虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

サポートセンター

2009-04-25 | 日記
パソコンは東芝のdynabookAXというのを買ったのだけど、息子から、「高圧を買え、といったのに、アホやなあ」といわれた。高圧?

CORE2のことらしい。わたしのはCeleron。ふーん、どこがちがうのかわからない。だいたい、わたしは買い物は即決。何も知らないから選びようがない。安さだけで選ぶ。

買って、すぐ自分でセットしたが、すぐにインターネットができなくなった。簡単にセットできると思ったのは大間違い。

まず、東芝のサポートセンターに電話する。うまく一発でつながった(ふつう、いつも長く待たされるので、電話する気もおこらないのだが)。

なんと電話で話し合うこと3時間ちかく。電話口で言われる指示に従ってパソコンを操作するのだが、どれもうまくいかない。わたしは、自分はパソコンに無知なので、おそらく基本的な、簡単なまちがいをしていると思うんだけど、といったのだがが、相手のおにいさんはおそらくマニュアルにそって、いろいろ調べる。あまりにも長いので、途中で、「ちょっとトイレにいってきます」としばらく待っていてもらったほどだ。結局、わからず、ルーターの製造元バッァファローかEO光に聞いてみてください、といわれて終わり。ほんとに長時間、お疲れさまでした。

次、eo光のサポートセンターに電話する。ここも運よく一発でつながる。ここも先に東芝のサポートセンターと同じような指示をして同じ操作をする。だが、相手の方(女性)はわたしがどうもまったくの機械音痴だと途中で悟って、こういった。ルーターの線はどこにつながっていますか、ずっとたどっていってください。

手でたどっていくとと、なんと変なつなぎ方をしていることがわかった。正しく線をつなぎなおした。やっとつながった。ヤッター!

やっぱり、基本的なまちがいをしていたのだ。ここでも1時間くらい電話を通してサポートをしてもらったことになる。すごいですね。ほんとにありがとうございました、○○さん、と名前を呼んでお礼をいった。

東芝とeo光のサポートセンターでは、eo光のおねえさんの勝ちだね(笑)。でも、どちらも実に親切だった。わたしだったら、30分も相手をして解決しなければ、わかりません、とすぐ言ったはず。

新しいパソコン

2009-04-23 | 日記
今までのパソコンはもう10年になり、ショップを始めてから故障したら困ると思い、新しいノートパソコンを買ってきた。最近、やたら重くなり、コントネールパネルというヤツでいろんなものを削除したら、ますますおかしくなっていた。

お店で、設定してくれるんですか、と聞くと、いえ、ご自分で、という。サービスマンに来てもらって設定してもらったら、15000円かかるという。自分でやるしかない。

自分でやってみてびっくりした。電源を差し込むだけでウインドウズは動く。最近のはこうなのか。インターネットなんかは無理だろうと思っていたが、ルーターから出ている細いゴム線(なんというのだ?笑)をパソコンの穴に差し込むだけでつながった。

ほんとに、これでいいのだろうか。今は、簡単になっているのだろうか。信じられない。ただ、画面が今まで見ていた画面と少し違う。横に長くなっていて、文字も小さい。そうか、人によって、パソコンが違うと、画面のようすもちょっと違うのか。

草薙剛が公然ワイセツとかで大騒ぎになっているようだが、草薙くんに同情する。事情はよくわからないが、酒飲みの男なら、小さい声でいうけど、それくらいしないか?昔、酔っぱらいは、もっと大胆なことをしたもんだ。電柱に石投げたり、看板を持っていったり、ポストを移動させたり・・・。まあ、ほめたことではないし、世間に酒の上でと甘えるのもよくはないかもしれないけど、公然わいせつ罪か。酒飲みには窮屈な世の中になったなあ・・・。


古本ぺんぎん堂さん

2009-04-21 | 日記
ネットの古本屋さんは世にあまた存在するけど、わたしが一番参考にしたいと思っているのは、古本ぺんぎん堂さんのショップだ。

以前、偶然、目にとまったのだけど、店主さんの日記に「古本屋の作り方」という店を開くまでの経緯が書かれていて(かなり昔の日記になるが)、とても刺激を受けた。カラミーショッププロというレンタルサーバーの存在を知ったのも、この日記からだった。

ブックマークに入れてあるので、一度のぞいてほしいのだけど、古本ぺんぎん堂さんの店は動いている、生きている、店内のすみずみまで目が行き届いていると思う。8階催し会場という企画やいろいろなイベントを工夫しているし、なによりもすごいのは、1冊1冊の本に店主の感想などコメントを書いていること。これはまねしたくてもできない。画像もきれいだし、とてもいい印象を受ける。

ふつう、ネットの古本屋さんは、本の目録が並べられているだけで、自分で本を検索して、安ければ買う、より安いのを探すだけが目当てだったが(わたしはそうだった)、ここは、古本屋の店の中を本を1冊1冊手にとって眺め、店主さんの話も聞き、店内のあちこちを探索しているような気持ちになる。しばらくお店の中をうろうろすることができる。店主がほんとうに本を愛し、お店を愛しているのを感じる。

本は安ければいいとばかりはいえない。だれから、どこのお店から買うかも大切かもしれない。

わたしは、おそらく愛想のないおやじが座っている店、いつも留守にしている無人の店にしてしまいそうだけど(笑)、しかし、利用案内とか、まねできるところはまねしたいと考えているところです。古本ぺんぎん堂さん、ありがとうございます!




市村敏麿42

2009-04-17 | 宇和島藩
部屋の掃除をしていたら、昔とったコピー2枚が出てきた。
図書館でコピーしたもので、日本史総覧(どこの出版社かわからない)の中の明治初期官員録だったと思う。明治3年、市村敏麿が出ているところをコピーしている。

民部省の中の「監督司」という部門で、役職は、上から、正、権正、大佑、権大佑、少佑、権少佑、大令史、少令史となっていて、敏麿は、権少佑の筆頭に名前がある。

縦書きで、他の人と同じように、中臣 敏麿 市村とある。このページを見るかぎり、中臣は敏麿だけ。他の人は、藤原、源、橘、平などだ。藤原と源が大半だ。

この時の民部省は、上から見ると、郷が伊達宗城、大輔が大隈重信、少輔が伊藤博文、大丞に井上馨、得能通生の名もある(宇和島藩)、権大丞に山尾庸三、少丞に玉乃正履の名も。玉乃正履はたしか敏麿が無役地裁判闘争をしていたころの大審院長だったはずだ。山尾庸三は伊東や井上と留学した5人の一人。

このころ、太政官はどうかというと、トップに三条と岩倉、参議には、大久保、木戸、広沢、副島がいる。江藤新平は、中弁に田中不二麿といっしょに名がある。少弁には、内田政風、大史には、厳谷修とあるが、この人は淡路島の天明志士の碑を書いた厳谷修なのでしょう。

西郷は鹿児島に帰っていますね。しかし、この明治3年の時点では、西郷も大久保も桂も江藤も健在で明治政府は英雄たちが一堂に会している観がありますね。

このあと10年もたつと、留学帰りのエリートたちが大きな顔をしだすのですね。

以上、メモをしておきました。



幻の古本屋

2009-04-17 | 日記
いま、工事中のネットの古本屋のこと。

かんしゃく起こしてやーめた、となるかもしれない。
だいたい、子供の頃からめんどうなこときらいで、プラモデルなんて完成したことがない。図工でも絵は好きだったが、工作となると、最後まで完成させられなかった。やることは早いが、雑すぎる、というのが先生の評だ。
しかも、ことは、パソコンだぞ。郵便局で振り込むときも、ATMのが料金安いですよ、とすすめられるが、ATMがこわくて手が出せない男だ。
医者と弁護士は友人に持ちたいものだが、パソコンの得意な人も友人にほしい。しかし、どれも縁がない人ばかりだ。1万円くらい出すから、だれか教授してくれないものか(安すぎる?)。

画像も悪いし、暗中模索、手探りで、目をつぶって暗闇の中を進んでいる状態だ。
一応、ブックマークに入れてみた。リンクという意味もわからないのだが、これがリンクするということかな。
とにかく、おおまかにつくってしまう。細かなところは後回しだ。

おれにできるか?ネットショップ

2009-04-16 | 日記
レンタルサーバー「カラーミーショッププロ」は30日間お試し期間があるし、簡単そうなので、今、取り組んでいるが、いやー、タイヘンだ。

商品登録や画像など1冊1冊打ち込むとしたら、気が遠くなりそうだ。どの本も愛着があって、どの本も売りたくないなんて思ってしまう(笑)。
たとえば、画像のように本を置いてデジカメで写す。その画像をまた小さいサイズに変換する、なんて作業がある。商品の説明なんか書いていたらとても時間がかかる。(このトロツキーの本はまだ1冊しか持っていないので、売らないつもり。)

パソコン音痴で、「モバイル」や「タグ」の意味のわからんヤツがネットショップなんて作れるのだろうか。まだ、店の名前も決まっていない。
しかし、できあがったら、たいしたもんだぜ。工事中の店はしばらくは秘密にしておこう。

東町奉行所

2009-04-16 | 日記
パスポートの申請に行ったついでに、東町奉行所を訪ねた。
パスポートセンターから歩いて約5分、合同庁舎1号館の前にある。
大塩平八郎が毎日通い、跡部山城守がいたところだ。ここから、大阪城の屋根が見える。少し歩くと大阪城公園になる。大阪府庁の建物を見たが、立派なものだ。
ここに、橋下知事がいる。小人に天下を治めさせれば、災害ならびいたる、とか大塩はいっていたっけ・・・。

川西源氏まつり

2009-04-12 | 日記
近くで毎年やっているのだから、1度は見ておかなければ、と思っていた。
川西市の源氏祭り。4月の第二日曜日に毎年やっている。特に、懐古行列といって、昔の武者姿で多田神社から多田のダイエーあたりまで歩く行事がある。

多田のイズミヤに車を置いて、そこから多田神社まで歩いた。多田神社はもう人でいっぱい。多田神社へ行くまでの道筋にも行列が来るのを待っている人がいっぱい。

多田は清和源氏の発祥地だ。多田神社の祭神は、源満仲。この人が武士の元祖ということになる。家康も源氏の家系ということで(ウソだと思うが)、この多田神社(昔は、多田院といった)を尊重したそうだ。

満仲、頼光、多田行綱、坂田金時、武田信玄(源氏だ)、巴御前、静御前、牛若丸、弁慶、鬼などの扮装をした人が歩く。

今年のゲストは元ヤクルトの古田選手。義家に扮して、馬に乗ってすすむ。馬がまっすぐ前を向かず、横に身体を動かしたりするので、古田氏は少し心配そうな顔をしていた。画像は、古田選手の馬上姿。

天明志士の碑 淡路縄騒動

2009-04-11 | 一揆
ETC車は土日は、どこまで走っても高速は1000円ということで、ほんまやろか、ということで、利用してみることにした。淡路島までいった。
池田から高速に入り、洲本で出る。ETCの案内が「料金は1700円です」といっていた。おい、1000円じゃないのかい?よくわからん。

洲本インターチャンジを出て、約10分ほどで、南淡路市広田町に着く。ここの大宮寺。この寺は淡路八十八個所の寺の一つらしい。この寺の裏の丘に立っている。
「天明志士の碑」。天明2年、淡路島最大の一揆といわれる「縄騒動」の首謀者を祭る碑だ。この一揆については、小室信介「東洋民権百家伝」(岩波文庫)で、知ることができる。他の研究書は見たことがない(あるのだろうか)。南淡路市、ちゃんと調べてよな。

画像は「天明志士記念碑」、碑の裏には華族蜂須賀氏(元阿波の殿様)の名前が書いてあった。

その右横にあるのが、「天明志士の碑」。漢文でなんか書いてあるが、もちろん、読めません。この右横に、昭和58年に建てられた案内の碑があり(画面にはうつっていませんが)、それによると、天明志士の碑の撰文は板垣退助、書は厳谷修、とあります。記念碑も碑も明治30年代に建てられたようです。むろん、小室信介の「東洋民権百家伝」の影響が大きいでしょう。

一揆の首謀者は広田宮村の才蔵と山添村の清左衛門とあります。
一揆といっても、暴力を働いたわけではなく、檄文をまき、農民たちを集結させただけで、役人と応接したあと、一揆勢は解散しています。藩は、不当な収奪政策を
した財政担当者(小室信介の本によると、吉田兵六、坂東米蔵など)は罰せられます。黙っていれば、お上はどんどん好き放題なことをするようで、口碑では、「縄の灰が入用である。ただし、その灰は縄の形をしていなければならない」というもので(そんなことできるか)、農民は、縄の灰の変わりにお金で納めるように嘆願したそうな(藩はそれが目的)。縄の灰はほんとかどうかはともかく、農民からしぼりとろうと、藩はさまざまな新法(税法)を作ったのは事実でしょう。一揆の結果、新法は廃止、財政担当者は罷免されたわけですが、一揆の首謀者も獄門になります。

この大宮寺の隣に広田八幡宮という古い神社があります。「東洋民権百家伝」によると、才蔵は、宮村八幡宮の鐘楼にのぼって早鐘をついて人々を集めた、とありますが、その神社がこの広田八幡宮でしょう。

天明2年から明治30年代まで、この地域の人々は、才蔵たち義民の霊を守り続けたけど、現在はどうなんだろう、と思います。年に1回、この碑の前で何かの行事(お祭り?)をするそうですが、さて、どのくらいの人が集まることか。

広田八幡宮には一揆についての何の掲示もなく、この天明記念碑も、大宮寺の裏にあり、人の目にはあまりふれません。

天明志士記念碑の前のベンチに座っていましたが、だれも人はなく、聞こえてくるのはウグイスの声ばかり。碑の前にカンビールを1本置いてきました(笑)

一庫ダム周辺の桜

2009-04-10 | 日記
桜を見に、一庫公園にいった。一庫ダムの近くに整備された公園で、近くに住んでいながら、初めて来た。駐車場もある。平日だからなのか、人は少ない。定年退職した夫婦連れの人がお弁当をもって散策にきていた。広くて、眺めもよく、すがすがしい。でも、ここには、桜の樹はあんまりない。この一庫は昔は一庫村といって、炭の産地だったようだ。一庫炭(池田炭)といえば、茶席で使われる高級な炭だったようだ。炭はクヌギの樹を焼いて作るらしい。

一庫ダムから流れる川の周辺に桜がたくさん咲いている。桜の色はやはりやさしくていいな。風がふいて、桜吹雪になっていた。明日、明後日には散ってしまいそう。持参のカンビールと日本酒を飲む。こんなぜいたくをして罰が当たらないかな(笑)。昼から、酔っ払うな!

桜そしてチェーホフ

2009-04-09 | 日記
桜がきれいだ。近いうちに、桜の木の下で一杯飲らねばなるめい。
桜といえば、古い東映時代劇のフィナーレを思い出すな。最後はめでたしめでたし、と桜の満開のようすが多くなかった?

桜といえば、日本の国樹。チェーホフに「桜の園」という有名な戯曲があるが、チェーホフは、この題名に日本のイメージを少し重ねたのかもしれない。

チェーホフは日本に憧れていたらしい。中本信幸「チェーホフのなかの日本」(大和書房)によると、チェーホフはサハリンに旅行したあと日本を回る予定だったが、当時、日本はコレラが流行していたので断念したらしい。また、サハリンにいく途中のある町で日本の娼婦と一夜を共にしている。日本女性を気にいってるみたいだ。明治、ロシアには長崎や天草あたりからのたくさんのからゆきさんがいた。サハリンでは日本の外交官と酒を飲んだりしている。

チェーホフの屋敷には、日本の樹がたくさん植えられているらしい。
チェーホフが亡くなるときの、最後の言葉が、「水兵は退去したか?」で、これは、日露戦争のときの広瀬中佐とその水兵たちのことではないか、と指摘している。

明治時代は、ロシアやヨーロッパにはちょっとした日本ブームがあったようだ。魅力的な国に思えたのだろう。たしかに、チェーホフは、なんとなく古い日本と合いそうだ。

チェーホフが日本に関心を持っていたことを知ると、よりいっそうチェーホフに親近感を覚える。


かんぽの宿 決着?

2009-04-08 | 新聞・テレビから
朝日社説、かんぽの宿 「大山鳴動して何が残った」の見出し。
まるで、ザマを見ろ、といいたげだ。
朝日社説は、当初から日本郵政の一括譲渡を支持し、総務相のいいがかりに文句をつけていたが、まったく国民の視点がないのにはあきれる。

総務省が調査結果を発表し、業務改善命令を出したが、結局、「意図的で悪質な「不正」と呼べるような事実は見いだせない」。出来レースでもないし、売却価格も安くないし、なんら文句をつけることはなかったではないか、といっている。

よくも、それが言えるな。日本郵政やオリックスが言うのならともかく、事実を報道する新聞社がいう言葉か。総務省があげた16の問題点それぞれが追求すればもっと問題が出そうな項目ばかりだが、社説は、「収益改善に努めたあとで売れば、より高い売却額になった可能性がある」など、どれも改善が望ましい点や手続き上のミスにとどまった」と書く。例にあげたのは、16項目の中で、一番具体性のない例で、その他の項目が単に手続き上のミスとかささいな問題だと、国民のだれが思うだろう。この文章は、新聞人の書く文章ではなく、まさに国民をだます政治屋の文ではないか。

傑作なのは、総務省が推計した売却価格「250億円」、これは、はじめの日本郵政の売却価格109億円の2倍になるのだが、どうだ、総務省の試算でも価格は建設時の10分の1になっている、109億円の額だって、おかしくはなかった、と言っている。この国民感覚のなさ、非常識ぶりはどうだ。

大新聞以外に、どこかで新しい国民の新聞ができないものか。幕末だったら、こういうとき、莫大な資金を出してくれる草莽がいたのだけど、今は、いないのだろうか。国民有志がお金を出し合って、新聞を作るしかないのかもしれない。それは、新しい野党を作る運動ともつながるだろうな。しかし、夢だ・・・。

チェーホフ

2009-04-06 | 読書
その全集が文庫になっている外国作家はチェーホフだけではなかろうか。(今は絶版になっているかもしれないが、筑摩文庫で全集になっていた)。人気があるにちがいない。

でも、わたしは、どうも、チェーホフはよくわからなかった。短編なので、ひとつやふたつ読んだくらいではわからないのだろうが、チェーホフの作品に、ロマン・ロランやトルストイのような作者の思想を期待したからかもしれない。ロマン・ロランの小説には、全ページがかれの思想、感情にあふれているが、チェーホフはそういうタイプではない。

わたしは、文章でも、話でも、何でも自分中心に考え、いつも「自分は、おれは」ということを大切にし、それをよいことだと思ってきたけど(このブログもそう)、チェーホフは作品の中に自分の思想や考え方をそのまま表現することはまずないようだ。

チェーホフはふだんの生活でも、「ぼくの好きなものは、」とか「ぼくのがまんのならないのは」などという言葉は決して吐かなかったそうだ。実に控えめで奥床しい。いや、だからこそ、他人の苦しみや回りの人々がよく目に見えたのかもしれない。

だいたい、わたしのように、常に自分を考え、自分を主張しようとかまえている(自己中心的)者は、他人のことや回りはあまり目に入らず、自己以外のことにはけっこう無関心、冷淡(最近、この年になってやっと自分のその自分勝手の欠点を自覚するようになったが、でもこれは治りそうもない)。

チェーホフは、その作品は、まだよくわからないのだけど、チェーホフの人気には、チェーホフという人柄の魅力もあるのだと思う。

中央公論社版チェーホフ全集の別巻の「チェーホフの思い出」という巻がおもしろい。中でもゴーリキーが書いたチェーホフについての文はいい。

ゴーリキーが書いているおもしろい話を一つ。「ある時、ある肥った貴婦人が彼のところにやってきた。健康で美しく、きれいななりをしていた。彼女は《チェーホフもどき》に話し始めた。(このチェーホフもどきがおもしろい)
「生きているのが退屈ですの、アントン・パーヴロヴィッチ!何もかも灰色なのです。人々も空も海も、それに花さえも私には灰色に見えますわ。それに望みもありません、・・・魂はうれいに沈んでいます・・・何やらまるで病気のようで・・・・」
「それは、病気ですよ!」確信をもって、アントン・パーヴロヴィッチは言った」

この巻(チェーホフの思い出)には、「わたしのチェーホフ」というチェーホフの恋人(プラトニックだが)の手記(アヴィーロワという人妻なのだが、この女性の死後4年目に初めて世に発表されたものらしい)があり、これもおもしろい。
これについては、次回に。

病院で

2009-04-02 | 日記
病院にいくがいつも1時間以上は待たされる。1時間以上待っても、お医者さんと対面する時間はおよそ1分程度。ほとんど何も会話できない。もうちょっとやさしく見てくれないかなあ、と思うけど、お医者さんは超忙しいのだろう。市立の総合病院に通っているが、若いお医者さんの目は充血している。お昼休憩もとれてないはずだ。昼食をとる時間もなさそう。

年金は65歳から支給されることになったが、このとき、国会や世間では十分な議論があったのだろうか。現代の60代は元気、まだまだ十分働けるなんてごまかされたのではないだろうか。今、60代、働きたくてもたぶん、職場はないのではなかろうか。それになにより、65歳までみんな生きているわけではない。65歳までの生存率がどれだけあるかしらないが、65歳までになくなる人も少なくない。年金をきちんと納め続け、しかも年金を支給されずに亡くなる人もいるわけだ。このお金はどのくらいになるのだろう。65歳まではなにがなんでも生きてなきゃ、
損だ、なんてことを待合室で考えた(笑)。

で、明日から、禁煙だ!がんばるぞ。

おすすめ本

2009-04-01 | 日記
古本屋をするとしたら、自分が持っている本を売ることになる。持っている本は、わたしの気に入っている本ばかりだから、その本がなくなるのはやっぱりいや。自分の本として、これは手離したくない、という本がある。で、オークションなどを利用して、特に好きな本は、何冊か持っている。いくつかあげると、

大仏次郎「パリ燃ゆ」これは4セットある。
ドイッチャーの「トロツキー伝」3セット。
ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」「魅せられたる魂」3セット
トロツキー「ロシア革命史」(角川文庫版)2セット
トルストイ「人生の道」(岩波文庫)2セット。
トルストイ「復活」北御門二郎訳2セット

余計に持っているということは「人に売りたい、すすめたい」ということだが、「人は、おまえと同じものを好むとは限らない、いや、だれも見向きもしないよ」という声も聞こえる。たしかにそうだよな。こちらが思うほどの価値はないかもしれない。

1冊しかなく、もし安くあったら、買っておかなければならないのは、当然、「西遊草」や「東洋民権百家伝」や「荘子」など、いくつもある。最近は、ブックオフへ寄ると、持っているけど、余分に持っておきたい本を買うことが多い。
E・H・ノーマンの「忘れられた思想家」などは3冊もたまった。まだ読んでないのに。

オークションは安い。トロツキー伝などはあの分厚い3冊が1000円で手に入った。松本清張全集全38巻とかが、3000円で出ていた(買わなかったが)。これからは、もう古本屋の時代ではないかもしれない。みんな、古本屋を通して売り買いするよりも、オークションで直接に売買するのかもしれない。


画像は、造幣局にある与力役宅門。