虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

除夜の鐘

2010-12-31 | 日記
大晦日の夜、特に寒い夜などは、ときどき、吉川英治の「宮本武蔵」の一場面を思い出す。中学生くらいの時、読んで妙に印象に残った。
はっきりとは覚えていないのだが、武蔵は、大晦日、暖かい家の中ではなく、外で寒風の中、一人、たき火をして過ごす。たしか、もちを焼いていたのではなかったか。そのとき、除夜の鐘がゴーン。うーん、これが武蔵の正月か、と感心したものだ(笑)。

いろいろな正月がある。バイト先で働きながら正月を迎えた年もあった。
ストーブや酒や紅白歌合戦もない大晦日を過ごしている人もたくさんいるだろうと思う。

山頭火は昭和5年の大晦日は九州の飯塚町の宿で過ごしている。「わたしの一生は終わったのだ。そうだ来年から新しい人間として新しい生活を初めるのである」と日記に書き、「うしろ姿のしぐれていくか」という句を残している。

酒はゆうぜんと飲み、とうぜんと酔うべし、とは山頭火の弁。
ゆうぜんと酒を呑んでから寝ます。

みなさん、よいお年をお迎えください。




孤族の国

2010-12-26 | 新聞・テレビから
朝日の記事にケチをつけるのがネタの一つになっているもんで、ちょっと書く。愛してるから、悪口かくのよ、と思ってね(アサヒ)。

1面トップが今日からの連載記事「孤族の国」。

「孤族」、また、朝日の作った造語だ。かつて就職氷河期の世代を「ロストジェネレーション」などと名付けたが、また名付け親になりたいのだろうか。

この最低最悪になった日本社会をルポするのに、朝日は庶民の貧困という現実を追求することを避け、「孤族」というわけのわからぬ造語でわれわれを見る。

朝日は、人が孤立させられていることをやむをえない時代の推移と見る。

「個人を抑え込むような旧来の人間関係から自由になって、生き方を自由に選び、個を生かすことのできる地平が広がる」。
それはいいことではなかったか、といいたいらしい。

また解説記事(真鍋弘樹)にはこうある。「いま起きていることは、私たちが望み、選び取った生き方の帰結とはいえないだろうか。血縁や地縁にしばられず、伸びやかに個が発揮される社会。晩婚・非婚化もそれぞれの人生の選択の積み重ねだ。」
わたしたちの責任でもある、といいたいらしい。

それにしても「伸びやかに個が発揮される社会」とは、とても新聞記者の書く言葉には思えない(文部省の役人か?)

個を求め、地縁・血縁と別れ、単身で生き、孤独死する人は戦前からいる。しかし、今の孤独死・自殺者の増加・非婚化・単身化は、1990年代から始まるこの国の企業社会の変貌、競争、リストラ、貧困などが庶民を直撃したものだろう。新聞社なら少なくとも社会問題、経済問題としての視点が不可欠だろう。

だが、朝日は、企業の法人税減税や米軍へのおもいやり予算には大賛成し、消費税増税を急げ、といっている新聞社であり、庶民の暮らしが最悪になっている実態をあからさまには記事にできず、生活の貧困のキャンペーンをすることはできない。

見出しに「新しい生き方を探す時」とあり、解説者は、「だれでも孤族になりうることを前提にして、新しい生き方、新しい政策を生み出すしか道はない、と考える」とある。

正月の朝日の特集記事はなにかまだわからないが、ひょっとして、この新しい「個人の生き方」かもしれないな。豊かさよりも貧しさの中で人間的な暮らしを、地域社会との助け合いを、国や国民全体との助け合いを、とか。国がほろびそうになると、また一億総懺悔、総反省か?

年賀状、まだとりかかっていない。こんなこと書いてるひまはないのだけど、やらなくてはいけないことがあると、どうしてもほかのつまらないことをして遊んでしまうんだなあ。


宇和島と高知

2010-12-23 | 日記
お葬式に、宇和島からかけつけた親戚の人がいる。親戚といっても、お葬式でしか顔を会わせないので、「あなたはどなたで?」と聞かなければならないような関係なのだが。

その宇和島出身の人は自分のことを「自分は・・」と話す。おお、やはり、宇和島人だな、と感じる。大阪や東京なら自分のことは「僕は、おれは、わいは・・」とか言うけど、宇和島は、「じぶんは」というのだ(と思う・・・ちがってたら、陳謝)。

大阪では(今はどうかしらないが)、昔は、よく相手のこと(you)を「おまえは、君は、あんたは」とは言わずに、「じぶんは」と言っていたので、ヘンなの、と思ったものだ。

おっと、今日は、この方言の話ではない。
その宇和島人は、2年ほど前から高知の四万十川そばの町に転居して働くことになったらしい。「高知に来てカルチャーショックを受けた」そうだ。

「女性は一生懸命に働くが、男は、明るく飲んで暮らす」

「ええ、ほんとかい、いまだにそんな土地があるのかい、いいなあ」とつい感嘆してしまった。

人口も少ないのだが、午後5時頃になると、どこからともなく男たちが現れ、居酒屋はどこの店も満席になっているという。宇和島のようにせせこましくなく、脳天気、気風がまったく違う、といっていた。

わたしは、宇和島もよく知らず、四国の中では、高知に近いこともあって、他の地域よりも豪快な気風があると思っていたのだが、高知は、宇和島人をびっくりさせるような気質の違いがあるようだ。さすが大酒飲みの国、龍馬の国だ(笑)。

ただ、これを語った宇和島人は、その気質の違いを「よい」と思っているのか、「よくない」と思っているのか、聞き漏らしてしまった。こちらで勝手に「いいなあ、すげーなー、さすがやなー」と話を引き取ってしまったのかもしれない。

高知の人すべてがみんな脳天気で飲んでばかりいるとは思っていません(高知の人失礼しました)。




ノロウイルスか?

2010-12-16 | 日記
昨日の夕方からずっと寝ている。
朝はなんともなかったのだが、夕方から急に寒気がし、下痢の症状。
セキもくしゃみの出ないので、これが世にいうところのノロウイルスだろうか。
明日も、寝ておこう。。
関係者のみなさんにはご迷惑をおかけします。

法人税減税首相指示

2010-12-14 | 新聞・テレビから
「法人税減税5%首相指示」の見出し。
昨日、経団連の会長が、法人税減税を決めない菅首相への批判的な言葉を発表していたが(ネットのニュース)、さっそく、反応したのだろうか。

「雇用を拡大することで、働く人の給料を増やしたい」と述べた、と記事にある。昨日のテレビでも、菅首相は「雇用を拡大したい。給料を上げたい」と話していた。これは、しっかり覚えておこう。また、新聞(朝日)はこれまで、法人税減税が必要だ、としきりに書いていた。これも覚えておく。
今日の朝日は、「税率を下げても、企業がお金をためこむだけで設備投資や雇用を拡大に使わなければ、「成果」にはつながらない」などと解説していたが、いまさらそんなことは書かないでくれ。

子供手当の財源もないにもかかわらず、1兆5000億円の減収になるのにもかかわらず、これをやる。その効果、結果を今後は注視しておこう。

「思いやり予算」総額5年維持、の記事もある。米軍への思いやり予算は、5年間、現行水準を維持とある。日米安保、在日米軍基地経費は、5年間、変えない、という約束。
そんな約束、勝手にしないでほしい。

さてと。法人税は決めたし、いよいよ来年は消費税。
メデイアは、年金、社会保障のため、やむをえない、という合唱を堂々と始めるんだろうな。

警察とマスコミ

2010-12-12 | 映画・テレビ
先週までテレビでは「海老蔵酒癖」オンパレードだった。
そんなにテレビは見ていなかったのだが、だれしも、変だなあ、おかしいなあ、と思ったのでないのだろうか。

逮捕状が出ているのに、なかなか逮捕されない。逮捕状が出て(よくわからないが)1週間以上はたったのではないか?
しかも、その間、容疑者の側の情報が知人、関係者側からマスコミから流れ、海老蔵バッシングが続く。容疑者の知人が会見しているのだったら、即、逮捕できるはずだろう。

警察は逮捕を猶予して、わざと時間をとっていたとしか考えられない。なんのためだ?しかも、逮捕当日は、容疑者が単身路上で待っていて、警察は知人の連絡を受けてその待ち合わせ場所までいったという。警察と容疑者、その関係者の間でなんらかの連携があったとだれだって想像するだろう。しかし、テレビの報道を見る限りは、この警察の行動の不審さを執拗に追求する声は聞かれない。

警察内部からのテロ情報流出の事件もあった。尖閣ビデオ流出は新聞、テレビはかなり騒いだけども、こちらはあまり聞かない。どうなっているのだ?警察については追求できないのか?

いや、警察は、マスコミの追求できない組織なのかもしれない。マスコミは、警察から日々情報をもらう立場であり、警察には頭があがらないのやろか?

海老蔵事件は、事件直後から、所轄の目黒署ではなく、警視庁捜査一課の担当になったという。あの事件はマスコミは海老蔵問題として片付けようとしているようにも見える。どうでもいいけど、ようわからん事件だ。

「もう帰る!」酒席を蹴るヤツ

2010-12-11 | 日記
海老蔵みたいに酒癖は悪い方ではないのだが、年取ると、酒に弱くなり、失態も多くなる。昨夜も友人たちと飲んでいて、何が気にいらなかったのか、「わかった、もういい(池乃めだかか?)、おれは帰る!おまえとは絶交だ」と二度も席を立った。

まったく、幼児のころと変わっていない。「ぼくちゃん、帰る!」あれと同じ。

短気なんだろうな。けっこうこのパターンは多い気がする。
会社なんかも、この手で辞めたことが多い。「わかった、もうやめた!帰る!」すぐ、口に出すのだ(笑)。

友人たちへの甘えもあったにちがいない。「笑う」、「歌う」、の他に、「怒る」も日頃の鬱憤を晴らすにはいい方法だ(他人には迷惑至極)。怒るなら、天下国家に悲憤慷慨すればよいものを、なぜ、友人の片言隻句をとりあげて怒るのか。なさけない。

他人にはズケズケ言いたいことを言うくせに、自分について針の穴ほどでも批判されると、許せないってヤツ、いるよなあ。それが拙者。圧倒的な自己中心者なのである。

なにを怒ったのか、自分でもよくわからない。せっかくの酒宴を台無しにされた同席の人々にはほんとうに申し訳なく思う。後味の悪いお開きとなった。関係者・関係諸団体の皆様、深くお詫びいたします。

ビール、日本酒、焼酎の、どれが悪かったのだろう。
酒にはゆめゆめご油断めされるな(おまえに言われたくない?)

次回からは、小生がいかに友人にたいして冷たい人物だったかを懺悔の意味をこめて書くことにしよう(読みたくねえって)





制服ならぬ、制携帯?

2010-12-09 | 新聞・テレビから
今日の夕刊、トップ記事は「制服じゃなくて、制携帯」。神戸の須磨学園では、入学時に(中学・高校とも)、制携帯の所持を義務づけているらしい。

トップ記事に持ってくるような内容とは思わないけど、記事は、新しい試みとして全国から注目が集まっている、ということで、その是非の判断はしていない。

でも、わたしだったら、絶対いやだー。

なんで学校に携帯を持っていく必要がある?学校の友達とも携帯でメールで会話?
学校が禁じても子供が持ってくるのだろうけど、記事によると、理事長は「学校が使用を禁じるだけではネットいじめは防げない。携帯の危険性を教え、正しい使い方を実践させるのが学校の役割ではないかと考えた」そうだ。

義務として持たせても、その使用には細かな制限があり、メールやネットの使用履歴は学校が把握し、保護者の要請に応じて開示できるのだそうな。生徒の人権、プライバシーはなしか。

携帯会社としても、学校の生徒全員が毎年契約してくれるなんて、こんないい話はない。生徒(保護者)は、毎月3500円くらい携帯料金を払うようだ。

小学生ならいざ知らず、中高校生に携帯電話の使い方も学校が教えなければならない、
とは、どういう人間観、教育観から出てくるのだろう。

生徒は変だ、おかしい、と不満に思っているはずだ。不満に思うのが当然だと思う。
しかし、この記事を書いた記者は、ただ、こんな学校がある、と紹介するだけで、特に問題は感じていないかのようだ。

なにかのコラム欄に書くべき記事だろう。

ウィキリークスのアサンジュ氏逮捕

2010-12-08 | 新聞・テレビから
新しいジャーナリストの行動だと思っていたウィキーリークスのアサンジュ氏が逮捕された。以前から「巨大権力に狙われている」といっていたが、巨大権力は彼の身を早くも拘束してしまった。

容疑は、「強姦」だという。でっちあげだとわかりきっている。権力に立ち向かい、庶民のヒーローになるかもしれない人物を抹殺するために、権力が使う常套手段だ。

日本でも、大塩平八郎について、幕府は、大塩は、自分の養子格之助の嫁さんと密通したというでっちあげを罪状に書き上げた。有力な指導者を地べたにたたき落とすのに、「性的犯罪者」という言葉は有効で、他にも例は少なくない。

また、アメリカはアサンジュ氏を「無政府主義者」と呼んでいた。アメリカでは(おそらく日本でも)「無政府主義者」(あるいは、共産主義者)というレッテルをはることは、市民としての資格がないと言うに等しい。(ちなみに、トルストイも無政府主義者ということで、教会から破門されたが、いまだに破門は解かれてなく、今のロシア国家も、異端児扱いのようだ)。

市民の、個人の情報を暴露するならともかく、国家の、公的立場の情報を国民に知らせるのは、ジャーナリストの使命だ。日本でも明治期の新聞記者は何度も投獄され、「まむし」として恐れられ、政府は、新聞の言論活動を弾圧することに腐心したものだ。権力者に恐れられ、迷惑がられるのは、ジャーナリストの名誉だ。

今はどうだ。いつのまにか、新聞をはじめメデイアは国民を良導し、政府と同じ「国益」「公益」を守る立場に立つ。記者も出世したものだ(明治の唾棄された記者と比べて)。朝日などの大新聞社は、アメリカの代理人のような人物が主筆になっている。

暴露されると、「外交交渉ができなくなる」と元外交官が話していたが、国民の知らない所で、どんな外交をしてきたというのだろう。そんな秘密外交はもう100年も前のものだろう。

メデイアでは、各国首脳の悪口を暴露された、とかどうでもいい情報を公開していたが、何万点もある情報の中には国民にとって、大事な情報があるはずだ。せっかく、公開されたのだから、ジャーナリストなら食いついて国民に知らせるべきだろう。

「報道の自由」か「機密保持か」という選択ではなく、ジャーナリストは、国民の立場に立つか、国家、為政者の立場に立つか、という問題だ。

ウイキリークスをつぶしてはいけない。

今晩のテレビ番組

2010-12-05 | 映画・テレビ
午後9時から「NHKスペシャル安保50年」がある。
昨日、第一回を放送していたが、なかなか良い番組だった。
NHK,つまらない番組も作るが、スタッフの中にはまだ良心的なジャーナリストがいるのだ。安保50年とか、日米同盟を見直す、日本の安全保障を見直す、という企画は本来なら、新聞社が企画し、特集し、連載すべきものだが、朝日などは、ひたすらアメリカにゴマをするばかり。とっくに、ジャーナリズム精神(野党精神)は死んでいるもんな。

個人的な見解だが、どうも日本のインテリは力に弱い。文弱の徒。いつも、強いもの、勢力のあるものにすり寄る。インテリであるよりも、エリートたろうとするからだろうか。

子供のとき、態度がでかくて、いつもいばっている男とケンカして相手を負かしたところ、翌日から、態度が急変、○○ちゃーん、とまるで芸者のようにすりよってきたので、驚いたことがある。手のひらをかえす。豹変。まるで、マンガの世界だ。しかし、これは、マンガの世界でも、子供の世界のことでもないのだろう。

戦争中、さんざん天皇主義教育、軍国教育をした人、それも熱心だった人ほど、戦後は豹変して、真っ先に民主主義者、民主教育者になった、という無惨な話はよく聞く。残念ながら、日本の歴史にこういう例は無数にあるのだろう。

強い者、勢力のある仲間に近づき、弱者や少数者を指弾する立場に立つ。そうすることで、自分の安全をはかる。エリートのパターンなのかもしれぬ。

NHKスペシャルのあとは、NHK教育のETV特集「トルストイの家出」もある。これも見たい。トルストイこそ、力に屈しなかった本来のインテリ。文強の徒だ。今年の11月で没後100年だが、どこもトルストイ没後100年特集なんかしていない。今こそ、トルストイを読み直す時なのだが、その全集は入手困難な現状なのだ。
以上、今晩の番組の案内。ただし、小生は、いつものごとく、夜半になると酔っ払って寝てしまい見られないかもしれないが。

画像は九品寺の千体石仏。本文とはなんの関係もありません。

日米共同演習

2010-12-04 | 新聞・テレビから
昨日(3日)の夕刊に「日米演習始まる」という7行の短い記事が出た。今日は、その詳しい記事が出るかな、と思っていたら、まったくなし。

過去最大規模で、自衛隊約3万、米兵約1万、艦艇約60隻、航空機約400機(艦艇も航空機も自衛隊が半分ほどある)の大軍事演習なのにだ。

あたりまえだ、当然だ、これからは日常茶飯だ、とでもいいたいのか?

ウィキリークスで「武器輸出三原則、アメリカが要求」の公電暴露の記事がでた。このあと、メデイアは、新聞は、国会議員は、この問題をどう追求するのだろうか。おそらく、なにごともなかったように、知らん顔、黙殺かもしれない。TPPも法人税減税も消費税増税も、そのうち、米国からの要望などと出たりしないだろうな。

子ども手当の財源がない、と記事に出ていた。子ども手当、年金の財源も不足だが、にもかかわらず、アメリカの思いやり予算、法人税減税はやる。

国民よりも、アメリカ、財界が大切なのか。




やっ、もう12月か・・

2010-12-02 | 日記
今夜の雨で、紅葉も散り、あとは枯れ葉だけになるのかも。秋は終わったなあ。

もう12月だ。

12月は、クリスマス、冬休み、誕生日が待っている、と子供の時はワクワクしたものだ。今は、クリスマスも冬休みも誕生日もないけど、やはり、12月は好きだな。
えーと、特にネタがないので、今夜はこれで失礼する。

画像は御所まちです。