虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

白土三平の赤目

2009-09-30 | 読書
近くの図書館に白土三平を借りにいったが、カムイ伝も忍者武芸帳も置いていなかった。あったのは、この「赤目」だけ。50年前の作品だ。

カムイ伝に出てくるカムイの師匠である赤目はとてもかっこいい忍者だけど、この「赤目」はウサギのこと。暴虐な領主に妻を殺された男が気の長い作戦で一揆を成功させ、復讐する話。男は、宗教の力を利用して領内にウサギを大量発生させ(農民がウサギを殺さなくなる)、動物連鎖でウサギの天敵である山猫も領内に多数出現して被害が大きくなる。領主は山猫狩りを農民に命じ、農民に武器を渡す。その武器で一揆を成功させる。

かつてカムイ伝は階級闘争史観で描かれ、それで当時の学生に読まれた、などともいわれたけど、当時の読者はそんな気持ちで読んだのではない。まず、なんといっても、その絵のうまさ、忍者や剣客の闘いのシーンのスピード感、躍動感だ。文句なくうまい。男の子なら、チャンバラが好きな男の子ならみな喜んだはずだ。

首が飛んだり、胴体が二つになったりの残酷シーンは小学生向きではないかもしれないけど、しかし、当時としては新鮮で衝撃的だった。全体のストーリーの中に、権力者への怒り、弱者へのヒューマンな思いが流れているので、残酷さは救われた。

読むのは何十年ぶり。マンガのところどころで、作者の説明があるのも、ちょっと司馬遼太郎の「余談」みたいな感じで、いかにももっともらしく思わせる。「サスケ」などでは忍法について解説していて、小学生だった私は実際にそれをまねしようとした。

この「赤目」の一揆はもちろん荒唐無稽な創作で、ありうる話ではないけど、作者はあとがきで、「宝暦4年有馬領200カ村20余万人が周到な組織と計画をもって、猪狩りを名目として、鉄砲1万八千、槍六万本を藩から借り、17万石の兵糧を集めて勝利した例もある」と書いている。

こんな一揆は聞いたことがない。これも三平一流の創作の説明だろうか?。

それにしても、このマンガの表紙の顔のすごさよ(笑)。


アマゾン出品、成功せず

2009-09-29 | 日記
アマゾンにはだれでも古本を出品できる。
発送の練習にもなるし、宣伝にもなるので、わたしも試してみることにした。

いろいろな必要情報を入力し、あとは出品だけだったが、何回か試みるも失敗。たぶん、半角とかそんなことで失敗したのだろう。いやになって、やめた。自慢じゃないけど、そして何度もいってるけど、わたしのパソコンの腕は相当なものなのだ。

出品する本は「チェーホフ全集10 ちくま文庫」、これ2冊持っていたので、1冊だけ出品することにした。アマゾンの「チェーホフ全集10 ちくま文庫」の値段を見て驚いた。文庫1冊で17000円からになっているのだ。わたしは、「800円」に設定したのだが、失敗したので、今もこの値段だろう。

アマゾンから古本は今まで何度も買っているが、だいたい200円とか300円とかで、他の古本屋よりも安く買えることが多い。

この値段は何だ!日本の古本屋で検索すると、一件だけ2000円で出ていた。スーパー源氏には一件もなかった。アマゾンで「チェーホフ全集 ちくま文庫」を検索すると、他の巻は500円とか1000円とかそれなりの値段がついていた。このチェ-ホフ全集10だけ希少本なのかもしれない。しかし、1冊の文庫本を1万円以上も出して買う人がいるのだろうか?


チェ-ホフ全集は、わたしは、ちくま文庫よりも中央公論社の全集のがだんぜんいいと思うのだが。


注文が来た!古本うしおに堂

2009-09-27 | 日記
まだ営業を始めていないのだけど、注文がきました。
メールの設定などもちゃんとしてないので、注文がきてもうまく対応できない。
自分で代引きも可と書きながら、代引きとはどんなものか知らないありさま。
包装や梱包も初めて。うまくいくかなあ。
納品書とかもできてない。

とにかく、店のシステム作りをいそがなければ。

はじめは、まず自分で注文し、その次、身内に注文させ、練習を積んでから開業の予定だったけど、せっかくのお客さんだから、とにかく、発送にがんばろう。

マンガ(似顔絵)の変遷

2009-09-26 | 日記
子供のころから何も自慢できるものがなかったけど、マンガの絵を描くことだけは、友達から、おお、うまい!とおだてられて得意になっていた。

ササッと早業でかきあげた最初の題材は「鉄人28号」。これは小学校の黒板によく落書きした。その次がおそまつくんの「イヤミ氏」や「チビ太」。そして、忍者武芸帳の「影丸」。高校生になっていたが、これは年賀状にもよく書いた。よっぽど好きだったのだ。

授業中の落書きは、マンガから映画スターの似顔絵を描くようになり、ショーン・コネリーの007、女優ではカトリーヌ・スパーク(今、思うとどこがよかったのかわからぬ)。

大学時代になると、やはり坂本龍馬、龍馬は額をはげあがらせると雰囲気が出る(笑)。そして、トロツキー。トロツキーは角顔に髭にメガネだから、かきやすい。

落書きで自分の成長過程がわかるようだ。

その後はまったく書かなくなった。やはり、退屈な授業を受けている時にかきたくなるのだろう。

画像は黒川ダリヤ園で見つけた赤とんぼ。実はこの画像をのせたくて、ネタもないのに書いたわけ。秋まっさかりだなあ。



ダリア

2009-09-25 | 日記
ほんの近くに黒川ダリア園という場所がある。知明湖のそばだ。たくさんのいろんな種類のダリアが咲き誇っている。見学無料。

花の名前は、ほとんど知らない(木の名前、魚の名前も知らないが)。花の名前を知っている人はうらやましいと思っている。少しずつ花の名前を知るつもり。

そうか、これがダリアか。はでな女性、きれいだけど、ちょっと引いてしまうな(笑)。やっぱり、今なら土手に咲く彼岸花がいい。


三田市木器 だれもいないハイジの丘

2009-09-25 | 日記
猪名川から三田に行くまでの道の途中に、「ハイジの丘」へ行く道がある。標識が立っている。でも、この道を進む車はめったにない。

広い芝生があり、八束川の清流の前に出る。橋もかかっている。
対岸には茅葺きの民家が一軒だけ立っている。
最近は、どこの川も「川に近づくな、入るな」と川に入れないが、ここは川辺に近づき、川の中に足を入れることができる。魚もたくさん泳いでいる。人のそばまで平気で近づいてくる。人を怖がらないのだろうか。

そばには、テニスコートやグラウンド、キャンプなどができる施設もあるのだが、いつ来ても人が利用しているのを見たことがない。だれもいない。

三田ラグビーフットボールクラブ(だったか?)が持つ宿泊施設の建物も建っているが、いつものぞいてみるが利用されている様子は見えない。

これだけの環境だ、かつてはたくさんの利用者がいてそれなりのにぎわいがあったのだけど、今は利用されず、だれにも振り向かれなくなったのだろうか。それとも、いつも人がいないときに、たまたま来てしまうのだろうか。よくわからない。

穴場だと思う。人に知られないほうがいいかもしれない。のんびりと川辺に糸をたらして瞑想にふけるにはいい(笑)。今度は、釣り竿を持ってこよう、と思う。

あまり人が歩かないのだろう。歩いていると、ヘビが驚いたように逃げ出していた。

白土三平

2009-09-22 | 一揆
「カムイ外伝」が映画になったそうだ。
映画館に見に行く気はないが、ビデオになったら借りよう。

白土三平、懐かしいよな。
大昔の雑誌「少年」には、鉄人28号、鉄腕アトムが連載されていたが、わたしがまっさきに読んでいたのが、白土三平の「サスケ」。マンガは三平のまねをしてかいていた。

「サスケ」も「カムイ外伝」もその後、テレビでアニメになっていた。

「忍者武芸帳」、「カムイ伝」も全巻持っていたのだがが、今はない。大島渚の白黒の紙芝居みたいな映画「忍者武芸帳」も映画館に見に行った(がっかりしたが)。

カムイ伝第二部は、絵柄がそれまでと違ったので、読んでいない。

今、なぜ一揆なんかに興味があるのだろう、と考えてみると、どうも、この白土三平の影響かもしれない。きっと、そうだ。忍者武芸帳のあの影丸。かれは一揆の大将ではなかったか。白土三平、おそるべし。

わたしの古本屋、マンガはないけど、白土三平のマンガは置いておきたいな。もう1度、読んでみたい。

近況 特に何もなし

2009-09-20 | 日記
天気がよいので、外に出た。高速道路だけでなく、一般道路も渋滞だ。家に引き返して、青空を肴に酒をチビチビ飲ることにした。休日だから、昼から飲んでも文句はあるめい?

最近、民主党政権の政治がおもしろい。次々、打ち出す新政権の政策に新聞、メディアがどんな反応をするのかがちょっと見物だ。朝日は、郵政問題では、竹中小泉派だったが、あの社説を書いた人は今度はどんな記事を書くだろう。

官僚ではトップが変わると、コロッと態度を変えた人もいるようだが、新聞はどうだろうか。新政権の動きとともに新聞やテレビのコメンテーターの動きや変化にも注目だ。

近くの新刊屋さんに寄ると、アーサー・C・クラークの「都市と星」の新訳版が出ていた。「都市と星」は持っていると思ったのだが、家には見あたらなかった。
これは、究極のSFだ。何十億の時というスケールを持つ作品だ。スゲーとうなった記憶がある。

しかし、新刊屋さんの本もリバイバルが多いなあ。

朝日新聞の朝刊のTVダイアリーは今日から司馬遼太郎の「坂の上の雲」のテレビ化に動いた西村与志木というプロデューサーの連載だ。どんなことを書くのか見てやろうと思う。「坂の上の雲」は決して映像化してくれるな、との司馬の遺言を無視してテレビ化したのだから、ろくなヤツではなかろうと思っている。司馬の遺言に対し、どんな理由を持ってきたのだろう。




京都 越畑(こしはた)

2009-09-16 | 日記
亀岡から車で30分のところにある越畑まで走った。
朝日新聞の「日本の里100選」に選ばれていた。棚田で有名らしい。

棚田の眺めは能勢の長谷でも見慣れているので、特に驚くほどではない。
ただ、秋のこの季節は風景がやはりいい。黄色い稲穂、ピンクのコスモス、赤い彼岸花、ススキ、柿の木。空気もいいし、秋を感じました。

山の中のわずかの集落で、風景以外には見るところはあまりない。河原家住宅という日本最古の民家が建っていた。越畑フレンドパーク「手打ち蕎麦まつばら」という蕎麦屋さんが一軒だけある。京都も広い。

やっとわかった画像処理

2009-09-14 | 日記
今まで、このブログの画像はたてやよこに白い余白が出ていた。

古本ショップの本の画像も同じで、よこやたてに余計な余白が出て、古本ぺんぎん堂さんの画像とはぜんぜん違うし、????だったが、そのまま放置していた。

でも、今日、やっと偶然にわかった。画像を縮小するイメージツールの設定でたて、よこの長さを調節したらいいのだ。適当にやってみたら、余白がなくなった。ヤッター。しかし、わかるのがおそすぎるよな(笑)。

今まで登録した画像は元の画像は残っていないので、3000冊以上はそのままだ。まあ、いいや。これからの本はちゃんとやろう。
うしおにの画像をなおしてみました。

古本うしおに堂

2009-09-12 | 日記
もう2ヶ月も開店工事をさぼってしまった。

オッペケペーさんではないが、面倒なことは嫌いだ、とパソコンでの店つくりから離れていた。4月からの3000冊以上の怒濤のような登録作業で疲れ果て、意欲が減退したのかもしれない。でも、このままだと、いつまでたっても店はできない。で、迷っていた店の名前をまず決めた。古本うしおに堂にした。わたしが模範としている古本ぺんぎん堂さんの「ぺんぎん」を「うしおに」に変えただけ。

法務局から書類をもらったし、サーバーからはユーザー証明書ももらったので、あとは警察に申請にいくだけだ。近いうちに行く。行動しないと、いつまでたっても前にすすまないからだ。

ところで、「うしおに」って何?
宇和島の夏祭りの主役。画像の「うしおに」は宇和島のかまぼこ店の老舗「野中かまぼこ店」から借用したものです。野中さん、ありがとうございました。

ついでだけど、宇和島は、かまぼこ、てんぷら(油であげるてんぷらではない)が名物なのをご存じですか?

わたしの家では昔から、年末には宇和島からかまぼこ、てんぷらを注文し(故郷の味が忘れられなかったのかもしれない)、正月にそれを食するのが慣例になっていました。正月料理、いろいろごちそうがいっぱいだけど、でも、うまい、うまい、と箸を動かすのは、このかまぼこ。

宇和島のかまぼこは塩味がきいて、歯ごたえがよく、とてもよそのかまぼこは甘くて食べられません。宇和島のてんぷらも近頃はスーパーでもよく見るけど、ほんまものは、まるで、高級な肉を食べるような食感がり、1枚で十分、ごはんのおかずになる。むろん、かまぼこもてんぷらも酒の肴としても絶品。人に贈り物として送って喜ばれたこともある。味のわかる人にはわかる。みなさんも、宇和島のかまぼこを是非お試しあれ(笑)




宇和島を舞台にしたドラマ

2009-09-10 | 映画・テレビ
「世界の中心で、愛をさけぶ」は小説では、宇和島が想像できるのに、映画では香川県、テレビでは(見たことないが)、伊豆でロケしたらしい。

宇和島でロケをしたドラマがあったことを思い出した。

同じく、片山恭一原作の「きみの知らないところで世界は動く」だ。
5,6年前、NHKがドラマ化した。ロケは宇和島と聞いていたので、これは見たことがある。これも同窓会に出席するため、故郷に帰り、そこで高校時代のことを思い出す、という内容だったと思うが、つまらなかった記憶がある。しかし、宇和島でロケしたものだった。


NHKの知る楽で、話す片山恭一を初めて見たが、何を言ってるかわからないしゃべりかた、しかし、この何をいってるかよくわからないような下手なしゃべり方には好感を持った。今では、テレビで見ることが珍しいからだ。なにせ、テレビからは、芸人の必ず笑いをとる話か政治家やコメンテーターとかの明快、強引な話し方ばかりだからだ。テレビずれしてない話し方がいい。もごもご、ぶつぶつ、意味のわからない話も話し方の一つだ。

ビートルズ ベンチャーズ フォーク

2009-09-09 | 日記
残りの人生が少なくなると、過去ばかりふりかえることが多くなるが、その過去も、30代、40代ではなくて、もっぱら、20歳まで。

音楽もビートルズ、ベンチャーズ、フォーク。

音楽音痴なので、リアルタイムでこれらの曲を進んで聴いたり、レコードを買ったりしたことはない。楽器もひけない。むしろ、どちらかといえば硬派だったから、キノコ頭のイギリス野郎のビートルズなど無視していた。しかし、毎日、その音楽はラジオから、街角から流れ、体にしみこんでいる。

今、聞くと、やはりいい。みんなが騒いだわけもよくわかる。さすが、みんなは音感があったのだ。

ビートルズの音楽を聴くと、懐かしい。

南山御蔵入騒動

2009-09-08 | 一揆
久しぶりに一揆ネタ。

「南山御蔵入騒動」(南御蔵入騒動記録研究会発行)という37ページの小冊子を手に入れた。

南山御蔵入領とはどこなんだ?と調べると、福島県南部、南会津郡。
山に囲まれた土地で、スキー場やあちこちに温泉地があるようだ。観光地ではないので、秘湯なのかもしれない。山に囲まれ、あまり米はできそうにない土地だ。

このあたりは、石高5万5千石の幕府直轄地(天領)で、代官陣屋は今の会津田島にあったそうだ。

会津田島駅の近くに、「旧南会津郡役所」という建物が公開されていて、そこに「南山御蔵入騒動資料展示室」も設けられているようだ。

平成3年、南山御蔵入騒動記録研究会が発足、義民の碑の案内板を作り、「六義民史跡絵図」も完成。この史跡をさらにわかりやすく案内しようと御蔵入騒動の35の場面を日本画家に依頼して描いてもらい、その35枚の絵と解説をこの「旧南会津郡役所」に展示しているようだ(平成7年からとある)。

この小冊子は、その35枚の絵と解説文を冊子にしたもの。「南山御蔵入騒動 六義民史跡絵図」も付いている。

一揆の史跡、碑も大切にされているようで、こんな絵入りのわかりやすい一揆の本を出すなんて、南会津郡の人々もがんばっているんだ。会津藩士だけが会津ではないもんな。


一揆は、享保5年、南御蔵入の農民が江戸廻米の廃止、米納強制の廃止、減税などを訴えて田島陣屋に押しかえることから始まる。田島陣屋では、正式な手続きをふんでないと受理を拒否。で、正式の手続きをふんで訴状をさしだすと、今度は、これは代官所の権限を超えている、幕府勘定所の決定である、といわれる。

享保6年、農民代表15名が江戸直訴、直訴は取り上げられるが、審議の結果(いろいろあったが)、享保7年6月判決が出る。
一揆を扇動し、年貢不納を指示したという理由で、5名が打ち首獄門。また、国元で逮捕されていた小栗山の喜四郎も7月打ち首獄門。
結局、獄門6名、処罰者300余名を出して終わる。しかし、江戸廻米は廃止、米納強制も廃止、税も軽減されるようになり、農民の要求もほぼ認められるようになり、無駄死にではなかった。

会津田島町の公園に「南山義民碑」「喜四郎」の碑がたっているが、ほかの五人の碑もそれぞれの土地に建っているようだ。

支配者が一番恐れるのが、連帯、団結。で、今も昔も分断工作が一揆への最上の対抗手段になる。

この一揆では、幕府側は、訴人の百姓代表に対し、ほんとうに村の百姓に委任されたのか全戸を取り調べるという策に出る。会津藩兵によって警固された陣屋で一人一人尋問される村人たち。村人は恐怖を感じ、態度を豹変させる。「強制されて資金を出した」「村八分を恐れて加わった」などと申したて、そのため、訴人の「百姓代表」という大義名分がなくなってしまう。


NHKアーカイブス特集 ポーランド民主化20年

2009-09-07 | 映画・テレビ
録画しておいたのを見た。これは、いい番組だった。
過去にNHKが放送した「連帯」の番組を再構成したもので、連帯の歴史を描いた1時間20分。
戒厳令を出し、市民を軍のトラックが引き殺す場面などもあって、衝撃的。

選挙のときの「連帯」の選挙ポスターは、映画「真昼の決闘」のゲーリー・クーパーの保安官姿。たった一人で悪に立ち向かうゲーリー・クーパーの姿にポーランド市民の志を象徴している。このセンス、最高だ。日本の選挙ポスターも少しは考えてほしい。鞍馬天狗か机龍之介でも出したらどうか(笑)。考えてみたら、ポスターもほんらいは市民が生み出すものだろうな。政党からのカタログ商品みたいなポスターはいらない。

あと、「連帯」の活動に積極的に参加し、重要な役割を果たした梅田芳穂という日本人がいたことをこの番組で初めて知った。梅田氏の両親は著名なポーランド学者で、梅田氏も少年時からポーランドに住み、ポーランドの女性と結婚している。地下活動に使うビラのガリ版の原紙を大量に日本から買って支援したそうだ。一時、国外退去処分にもあっている。ネットで見たが、梅田芳穂氏は日本ではメジャーではないようだ。

しかし、よくやってくれた、と感謝したい気持ちだ。いい日本人もいるなあ。

ポーランド人といえば、昔、タイのユースホステルに泊まったとき、ポーランド人がいた。1980年年代初めで連帯がどうなるかわからないころだったが、ポーランド人が、「ジャズが好き。日本の山下はいい」といっていたことを覚えている。

ついでに、このとき、わたしは、金がなくて、そのユースホステルに泊まっていた日本人青年(法政大学の夜間部在学中だったか)に日本に帰ったら返すからとお金を少し借りたのだが、その住所を旅行中になくしてしまい、いまだ返せないままにいる。タイを日本のゲタをはいて旅していた若者だ。悪いことをしたと今でも気になっている。もし、心当たりのある人は連絡してね(笑)。