虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

SFの話

2006-12-26 | 読書
最近、古本屋で注文したのは、「世界SF全集」の中の第18巻(ベスター、デイック)と海音寺潮五郎全集の1、2巻(平将門)だ。
二つとも、一度読んだことがあるのだけど、再読したいし、手元に置いておきたいからだ。二つの全集とも、箱は堅牢で、装丁もよく、気に入っている全集だ。

SFは、なぜか思い出したようにときどき読みたくなる。
若いころは好きだった。SFマガジンも買っていた。

1970年には、早川書房から世界SF全集が刊行されていたし、早川SF文庫も創刊された。あのころは、SFは新鮮な世界だった。といっても、SFは聞いたこともないような科学用語や機械の言葉がたくさん出てくるので、ハードなものは苦手で、好きなわりには、あまり読んでいない。

読んで忘れられないものは、やはり、レムの「ソラリスの陽のもとに」、クラーク「都市と星」、ブラッドベリ「火星年代記」、ディック「宇宙の眼」、小松左京の「果てしなき流れの果てに」だ。

中学生のころに読んだマティスンの「吸血鬼」もまだ忘れられない。まわりは吸血鬼ばかりの世界になり、一人生き残った男。最後、みんなが吸血鬼になってしまったら、吸血鬼ではない自分こそが怪物なんだ、ということに気づく話。これは、その後、「地球最後の男」という題に変えられ、映画にもなったそうだけど、「吸血鬼」という題名のほうがいい。

「ソラリス」は、ロシア版もリメーク版も映画を見たが、映画はつまらなかった。
他の生命体とのコンタクトがテーマだけど、その生命体は宇宙人なんかではなく、知性ある海というのが、衝撃的。これは人にすすめたい。

クラークの「宇宙のランデブー」とかは、今でもよく本屋で見かけるけど、クラークはなんといっても「都市と星」が最高だ。文庫を見つけたら、買っておこうと思っている。文庫はすぐに捨ててしまうか、売ってしまってどこかにいってしまう。今回、堅牢な作りの本を買った理由だ。

最近のSFはどうなのだろう。さっぱりわからない。ダン・シモンズの「ハイペリオン」などを図書館で見かけるが、分厚すぎて手が出せない。あんな長いのを読んでおもしろくなかったら、時間の無駄だもの。

正月は海音寺かSFを読んで楽しむことにしよう。


兵法について思うこと

2006-12-24 | 読書
柳生宗矩の「兵法家伝書」(岩波文庫)には、兵法は1対1の剣の試合だけでなく、大軍を率いた戦争から国の治め方、家臣の操縦、議論のしかた、人間関係など万事に通じると説く。そして、兵法の達人とは、自分の心が何かに(敵の動きや自分の意志などに)とらわれず、常に無心で自由の境地にいることだという。

これは、わかる。自分にばかりとらわれていると、相手の気持ちや動きが見えなくなるし、機敏で適切な言動はできない。しかし、これは理屈の上だけでわかること。実際の場面では、敵から理不尽に斬りつけられると、もう頭に血がのぼり、無心どころではなくなる。常に余裕綽綽、無心で自由な達人の境地なんて、柳生宗矩でも宮本武蔵でも無理だったのではないか。

ただ、歴史上に一人だけこうした兵法の達人はいたと思う。秀吉だ。
秀吉は、最高最大の兵法家ではないか。晩年、耄碌した秀吉は別にして、天下を統一するまでの秀吉は、自分では兵法家だとは決して思わなかっただろうけど、秀吉の人々へのあざやかな姿勢、機敏さ、知恵の深さは、まさに兵法の究極の達人を思わせる。司馬は1000年に一人といったけど、あの人間像は史上、飛びぬけている。どうして、あのような人間が出てきたのか実に興味がある。

ただ、秀吉に学ぼうとか、兵法を身につけようとも思わない。
負ける戦だとわかっていても、戦いにいどむ、兵法家からしたら無益なことをした人々も多数いる。家康にいどんだ三成、スターリン批判をやめなかったトロツキー、政府に戦いをいどんだ田中正造、大塩平八郎などなど、彼らは、なにかにとらわれ、敗残の身になった。兵法に拙かった者だろうか。

どうも、今日の文はうまくまとまらない。何を言いたいのかわからない。
兵法につたなく、いつも失敗ばかりしているので、なんとかしようと反省しつつも、どうにも本性は変えがたく、どうしたらいいのか、と思っている。

大塩平八郎は政治について話すときは、怒りで全身をふるわし、魚を頭からバリバリ噛み砕いたそうだが、そんな短気なところに共感してしまう。









鞍馬天狗とは何者か

2006-12-24 | 読書
小川和也「鞍馬天狗とは何者か」(藤原書店)を図書館で借りた。
この本は、鞍馬天狗や「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」を書いた大仏次郎の戦中から戦後までの軌跡に特に焦点をあて、鞍馬天狗、すなわち大仏次郎とは何者か、を追求した本だ。

鞍馬天狗は1924年から1965年までの40年間に47作の話を書いてあるそうだ。

この序章で、鞍馬天狗にはモデルがいた、といっている。
それは、坂本龍馬という意見だ。

鞍馬天狗シリーズの話には、西郷隆盛、桂小五郎、勝海舟、近藤勇など、幕末の実在のスターが出てくるが、坂本龍馬だけはでてこない。なぜか。鞍馬天狗は龍馬とキャラクターの重なる人物だから避けたのではないか。龍馬が鞍馬天狗に登場するのは、鞍馬天狗の最終作「地獄太平記」(1965年)においてだけだそうな。そこでは、旧知の仲の龍馬が「天狗さん!」と鞍馬天狗によびかける場面があるそうな。

ちなみに、筆者の小川氏があげる鞍馬天狗の特徴は次の通り。
1、鞍馬天狗は、幕末維新の倒幕派の志士である。(ただし、勝とも通じているように、観念性はあまり出さず、目的のために手段を選ぶ)。
2、鞍馬天狗は、常に「独り」である。
3、鞍馬天狗は、武士身分を否定する武士である。
4、鞍馬天狗は、人道主義者である。
5、鞍馬天狗の「個」は社会化されたものである。(つまり、社会に関心を持つ個だということ)。
6、鞍馬天狗は、不死身である。(どんな苦境にあっても、希望を捨てず、明るい精神を失わず、闊達)

たしかに坂本龍馬と重なる部分はある。

マイラジオデイズ

2006-12-17 | 日記
深夜のCDの宣伝番組につられて、つい購入してしまった。
[My RAiO DAYS]だ。1960年代から1970年代までの洋楽ポップスだ。サンライズツイストからスタンドバイミー、青春の光と影、夜霧のしのび逢い、花はどこへいったなど、CD1枚に25曲、5枚組なので、全125曲。
10500円。
昔、ラジオから流れてきた曲はすべて入っている(ただし、ビートルズやプレスリーはない)。
しかし、こうした曲は、ふとした拍子になにげなく耳にし、おお、懐かしい!と思うのがいいので、改めてカセットにCDを入れて聴き入るというものではないかも。テレビの宣伝にしてやられた。部屋で音量を高くして聞いているが、隣家の人は、このくそ爺め、ときっと思ってるね。
とにかく、最近の音楽は知らない。今年の紅白歌合戦の出演者を見たが、名前を知らない人が20人いた。紅白はもちろん、見ない。

本屋でもそうだ。最近、知らない名前の作家の文庫本がずらりと並べてある。新刊屋さんで本を買うことはめったにない。もったいない、という気持ちがするのだ。結局、本は古本屋で買う。こうしてますます時代からはずれていくのかな。


改正教育基本法成立(朝日記事にいちゃもん)

2006-12-16 | 新聞・テレビから
朝刊のトップ、改正教育基本法成立 見出し「個」から「公」重視へ。国家色強まる恐れ」
めずらしく反対している人の写真ものせている。2,3日前にも出たけど、反対運動の写真など、それまではなかった。成立するまでは反対運動の報道は公平という妙な理屈から抑えていたのかも。
記事は「愛国心」にはふれず、「個」から「公」へ、国家色強まる、と報道。めずらしい。今までの愛国心論争はやはり国民をだます隠れ蓑だったか。

社説は、改正教育基本法と防衛省昇格をセットにして、「戦後がまた変わった」。
結びは、「この臨時国会が、戦後日本が変わる転換点だった。後悔とともに、そう振り返ることにならなければいいのだが」だ。やめてくれえい!そういう危惧があるなら、なぜしつこく報道し、問題点を論じなかった。新聞は、議論をする器だろう。成立したとたん、「政府が教育に介入してくる恐れ」とはっきり書く。朝日は、今まで、そんな議論は展開してこなかった。

4月29日の社説(「愛国」をゆがめないか」)では、もっぱら愛国心への疑問だけ、11月16日の社説(この採決は禍根を残す)では、なぜ改正なのかか、と愛国心への疑問だ。10月21日の「ニュースがわからん」というコーナーでも教育基本法の質疑応答の形をとった解説があるが、ここにも愛国心の件にはふれるものの、政府の教育への介入の話はない。

参議院可決の2週間前にやっと報道記事の中に「国の関与強まる」が出る。今日の社説でも、今までにはなかった文言が出る。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負って行われる」の後段が「法律の定めるところにより行われる」と変わるとのべ、「現行法とはちがって、国の教育行政に従え、ということになりかねない」とちらりとふれる。本来、問題はここだったはずだろう。

オピニオンとして、苅谷剛彦(東京大学教授)を引っ張り出す。かれは、改正で政府権限が強まる、と今日の朝日のトップの見出しと同じことを述べ、国民の責任について述べる。
この人どういう人か知らないが、ふざけた学者だ。教育学者のくせに、「大きな対立軸が目立つこともなく、反対運動が盛り上がることもない、あっけない決着だった」「国民の関心がそれほど高まらなかったこともうなずける」などと傍観者的な感想を述べ、最後にこう結論する。
「今回の改正で国民は、教育に関するより大きな決定権を政府に与える道を選んだ。選んだ以上、行き過ぎがないかどうかのチェックは、今後は政治・選挙の場を通じて私たち自身が行わなければならない。その責任を同時に引き受けたことを忘れてはならない」。今の国会議員は国民が選んだのですよ。国民にも責任があります。国が教育に不当に介入しても、それは、時の政府を変えなければ、選挙に訴えなければ、だめ、そうでないならば、国に従うしかありません、といっている。庶民から遠く離れてしまったエリート学者はどうしてこうなってしまうのだろう。

同じく、今日の社会面。
はじめて社会面に教育基本法改正の記事を出した。「子どもへの影響は」と見出しでで、教育現場を取材したということだが、取材相手は、私立清風中学高校の校長、広島県の県立学校の教師(過去に処分)、韓国・朝鮮籍の児童が多い大阪生野区の中学校教師、京都市教育委員会の職員、財政破綻した夕張市の小学校校長、神戸市で地方公聴会に参加した大阪府立高校教諭の6人。だいたい人選がおかしい。最初の清風中学校は(最も記事が長い)、「新しい歴史教科書をる会」が作った公民教科書を使い、授業前に「般若心経」をとなえさせ、心の教育や規範意識を重視してきた学校で、校長に改正を評価する、と語らせている(愛国心の強制には反対といっているが)。公平を期するつもりで、こんな校長の声を紹介したのだろうが、報道機関の政府への遠慮が見え見えで、社会部記者魂がない!
「子どもへの影響は?」という取材ならもっと早くからやれよ。
ひょっとして国会で審議する法案についての記事には、政府との報道協定でもあるのだろうかと思うほどだ。「憲法改正」についても、今のマスコミならちっともこわくないね。


教育基本法改正、明日、可決

2006-12-14 | 新聞・テレビから
夕刊に教育基本法 与党、参院委採決の構え やらせ報告直後、野党は抵抗の記事。実際、今日、特別委員会で可決したらしい。しかし、今日の夕刊のトップは松阪の大リーグ移籍記事だ。松阪のニュースの方が大事なのか?

いそがしくて、今週はあまり新聞をチェックできなかった。しかし、政府、財界は、やりたい放題。書く気にもなれない。

週刊ポストの広告

2006-12-10 | 新聞・テレビから
週刊誌は読まない、買わない男だけど、今日の新聞の広告を見て、本屋に駆けつけた。でも、月曜日の発売で、まだ店頭に出ていなかった。

週刊ポスト。目を引いたのは、「庶民を守り続けた気骨の大阪高等判事はなぜ死んだのか」という見出し。判事の自殺については12月4日(月)の新聞記事に出ていた。住基ネット訴訟で違憲判決を出した竹中省吾さんが裁判から3日後、自宅の書斎で首吊り自殺した件だ。子どもの自殺についてはマスコミも連日報道を続けていたが、竹中氏の自殺についてはそんなに大きく取り上げなかったのではないか。自殺の原因は、当然、住基ネットの判決に関わるものだろうし、国の政策を批判するもので、圧力をかけられていたことは想像できる。直前までの勤務状況に変化もなく、遺書もない。他殺の疑いとまではいわないけど、自殺にいたる経緯を調べることは必要だろう。
週刊誌だから、憶測程度のことしか書いていないだろうけど、自殺に疑問を持つのは当然だ。

同じ号に「本間税制会長、愛人と官舎同棲をスクープ撮!」(これが今号の目玉)もおもしろそう。本間氏は庶民よりも大企業、政府の方ばかり顔を向けている学者だ。明治の新聞人黒岩涙香は「まむしの周六」と恐れられたそうだけど、新聞記者が紳士に成り下がった今、週刊誌の記者(フリーライターか?)はも、もっともっと野にひそむまむしでいてもらいたいものだ。

兵法三十六か条

2006-12-09 | 日記
宮本武蔵に「兵法三十六ヶ条」という文章がある。これは、五輪書のデッサンみたいなもの(これをふくらませて五輪書が完成)。この中に「なるほど!」と思う一節があったので、メモしておこう。

その9 兵法上中下の位を知ること。
兵法に身構えあり。太刀にもいろいろ構えを見せ、強く見え、はやく見ゆる兵法、これ下段と知るべし。また、兵法こまかに見え、術をてらい、拍子よき様に見え、その品きらありて、見事に見ゆる兵法、これ中段の位なり。
上段の位の兵法は、強からず弱からず、角らしからず、はやからず、見事にもなく、悪しくも見えず、大にして直にして、静かに見ゆる兵法、これ上段なり。

「見事にもなく、悪しくも見えず」そういうのが上の位。
たしかにそうだな、と最近思う。これは話でも文でも人についてもいえそう。
演出満点の上手なスピーチ、うまいとは思うものの、ちょっとなあ・・・と思うこともある。何の技巧も使わないふつうの話し方がやはりいいと思えてきた。

流行作家時代の司馬遼太郎の文は才気あふれる文章だった。読みやすく、要領がよく、かつ読者をおもしろがらせる(大好きだった)。だが、だんだんと文章から才気が消え、(わたしには)あんまりおもしろいとは思えない文章になった気がする(晩年の作品)。でも、そういう文章の方が再読に耐えるようだ。あの海音寺潮五郎、司馬の作品に比べると、剛毅朴訥に見え、あまり技巧もつくしてないようだけど、何回もくりかえして読める。まっすぐ、ふつうのがいいのかもしれない。
トルストイなんかは、やはり上の位の文章かもしれない(翻訳でしか知らないけど)。

教育基本法チェックはやめたけど。

2006-12-09 | 新聞・テレビから
衆議院で可決されてから、朝日新聞の教育基本法記事チェックはやめたけど、審議が参議院に移ってからは、ほとんど紙面から記事が消えている。

衆議院で審議が始まってから、まず核論議、タウンミーティング、未履修、いじめ自殺と基本法の話はうすれ、参議院にうつっても、ニュースは自民党の復党問題、知事の談合、道路財源問題と、教育基本法の記事はない。

世の中に、また、国会にいろいろな問題はあるが、しかし、市民が全国的規模で、反対の声をあげているのは、復党問題なんかではなく、この教育基本法改正の問題だろう。8日には、東京で日教組が1万人以上の反対集会をしたそうだが、これもネットのニュースを見てはじめて知ったことで、新聞にはのっていなかった。もう改正は決まってるのだから、記事にする必要がない、というのであれば、これは新聞社が市民感覚を失っている証拠だろう。安部政権が成立し、衆議院で審議するずっと前から、この問題についてはほとんど記事にしてなかったのだから。

採決まじかか、あるいは採決された時は、新聞も何か一言くらい言うのだろうが、もう読む気にはならん!同じこと何度も書いているけど、ほんとにプンプン。

画像は、池田の無二寺にある和泉式部の塔(摂津名所図絵)といわれる石塔。

個人の富 日本が世界一

2006-12-06 | 新聞・テレビから
国連の調査で、個人の富が最も多いのは世界では日本。一人あたり2000万円所有している計算になるそうだ。
世界の成人人口の1%が世界中の家計の「富」の約4割を所有し、世界の約半数を占める貧しい人々は「富」の1%しか所有していない。これは大企業の資産は除外してある。
世界を10人の集団にたとえると、一人が99%の富を独占し、残りの一%を9人が分けているそうだ。世界で最も資産の多い1%は、37%が米国に、27%が二日本に住んでいるとか。どこのどなただ?

ロシアスパイ変死

2006-12-03 | 新聞・テレビから
19世紀ロシアには関心があるけど、現代ロシアは何も知らない。それでも、元ロシアスパイが放射能物質で暗殺されたというニュースはだれでも驚く。この事件の前にはプーチンを批判するジャーナリストがエレベーター内で何者かに銃撃されているし、ロシアは恐ろしい国になっているという印象が強い。

今日の新聞に暗殺された元スパイの重要関係人物としてプーチン政権と敵対、英国に亡命中のベレコフスキー氏の写真が出ていた。どこかで見た顔だと思っていたが、今年、NHKのBSの世界のドキュメンタリー「ロシア新興財閥、繁栄と没落の軌跡」(2005年フランス制作)で登場していた人物だった。この番組は後編しか見なかったが、興味深かった。

現代のロシアも19世紀と同じく、政治に自由と民主主義はなく、民衆の生活は苦しい。