虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

ゴーリキー「幼年時代」

2009-01-31 | 読書
古本屋でゴーリキーを手に入れた。
ロシア文学全集11(日本ブック・クラブ)のゴリキー集。中身は、「幼年時代、人々の中で、私の大学」。3つの自伝が1冊におさまったもので、今ではなかなか得がたい1冊だ。ゴーリキーは、特にその自伝文学が傑作だとされている。ロシアの民衆の暮らしがまるでルポルタージュのように描かれる。

トルストイもツルゲーネフもクロポトキンもロシアの人々と生活を描いたが、かれらは貴族だ。ドストエフスキーやチェーホフは貴族ではないが、生活はまあ中流で(ふたしかだが)、だからこそインテリゲンチャだ。だが、ゴーリキーは10歳にして父母がなく、貧困の中で働きながら各地を放浪する、という底辺を生きる。ナロードニキたちは、人民の中へを合言葉に貧しい民衆に近づくが、ゴーリキーはまさにその民衆の一人。

まだ読み始めたばかりだけど、ゴーリキーだから書けると思ったところを一つ。

ゴーリキーは幼いころ、祖父にムチでたたかれて折檻されるが、そのとき捨て子のやさしいツイガーノフ青年が出てくる。この青年はゴーリキーがムチの刑を受けるとき、そっと自分の腕を出してゴーリキーの代わりにムチの一部を受けるのだが、この青年がゴーリキーにこんなことを言う。

「こんどまた折檻されるようなことがあったら、いいか、身体を縮めるんじゃないぜ、-わかるかい?身体ちぢめるとな、二倍も痛いんだぜ、それより身体を楽にして軟らかくしておくんだーゼリーみたいになって寝てるんだ!それからな、息をとめちゃいかん、息は十分にして、ありったけの声をだして、ワアワア泣くんだーおまえ、このことを覚えてろよ、そうすりゃ大丈夫だからな」

これは、実際に拷問、折檻にあった人だけがいえる体験談だと思う。わたしは、まだ拷問はされたことがないけど、病院の検査などで、だれでも似たようなことはされたことがあるだろう。とんでもないところに注射をされたり、管をつっこまれたり、時に検査は手術よりつらいときがある。そういうとき、身体をゆるくし、力をぬき、息をすると、たしかに楽。身体を固くしたほうが痛い。

この青年の教えはその通りだ。まあ、病院ではワアワア泣けないけど。

宇治探訪 山宣

2009-01-31 | 日記
宇治平等院にいった。10円玉の鳳凰堂だ。宇治は初めて。けっこう近い。大阪池田からだと1時間以内に着く。小雨が降っていた。だが、さすが世界遺産。見学者はけっこういた。鳳凰堂の内部は時間を区切って団体を案内する。大きな阿弥陀仏、楽器をもった雲に乗る天女像たち。藤原道長の子供頼道によって創建。創建当時は彩色あざやかで、極楽浄土をイメージできたそうだ。鳳凰堂の前は池で、7,8分で1周出来る。思ったより、小さい。春や秋はいいと思う。だが、人でいっぱいだろう。小雨のふる冬は静かな雰囲気だ。

平等院の駐車場のそばに「花やしき浮き舟園」という料理旅館(ホテル)があり、そこで昼食をとった。昼食にしては高いけど、前は宇治川が流れ、眺めのいい場所。実は、ここは、「山宣」といわれる山本宣治が若主人をしていた旅館。今は、かなり大きく、和食、中華、ステーキ料理もできる、このへんで一番大きく古い旅館(ホテル)ではなかろうか。まず、こんなところには泊まったことがない、そんな高級感がある。今の経営者も山本宣治の子孫(孫かな?)が経営する。

山本宣治、生物学を講じる学者だったが、労農党代議士となり、治安維持法に議員としてただ一人反対し、昭和3年、東京神田の旅館で右翼に暗殺される。39歳。今、小林多喜二が復活しているが、暗殺直前に山宣は小林多喜二に会っている。死後、日本共産党員ということになったらしいが、共産党という狭い枠だけでなく、戦前の数少ない反戦民主の闘士として広く注目されなければならない人物だろう。子供のころは病弱で、親は旅館の園芸師にしようとカナダに留学させたこともあるらしい。竹久夢二とも交流があり、夢二は山宣の奥さん(短命)を絵に描いたそうだ。

「花やしき浮き舟園」のパンフレットをもらったが、そこには料理の案内だけで、山宣のことは何も書いていない。はじめ、ここの経営者は、もう山宣の関係者ではなくなったのだろうか、資料なんかないのだろうか、と店員さんに聞くと、経営者は山本家です、資料館もあります、案内します、と資料館へ案内してくれた。「花やしき浮き舟園」の向かいにある路地を通り、古い家屋敷の細い道を歩くと立っている。昔の「花やしき」の蔵を資料館にしている。資料館という標識も看板もない。案内されないとわからない所だ。ドアを開けると、どうそ、といい、あとは「見学が終わったら戸を閉めておいてください」と帰ってしまった。自由に見られるわけだ。10畳ほどの広さの部屋に、山宣の資料がいろいろ置いてある。京都同志社山宣会の「山宣研究」や宇治山宣会の「山宣」という研究誌も置いていた。パネルがたくさん並べられている。ちょっと雑然として、大学の部室のような雰囲気。見学者ノートも置いていたので、ペラペラめくってみたが、わざわざ東京から来た人もいて、「山宣に会いたかった、ここに来るのが念願だった」という言葉もあり、今もなお、山宣を尊敬し続けている人もいることがわかる。平等院を訊ねたら、ここも寄ってみるといい。案内の標識はなにもないから、知る人だけしか知らない場所かもしれない。資料館は無人。

近くには、山宣の墓もあり、そこには暗殺される前に演説した山宣の言葉、「山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋しくはない。背後には大衆が支持しているから」という言葉が刻まれているそうだ。(この碑文は戦前はセメントでぬりつびされたそうだが)。墓までは訪ねなかった。そこまで関心はなく、まだよく知らない人だから。

そのあと、西国33個所の10番札所三室戸寺、黄檗山萬福寺にいってきた。
最近、画像をアップすることができなくなった。残念。

フランスで大規模スト

2009-01-30 | 新聞・テレビから
朝日の朝刊5面に小さく「フランスで大規模スト」政府の構造改革に抗議、とある。国鉄や地下鉄、空港、教員、国立劇場の職員にまで及び、小学校の半数の教員がストに参加とある。だが、何万人のストなのか数字は書いていない。おそらく100万人を超すだろう。このニュース、朝日はこれから詳細な続報を送るだろうか。それにしても、フランスの国民はまだ活気がある。

それにくらべて、日本は、といろいろ書いてみたのだけど、発狂しそうになるので、やめた(笑)。

映画「なごり雪」

2009-01-25 | 映画・テレビ
昨日の深夜、サンテレビで放送しているのを知ったので、録画しておいた。
伊勢正三の歌「なごり雪」からイメージした作品で、監督は大林宣彦、舞台は大分県臼杵。まあ、想像していたような作品だった。

50歳を過ぎ、妻にも逃げられ、人生にやる気をなくしていた三浦友和に故郷の友人から電話。
友人の妻(それは三浦のかつての恋人でもあったのだが)が交通事故で危篤だという。28年ぶりに故郷に帰ることになる。
電車の中で青春時代を思い出すのだが、ちょっと藤田敏八監督の「帰らざる日々」と似ている。だが、監督が大林なので、「帰らざる日々」のようにどろどろした青春ではなく、淡く、清楚な作品に仕上がっている。だれの歌だったか度忘れしたが、あの「木綿のハンカチーフ」みたいなところもある。男は東京へいく。恋人は故郷で待つ。東京でのいそがしい生活の中で恋人への執着心も薄れる。しかし、これほど、思ってくれる恋人がいて、おのれも自覚しているのなら、なぜ、さっさと東京へひっさらっていかない。せっかちなわたしならそうする、と思ったけど、ヒロインはまだ16歳。それは無理か。しかし、故郷に帰るのに、女友達を連れて帰るなんて、なんたる無神経。それだけはぜったいにしないぞ。とにかく、青年時代の三浦友和は、ぼんやりして、無自覚、無神経、おぼっちゃん。それでいて、ヘッセの「車輪の下」などを読んでいる。救いようがない。

残念なのは、ヒロイン(須藤温子)。セリフが学芸会の言い回しで、まったく魅力がない。せっかく臼杵の石仏祭り、竹田の岡城など、臼杵の風景を舞台にしているのに、ヒロインが詩的雰囲気にあわない。映画のセリフの中に、「なごり歌」の歌詞もでてくるが、歌をイメージした一種のメルヘン映画でもある。

50歳を過ぎると、過去を懐かしみ、過去の人を思い、過去の土地を訪ねてみたいというのは、みんなある。50歳を過ぎた人のための青春映画かもしれない。

映画の冒頭は伊勢正三が「なごり雪」を歌う場面(伊勢も大分県出身らしい)。この曲はたしかに名曲だ。人それぞれに自分の過去を思い出させる。

この番組(ミドナイトシアター)、来週は「リンダリンダリンダ」をするらしい。

一般企業に公的資金

2009-01-25 | 新聞・テレビから
昨日の夕刊だったけど、「一般企業に公的資金」という記事が出ていた。景気悪化にそなえ、政府は一般企業に対しても支援する。税金を投入する、というものだ。一般企業といっても中小企業ではなく、大企業だ。
企業から、つぶれる、たいへんだ、資金を投入してくれ、という嘆きの声などなにもないのに、いわれなくても政府は自らこんな政策を打ち出す。これは、今国会で法改正案を出すという。朝日は、政府発表の報告だけで、なんの解説もコメントもしていないけど、これは黙過することではない。朝日は、政府の出番だ、大胆な政策を、といっていたが、これもそのひとつかいな。
税金を注入する企業を決めるのは、民営化された日本政策投資銀行。なにか匂うぞ。

「フツーの仕事がしたい」を見た。

2009-01-24 | 映画・テレビ
十三の第七芸術劇場へ土屋トカチ監督の「フツーの仕事がしたい」を見に行った。
観客席満席だった(100席くらい?)。おじさん、若者、女性と観客層もさまざま。友達と行ったのだが、友達はシニアなので、1000円、わたしは、シニアではないので、2000円(映画代は1500円)を出したが、「お二人ですか」と聞かれたので、一般です、といった。しまった、おれもシニアで通せばよかった、と思った。せこい話はやめよ(笑)。

初日ということで、上映前と上映後に、土屋監督が舞台で挨拶した。「フツーの仕事をしたい」の主人公である皆倉さんと同年輩であるという。36歳くらい?謙虚そうで、ほんとにフツーの人らしく、好感を持った。舞台では、劇場で整理券を確認していた係の人が司会をしていたが、この人がこの劇場の支配人だろうか?、この若い人も、「わたしもユニオンに入っている」と話していた。この映画は、皆倉さんのドラマであると同時に、皆倉さんが入ったユニオンの活動を伝える映画でもある。

派遣は、もし、わたしが若かったら100パーセントその立場にいるはずだ。息子たちは、現にその立場だ。ひと事ではない。フツーに生きたら、派遣になる。
一方、映画には、住友大阪本社の若い社員が出てきたが、まかりまちがっても、わたしがかれらの立場になることは100パーセントない。

今年の年越し派遣村や若者の新しい労働運動に対して政府・財界はおそらく反撃、弾圧の手立てを考えてくるにちがいない。若者の労働運動支援していかなければならない、と思う。

ゴーリキーが読みたい

2009-01-23 | 読書
ゴーリキーが読みたい。

ロシア文学には、トルストイとドストエフスキーの他に、プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ゴンチャロフ、ゴーリキーとかいろいろいるはずなのに、トルストイとドストエフスキーの二人の巨人がその前後周囲の作家を蹴散らしてしまった感じだ。トルストイとドストエフスキーの大作品を前にすると、ツルゲーネフでも(あれほど、一世を風靡した文豪なのに)読もうとは思わなくなる。

ゴーリキーもそうだ。だいたい、わたしは、ゴーゴリとゴーリキーの区別もあいまいだった。ゴーリキーは革命政権時代の作家で、ロマン・ロランとの交渉などもあったことは知っていたが、なんか近づきにくかった。政権と近い存在だったからかもしれない。ゴーリキー、ここ何十年か、書店には姿を現していない。はやらない文学だったのだろう。

でも、読んでみたい、と思う。かれはナロードニキにあこがれ、革命運動に身を投じた闘士だ。貧しさを知り尽くした作家だ。底辺の労働者の生活を描いた作品は、いまこそ、日本人に読まれるべきかもしれない。

かれの急死は、スターリンの指令による毒殺だった、ということも今まで知らなかった。ゴーリキーについて何も知らないできた。

黒田乙吉

2009-01-21 | 読書
ネットオークションでよい本を手に入れた。

トルストイ人生読本全4冊(金園社)で2000円。各巻は春、夏、秋、冬に別れている。1月から12月まで月日ごとに書かれているので、これは北御門二郎が訳した「文読む月日」(筑摩文庫)と同じものなのだろう。編者黒田乙吉とある。はじめに編者しるす、としてトルストイについて書いてあるが、編者の個人的なことはいっさい書いていない。編者の経歴も何もまったくわからない。奥ゆかしい人がいるではないか。

当然、何者だろうと思った。
なんと、この人は、ロシア革命を体験し、毎日新聞にモスクワでの革命体験をルポした人だった。そのとき、29歳。

生まれは、明治21年12月19日、熊本県三池郡。ロシア文学が好きで、教職をやめてロシアに留学。トルストイの墓も訪ねている。ロシア革命は留学生時代で、毎日新聞(大毎)の現地特派員に採用されて、市民の立場からルポを書く。「日本のジョン・リード」ともいわれるそうだ。その本は、「悩める露西亜」という題で大正時代に出版されたらしい(戦後、復刻もされている)。昭和18年、毎日新聞を退社、戦後は、国会図書館などの嘱託などをしておたそうだが、暮らしは決して楽ではなかったようで、集めた大切な文献や書物を売ることもあったらしい。
晩年、ロシア革命研究家の菊池昌典が乙吉翁に親炙したらしく、本の山にうまり、本を買うのに金を惜しんではならない、が口ぐせだったという。その翁が大切な本を売ったときは涙を流していた、と菊池は語っている。「革命や国内戦の焔の中で、危険をおかして買い集められた本を、単に、まさしくただ生活のために在野の研究者、庇護なき研究者は、その本をしかるべき象牙の塔に収めることを余儀なくされ、めぐまれた条件の下で、ぬくぬくと研究にいそしめる人々の手にゆだねる。しかし、果たして、誰が、83歳にいたるまで、身銭を切って、本を買い、研究をつづける人がいるか。大学人に、そのような人が何人いるか」(菊池昌典「ロシア革命と日本人」)
昭和46年、12月26日、黒田乙吉は83歳の生涯を閉じる。

この黒田乙吉編のトルストイ人生論は昭和43年10月20日の発行である。1冊定価300円。

黒田乙吉。この名前を知る人はもうほとんどいないのではなかろうか。しかし、ロシアとロシア人をこよなく愛し続けた人だったのだ。いい本を手に入れた、と思っている。



東映時代劇コレクション

2009-01-18 | 映画・テレビ
創刊号で安いので、つい買ってしまった。これは録画してないのだ。
創刊号は、片岡千恵蔵「赤穂浪士」だ。
DVDコレクション東映時代劇全50作品。

ほとんどの作品はかつてBSで放送されたものばかりだから、おそらく買う人は少なく、悪いけど、この企画も不発に終わると思う。

大菩薩峠、宮本武蔵、13人の刺客、柳生十兵衛などもある。血槍富士、難波の恋の物語、血斗水滸伝などはつい最近BSでやったばかりではないか?

武蔵も大菩薩峠も13人の刺客も野牛十兵衛もすでに録画してある。
ほしいなと思うのが「大殺陣」。
親に連れられて見たことはあるのだが、殿様を浪人たちが襲う話(13人の刺客みたいな話)。白黒の集団時代劇でひどく暗い時代劇だった印象がある。

かんぽの宿

2009-01-18 | 新聞・テレビから
オリックス不動産への「かんぽの宿」一括譲渡問題については詳しいことは何もしらないのだけど、今日の朝日の社説には腹が立った。鳩山総務相よくミスをくりかえす頼りない大臣であることはみんな知っているけど、ことは国民の共有財産である「かんぽの宿」だ。

「かんぽの宿」一括譲渡に大臣が「納得できない」という経緯があるなら、その情報を詳細に知らせるのが新聞社の勤めだろう。社説は、ひたすらオリックス側の味方になり、鳩山氏の不当介入を抗議し、オリックスへの一括譲渡を擁護する。

オリックスの宮内氏は郵政民営化を推進してきた中心的人物だが、「過去に経歴や言動を後になってあげつらうのでは、政府に協力する民間人はいなくなってしまう」という。この新聞社は政治責任者の過去の経歴や言動をあげつらうことはしないそうだ。

また、「競争入札を経た結果に対しては、さしたる根拠も示さずに許認可権を振り回すのでは、不当な政治介入だと批判されても抗弁できまい」とまでいう。ならば、鳩山総務相に対して今日からそういう論陣を張って攻撃せよ。

一個人ならまだしも、大臣が「国民が出来レースと見る可能性がる」という入札結果ならば、国民のために、この一連の経緯の詳細な報道をすべきだろう。全国のかんぽの宿の各資産、従業員数などすべて明らかにしてほしい。

少なくとも、利用者にとっては、宿泊施設は大企業の運営ではなく、地元の人たちの創意工夫による経営のがよいに決まっている。

朝日は、ほんとに、この社説でいくつもりなのか?


奈良 古書喫茶「ちちろ」

2009-01-17 | 日記
いつか古本喫茶みたいなものをしたいと思っているので、今日は奈良の古本喫茶を訪ねてみた。
奈良町の古書喫茶「ちちろ」。「ちちろ」とはコオロギの意味らしい。奈良女子大学のそばということで、近くのスーパーの駐車場に車を止めて町家を探す。人通りは少なく、静かなところだ。歩いている近所の人に聞くが、「知らない」という。歩いていた奈良女子大学の学生にも聞いたが「知らない」だった。わかりにくかったけど、やっと見つけた。

古い昔の町家をそのまま古本喫茶にしている。しかし、店の表に「古本屋」とかの大きな看板が出ているわけではないので、ここが古本屋だとは通り過ぎる人は気づかないかもしれない。喫茶もできる、ということも気づかない。

ドアを開けると、入り口に文庫本が並んだ棚があるので、やっぱりここだ。
主人が出てくる。映画「殯(もがり)の森」で主役を演じた宇多しげるさんだ。あの映画の顔と同じ(ただし、映画より若々しく、すっきりしている)。

町家の部屋に3つか4つテーブルをおき、ざぶとんがしかれている。古本屋というよりも、本好きの人の部屋に通されたという感じ。本もかなり古く、自分の古い蔵書を並べている感じで、ピカピカの売り物というものはないようだ。おそらく、せどりなどもあまりしてなく、古本屋としての売り上げを上げようという気はないのかもしれない。4年前にここに移転したという。ここは種田山頭火も立ち寄った町家らしい。

ミーハーなので、ほんとは、あなたがあの映画に出た人ですか、とか聞きたかったが(笑)、さんざんこれまで聞かれたことだと思うので、黙っていた。コーヒーをたのんだ。自分で豆をひいて入れているようで、かなり時間がかかって出てきた。他に客はなし。音楽が流れているが、懐かしいプレーヤーでレコードが回っている。10人も入ったらいっぱいになるかもしれない。しかし、ここは1時間でもゆっくり昼ねをしていてもゆるされる感じ。棚から好きな本を取り出して座って読んでいてもいい。あまりお客さんは来ないにちがいない。

ここで「南部三閉伊一揆と現代」(400円)を買った。
灰皿が置いてあったら、もっとゆっくりしたのだが、タバコがないと落ち着けない私はコーヒーを飲み終わると立ち上がった。ここから東大寺の裏参道を歩いて二月堂まで10分の距離と聞かされて、二月堂、三月堂へいくことにした。


雷蔵の「大菩薩峠」

2009-01-12 | 映画・テレビ
ビデオ屋さんにいっても見たい映画がないので、以前、BSのを録画していた大映版「大菩薩峠」第一部を見た。映画「大菩薩峠」はなんといっても片岡千恵蔵の東映版「大菩薩峠」だと思っているので、雷蔵版はあまり見ていなかったのだ。

けっこうしっかり作っている、と思った。当時の大映の時代劇の総結集という感じだ。第一部の見せ場は(たくさんあるけど)なんといっても、島田虎之助が清河八郎にまちがえられて襲われる雪の中の闘いと、京都祇園の島屋の一室で、龍之介とお松が対座し、龍之介が亡霊を斬る鬼気せまる場面だが、ふたつともよい。

机龍之介が京都に出るのは、浪士隊として行く芹沢に誘われたから。とすると、机龍之助の人生は清河八郎によって動かされたといえるのだ(笑)。
龍之助は芹沢の味方で、近藤は龍之助を仇とねらう宇津木兵馬の味方なのもおもしろい。

お松は、だれかと思ったら山本富士子だった。昔、美人といえば、だれもが山本富士子といった。今、山本富士子はどうしているのだろう。

龍之助を演じるのは難しいと思う。下手をすれば単なる殺人鬼、精神異常者となってしまう。あまり人欲を感じさせてもいけない。だれが演じても俳優の生活臭を感じさせてしまう。不思議な主人公だ。

木枯らしの中であれこれ

2009-01-12 | 日記
ネットショップを作るのは難しい。だいたい、こういう操作が苦手だ。画像も登録できないし、ひとつも進まない。だいいち、虎尾書房という名も気に入らない。なにか詰まった感じで、すがすがしくない。本屋の名前も考えなければならない。「火星の庭」というネットショップを見つけたが、いい名前をつけたもんだと感心する。

新聞を見ると、あいかわらず、「世界経済は」で始まる記事が多い。「地球規模」などとも言っている。現在の庶民の苦境を伝えればよいのに、いつも世界からだ。元旦の朝日のルポはアメリカなど外国の不況のルポだったが、なぜ、日本の現状を探らない。不信感をもった。

田中正造は、大きなことを語るのが政治家で、小さなこと、小さな事件を語るのはただの職人であって、政治家ではないとされていることに対して疑義を唱えていた。日露戦争よりも谷中村のことが大事な問題だ、といった。世界経済や国際環境など大きな世界から語り始める論者には、あまり信をおけない。新聞はその代表者になっているけど。

新聞は、今、民衆運動の防波堤の役割をしようとしているようにさえ思える。とにかく、デモや運動を嫌う。報じない。人々が政治に対して自分の意見を持ち、勝手に動き出されては困る、と思っているようだ。

かつて全国に広まった米騒動。富山県の一漁港で主婦たち2,30人が米の積み出しに抗議したことがきっかけだが、これがあっという間に広まったのには、新聞の報道の力もあった。政府は新聞の発売禁止に出るが、新聞社は政府弾劾に立ち上がり、政府が倒れた。こういう新聞時代もあったのにな。

米騒動といえば、これほどの大一揆(日本史最後の最大の一揆かもしれない)なのに、研究書は、半世紀前に書かれた「米一揆の研究」しかないそうだ。この研究書も図書館の奥にしまいこまれてだれの目にもふれない。

米騒動がこれなんだから、百姓一揆の本が少ない、というのも当たり前かもしれないな。



清河八郎遺著

2009-01-12 | 読書
図書館で、清河八郎遺著(日本史籍協会編、東京大学出版会)を借りてきた。
山路愛山の編だ。

山路愛山は、はじめに読者にむかってこう書いている。読者は、八郎の文章を読んで、あまりに謙譲の美徳がなく、自慢話が多く、英雄豪傑を任じているのに嫌気を覚えるかもしれない。わたしも最初は不快に感じた。だが、年を考えてほしい。死んだのは30歳をわずかに過ぎたばかり。老成し、謙譲の美徳で世を処する年ではない。しかも、小藩の平民に生まれ、幕府と親しい庄内藩に生まれる。そこで尊皇攘夷を唱えることの難しさを思うべし。天下の英雄を任じ、談論風発、傍若無人にふるまうもよし、と。(愛山の文はこの通りではないが、まあ、こんな内容)。

また、八郎は、「豪気をもって自ら負い、気短性急、往々にして暴怒にいたることありといえども、友人、同志、これに背くにしのびず、死生これと相終始せんんとしたるものあり」と書き、「英雄の士は、みな有情の人なりとは、正明においてこれを見る」と結んでいる。山路愛山は清河八郎を英雄を見ている。

内容は、愛山による清河八郎の年譜(14ページ)、「旦起私乗」(出生から17歳までの八郎による年譜と18歳から20歳までの日記。漢文)、耕雲録(21歳から23歳までの日記、漢文)、潜中始末(和文)、潜中紀略(漢文)、潜中紀事(漢文)、自叙録(和文)、文久年間書簡集、同志書簡集からなる。

山路愛山といえば、明治の史論家であり、ジャーナリストで、堺利彦とも親しい仲。山路愛山は、国家主義(国家社会主義)、帝国主義で、平民社の堺利彦とは対照的な人物だが、堺にとって、山路は、たとえば荘子にとって恵子がそうであったように、よき論敵だった。二人が会うと、しょっちゅう議論をしあい、愛山は平民社の大切な客人だったそうだ。前も書いたが、宴会で、愛山は自分の番が来ると、舞台に大の字にねころがって、「大の字」といったそうだ。おもしろい。愛山の人柄は、人をひきつける魅力がある。早く亡くなったのが惜しい。

岩波文庫「老子」

2009-01-07 | 読書
新刊屋さんによったら、岩波文庫で「老子」が出ていた。新刊屋さんではまず本は買わないが、これは躊躇しないで買った。岩波文庫からは、論語、孟子、荘子などはでているが、老子はまだ出ていなかったのだ。・

まず現代語訳が先に出て、次に読み下し文、そして漢文、注釈の順で読みやすくなっている。昔の岩波文庫は漢文が先で、現代語訳はうしろではなかったか(?)。

章ごとにいちいち解説はしていない。そこはまた岩波文庫本のよいところかもしれない。何回もいうけど、解説は福永光司が一番好き。