったはずだ。

「悪霊」では、ピョートルという登場人物がネチャーエフをモデルにしているが、軽薄で、戯画化されているが、実際は、ちょっと違うようだ。

策謀家にはちがいないが、私利私欲のために動いてるのではなく、革命に生涯を捧げた人物であることはまちがいなく、牢獄に収監されたあとも、牢獄の看守たちを心服させ、外の革命派とも連絡をつけている。外から脱獄の計画も打診されるが、おれのことよりも革命にまい進してくれと伝えたとか。35歳で獄死。

バクーニンはこう書いている。
「ネチャーエフが他のだれよりもロシア政府から迫害されているのは事実。彼が、私の今までに会ったもっとも活動的で、精力的な人間であることも事実。彼は、最悪の意味における利己主義者ではありません。なぜなら、彼は自身と革命運動とを完全に同視し、自身を危険にさらし、そして殉教者、窮乏、未曾有の事業の生活を送ってるからです」

実際、ネチャーエフってどんな男だったのだろう。



古典は忙しい時こそ読める?

2006-07-08 | 読書
「悪霊」200ページを過ぎたころからようやくおもしろそうになってきた。
というか、今、本なんて読んでる時間がなくて、追われている仕事が山積している。でも、試験中の学生じゃないけど、こういうときこそ不思議にめったに読まない古典とか大長編に取り組んだりするのですね。一種の逃げです。仕事からの逃避です。ゆっくりとした暇ができたら、まず、こんな本は読まないと思うのに。

スタヴローギンの内面は全部を読了してないから、まだわからないけど、外面で見るかぎり、机龍之介か清河八郎が姿を現すようにスリリング(^^)。

知力、腕力、群を抜き、何事をも、何者をも恐れない美男子。沈着冷静で、いつのまにか周りに信者を作り出す。百才あって、一誠なし、と司馬遼太郎に評された清河八郎と共通点がないともいえない(笑)。ここは、虎尾の会ですから、こじつけです。

ドストエフスキーが描いた人物は「思想」に煩悶する人物が多いが、日本史でドストエフスキーが描くのにふさわしい人物といえば、大塩平八郎かもしれない。
なぜ、大塩は反乱にふみきったか。狂気なのか、思想なのか、あるいは民衆愛なのか、ドストエフスキーの飛びつきそうなテーマなのになあ、などと妄想しました。



「悪霊」と清河八郎

2006-07-07 | 読書
ドストの「悪霊」を読み始めたが、100ページを過ぎたけど、まだ小説の世界には入りきれない。昔、1度、通読したけど、題名から想像するのとちがい、意外におもしろいではないか、と思った記憶がある。でも、内容はすっかり忘れている。100ページ読んだけど、まだちっともおもしろさを感じていない。まだつまらない。

ただ、主人公のスタヴローギンには興味がある。最初の登場シーンがこうだ。

ある高級社交クラブ。年配のそれなりの功績を積んだ紳士の口癖は、なにかのひょうしに「わしの鼻面をつかんでひきまわすなんてできることじゃない」と言うことだった。ある時、クラブで定連たちに向かって、いつもの18番の口癖を付け加えてしまった。すると、クラブの片隅に黙ってすわっていたスタヴローギン(この紳士とは何の付き合いもないのに)はつかつかと紳士に歩み寄り、この紳士の鼻を無造作につまみあげ、ひきまわしてしまう。しかも、平然と、ちょっと暗い顔をしながら。

丹波哲郎が清河八郎を演じた映画「暗殺」は、悪魔的人物ですが、実際の清河八郎は、スタヴローギンのような悪魔ではない。でも、権威を認めず、権威や権力を目にすると昂然と反抗したくなる気質はあるようで、そこがわたしにとっての魅力にもなっている。他人にとっては、悪魔的人物にも映る。大エゴイストにも見える。
清河八郎だったら、このくらいのいたずらをするかもしれない。

ふつうなら、ちょっと人にはできないこと平然とやってのける。そこに一種の畏敬も感じるのかなあ。ど不敵。実際、わたしたちにはできないですからね。

高校生のとき、数学の授業中に、あるすてきな女子生徒が、授業中に突然、先生から配られたプリントをビリビリ破りだしたことがある。先生も回りの生徒も唖然として見ているだけで、何事もなく授業は終わったが、翌日からその女子生徒は3ヶ月の休学になって学校に出てこなくなった。わたしも大嫌いな数学の先生だったから、おお、反抗に出たと内心応援していたが、病気ということにされた。復学したときには、すっかり人が変わっていた。

突然、人の言葉に反抗したり、いくらアホだと思っても、頭を軽くポカリとたたいたりすると、病気にされるから気をつけなければいけません。

悪霊のスタヴローギンとは全く関係のない話です。

ドストは、「カラマーゾフの兄弟」の続編では、「悪霊」のスタヴローギンとは別の新しい革命家像を創造するはずだったそうです。



亀山郁夫「ドストエフスキー父殺しの文学」NHKブックス

2006-07-03 | 読書
本を買うのは、ブックオフかネットの古本屋さんなので、新刊屋さんで、本を買うのは1年ぶりくらいだろうか。上下巻あり、それぞれ1398円。うーんとしばらく財布と相談したけど、おもいきって買った。

本の「はじめに」を立ち読みしたところこんなところがあって、買う気になった。

ドストは、冬宮爆破事件があったころ、友人とこんな話をする。

「ある書店でショーウインドーをのぞいているとき、隣に妙にそわそわした男が立っていて、別の男と、これから冬宮が爆破されるという会話を立ち聞きしたとする。さあ、どうする。冬宮あるいは警察にすぐに通報するかい」
友人は「通報しないでしょうね」と答え、ドストも「ぼくも同じだ」と言ったそうな。

ドストは、一般に反革命派とみられているそうだが、1度はテロリスト容疑として入獄したのだから、その後は皇帝からの監視も厳しく、率直に書くことは不可能だったのではないか、という文面もあった。

ヴェーラ・ザスーリッチといえば、ロシアで最初の女性テロリストだが、「カラマーゾフの兄弟」を書いているころに、この事件(テロ)はおきる。このとき、ドストは、「真理のためなら、すべてを犠牲にしても、命まで犠牲にしてもよいという時代は、わが国に前例のないことであり、これはロシアにとってまことに大きな希望です」と感想をのべているそうだ。

ドストエフスキー論では、神はいるのか、いないのか、という形而上学的なようわからん議論はよく聞くけど、直接に当時の革命の問題、ナロードニキと重ねて論じたものは知らない。この本もそういうものではないけど、でも、かなり当時のロシア社会、革命状況を作品の重要な因子としているのを感じる。

著者の亀山郁夫は最後に、「カラマーゾフの兄弟」の続編を空想していますが、アリョーシャはやはり革命家になり、皇帝暗殺を試みるが、失敗、となります。

以上、ペラペラとめくっただけのコメントです。





「カラーマゾフ」読了。

2006-07-02 | 読書
カラマーゾフ読了。何度読んでもよくわからない読後感が残る。
「白痴」とか「カラマーゾフ」を読むと、自分はやっぱり頭が悪いのだ、ドスト文学なんかわかる柄ではないのだ、といつも思う。

前は、裁判のところをかっとばして読んだけど、今回、最後まで読んでみて、カラマーゾフとは、われわれ現代人なんだ、ということがわかった。

ヒョードル・カラマーゾフという3兄弟の父親は、好色漢で、卑しくて、まあ、サイテーの人物。この父親殺しを主題に息子の3兄弟のドラマが展開するわけだけど、ドストは、検事の口を借りてこんなことを言う。卑しくて、淫蕩なヒョードル・カラマーゾフは現代大多数の父親像である、と。
当然、息子たちもこの卑しく、低俗で好色な父親の血をひく。もちろん、読者のわれわれも、その一族だ。

ダビンチ・コードじゃないけど、ドストエフスキー・コードがいる。ドストの小説は、謎に満ちている。この小説は、こういう話ですよ、と自信をもって説明できる人はいないのではないか。

わたしは、ドストの背後の当時の革命的状況、ナロードニキやテロリズム運動が大きいと思う。

「カラマーゾフの兄弟」の続編は、やはりアリョーシャが皇帝暗殺犯として処刑される話ではなかったのか。

おれも、あのヒョードル・カラマーゾフと同じ父親なんだ、ということが再読してわかった。