虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

近況報告

2007-10-28 | 日記
デジカメがこわれた。突然、電源が入らなくなった。電機屋さんに持っていくと、デジカメの修理は最低でも1万はするといわれた。こんな製品てあるのか。消費者も黙ってるのか?修理はやめた。メガネのフレームもこわれた。前、どこかの店にとびこんだら無料でちょこちょこと修理してくれたので、今回もただだろうと思って、ちがうメガネ屋さんに頼むと、4000円かかるといわれた。もちろん、けっこうです、と断った。今月は、車をはじめ、こわれることの多い月だった。

ビデオ屋さんで「阿片戦争」(中国製)を借りて見た。つまらん。ただ、イギリス人が、中国には孔子と荘子というギリシャの哲人よりも優れた思想家がいる、と話していたのがおもしろかった。孔子はわかるが、荘子を並べたのが、荘子ファンのわたしとしては、おやっと思った。

中国は近代化し、革命がなるのに長い年月を要したが、日本はたった数十年で革命をやりとげ、それをまるで日本人の優秀性を示すようにいわれたりしたが、しかし、それは、列強の欲望が中国にむけられ、中国は西洋の侵攻を一身で受け止めていたからだろう。しかも、日本は西洋列強と共に、いや、最大の侵略者として中国に向かう。アジア人としては恥ずべき歴史だ。

それにしても、人を死にいたらしめるアヘンを自由貿易と称して国家公認で中国に売りつけるイギリス資本主義。しかし、これは過去のことか?アヘンはないかもしれないが、人を無力にさせ、死にいたる病にさせる商品は今でもいっぱいだ。

近代の中国に関心があったので、以前、録画しておいたロバート・ワイズの「砲艦サンパウロ」も見た。サウンド・オブ・ミュージックを作った監督の反戦映画だ。主人公スチーブ・マックイーンは、最後、「なぜ、おれはこんなところにいる。おれは前、アメリカの家にいたのではないか」てなことをいって、中国で死んでいく。おもしろくはないけど、「阿片戦争」よりはいい(笑)。あと、中国が舞台のハリウッド映画というと、北京の55日か。義和団には大いに関心がある。しかし、このビデオは在庫がありません、といわれた。映画は義和団を悪党扱いしたものだけど。

映画といえば、NHKBSで今度、12月ころだったか、「赤毛」がある。赤報隊のことだ。ユニークないい映画で、以前、録画しておいたけど、紛失したので、楽しみにしている。あとは、何もなし。若大将とか、BS映画は、前にやったのばかりくりかえしている。これでは、衛星料金を返せ、といわれてもしかたがないだろいう(といっても、おれには、言う資格はなかったっけ)


李秀成

2007-10-23 | 歴史
高杉晋作が上海にいたとき、その上海を攻撃していた太平軍の首領が李秀成だった。もうすこしで上海を占領できていたかもしれないのに、洪秀全のいる南京を守るために上海攻撃は中止になる。

もし、高杉晋作と李秀成が会っていたらおもしろいなあ、と思うけど、こんな空想をすでに劇にした人もいるのですね。ネットで李秀成を検索したら、いきなり劇の題名が出た。上海大冒険。もう10数年昔の公演だけど、内容はぶっとぶ。龍馬と晋作が上海にいき、そこで、吉田松陰に生き写しの女性(松陰も女性だった、という設定)に出会う。それが太平天国の李秀成。作者はマキノノゾミ。NHK朝ドラの脚本も書いたこともある人だそうな。

たしかに、李秀成って、そんな空想をかきたてたくなる魅力があるのです。
太平天国、南京に首都を定めるまではみんがよく協力していいのだけど、後半、幹部の権力争いが置きたり、洪秀全は宮殿の奥にはいって無能無策になり、みっともない事態になる。かわって、この李秀成とか、石達開とかの英雄が活躍するのが救い。英雄だけど、しかし、上に頂く王が愚かな洪秀全なので、悲劇の将軍といえる。

李秀成は貧しい農民の子だけど、本が大好きで片時も本を手放さないような人だった、という。最後、洪秀全の子どもを連れて城を脱出するが、捕まり、曽国藩によって、処刑される。太平天国の理想を最後まで信じて行動した人だろう。だが、残念なことに、この人の本がない。

陳舜臣の「太平天国」にも李秀成の活躍はほとんど語っていない。(陳舜臣の太平天国は、がっかりだ。アウトラインを述べるだけで、人物も何もよくわからない。書くのなら、もっと腰をすえて書いてほしかった、と傲慢な読者は思う)。

太平天国、ひょっとして、清国を倒したかもしれなかった。はじめは、どうなるかわからず、イギリスも中立の立場をとったほどだ。だが、太平天国はアヘンを厳禁しているし、賠償金その他で、清国と手を結んだ方が、利権が得やすいと判断して清国に加勢する。

よその国の内紛に平和をもたらすために軍事介入する?まずそんなことはあるまい。そこに利権がある。利権が得やすい方に味方するものな。

増井経夫「太平天国」

2007-10-21 | 読書
図書館で、増井経夫「太平天国」岩波新書を借りた。
なんと1951年に初版が出ている。半世紀以上も前の本だが、いい本だ。

大塩や生田万についての記述もあり、日本の乱、百姓一揆とも比較している。
著者は、太平天国にかなりシンパシーを持っている。でなければ、研究などするまい。その次の世代の研究者が小島晋治。「洪秀全と太平天国」(岩波現代文庫)がある。若い世代では、菊池秀明という学者が、研究しているようだ。

さて、この増井氏の「太平天国」。最も早く太平天国の情報に接したものとして、あのジョセフ彦といっしょに漂流した「栄力丸」の乗組員利七(文太)を登場させている。帰国し、自分の故郷鳥取藩で話したらしい。太平天国軍のいる南京に船で入ろうとしたが、浅瀬でいけなかった、ことをのべ、太平天国軍の流説を話している。その話は、あの漂流民音吉から聞いたことのようだ。利吉の話しぶりからは、太平天国軍への好意があふれているそうだ。

その次に太平天国に接するのは、高杉たちをのせた千歳丸。しかし、武士たちは、太平天国軍がキリスト教を奉じるためか、邪教の徒と思ったらしい。

太平天国については、吉田松陰も清国の情報を書き写す中で知っていたらしい。しかし、その情報は、限られたものであり、松陰も正確には知らなかったようだ。

ひるがえって考えれば、わたしだって太平天国については何も知らない。神がかった変なおっさんが起こした、というイメージはある。情報がないからだ。

中国の革命は太平天国から始まる。革命の幕を切って落としたという意味では、洪秀全も、幕末の清河八郎と同じかもしれない(ハハハ。それはないか)。

中国・広東の村民、役場占拠

2007-10-20 | 新聞・テレビから
今朝の新聞に、広東省の村で、村民が村役場を110日にわたって占拠し続けているという記事が出ていた。村の幹部が村の財産である土地の使用権を売却し、約15億円にのぼる不正な経理処理をしているのではないか、というもの。腐敗幹部は辞めろ、という横断幕を張り、村民ら数十人が交代で役場に寝泊まりしているそうだ。がんばれい!といいたいが、反対に日本のおまえらのざまはなんだ、といわれそうだ。



車 エンジン

2007-10-20 | 日記
車のエンジンが急に止まった、という話は前に書いたけど、あれで終らなかった。あれから2回もエンジンが止まってしまった。1回目の故障のあと、修理工場に出したが、その2,3日後に、またエンジンが止まった。また、同じ修理工場でみてもらう。その2.3日後にまた、エンジンがかからない。
何を修理したのだあ!とさすが頭にきた。1回目、2回目、3回目にどんな修理をしたのか文字で報告せよ、と注文した。まだ3年未満なので、メーカー保障で修理代は無料だそうだが、あたりまえだ、もし、今度、エンジンが止まったら、車を交換してもらうぞ。大事故になるのだから。マツダAZワゴンだ。不良品ではないのか?

リンドレー「太平天国ー李秀成の幕下にありて」

2007-10-15 | 読書
古本ネットに注文していた東洋文庫の「太平天国ー李秀成の幕下にありて」全4巻が来た。全4巻で2100円だ。今、新品を買うとしたら、1巻だけで2500円以上はする。ネットでも6000円くらいの値がついているものが多く、一番安いものを選んだ。昔からこの本の存在は知っていたのだけど、李秀成という人を知らなかったので読まなかった。李秀成はなかなかの人物だとわかったので、読みたくなった。

これも天下の奇書といっていいだろう。香港にきたイギリス軍人リンドレーが軍をやめ、太平軍と共に行動した記録だ。李秀成とは太平天国軍末期の若き英雄。

自分の体験、見聞と太平天国軍の経緯、沿革を交互に書きすすめ、洪秀全のことなどはもちろん、当時の中国民衆のようすがビビッドに描かれ、いまどき、2000円でこれだけの本はない。

リンドレーはもちろん、太平天国軍のシンパであり、イギリス帝国主義を弾劾する。本国イギリスではさんざんの非難をあびた本だそうだが、それはそうだろう、アメリカ軍人が、テロリスト仲間と共に行動し、アメリカを弾劾したら、本国では生活できないだろう。リンドレーは、この時代にけっこう多かったイギリス冒険野郎だったのかもしれない。

イギリスは清朝に味方し、太平天国軍と戦う。いや、当時の国際社会は清朝を支援し、太平天国軍を反乱者、秩序破壊者、長髪賊の乱と非難した。今でも、たまに、太平天国の乱(乱というのもおかしいが、国を建国したのだから)とは書かず、長髪賊の乱と書いている本もあるくらい、そのご、かなり無視、軽視されてきた。
アヘン戦争をおこしたイギリス、アジアを自国の利益のために蹂躙した19世紀ヨーロッパの無法はよく知られている。しかし、これは昔話だろうか。アヘンではないけど、今なおよその国土を破壊しつづけている帝国はあるではないか。現代史としても、読めるかもしれないぞ。今日、届いたばかりで、まだ読んでなく、ここまで言うのは言いすぎ?

太平天国についての、数少ない本の一つで、ルポルタージュとしては唯一の本だろう。(かなり虚構も入っているとは、批判者からの評のようだけど天下の奇書であることには変わりない)。


太平天国の乱

2007-10-14 | 読書
乱や一揆が好きだけど、乱・一揆となると本場はやはり中国だろう。そのスケールの大きさ、ダイナミックさは日本など比べられない。

今、陳舜臣の「太平天国」を読んでいる。太平天国の乱は近代中国最大の反乱だ。高杉晋作が上海にいったときも、太平天国の乱の最中だった。孫文は、太平天国の乱に感動し、第二の洪秀全を志したともいわれる。

陳舜臣の「太平天国」は全4巻だが、とてもこの巻数ではその全貌を描くには足らず、流れを追うだけで精一杯という感じでそれが物足りない。それほど、この歴史はおもしろい。10巻は必要だろう。

首領洪秀全は、村の知識人だが、科挙に何度も失敗し、その失望から病気になり、幻覚を見る。老人が現れ、現世の妖魔を取り除け、と説く。その6年後、町の伝道師からキリスト教のパンフレットを渡され、あの夢に現れた老人はエホバであり、自分はイエスの弟だと確信し、キリスト教的な世直しを布教する。

この洪秀全を助ける頭領たちも、それぞれおもしろく、例えば、楊秀清。炭焼き出身の文字も読めない人だが、頭がよく、太平軍の組織、軍の指揮に抜群の才能を発揮する。洪秀全は宗教面だけを受け持ち、実権はこの人が次第に握ってくる。決起前、この人は発狂し廃人になったまねをして、敵を油断させたりする。

1851年に太平天国を建国し、南京を占領、首都北京までめざすが、内紛などもあり、1864年、洪秀全は病死する。10年以上、中国全土を動乱にまきこんだわけで、その間、さまざまな人物、物語がある。ただ自分の保身だけを考えて戦意のない清国高級官僚や、天地会という武侠団体、女剣士(洪秀全の妹もそうだ)も登場し、三国志、水滸伝級の物語だ。

太平天国軍は、キリスト教的な平等、世直しを志向する理想主義を持ち、その軍は、規律も厳正で政府軍よりも民衆からは支持されていたそうだ。


世直し革命の壮大な実験とその挫折、これほどおもしろい歴史なのに、小説は陳舜臣の本のみで(わたしの知るかぎり)、研究書も数はとても少ないのが不思議だ。


日本歴史と小田実

2007-10-12 | 読書
小田実は、読書家だから、日本の歴史にも相当詳しいはずだけど、あまり英雄や豪傑については語らない。今日、小田実の「生きる術としての哲学」(岩波書店)という最後の講義集という本をめくってみたら、信長が生きていたら、秀吉と同じように朝鮮侵略をやっていただろうか、という話をしていた。小田は、信長は、合理主義者だったから、朝鮮侵略はしなかったのではなかろうか、と推理していた。もちろん、あの非道な信長を弁護したのではないのだが。

秀吉の朝鮮侵略については、徳富蘇峰の説を支持していた。小田は、「民岩太閤記」を書くにさいし、この時代のことを研究したそうだが、一番、参考になったのは、徳富蘇峰の近世日本国民史だった、と評価していた。

秀吉の朝鮮侵略については、秀吉が耄碌したから、とかいろいろな説があるけど、小田は、秀吉は西洋の歴史を優等生として学んだもので、世界史の一環としての行動ではなかったか、といっている。もちろん、これも秀吉を弁護しているのではないのだが、おもしろい、と思った。

あと、小田は、「薩南血涙史」という西南戦争史料集を愛読している、と語っていた。あの西郷隆盛や坂本龍馬について小田はどう思っていたのか、小田の日本史講義が残されなかったのは残念だ。

わたしが小田の本に紹介されて好きになった日本史人物は、宮崎滔天と堺利彦だ。滔天については、坂本龍馬が生き続けていたら、滔天のようなコースもありうるのではないかと、うろ覚えだけど、書いていたような気もする。

楽しみなNHK「風の果て」

2007-10-10 | 映画・テレビ
来週からNHK木曜時代劇は藤沢周平の「風の果て」をやるらしい。これは楽しみだ。ここ、数年、毎回、楽しみにしているドラマってない。この「風の果て」は、文庫本の表紙の絵に惹かれて昔、買ったことがあるが、まだ読んでいない。わたしには、藤沢周平の作品はNHKでドラマ化してもらったほうがおもしろい。
それにしても、最近、本も、これっというもの読んでいないんだよなあ。なんか意欲喪失の日々が続いている。そのうち、元気が出るだろうか。
画像は一庫ダムの渓流。龍化つり橋を降りたところ。

秋風

2007-10-07 | 日記
夏は暑いし、冬は寒くて窓は開けられない。秋の夜はやはりいい。今、窓から涼しい秋風が入ってくる。100円の秋刀魚1匹を日本酒2合で味わう。うーん、実に美味だ(笑)。酒と風と秋刀魚だ。
昼、近場の一庫ダムに立ち寄ってみた。ウーム、ネタは思いつかない・・。

げんをかつぐ 法華経の力?

2007-10-06 | 日記
今日、不思議な体験をした。

ある用事を果たしたあとの帰り道、スタンドでガソリンを満タンにしたあと、5,6分ほど走って信号で停車すると、エンジンが止まっている。何度かエンジンを始動するもすぐに止まる。止まったまま。後ろから車が来る。停車ランプを点滅させるがこのままでは危険。すると、二人の人がやってきて、車を押してくれて、民家の道路わきまで移動することができた。そこで、さっそく、JAFに電話。電話していると、そこにぬっと現れたのが、近所の知り合いの(車を買った)店の人。「どうしました?」。年に1回も会うこともない人なのに、こんなところに偶然現れるなんて。JAFはすぐにキャンセルして、その人に頼んだ。車は、その人が修理工場へ、わたしは、その人の車で無事、帰宅。

エンジンがかからなくなる、なんて、ガス欠の経験はあるが、ガソリン満タンなのに初めての経験だ。びっくりした。しかも、ちょうどそのとき、車の修理屋さんが向こうから「どうしました」と現れたのも驚いた。まるで、仏さんか神様が助けてくれたよう。と、そう思うと、車の中に岩波文庫の「法華経」下巻を入れてあったことに気が付いた。そうか、法華経の効力だったか、と(笑)。

げんをかつぐというのでしょうか、かなり前、岩波文庫の「法華経」(坂本幸男、岩本裕訳)を読んでいるとき、いいことがあったような気がして、なにか絶対絶命のとき、「法華経」を手にすることがたまにあった。肉親が手術室に入った時にも、外で法華経を見ながら待っていた経験もある。そのときは成功した。今日も、ある交渉事があって、無事に終るといいなあ、と思って法華経を車の中に入れておいたのだ。お守りです。

といって、わたしは、法華経のなんたるかは知らない。これを持っていたらいいことがある、これを読んだら果報がある、などの効能書きばかりの内容で、とても諸経の王といわれる法華経の真価なんて読み取れない。はたして内容なんかあるのだろうか、と思うほどだ。信仰心はない。寺社にはよくいくけど、あまり手を合わせたこともない無法者です。

別に法華経の効力ではなく、いいことは、他にもいろいろ原因があるはずなんだけど、法華経だけが「これを持っているといいことあるぞ」と説いているので、それだけが頭に残っていたのかもしれない。

おおげさかもしれないけど、今日は、不思議なこともあるもの、神様仏様に助けられたという気持ち。いや、ほんとうは人に助けられたのかもしれません。人に感謝をしなければならないのでしょう。

法華経の中の観音経では、困ったとき、助けて!というとすぐ観音様が姿を変えて現れるそうです。今日はその効能を目の当たりにした気持ち(笑)。法華経には、ますますげんをかつぐことになりそうだ。
ともあれ、交通安全には気をつけましょう。自動車点検も必要です。
                               南無法華経
画像は三田永澤寺の観音像


鶴見知子

2007-10-05 | 新聞・テレビから
最近、ネタがなくなった。というか情熱が枯渇してしまったのかも。これが好きだ、これに熱中している、というのものが、今、ない。しかし、ブログをやっている以上、何か書かなくては、とも思う。

で、朝日新聞夕刊に連載されている「ニッポン人・脈・記」。これはたしかもう1年以上前から夕刊に連載されているルポだけど、今、連載しているものが一番、新聞社らしいルポだ。この連載は本にもなっているけど、今まで感心したものはない。今回は、「手をつなげ ガンバロウ」と題して、労働者の問題(過労、労災、言論の自由など)をあつかっている。これはいい。しかし、これがどんなに少なくなった記事か、思わず記者の鶴見知子という名前を注目したくらいだ。おそらく長くは続かないだろう。だが、大新聞社にもこんな記事を書く人がまだいるのか、と思った。

ジャーナリスト宣言をした朝日。当然、殺されたジャーナリスト長井さんのためにもミャンマーに政府とは別に独自にジャーナリストとして抗議行動を起こすべきだが、ただ政府の外交を見守るだけだ。大新聞社は、ジャーナリスト廃業宣言をすべきだ。

ジョセフ彦と長州

2007-10-02 | 歴史
ジョセフ彦は「新聞の父」として、日本で初めて新聞を発行した業績が第一になっているようだけど、それ以上に幕末の志士たちに与えた影響も大きいと思う。

彦の自伝には、長崎の彦のもとに、桂小五郎と伊藤博文が足しげく通って話を聞きに来たことが書いてある。桂たちは、彦に長崎における長州の貿易の代理人になるように頼んでいる。その文書も渡している。
「下記署名の長州公の役人は、藩公の代理として、本日、アメリカ市民J・ヒコ氏を任用し、日本の長崎港における藩公の特別代理人として勤務させることを約するものである」という木戸と伊藤の署名入りの文書もある。
彦は、「こうした約束のもとで2年間、何の報酬もないままに、長崎における長州の代理人として勤務した」と書いてある。
桂に頼まれて、長州に外国の薬剤師を派遣したり、伊藤を外国軍艦に乗せてやったり、いろんな世話をしている。

しかし、長州の維新史においてジョセフ彦の功績などはおそらく無視されているのではなかろうか。藩士ではなく、ましてやアメリカ人になった漂流したもと船乗り。さすが伊藤はやさしく、兵庫県知事になったときには、彦が故郷に帰るときに世話をしているが。桂は彦のことはすっかり忘れているにちがいない。

桂や伊藤に彦に会えとすすめたのは、竜馬ではなかろうか。竜馬の名は彦の自伝には出ていない。しかし、自伝を書いたのは明治20年代だから、このころは、一般にも竜馬の名は忘れられていたのではなかったか?

竜馬と彦の関係について書いてあるのは、田中彰「開国と倒幕」集英社版日本の歴史15巻だけだ。何の確証もないらしいが、「もし、このジョセフと龍馬との関係が確認できれば、竜馬の国家構想の発想や行動様式にヒコが何らかの影響を与えている可能性も十分考えられる。今後の興味深い課題といえよう」と書くのみ。

彦は英語は達者だったが、少年のころにアメリカに渡ったので、日本語(漢字)で文章を書くことが不得意だったらしい。そのためもあってか、日本政府で働く事は困難だったのかもしれない。

画像は、播磨町の蓮花寺にある彦が建てた両親の墓。裏は、英文で記してあり、横文字の墓として知られる。