今朝の朝日の社説は、「所信表明演説」
安倍首相の演説には、大事な課題の多くがぬけおちていた、と書き、「ここは野党の出番である。首相が語らなかった部分にこそ、重要な論点がある。あすからの国会質疑で、しっかりとただしてもらいたい」と結ぶ。
なんか空々しく感じないだろうか。
「野党の出番だ」というが、今、どんな野党が存在しているのか。
テレビでも、「明日から、与野党の激論が始まる」、「国会論戦の火蓋が切られる」などという。ステレオタイプの言葉とはこのことだろう。
お昼の国会中継は、働いている者は、見ることができない。
だが、今は、テレビを録画できる家庭もふえているのだから(いや、ネットでも見ることができるか)、午後7時以降、子どもも含め、家族がみんな揃ったところで、家族全員で見ようではないか。
私たちの税金で国のために働く国会議員達が、どんな議論をするのか、その顔を見、言葉を聞くことは大切だ。与野党の激論のさまを見ようではないか。
原発、社会保障、この国の借金、オスプレイ、教育、生活保護費、年金、除染作業、防衛費、憲法改正、などなど、じっくり聞こうではないか。
テレビや新聞でも国会論議は報道されるが、一部のみで、とてもその報道はあてにはならない。時間の余裕があれば、各政党のの質問時間はどのくらいあり、だれが何について質問したか、しっかりメモをしておきたいのだが、それはできない(どこかの新聞一社くらいは、それをやってもいいのに)。
つまらなくても、空しくても、見方によっては、7時以降のテレビのお笑い番組よりも、むしろ楽しめるかもしれない。国家議員たちの、それぞれの演技、口舌、主張をじっくり見てやらねばならないのだから。
家族で見よう、国会中継!
安倍首相の演説には、大事な課題の多くがぬけおちていた、と書き、「ここは野党の出番である。首相が語らなかった部分にこそ、重要な論点がある。あすからの国会質疑で、しっかりとただしてもらいたい」と結ぶ。
なんか空々しく感じないだろうか。
「野党の出番だ」というが、今、どんな野党が存在しているのか。
テレビでも、「明日から、与野党の激論が始まる」、「国会論戦の火蓋が切られる」などという。ステレオタイプの言葉とはこのことだろう。
お昼の国会中継は、働いている者は、見ることができない。
だが、今は、テレビを録画できる家庭もふえているのだから(いや、ネットでも見ることができるか)、午後7時以降、子どもも含め、家族がみんな揃ったところで、家族全員で見ようではないか。
私たちの税金で国のために働く国会議員達が、どんな議論をするのか、その顔を見、言葉を聞くことは大切だ。与野党の激論のさまを見ようではないか。
原発、社会保障、この国の借金、オスプレイ、教育、生活保護費、年金、除染作業、防衛費、憲法改正、などなど、じっくり聞こうではないか。
テレビや新聞でも国会論議は報道されるが、一部のみで、とてもその報道はあてにはならない。時間の余裕があれば、各政党のの質問時間はどのくらいあり、だれが何について質問したか、しっかりメモをしておきたいのだが、それはできない(どこかの新聞一社くらいは、それをやってもいいのに)。
つまらなくても、空しくても、見方によっては、7時以降のテレビのお笑い番組よりも、むしろ楽しめるかもしれない。国家議員たちの、それぞれの演技、口舌、主張をじっくり見てやらねばならないのだから。
家族で見よう、国会中継!