虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

漁船拿捕事件

2006-08-31 | 新聞・テレビから
昨日、ロシアに拘留されていた根室漁船員2名が帰ってきた。
いつも記事の扱いにばかりこだわるけど(笑)、もちろん、今日もトップではない。
今日の見出しは、「根室沖の漁船拿捕」で、「銃撃」の文字は抜けている。
このニュースには注目してきたつもりだけど、朝日はほんとに力が入っていない(他はどうなのだろう)。モスクワにいるはずの大野正美支局員の記事もない。

武見幹事長もロシアに交渉に行ったそうだけど、どんな交渉があったのかも何も報道しない。副大臣その他外務省の役人もいったはずだ、いやがられてもハイエナのように取材をするのが記者だろう。いや、書いてもボツにされているのか?
この2人の船員はこれからどうなるのだろう。日本としての真相究明の調査、聞き取りを改めてするのだろうか。坂下船長が帰ってから改めて究明?そんなことできるのだろうか。

この事件、本来ならジャーナリズムが世論を喚起して、早期釈放の声を盛り上げることも可能だが、それはどうも禁じられているようだ。政府と大メデイアの連携を感じる。

このままでは、殺された船員は、運が悪かった、密漁するからだ、なんてことになる。関係ないかもしれないが、イラクで殺されたこうだしょうせいさん(漢字を忘れた)を思い出した。

船員たちは、国内の世論の冷たさを感じているのではなかろうか。

NHKスペシャル「ラテンアメリカの挑戦」

2006-08-27 | 映画・テレビ
録画しておいたNHKスペシャル「21世紀の潮流ラテンアメリカの挑戦」を見た。おもしろかった。1回目は、ベネズエラ、2回目はブラジル。ラテンアメリカは新自由主義、民営化というのを一足先に実施し、ひどい格差や人権侵害の国になったが、そこからの脱却、脱アメリカをはかろうとするドキュメントだ。

ラテンアメリカについては何にも知らなかった。ベネズエラといえば、あの亀田と闘ったランダエム選手の国だったか。ベネズエラを応援するぞ。

日本では、いまだに企業の景気が向上すれば、底辺もそれなりによくなる、などの議論が幅をきかせ、安部氏は「再チャレンジ計画」とかで、失敗してもまた挑戦できる制度とか姑息なことをいって新自由主義(要するに金持ち中心主義)の道をすすんでいるけど、世界でこんな動きがあるのを知らなかった。

NHKのスペシャルを作る人たちはどういう人たちなんだろう、と思った。

茨木のジャズ喫茶コル

2006-08-27 | 日記
阪急茨木駅の近くにジャズ喫茶コルというのがあり、30年前の一時期よく通ったのだけど、今日、ネットでなにげなく検索してみると、まだ健在、しかし、マスターは今病気療養中で、有志の手で運営されているそうだ。知らなかった。

5、6年前に茨木駅に降りて探してみたのだけど、場所を忘れていて見つけられなかったことがある。インターネットで調べると、おお、同じような場所に同じような建物があった。

ジャズはよくわからないのだけど、ジャズの好きな友達がいて、また植草甚一の本なんかを読んでいたので、茨木駅のそばで働いていた関係でちょくちょく寄った。

仕事は午後からだったので、職場に行く前にそこでカレーライスを食べたり、コーヒーを飲み、仕事を終わると、職場の仲間といっしょにそこに飲みにいった。マスターは髭を生やした小柄な人だった。一緒に飲んだこともある。ジャズ喫茶といえば、ここしか知らないが、いい雰囲気だった。

そうか。マスターは病気なのか。早く元気になってほしい。

画像は、武蔵が有馬喜兵衛と決闘した場所(平福)。本文とは関係なし。

加島屋久右衛門

2006-08-24 | 歴史
膨大な「浮世の有様」を書いた人は、大坂斎藤町の住人。

ここには、能勢一揆をおこした山田屋大助や、大助とも親しい大助の大家にあたる関西文壇の雄、儒学者、そして頼山陽の親友でもある篠崎小竹もここに住んでいました。

著者は、「斎藤町といえる世間無類の名高き町あり。その町方一町にたらざる小町なれども、わずかに30余年あまりの間に・・・」とこの斎藤町で起きたいろんな事件、それは平成の今、世間で騒がれているのとほとんどの同じ、色と欲の事件を書き綴っています。

この斎藤町、今の西区の肥後橋駅の南あたりでしょうか?

斎藤町のほぼ隣(正確には隣が舟町、その隣が玉水町)に当時の豪商加島屋久右衛門の店(巨大金融会社)があり、山田屋大助がしょっちゅう出入りし、一定の給金をもらっていました。山田屋大助は薬種屋を開いていましたから、加島屋では、口利き、顧問、用心棒みたいな存在だったでしょうか。

この加島屋の場所なら、はっきりわかります。肥後橋近くの大同生命ビルがそれです。大同生命は、加島屋の後進で、土方歳三が、幕末のギリギリの時(鳥羽伏見戦の前)に400両の借金をした、その証文が2,3年前だったか?出てきました。

「浮世の有様」を読むと、当時の加島屋久右衛門のヨメさんは、魚屋さんと出奔したとかも書いてある。

中の島へ行ったついでに、このへん寄ったことがありますが、もうビルだらけ。往時の大坂をしのべる雰囲気は何もありません。

江戸時代の大坂は北が大川(淀川)、南が長堀(だったか?)、東に東横堀、西に西横堀と川で長方形にかこまれていたと思うのですが、川は大川を残すのみ、あとはすべて埋め立て、その上を阪神高速が走っています。都市のど真ん中を高速が縦横に走る都心って、大阪だけではないのか?

川って好きです。川の多かった昔の大坂は夏でも涼しそう。川がなくなったのはさびしい。

大塩の乱では、このへん、西区は焼かれなくてすみました。しかし、加島屋にもせめてくる、なんて風聞もとび、大騒ぎしました。

ついでにいえば、加島屋は天明2年のときのは、米を買い占めていると、打ちこわしにあいました。

福沢諭吉のお父さんは中津藩の大坂蔵屋敷勤めで、いやだいやだ、といいながら働いていたそうですが、加島屋は中津藩の蔵元でもありましたから、加島屋にも足を運んだにちがいありません。

画像は、平福の川(作用川)。本文とは関係ないか。

宿場町平福

2006-08-24 | 日記
この夏は泊まりのある旅行はできず、近場を日帰りでドライブするだけで終わってしまった。それも、大阪北摂に住んでいると、ついハンドルは西にむかってしまう。紀州、滋賀、奈良、京都にも行きたかったけど、途中、阪神高速とか、交通量の多いところをくぐりぬけなくてはならず、それがいや。西だと10分も運転すると山の中で、ほっとする。で、丹波や丹後をドライブすることが多かった。

この夏にいったところで、一番遠かったところがここ平福。以前、大原町の武蔵の里へいったとき、通り過ぎた町で、ちゃんと見ておきたいと思っていた。何時間もかけて行ったのだけど、見学は30分で終わる場所だ。わざわざ来るところか、とは思ったけど、まあ、川端の風景をよしとしよう。道の駅宿場町ひらふくに車を止めて歩いた。だれも歩いていない。

川沿いに古い土蔵群が並ぶ。川沿いの石畳を歩くことができる。そんなに長く続いてはなく、5分くらい歩くと終わる。終わったところに、宮本武蔵決闘の場という石碑が立っている。そこは、かつて処刑場でもあったらしく、六地蔵も立っていた。武蔵は少年時代、ここで育ったらしい。大原の武蔵の里を訪ねるついでにちょっと立ち寄るといいのかもしれない。


総裁選

2006-08-23 | 新聞・テレビから
安部氏「改憲と教育」総裁選公約の柱に、が見出し(朝日朝刊)。

次期首相と目される安部氏は、憲法改正と教育基本法の改正を公約の柱にしているそうだ。しかし、憲法改正と教育基本法の改正は、麻生氏も谷垣氏も同じだ。総裁選といっても、3人とも小泉内閣の閣僚で、目新しく変わるわけがない。

しかし、次期首相が、改憲と教育基本法改正をうちだしたからには、新聞社も、その2点については、見解をしめさなくてはなるまい。改憲と教育改革に目をつむって他のことで、たとえば外交や経済や靖国などで、論点をそらしてもらってはこまる。今度の総裁選で、安部氏の登場で、マスコミも正体をはっきりさせざるをえなくなる。

安部氏の「美しい国へ」という本がベストセラーになっているそうだ。本来なら、この本への批判文も新聞は書いてもいいはずだが、出ない。新聞ばかりか、この国には作家とか学者、言論人だっているはずだが、きちんと反論したのを知らない。

司馬遼太郎は、昭和の前期の時代を日本史には珍しい「魔法にかけられた時代」と呼んだが、今もその「魔法にかかった時代」だ。

安部氏は、祖父岸信介氏を尊敬し、岸信介氏の悲願、憲法改正を実現したいと若いころから思ってきたという、わたしたちとは思考回路も育った環境も違う人ではないのか。
また麻生氏は、先祖が炭鉱王で、本家の邸宅は10万平方メートルの敷地に立ち、母屋の畳廊下は約100メートルあるそうだ。わたしたちが近づけない「お坊ちゃまさま」だ。

2人ともわたしたちとは、何の接点もないけど、しかし、経済団体、財界、上流社会とは強くて深い接点がある。

朝日は(新聞はこれしかとっていないので)、安部総理の登場を言論でどのように迎えるのだろうか。歴史的な見ものになるかもしれない。

画像は、能勢長谷。稲ももうすぐ黄色くなるだろう。それにして、写真(画像)はここにアップできるのとできないのがあるのがまだよくわかんない。棚田でうまくとれいると思うものは全部ダメだった。あまりうまくとれてないこれだけがアップに成功した。なぜだ?まだ、よくわからんなあ、パソコンは。


雑感

2006-08-20 | 新聞・テレビから
こだわりすぎかもしれないけど、昨日の夕刊の1面は大阪拘置所のニュースがトップで、高校野球、そして一番下に漁船銃撃の記事。
今日の朝刊は、会社のインターネット閲覧制限がトップで、また大阪拘置所、そして高校野球、またも一番下に漁船銃撃。

漁船銃撃事件はあまり大きく扱いたくないという意図を感じてしかたがない。テレビなども同じだ。報道規制をしてないとすれば、新聞社のこの感覚がわからない。
なぜこのように小さく扱うのだ?

政務官が現地に行き、乗組員と面接したそうだが、たったの10分間で、何も真相はわからず。形だけの抗議をしただけ。「ゆゆしき異常事態だ」といった麻生外相はどこに隠れているのだろう。今日の朝刊には、名古屋のポスト小泉候補の会合に出席していたそうだが。

昨日の朝日の社説が傑作。「競って責任を問うた夏」と題し、読売、毎日、日経、NHKの戦争報道(ついでに朝日もやったと書くが)を称賛し、大メデイアを自画自賛。「メデイアが権力を批判する使命を放棄したらどうなるか」と結ぶ。え?まだ放棄してなかったの。憲法にも教育基本法にも共謀罪についても頬かむりしているのに。大新聞社、テレビ局はこれから歩調を合わせて仲良く報道していくつもりだろうか。

漁船銃撃事件でも「再発防止」という言葉がまたぞろ出てきたが、メデイアがこの言葉を乱用するには驚く。子どもの殺傷事件、まずは「再発防止」、JR西日本の事故、「再発防止」策を、耐震偽装事件、「再発防止」、IT産業の犯罪、「再発防止」、などどこでもきりがないのではないか。「再発防止」とは、政策にあたる役人の言葉ではあっても、ジャーナリストのいう言葉ではない。ジャーナリストは真相究明が仕事だろう。しかし、権力と共存するメディアに真相究明を期待することはできないのだろう。

画像は伊根の町並み(本文とはなんの関係もなし)



日本漁船銃撃・拿捕のニュース

2006-08-18 | 新聞・テレビから
最近のニュースの中で一番大きな事件は、漁船拿捕のニュースだろう。漁船員がロシアの国家機関によって有無を言わさずに殺されたのだから、ただの犯罪事件ではない。

この事件は16日の朝におきたことで、あいにく16日の夕刊はどこかへいってしまって、どういう報道のしかただったか今はわからない。
でも、17日の朝刊からは持っている(朝日新聞)。17日の朝刊、トップではない。トップは太陽系惑星12個に、だ。
その日の夕刊、トップは「枚方「暑さ」全国級だ」。これが漁民拿捕の記事よりも大事?

今日の朝刊、もう1面からは姿が消えた。
そして今日の夕刊、どこを探しても記事がない、と思っていたら、社会面の一番下に2行だけ書いてあった。今日は、政府関係者が現地に出発した日なのにだ。

事件が起きてからの記事はすべてモスクワ特派員発で、ロシアの通信社からの情報ばかり。政府関係者の記事もなければ地元の記事もない。新聞社は、地元に特派員を出したのか?

麻生外相は、事件がおきた16日の夕には、臨時大使を呼んで、厳重に抗議する、陳謝と関係者の処罰を要求した。当然だろう。だが、その後の政府の態度はさっぱりわからない。あれは、ただのポーズだけだったのか。麻生さんは外務大臣だけど、外交の仕事として今まで何をしたのかまったく印象のない人物だが、総裁選なんか捨てて、最低、この事件くらい真摯に取りくんだらどうだ。

今日、政府関係者が現地に行って交渉する、ということだが、遅すぎる。国民が殺されたのだから、即、現地に飛ぶべきだろう。一刻も早く救い出すべきだ。このままでは、ロシア側の都合と理由だけで、事件は解決させられてしまう。浮かばれないのは、漁民たちだ。きっと国に対する信用もなくなるだろう。麻生外相のあの言葉は、臨時大使の「責任は日本にある」の言葉で腰くだけになったにちがいない。

役人だけではない。新聞社も現地に行けよ。こんな事件をロシア側の通信社からの情報にたよるな。ロシアの現地取材もむつかしいのかもしれないが、根室の地元の漁民の報道すらほとんどない。ややこしい話はつつかない、という報道管制でもなされているのだろうか。国民を刺激しないようにとか?アメリカのジョンベネちゃん事件なんかどうでもいいよ。漁民が殺されているのだ。国家的見地からではなく、一漁民のための新聞であれ。なぜ漁民を救わないのか。

画像は伊根湾のかもめ



「浮世の有様」

2006-08-16 | 読書
ネットの古本屋で、日本庶民生活史料集成第11巻(三一書房)を買った。
4800円。ずっしりと重い。「浮世の有様」といって、大坂斎藤町に住む無名の医師の江戸時代のルポルタージュだ。

文化3年(1806)から幕末の弘化3年(1846)までの40年間の見聞録。400詰原稿用紙で2200枚になる。他の本の10冊分くらいの量になるので、まあ4800円でも安い。

著者は天明5年生まれで、これは著者の21歳から60歳までの記録だ。幕府のお触れ、物価、天災、諸国の騒動、一揆、事件、町の噂、落書、ちょぼくれ、あらゆる情報を書き付ける。特に、天保年間に詳しく、大塩の乱や天保改革についてはおそらく当時のどの記録よりも詳細。あまりに大部なので、天保4,5年のおかげ参りや加古川一揆についてはこの全集の12巻に移されている。

江戸時代の市井の人が記録した同時代史としては、江戸では、「藤岡屋日記」というのが有名だけど、西では、この「浮世の有様」がなんといっても最高最大のものだろう。

このブログで以前、能勢一揆の山田屋大助について書いたけど、山田屋大助と同じ町の住人で、もちろん、著者は大助の目撃談も書いているし、大助の死後、大助の妻に取材もこころみている。めったに自分のことを書かないのだけど、大塩の乱のときには、自分の考えを書いたりしているのもおもしろい。

この本をネタにして江戸時代のことについて「この虎尾の会」にも何か書けたらなあ、と思っています。しかし、さすが読みやすくはないので(現代語訳してないので)、枕になるだけかもしれない<笑)



雑感

2006-08-12 | 日記
写真は、舞鶴のひきあげ桟橋。お盆の帰省ラッシュのようだけど、こっち方面はすいていそうなので、来てしまった。
シベリアに抑留されていた人々が帰って来た港だ。


ボクシングの亀田の試合はあれからどうなったのか。テレビでは、亀田父子について話題にするだけで、あの判定については、ボクシング協会もスポーツ関係者も何もふれていないのではないか?新聞も試合後1週間たつと、もうピタと何も言わない(週刊誌は何か書いているのだろうか?)。もうあれで終わりなんだ。あのままでいくのだ。

日銀総裁は、「任期まで務める」と昨日の新聞に出ていた。朝日は、社説で辞任をすすめていたのではないか?もう言わなくなったのか。もう終わったことなんだろう。

耐震偽装事件、当初は業界の組織的犯罪が暴かれるか、と期待したけど、警察の捜査の結果、姉歯一人の犯罪ということで決着。メディアもそれで終わりにしてしまう。

こんなのばっかり。まったく、まいったなあ。

なんて思いながら運転していた。






成田空港管制塔占拠事件

2006-08-09 | 読書
「ヘルメットをかぶった君に会いたい」では、後半、著者は、成田空港管制塔占拠事件へのシンパシーを明らかにする。

1978年に成田空港の開港を遅らせるために、若者が管制塔を占拠、機械類を破壊、若者たちは、6年から12年の刑をうけた。国と空港会社は、約4500万円の損害賠償の裁判もおこし、1995年、最高裁で確定。その年に納付請求がなされたが、取立ては一切なされず、10年目、あと、4ヶ月で時効という昨年の3月に突然、倍賞請求の強制執行をする。その時には、賠償額にも利息がつけられ、総額1億300万円になっていた。元被告16人に支払うことを要求したのだ。

元被告団は、昨年の年末をめどに一括して払うことを宣言し、ネット等を通してカンパを訴えた。
「ヘルメットをかぶった君に会いたい」の連載は、このカンパ活動の途中で終わり、カンパが成功したことは書いてないけど、なんと4ヶ月で1億400万円が集まり、年末には、国にそのお金をたたきつけることができたそうだ。

よかった。



「ヘルメットをかぶった君に会いたい」を読んだ

2006-08-07 | 読書
鴻上尚史「ヘルメットをかぶった君に会いたい」(集英社、2006年、5月刊)を図書館で借りて読んだ。

鴻上尚史はNHKの英会話番組に出ているのを見たことがあるけど、接点がある人物とはとても思えず、本も読んだこともなかった(でも、愛媛県出身だそうで、そこは接点があった。いかにも愛媛県らしい顔をしている。親父は愛媛の山奥の小学校に左遷されたとかで、まさか城川町ではなかろうか)。

以前、新聞の新刊紹介で、この本の内容「1969年4月、ヘルメットをかぶっていた君は、いま、どこに?」を知り、読んでみたいと思っていた。なんといっても着想がいい。共通の世代なら、だれでも興味を持つのでは。

1970年代を中心とした青春フオークのCD集を紹介するテレビで、当時の映像が流れるが、ヘルメットをかぶった女子学生の姿がアップで映り、そのすずやかな笑顔に作者の胸がキュンとなる。彼女は、その後、どうなったのだろう、今、何をしているのだろう、彼女に会いたい、と作者の探索が始まる。

盆踊りのときの笠も女性には似合うが、たしかにヘルメットも女性には実際よく似合うと思う(笑)。あのかわいい彼女はどうしてるのだろうという作者の気持ちはとてもよくわかる。といっても、作者は、全共闘世代ではなく、もっと後の世代だ。だからこそ、あの時代の青春への羨望や思い入れがより強いのかもしれない。

これは、文芸雑誌「すばる」に連載したものだが、編集者や関係者にも探索の協力をたのみ、2チャンネルでも情報探索をし、連載中も、そのまだ見ない彼女からの返事を待ったりする。探索は事実だろうし、彼女も実在の人だ。諫早湾の堤防を爆破したいという人物が現れ、最後は作者はこの人物といっしょに諫早湾に堤防を爆破しにいくのだけど、ここだけはフィクション。本の帯には、「これは小説です」と書いてあるけど、いろいろな意味がそこにあるようだ。

作者が見た映像はこうだ。シューベルトの「風」が流れ、早稲田のキャンパスが映る(入学式だ)、そこで、新入生にビラを配っているヘルメットをかぶった女性のはじけるような笑顔を見る。
探索の結果、彼女は早稲田の学生で、昭和24年生まれ、このとき、19歳。2年生。1969年4月の映像だ。

作者は、はじめは、この彼女は、その後、どこか地方都市で静かに、ひっそりと、しかし幸せに暮らしている、と想像したのではなかったか(そうあってほしいものだが)。しかし、探索がすすむにつれ、作者には(たぶん)思いもよらぬ事実を知ることになる。彼女は、早稲田(革マル派)のマドンナ的な存在で、内ゲバ事件にも関わり、その後も活動を続け、なんと今は電波盗聴罪だとかで、指名手配中だということを知る。

指名手配中では会うこともできない。また、それ以上探索するな、という脅迫も受ける。連載も何度か中断したこともあったようだ。作者は、後半は1978年の成田空港管制塔占拠事件にふれ、管制塔に突入した若者のその後(昨年、国は損害賠償の強制執行をする)の過酷な状況にも話をうつす。でも作者のヘルメットをかぶった彼女への思いは消えない。連載中でも彼女に、会いたいとよびかけ、最後の章でもこう書いている。
「この連載が本になり、なんらかの形で君の手元にまでたどり着くことを夢想する。そして、この拙い文章が、君の中にある何かを揺さぶることを。やがて、一人の女性が、胸にこの本を抱え、ぼくが立つホームの反対側に現れる日が来ることを」

要するに、ヘルメットをかぶった彼女への恋文なのです。もし、これがヘルメットをかぶった男ならだれも探索しないですよね(笑)。
ヘルメットをかぶった君に会いたい、という気持ちは、私も作者と同じだ。センチメンタルだろうか。

あの時代を追いかけた珍しい作品で、興味深く、一気に読めました。




朝刊に出たトロツキー

2006-08-05 | 新聞・テレビから
今日の朝日の朝刊、土曜日にいつも連載している「愛の旅人」シリーズは、トロツキーとフリーダ・カーロのメキシコ、コヨアカンが舞台。コヨアカンの「青い家」の大きな写真が出ていた。トロツキーの最後の土地、コヨアカンは行ってみたいところだ。

ドイッチャーの3部作では、トロツキー(57歳)とフリーダ・カーロ(29歳)の恋愛は、匂わせる程度でほとんどふれていなかったけど、やっぱりほんとうだったのですね。秘書が書いた「トロツキーとの7年間」に詳しく書いているそうな。今度、読んでみよう。

この連載は「愛の旅人」がテーマなので、トロツキーがどんな生涯を送り、何のために闘ったかについてはほとんどふれられてないが(新聞の1ページや2ページではとても無理だろう)、トロツキーの孫にあたるボルコフ(セヴァ)さん(80歳)に取材して話を聞いているのが貴重だ。この孫とはトロツキーは死ぬ前の1年間を共に過ごし、ドイッチャーのトロツキー伝には、トロツキーと妻と、このセヴァ少年がいっしょに写った写真が出ている。

トロツキーの本は、ロシアでは、ソ連が崩壊するころまで発禁だった。ロシア以外の国でも、トロツキストという悪魔的レッテルが災いして素直に近づけない雰囲気だった。

記者は、トロツキーの本として、たくさんあるが、「わが生涯」(岩波文庫)がおもしろいと紹介している。これもおもしろいが、トロツキーの最高傑作といえば「ロシア革命史」だ。

なにせ、全5巻あるから、わたしも全部は読んでない。とちゅう、かっとばしながら、ところどころ読んだだけで大きなことは言えないけど、こんなにおもしろい歴史書は世界にないのではなかろうか、と思うほど。ただ、腰を落ち着けてじっくり読もうとしないのだけど・・・。岩波文庫に「ロシア革命史」を入れるように強くすすめたのは松田道雄さんらしい。岩波文庫はすぐ絶版になるので、これだけは出たときに迷わずに買いました。

「わが生涯」にしても「ロシア革命史」にしても世界文学級の作品なのに、読書界で話題になるのはほとんどないのが残念。虎尾を踏むことを恐れるのだろうか。
で、ここで紹介したしだい(笑)




テレビを観た

2006-08-04 | 映画・テレビ
亀田の世界タイトル戦を見た。
12ラウンド、解説者も「これが世界戦だ、亀田もいい勉強になった」(記憶あいまい)とか、亀田の負けは明らかという口ぶりだった。わたしも亀田の負けだと思っていた。だれだってそうだろう。「チャンピオンは亀田」と審判にいわれときの唖然とした亀田の父親の顔が印象に残っている。
「なんで、亀田の勝ちなんだ?」
「微妙な判定」なんてものではない。
あざとすぎる。その後、ブーイングが続出したようだけど、当然だろう。
テレビで全国の人が見ている前で、それでも、亀田の勝ちにする。それでいけると思ったのだろう。まったくなめきられている。

でも、これは、亀田の試合だけの話ではない。こんなことは、今、メディアのあらゆる場面でなされているのではないか。もうマヒしてしまっている。なんでもいいよ、すきにやって、という気分になってしまっている。

憲法改正論者ばかりがゲストの報道番組、小泉と安部を吉田松陰と高杉晋作にたとえる無恥な新聞、細木和子の話に司会者、出演者全員が、なるほど、と拝聴する場面を見せるテレビ。つまらないものばかり見せられ、話される。何が大切で、何が問題なのかは関係ない。むこうの都合ばかりで、ことはすすめられる。

視聴者がどう言おうと問題にしない。この国は、それでいける、と思っているんだ。

伊根の舟屋

2006-08-01 | 日記
伊根の舟屋にいった。一般道路で綾部まで、綾部から宮津までは京都縦断自動車道(600円)、天の橋立を通り過ぎて、丹後半島を北上、約3時間。

まず、伊根湾の遊覧船に乗る。30分間だが、海岸約4キロに並ぶ舟屋群を海から眺めることができる。大人630円。安いと思う。100人は乗れるそうだが、今日はお客は10人ほどで、すいていた。だれかがかもめ用のカッパエビセンを海に投げると、たくさんのカモメが飛んできた。

舟屋は、1階が舟のガレージで2階は居間になっているそうだ。約230軒。見たことのない風景で、来てよかったと思った。

船から降りると、今度は、車で舟屋の家の通りを走った。舟屋は、今もここで生活が営まれている。その古い建物群、昭和30年代の昔に帰ったようだ。おみやげやとかもなく、景観を損なうような新しい建物もなく、観光地化されていないのがとてもいい。この舟屋の町並み、歩くだけでもいい。けっこう距離が続いている。歩いたら、1時間はかかるでしょう。

ずっと、このままの景観を残していてほしい。