虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

節約旅行

2012-08-27 | 日記
今年は、山口から九州阿蘇までは、高速道路を利用しないで、一般道路を走った。
高速道路より、一般道路の方がいいと思った。途中の景色、町の様子、町や村の人々の顔が見える。
道の途中には、道の駅やブックオフもある。高速道路ではこうはいかない。ただ、やたら眠くなるだけだ。

宿も1泊だけは民宿にして、他はスーパーホテルにした。二人で5000円だから安い。夕食はないが、朝はバイキングになっている。朝、腹いっぱい詰め込んで昼を抜く(笑)。夜は、近くのラーメン屋にいく。いかに地方の店が不景気か、よくわかる。食事時なのに、だれもお客のいない飲食店。どこもそうなのだ。

大分はかつて切支丹大名大友宗麟が統治していただけあって、キリシタン史蹟に出会った。画像は、運転中、見つけた「キリシタン殉教碑」。キリシタン公園に立っている。

竹田では、武家屋敷の近くに、洞窟の隠れキリシタン礼拝堂というのも見つけた。

想定外のものを見つけるのはうれしいものだ。
来年は、高速道路を一切利用しない、一般道路だけの旅をしようと思った。

阿蘇の民宿 四季眺

2012-08-26 | 新聞・テレビから
ネタがないと書けないけど、ネタが多すぎても書きにくい。

九州の旅行で、自然や史蹟をいろいろ見たけど、今回の旅で一番印象に残ったのは、阿蘇の民宿「山荘 四季眺」だ。

阿蘇の産山村の山の上にある一軒の山荘。

まず、宣伝をしていないので、地元の阿蘇の地図にもなく、地元の観光情報にもない。だれにも知られていない。ただ、今年、7月か8月にテレビ番組「人生の楽園」に紹介されたので、知っている人は知っているかもしれない。

期待は裏切られなかった。

山の広い敷地に立つ一軒の民宿。回りには家はなし。庭からは、阿蘇、九重も見え、阿蘇の自然を独り占めしたような気分になる。気温も平地よりも7~8度低く、涼しい。クーラーがいらない。満天の星は素晴らしいにちがいない(わたしは、雨夜だったので、見えなかった)。

宿は平屋建てで、4室。
宿に入ると、厨房(食堂)の方から、「22歳の別れ」とか70年代のフォーク、ニューミュージックが流れてくる。わたしの好みの曲を流してくれているのだろうか、と思ったほど。宿の主人は私と同世代なのだ。

テレビの放映で、予約が殺到したそうだが、対応できないので、ほとんど断っているそうだ。だから、2~3組ほどのお客さんのみで、こちらは、ゆったりとした気分で過ごせる。


料理がすごい。ご主人の創作料理が、並ぶ。私は食事の時は、ふつうビール1本で足りるのだが、この日は、ビール、日本酒、焼酎と飲んでしまった。それほど、うまい。こんなうまい酒を飲んだのは久しぶり。

はじめは、奥さんと二人でやっていたそうだが、ご主人は自然派だけど、奥さんはどちらかといえば都会派らしく、山の中の生活は閉塞感を感じるらしく、奥さんは福岡に住んでいて、週に1回だけ手伝いにくるそうだ。だから、この日もご主人たった一人で宿を切り盛りする。これ、たいへんだよ。部屋の掃除、風呂の準備、食事の準備、配膳、後片付け、食器洗い、洗濯、庭の手入れなどなど仕事は山積。とても、オレにはできない(当たり前だ!)

ほとんど予約を断っているのも、一人では十分なおもてなしができなくなることを恐れるからだ。

わたしが、ご主人に感心したのは、宿の仕事を一人で切り盛りすることだけではない。ここに、阿蘇の山中にたった一人で住んでいることそのことに、おれにはできない、と感心してしまう。もし、お客さんがなく、たった一人でこの山の中の一軒家で夜を過ごすことを想像したまえ。助けを呼んでも、ここは誰にも聞こえない。だれもすぐには来てくれない。わたしは、臆病者だから、とても、その恐怖には耐えられない(夜の山中の恐怖は相当なものだと思うが、慣れたら平気なのかなあ?)。

ご主人の友人として、1匹の犬がいる。人なつこく、宿に入ると、すぐに近づいてきて、足をなめてくれる。この「ハナ」という犬を唯一の仲間として、一人、阿蘇の山中で奮闘している男がいる。この事実を知っただけで、今回の旅は収穫だった。

また泊まってみたい宿は、今まで特になかったけど、この「四季眺」はいつかまた訪れてみたいと思う宿だ。


九州へ

2012-08-20 | 日記
虎尾の会も夏休み。
また、九州へいきます。目的は昨年同様、阿蘇。

このトシで一気に九州までの運転は自信がないので(つかれる)、山口あたりで、1泊。
臼杵、竹田あたりを見て、阿蘇へいくつもり。臼杵の火祭りを見たかったけど、あれは残念だけど、見られない(25日だそうだ)。

ホテルは最近はいつもスーパーホテル。なんといっても安い。

高速道路がいかわらず高い。高速道路を無料にします、とか人々をまどわせた政党はどこの政党だったか?まったく言葉に信用ができない政党がまだ解散もせずに、政権についているのが驚きだ。

天気が心配。ずっと晴れだといいけどな。
では、残暑が続く中、みなさん、お元気で。

親の顔が見たい!

2012-08-19 | 新聞・テレビから
消費税増税が決まったのだから、当然、その後の全国世論調査を実施するべきなのだが、まだ記事は出ない。朝日は現政権を支援しているのだろうか。社説などを見る限り、政府の広報を買って出ている気もする。

編集委員 原真人という記者が「波聞風問」というコラムで署名、顔写真入りで、「消費税10%へ」という記事を書いている。

原真人氏は、消費税増税大賛成なのだ。「不人気もいとわぬ覚悟でここまでこぎつけた野田政権の功績は称賛に値する」と書く。皮肉でもジョークでもなく、本気なのだ。

「今後もふくらみ続ける社会保障費をまかなっていくには、痛みが大きくとも
正味増税しか手がない時代を迎えたのだ」と、今まで政府からさんざん聞かされたことをここでもくりかす。

消費税増税は決まった。次は、社会保障費をけずる番だ、ということで、社説では、「社会保障改革」という題で、「孫の顔を思い描けば、自分たちの負担分を少しでも増やそう」と書いている。

だれが書いたかしらないが、書き方がいやらしい。

「年金生活を送る皆さん」とよびかけ、「お盆で、久しぶりに子供や孫の顔を見て喜んだ方も多いのではないでしょうか」と親しげに語りかける。

「でも、子育て真っ最中の息子や娘から「いまの年金は高すぎる。私たちは損ばかり」「病院に行ったら、窓口負担をもっと払ってほしい」と言われませんか?

「険悪な雰囲気になるのは間違いありません。いま、日本社会はそんな難しい局面にあります」と続く。

いったい、子や孫から「お父さんやおじいさんの年金は多すぎる。もっと減らしてほしい。病院では窓口負担、安すぎ、もっとたくさんお金払って!でないと、不公平」なんていわれる人がいるだろうか。いるはずがない。

わたしの母の年金は、わたしの年金より多いが、わたしは、「よかった」「助かった」と安心こそすれ、不公平だなどと思ったことはない。病院の窓口負担も1割だが、これでわたしが、どんなに救われていることか。

社説子は、「子や孫の生活を考えたら」年金を引き下げ、支給開始年齢を遅らせ、病院の窓口負担を増やすのも必要ではないか、と書く。

社会保障費の削減の理由を「子や孫の生活のため」という理屈だ。消費税増税の理由を社会保障改革のため、という屁理屈とまったく同じ。

これは、経済官僚や財界、政府の理屈だろう。同じ事を朝日は社説で書く。まったく、親の顔が見てみたい!

デモ割で一杯

2012-08-18 | 日記
久しぶりに梅田に出る。若い女性のファッションにびっくり。山奥の田舎ではお目にかかれない人たちだ。
梅田で一杯ビールを飲んだあと、約15分ほど歩くと、高い関電本社ビルが見える。ここは江戸時代は各藩の蔵屋敷が建ち並んでいた中の島。今は、朝日新聞社や毎日新聞社もあるオフィス街。

毎週金曜日午後6時頃から8時頃まで本社ビル前で抗議集会(デモはなし)があるが、少し早すぎたので、まだ100人くらいしか集まっていなかった。

団体の旗や幟はなく、それぞれが自由に自分の意志で集まった人々で、警官の姿もなく、いたって平穏、日常的な雰囲気だ。一人(女性だった)がマイクで「原発やめろ」「再稼働反対」をくりかえす。老若男女さまざま。


ちょうど、関電の退社時間なのか、ビルから社員が粛々と出ていき、どこかへ消えていった。どんな思いで、この抗議集会を受け取っているのだろう。いっさい、無視、関知しません、なのだろうか。

ビルのフェンスには、「リボンや掲示物をかけないでください」の張り紙がある。しかし、フェンスにはたくさんのリボンが。フェンスの向こう側には警備員さんたちが立っていて、警備員さんに文句をいっている人もいた。警備員さんもつらいよな。警備員の仕事はけっこう長くやったことがるので、同情する。関電の社員らしき人が、フェンスの向こうからこちらをカメラでとっていた。もし、なにかあったら、器物破損などの証拠写真でもとるつもりなのだろうか。

いろんなチラシを手渡された。
その一枚に「デモ割」という飲み屋さんを案内したチラシ。デモに参加したといえば、ビール一杯無料にしてくれたり、サービスしてくれるそうだ。これは、いい!と集会を早々と退出し、チラシを握って焼き鳥屋さんに直行。福島駅近くで、居酒屋さんが多い場所だ。生ビール280円が無料になった。飲み助で満席になるはずの金曜日の午後だが、客は自分たちを含めて2組のみ。「景気悪いです。特にこの界隈飲み屋が多すぎてあきまへん」といっていた。店長含めて授業員3名。給料、出せるのだろうか、とここでも同情。しかし、デモや集会で飲食店のチラシを配るのも、いいアイデアではある。


関電への抗議デモ

2012-08-13 | 日記
17日(金)の夕方、山奥から梅田まで出て、関電の原発再稼働反対デモに参加するつもり。その前に近くのビヤガーデンでちょっといっぱいビールをひっかけていく。一杯が二杯になり、ズルズルという可能性もある。おまえは、デモにいくのか、飲みにいくのかどっちだ?と聞かれると、困る。どっちも(笑)。不謹慎だなどといわないでくれ。ものごとは楽しくやらなければならい。ほんとかどうか知らないが、高杉晋作は、戦いのさなかにも三味線を離さなかったというではないか。

デモは何十年ぶりだろう。初めてのデモは1969年6月ころのベ平連のフランスデモ。知らない女の子と手をつないで歩けるのがうれしかった。1970年の6月はたしか雨がふっていたと思うが、清水谷公園まで一人ででかけた。それっきりだ。

ところで、東京の官邸包囲デモだが、反原発の代表者が野田首相と会見するという話もあるそうだ。あの反原発デモに代表者などいたのか?それはだれなんだ?野田首相と会見する意味はあるのか?よくわからないが、ここは慎重にしなければならないのではないか?

江戸時代の一揆では、武士が一揆勢に対面して話をすると、一揆勢は一斉に沈黙でむくいたという例もある。何十万人の人々が野田首相に沈黙でむくいるのなら、いいのだが、「お殿様にわれらの言葉を聞いていただけたぞー」なんてことになったら、それこそ、たいへん。エネルギーを分散させず、持続させるようにしてほしい。

消費増税法成立

2012-08-11 | 新聞・テレビから
消費増税法が成立。

消費税だけではない、子供手当ては減り、厚生年金保険料は上がり、他、電気料金なども次々にあがる。子供たちは、生活していけるだろうか。生活が破綻するのではないか。

法人税は下がり、富裕層の所得課税は先送り。
財界は、よくやった、と民主・自民・公明をほめていることだろう。

国民の悲痛な声を聞く耳がないのか、今日の社説の見だしは、「一体改革成立」「新しい政治」の一歩に」だ。

「消費増税」と書かず、まだなお「一体改革」と書く社説。
消費増税を「税と社会保障の一体改革」と姑息に言葉をいいかえる小知恵はいかにも民主党らしいと思ったけど、ひょっとしたら、これはどこかの大メデイアはつけた知恵かもしれない。われわれは、国民を誘導操作するプロです、ぜひ、そのような名称にしなさい、と教えたのかも、と想像してしまった・・・。、

さて、例によって、あきれた社説をちょっと紹介する。

「国民に負担を求める政策の実行がいかに困難か。一体改革めぐる協議で、両党は身をもって学んだだろう。ここはチャンスである。政党同士、建設的な批判は大いにしあうのは当然だ。ただし、不毛な政争はやめ、協力すべきは協力する。一体改革関連法の成立を、そんな新しい政治文化をつくり一歩ととらえたい」

社説子は、まったく政治家のつもろなのだろう。民主、自民によくやった、とエールを送っている。チャンスだ、新しい政治文化の誕生だ、とまでいう。

こんな社説をのせるようでは、この大新聞社もあと10年持つかどうかもあやしい。

ところで、消費増税関連法案ということだけど、あの共通番号制はまだ成立してないんだよね。関連法案だからって、あれも成立したのだろうか?まさかそれはないと思うのだが、いっさい報道ががないからわからん。

九十歳でも恋をする

2012-08-05 | 日記
昨年11月から同居することになった伯母さん。
認知症がすすみ、要介護3で、現在、デイサービスとショートステイを利用している。
九十歳の1年というのは、われわれの5年分くらいの時間が流れるようで、一年もたたないのに、心身の変わり様は激しい。かなり弱ってきた。

調子の悪い時は、人格が変わり(認知症の特徴らしい)、困惑することも多いのだけど、調子の良い時は、かわいいおばあさんだ。

九十歳の大おばあさんといっても、心は二十歳か、十代の心(記憶)のままだ。旦那のことも、父親のことも忘れているが、母親のことはしょっちゅう思い出すみたい。

ショートステイでは、若いイケメンの男性が大好きで、行くことにあまり心がすすまない日も、かわいい若い男の子がいるよ、というと考え直したりする。
グループ「嵐」のメンバーの一人の写真がはってあるうちわがお気に入りで、「かわいいな」とじーと見つめることもしばしば。

90歳のおばあさんでも、若い子と同じように、若いイケメンの男の子が好きなのだ。
なるほど、やっぱりな・・・、とヘンに納得。

漱石の「明暗」の中で、主人公が40歳を過ぎた叔母さんに「あいかわらず色気がありませんね」というと、「この年齢になって、色気があったらキチガイですわ」と答える場面があったと思うけど、いったい、どういう時代だったのか。

ゲーテは73歳で、18歳の少女に恋をした。いくつになっても、男も女も、18歳の頃と変わらないのが、自然なのかもしれない。