虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

ビラ

2006-06-25 | 日記
昨日、辺見庸の講演会で開会前に並んでいたときに、何人かビラを配りにきた。
どれも行こうとは思わないけど、そのいくつかを紹介。

・6月27日18時~ クレオ大阪中央で 日本と韓国の心をむすぶコンサート大阪公演 冬のソナタのキム次長が来演するそうだ。

・7月1日 京都府解放センター 辻本清美の国会報告

・7月2日 京都 ひと・まち交流館 「靖国で会おうはもういらない」遺族からのメッセージ 主催 米軍基地の撤去を求める会

・7月15日 シネ・ヌーボー 日韓共同ドキュメンタリー映画「あんにょん、サヨナラ」上映

・7月21日 大阪地方裁判所 大経大生でっちあげ逮捕事件第4回公判。

・7月30日14時~ルシオーレホール(蛍池)市民憲法講座 
  講師若尾典子 テーマ「ジェンダーと平和憲法」主催活かそう憲法!北摂市民ネットワーク

・8月13日午前10時~クレオ大阪西ホール 第20回アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ心に刻む集会

以上。

画像は(たぶん)大江橋からとった大川(淀川)。江戸時代は大阪は水の都。いく艘もの小船が行き交っていたそうだ。わたしが1度やってみたいのは、小船を川に浮かべてそこで酒を飲むこと。最高だよ、きっと。







中の島公会堂

2006-06-25 | 日記
中の島公会堂は大正時代の建築物で重要文化財だそうだ。
ここ中の島は、江戸時代は蔵屋敷がずらっと(約100軒)並んでいた場所で、おそらく大塩平八郎の乱のときも火災にあったと思う。大塩平八郎の居宅があった造幣局へ歩いて20分くらいか。

辺見庸さんについては、ついに顔を見ることができなかったけど、この人は、わたしには、風貌で食わず嫌いにさせていたところがある(写真やテレビでは顔を見ていた)。帽子をかぶり、メガネをかけ、いかつい髭面で、深刻重厚な顔とスタイル。これにジャズを加えたら、70年代にけっこうあちこちにいた風貌ですよね。でも、今、いつのまにかテレビの画面からはこういう顔は消えてしまった。案外、貴重な顔になったのかもしれない。

話は憲法が中心(憲法を変えるな)で、とちゅう、憲法の第1章が「天皇」になっているのはおかしい、「国民」がくるべきではないか、と言ったところで、聴衆から拍手。辺見さんは、「東京で、この話をしたら、しーんとしてみんな黙っていた。ここで拍手をもらえるなんて、さすが大阪。元気が出た」と言っていました。

特に朝日新聞の変節を怒り、大新聞の記者は「糞バエ」と言っていた。新聞の購読をやめ、テレビも見ないほうがいいと言っていたが、これは同感だ。

辺見庸講演会

2006-06-25 | 日記
友達と中の島公会堂での辺見庸の講演会を聞きにいった。
中ジョッキ3杯飲んでから6時前にいくと、もう1000人近くならんでいた。
中の島公会堂、2階席も満席。席はうしろのほうで、辺見の顔も判別できない。
聴衆は年寄りというか、団塊の世代が多い。しかし、こんなに人が集まるとは予想外。
6時半から講演が始まり、9時15分まで、3時間近く話す。脳出血で倒れ、しかもガンの手術までしたためか、右手は不自由で、椅子にすわったまま話す。

辺見庸については、代表作「もの食う人々」も読んでいないし、フアンでもない。
もとジャーナリストでかつ小説家。政治的な評論もかなり文学的に書く人。ちょっとねちっこい文章で、顔つきもテレビなどで見たことはあるが、あまり好きなタイプではなかった。だが、9・11以後の世界や日本についてはっきりとノン!と抗議する言論人があまりにも少なすぎ、気がついてみると、この人が残った、ということなのかもしれない。

立って威勢良く話すわけでなく、みんなが感じているだろう日本の現状についてボソボソと話すので、とりわけ強く印象に残ったという話はなかったが、これは中ジョッキ3杯飲んでいたので、こちらがほろ酔い気分だったからかもしれない。

3時間近く、ごくろうさま。



「カラマーゾフの兄弟」の葱の話

2006-06-18 | 読書
今、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる。昔、読んだけど、もちろん、半分も理解できてなくて、だれが親父を殺したんだったかもあやふやだ(最後まで読んでない)。でも、半分もわからないけど、なぜか熱中して読んだ。
知的にはよくわからないけど、魂で体験するような作品なのか。

ストーリーよりも、登場人物のおしゃべりや逸話に惹かれ、全体よりも、部分部分のページで十分楽しめる。よくわからないのだけど、なぜかまた読んでみたい気持ちをおこさせる。癒されるのかもしれない。

作者は、この小説に続編を予定しており、その続編では、主人公アリョーシャは、皇帝暗殺のテロリストとして処刑される物語を考えていたのも興味深い。小林秀雄は、「続編なぞ考えられないほど、この小説は完成している」と、続編の考察をきっぱり拒否してしまったけど、あのアリョーシャがテロリストの親玉で、子供たちが実行者になる?考えるだけでも興味深いではないか。続編が書かれなかったのはとても残念だ。

ところで、ドストエフスキーは文政4年生まれで。勝海舟の2歳年上。日本では幕末の人だ。清河八郎が暗殺されたときには、すでに「死の家の記録」「虐げられた人々」を完成している。「カラマーゾフの兄弟」は明治13年に完成。翌年、60歳で死んでいいる。この時代のロシアはすごいよな。

読んでいて、芥川龍之介の「くもの糸」とそっくり同じ話をする場面を読んだ。ロシアにも同じような民話があったのだろうか。芥川の短編童話は、中国から取材したと思っていたけど、そのネタはどこからなんだろうと思った。

「カラマゾフ」では、くもの糸ではなく、「ねぎ」だ。ある性悪の女が1度だけ畑からねぎを取って乞食に恵んだことがあるので、天使は地獄にいる女にねぎをさしのべる。しかし、他の多くの罪人もそのネギにぶらさがり、地獄から逃れようとすると、「これはわたしのネギ!」と罪人たちを足でけとばす。その瞬間、ネギはプツンと切れる。同じですね。

しかし、あきっぽいので、「カラマ」も途中で放擲して、今回も最後まで読まないかもしれません。

画像は、置塩神社の鳥居と石段。

寛延義民社(置塩神社)

2006-06-17 | 一揆
兵庫県夢前町の置塩神社。加西市から柳田国男の生まれた福崎町を通り過ぎると、塩田温泉。
しかし、置塩神社なんて標識はどこにも出ていない。神社だから、標識くらいあるだろうと思ったけど、標識がないのも当然なのだ。神社といっても無人だし、義民の人形の写真をかざった粗末な小さな拝殿があるだけ。まして、百姓一揆の義民を祭った神社を訪ねる酔狂な人なんて、いまどき、いない。

置塩の村に入り神社だからたぶん山側だろうと山沿いの道を走っていると、道路横に鳥居と石段が目に入ったので、ここだ!と見つけた。石段を登った小高い丘に建っているのが、画像の拝殿です。

鳥居には置塩神社とは書いてなくて、寛延義民社と書いてある。鳥居の横に顕彰会が作った説明板がある。

どんなに人が来ていないかは、石段でもわかる。石段は、まんなかの手すりでのぼりの段と下りの段に分かれているけど、下りの石段は木の枝がはびこって、歩けない状態だ。拝殿も拝殿の周りも放置されたままという感じだ。こんなさびしい荒れ果てた場所には地元の人も近づかないのかもしれない。

寛延2年〈1749年)、姫路藩に起きた大百姓一揆がおき、その頭目になったのがこの置塩郷の滑甚兵衛(40歳、磔)と塩田利兵衛〈37歳、獄門)。拝殿には2人の写真(像)を飾ってある。寛延義民顕彰会というのがあって、この一揆の顕彰活動をしていたのだが、今はその活動はひょっとして休止状態なのだろうか?

寛延義民を見に、夢前町を訪ねる者だっているのだから、夢前町よ、寛延義民にももっと予算を出してください。





五百羅漢(加西市)

2006-06-17 | 日記
加西市の五百羅漢を見てきた。規模は小さい。寺の境内に約70体ほどの石像が建っている。どれもこけしのように直立して、こちらを見ている。素朴な彫り方で、一部は磨耗してしまったのもあるけど、いろいろな顔がある。自分に似た顔を探してみた。

なんでも室町時代に作られたそうだ。戦乱で無念に亡くなった人を弔ったのだろうか。だれがいつなんのために作ったかは史料が残っていないので、正確なことはわからないそうだ。

五百羅漢寺のそばには、住吉神社、酒見寺(多宝塔もあり)という立派な神社仏閣もあり、重要な文化財になるだけあって、一見の価値はある。近くには、うだつなどのある古い家並みも残っている。
このあと、置塩神社にむかった。

丹波路(柏原 市島 春日)

2006-06-10 | 日記
柏原(かいばら)にいってきた。兵庫県丹波市柏原町。車で約1時間半。
ここは、かつて織田家が藩主の柏原藩の城下町。といっても、城下町らしいのは、陣屋跡(長屋門)や太鼓やぐらがあるくらい。陣屋は今、修理工事中だった。静かで落ち着いた町だ。制服姿の女子学生の姿を見たけど、それがとてもよくマッチする町です。観光案内所の前が八幡神社で、長い石段を登った。体力の衰えを痛感。ここには、三重塔もある。神社に塔は珍しい。しかし、美しくはない。無料。

ここは、田(でん)ステ女が生まれたところとか。ステ女なんて知らなかったけど、「雪の朝、二の字二の字の下駄のあと」の句で有名な女俳人だ(この句はステ女6歳のときのものだそうな)。ステ女は俳人として活躍したあとは、その後、盤珪に入門し尼僧になるそうだ。盤珪さんには興味がある。

柏原から30分ほど車を走らせたところに三つ塚史跡公園があり、ここは花しょうぶが満開で、しかも無料ということなのでそこでちょっと休憩。きれいだった。
丹波の永沢寺のショウブは有名で、ここよりもっと広いけど、あそこは入園料高い。

帰り、春日局の生誕地、春日町を通るとき、興禅寺(お福が誕生したところ)の標識を見つけ、そこも一応、見ておくことに。小さな堀があり(こいが泳いでいる)、石垣の上に立派な門が立っている。ここは、戦国時代の城主の下館だったそうだ。本堂の境内には、お福の産湯井戸などもある。無料。

どこもまあまあ、というとこかな。お金を使わなかったから損はしなかった(^^)。

こんなに大きくなったよ

2006-06-05 | 日記
近頃は、親鳥は、エサを与えにくるだけで、以前のように巣の上でじっとしていることはない。ひなは、小さな鳴き声も出すようになった。目も見えるようで、こちらの方を「おまえはだれやねん」という顔で見つめることもある。
巣立つと、親鳥とひと月はいっしょに過ごすらしい。