虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

世論調査の不見識

2014-05-26 | 新聞・テレビから
今朝の朝日。
世論調査として、集団的自衛権とワールドカップをいっしょに調査している。
おそらく、ついでだから、という安易な理由で、ワールドカップについても聞いたのだが、この二つを同列に並べる不見識を恥じるべし。

「日本チームはどこまで勝ち進むと思いますか」「日本チームはヨーロッパや南米の強豪チームの実力に近づいていると思いますか」「ワールドカップで活躍してほしい選手は誰ですか」など。

朝の報道(?)番組

2014-05-16 | 映画・テレビ
朝、たまにテレビをつけている。出勤前に見る。

みのもんたが降板したあとの「あさチャン!」という番組。5時半から8時まで。

なんと、若い夏目三久という美女がメイン司会者。いつも、まるでモデルのような笑みを浮かべている。報道番組の司会者というより、視聴率をあげるためにメイン司会者にすえられたモデルという感じで、自然さがない。報道番組は、この人にはまだ無理なのだ。ただ、番組のスタッフには、報道番組にしようという気はないようで、大学の先生の齋藤孝をこの美人の相棒にすえる始末だ。夏目三久と齋藤孝で、どうやって、時世を斬ることができるというのか。

昨日の集団的自衛権について、斎藤孝は、各新聞社の論説のちがいをあげて、いろいろな意見があることを知ることが大切です、なんて陳腐なこと言っていた。みのもんたが司会だった時より、格段につまらなくなった。しかし、毒にも薬にもならない安全平凡な発言を買われたのだろう。

8時からは、「モーニングバード」にチャンネルを切り替える。赤江たまえ(?だったか)、たまちゃんが以前からちょっと気に入っていた。美人だ。でも、たまちゃんは、夏目三久とちがって、物言いに自然さがあり、人形ぽくない。以前は、たまちゃん一人がメインの司会者だったが、最近(もう1年以上になるかな)、羽島なんとかという若い男性司会者が起用され、二人で司会している。

羽島は、アナウンサー、報道者というより、タレントというべき人。番組が以前に比べ(赤江たまえが一人で司会していたころ)、格段につまらなくなったとは誰しも感じるはずだ。羽島がいるために、たまちゃんがたまちゃんらしくなくなってきた。

集団的自衛権、今日は、そのゲストコメンテーターとして、小川和久という政府側に立つ軍事評論家にものをいわせていた。たまちゃん、きっと戸惑ったにちがいない。番組で、なぜ、こんな人に物を言わせるのか、と。おそらく、これが、テレビ局の方針なのだろう。


国民にとっての脅威 

2014-05-11 | 新聞・テレビから
メディアはしきりに北朝鮮、中国の脅威を言い、国民の安全がおびやかされている、と語る。

わたしは、運転中はカーラジオは毎日放送をかけているが、「こんちわ、近ちゃん」の近藤なにがしかは、毎日のように中国、北朝鮮を出し、大平三郎、シルクさんも同調する。近藤某は、別に北朝鮮や中国の専門家でもなく、ただのタレントだが(元アナウンサーだったか)、タレント、芸人が、外交問題をえんえんと語り続ける。タレント総動員だ。

いったい、今、国民の生活、生命をおびやかすのは何だ。
北朝鮮や中国など、よその国のことは知らない。
しかし、わが国の政府、財界が、国民の生活に重大な脅威を与えようとしているのではないのか。

集団的自衛権しかり。自衛隊員、その家族、いや、国民の生活がおびやかされている事態ではないのか。
憲法改正しかり。戦争を拒否する国から戦争をできる国への大転換。これは、アメリカや財界の希望ではないのか。
原発しかり。現に国民の安全安心をおびやかしている。
TPPしかり。国民の経済生活に大きな影響を与えるのに、まったく国民に知らされない恐ろしさ。
増税、税制改革、社会保障しかり。大半の国民の生活は苦しく、餓死者の存在も不思議ではない。

だが、テレビでは、これら、原発、集団的自衛権、生活苦などは扱わない。とにかく、悪いのは中国、北朝鮮だ。いや、報道番組じたいがない。土、日曜など、お父さんが家族と家庭にいる時間、報道番組はない。一度、新聞の番組欄を見たらわかる。昔はこれほどではなかった。この報道番組の消滅は驚くべきことではないのだろうか。異常だと思う。

朝の主婦向けの報道番組があるというかもしれない。タレント(もどき)や芸人が司会するか、芸人やタレントのようになったアナウンサーが司会する番組はたしかにある。コメンテーターもまた、タレントやスポーツマン、いてもいなくてもいい無害な文化人でお茶をにごす。

本来、報道部といえば、テレビ局の花形であったはずだ。今、テレビ局の報道部はおそらく凋落した存在なのだろう。そこでは、もはやジャーナリスト教育、報道マン教育などもまともにされていないにちがいない。テレビ界から直言するジャーナリストはきっと放逐されてしまったのだろう。

報道番組をけちらして、テレビを独占するのは、お笑い芸人たちをひな壇にならべてべらせるバラエティ番組か、クイズ、旅行、そして「うまぁ」のグルメ番組。あと、スポーツ。国民にはこれだけ与えれば十分だと思っているのだろう。

国民の生活が脅威にさらされている中、安倍政権の支持律は60%を超えるという。財界のメデイア支配は完成したというべきだ。

テレビ局の良心ある人よ。新しいメデイアを作れ!テレビ局に反乱せよ。
今日は、えらいえらそうなこと言ったなあ(笑)。反省。




憲法記念日(新聞から)

2014-05-03 | 新聞・テレビから
朝日、「憲法を考える」という特集を、1面、2面、3面に。
「改憲の旗を振る安部首相の論理や狙いを探る」として、今日の特集は安部首相が主役だ。

1面は、安部首相の決意の固さとこれまでの経緯を語り、改憲は初当選以来の安部の宿願だと、安部・政権幹部の事情通が記事にする。

2面は、安部首相が改憲につき進む理由、狙いを「憲法観」「前文と9条」「改正手法」の3つに分けて書く。

ここでは、安部首相が語った言葉をご丁寧にゴジックにして示し、その内容は12カ所もある。それぞれ、見出しもつけられてあり、「憲法観」では、「日本という国の形、理想と未来を語る」、「前文と9条」では、「安全、命を他国に委ねていいか」、「改正手続」では、「国民投票の機会、国会に閉じ込められぬ」。

これだけ安部首相の考えをわかりやすく丁寧に紹介してくれて、きっと安部さんは朝日に感謝しているはずだ。

朝日は、親切にも、その記事の下には、安部さんのブレーン八木秀二、衛藤首相補佐官、桜井よし子氏、3人の改憲への思い、文を顔写真入りで紹介する。

1面、2面を読んだ読者は、一瞬、これは、産経か読売新聞か?と錯覚するだろう。

改憲側の狙いを紹介するのはいい。しかし、ただ紹介するだけでは、改憲側の広報になってしまう。狙いを紹介してのち、それぞれの項目について新聞社の鋭い分析、反論が欠かせない。

しかし、3面では、大学教授の杉田敦と長谷部恭男の対談だ。これほど、安部首相の狙いを紹介して、まとめは、まさか大学教授の対談で終わりにするとは思えない。次回ではきっと新聞社の意見、改憲反対の論客の意見をのせるのだろう。

社説は、集団的自衛権を解釈で容認しようとする政府への批判だが、意見に力がなく腰がひけている。

「北朝鮮の核開発や中国の軍備増強などで、東アジアの安全保障環境は厳しくなっている。いまの議論が、日本の安全を確実にしたいという思いからきていることはわかる」などと書く始末。
「わかる」などと言ってしまえばおしまいだぜ。

どうしても集団的自衛権を認めたいならば、国民投票で憲法改正をしたらいい、とも書く。これは、毎日新聞も同じ意見ではなかったのか。改憲側の思うつぼではないのか。

社説は、政府の乱暴な動きにたいして、「なぜ、こんな乱暴なことがまかり通ろうとしているのか」と書き、「真っ先に目につくのは国会の無力だ。論争によって問題点を明らかにし、世論を喚起する。この役割が果たせていない」と書く。

ちがう、ちがう。書きながらだんだん腹がたってきた。真っ先にダメになっているのは、新聞、メディアではないか!

北海道新聞や琉球新報の社説の方が立派だ。
大新聞社はつぶれるかもわからないが、地方新聞はまだ生き残れる。


消費増税後の報道

2014-05-02 | 新聞・テレビから
今日の朝刊にNHK会長が、放送の公平性は、一つ一つの番組でやるべきだ、と発言した、という記事があった。どうも、きっかけは、4月のニュース番組らしい。そこでは、消費増税の不安を抱える高齢者を取り上げたそうだが、会長は「税率が上がって困ったというだけではニュースにならない」「買いだめは無意味だと伝えるべきだ」などと発言したらしい。

そういえば、昨日の9時のNHKのニュース。消費増税後の1か月、売り上げ減はそんなに深刻ではなく、想定内、むしろ、堅調、という報道をしていた。百貨店では高級品が売れる、サラリーマンも「せれぶメニュー」という高価な料理を注文している。ご夫人も高級な衣服を買っている。要は、販売戦略で、消費増税で、消費者の大きな変化はない、というものだ。そりゃ、富裕層にとって、また、大企業にとってはそうだろう。

NHKがこれだから民放もみんな楽観的だ。消費増税、たいして影響なし、アベノミクス好調の報道。大企業、政府サイドに都合のよいニュースばかりで、庶民の困窮した生活の報道はしない。

メディアの報道はもう信用しない。

いづれ、想定外の現実がやってくる気がする。

社説 護憲講演拒否

2014-05-01 | 新聞・テレビから
最近、ブログでは朝日の社説をネタにして書くことが多い。だいたい、悪口が多いけど、久しぶりに良い社説もある。わたしは、イラチな性分なのか、もってまわった言い方や、ご託を並べるが、結局、何がいいたいのかわからない文章は嫌い。率直な物言いを好む。それだけなのだ。

今日の社説「護憲講演拒否 霞を払い議論を開け」は、率直で、主張が一貫していた。好感を持てた。

安部首相が出席したメーデーで「消費税おまえが払え」というプラカードをもった男性に警官が張り付き、「掲げるな」と圧力をかけ、安部首相がマイクを握ったとき、「残業代ゼロ!」と声をあげたとたん、警官が取り囲み、会場の外に押し出した例から書き始め、千葉市や神戸市など自治体が護憲講演会を拒否するケースをあげ、異論や議論が霞の奥に追いやられている状況にふれる。

そして、記者はズバリと書く。

「政治的中立とは何か。主観的考えを述べない講演がありうるのか。略。うかがえるのは、改憲を掲げる安倍政権と、それを支持する人たちの意向を忖度し、護憲集会にクレームがつくことを恐れ、事なかれ主義に走る情けない姿である」


その言やよし、だ。
新聞も社説も同じだ。主観的考えを述べない文章はありえない。

5月3日は憲法記念日だ。朝日は社説で憲法について書くだろう。今日の社説子が語るように「情けない姿」だけは見せないでほしい。ズバリとものが言えるかどうか。