虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

世論調査はもうやめて(朝日)

2007-01-23 | 新聞・テレビから
またも1面トップ、世論調査。質問事項を読んだ人は、いかにふざけた世論調査をやっているかわかるだろう。有効回答者は1915人。回答率は56%。

「安部首相が憲法改正を参議院の争点にかかげたことは妥当だと思いますか」
なんだ、この質問。妥当とはどういう意味だ。妥当もくそも、これが重要な政策目標だと、政府は公言しているではないか。ならば、はっきりと、「憲法改正にあなたは賛成ですか、反対ですか」とはっきり問えよ。首相の年頭会見で「憲法改正」の目標を掲げたにもかかわらず、1月では、今のところ、朝日が、憲法論議をのせたのは、「わたしの視点」コーナーで一人の民間人の意見をのせたたった1件のみだぜ。

「安部内閣は、強力な内閣ですか、頼りない内閣ですか」
これは誘導尋問ではないか。だれだって安部さんを見たら頼りなく思えるだろう。朝日は、協力が内閣がほしいわけでもないだろう。
強力な内閣よりも、頼りない内閣のがいいぞ。

「民主党は勝てると思いますか」と民主党との勝負を参議院の争点にしたいようだけど、民主党は改憲派だよ。改憲を争点にしたくない朝日の姿勢がわかる。

「安部さんは、国民の感覚に近い政治家だと思いますか、国民の感覚から遠い政治家だと思いますか」
いいかげんにしてね。「ジャーナリスト宣言をした朝日新聞は、国民の感覚に近い新聞だと思いますか、国民の感覚に遠い新聞と思いますか」と、自社の新聞の世論調査をしなさい。

参議院選挙は、改憲が争点だとなぜ国民に問わないのだ。わたしは、もちろん、改憲に反対だ。



テレビの犯罪

2007-01-21 | 新聞・テレビから
関西テレビの「あるある大事典」納豆ダイエットで捏造の記事。
社長が謝罪したということだが、謝罪ですむことか、こういう捏造は犯罪にはならないのだろうか。堺正章は大嫌いなので、この番組は見たことがない。

情報操作として、視聴者にわかりやすくするために、比較映像を見せるが、その映像は関係のない人の映像。また、権威付けのために大学教授の話を入れるが、これも発言していないとのこと。あと、数字やグラフを多用していかにも科学的に説得力をもたせているが、この数字が捏造。

この方法はテレビだけではないだろう。新聞社でも、けっこう多用していないか。まず権威のある大学教授の発言をのせ、グラフ、数字を使う。ダイエットの解説だけならいいが、これが、政治や歴史、世界情勢などの解説などでも使われていないとはいえない。

今日、日曜日のテレビ欄を見る。ドラマは昼のサスペンスものの再放送をのぞくと、NHKの「風林火山」と毎日の「華麗なる一族」のたった2本だけ。ドラマは別に見たくないけど、テレビってこんなだったか?昔はもっとドラマなかったか?
あとは、ほとんどゲストと楽しそうに会話するバラエティ。
ひどい!




生石神社(播磨国石の宝殿)

2007-01-20 | 日記
生石神社と書いて何と読むか。これは難しいクイズだ。
おおしこ神社と読むそうだ。忘れそうな読み方なので、おしっこ神社と覚えたほうがいいかも。
昨年、朝日新聞の「勝手に関西世界遺産」というシリーズ記事で紹介されていた。
兵庫県高砂市の丘にそびえる正体不明の四角い石の物体。これはおもしろそうだ、ということで見てきた。

神社まで車で行くことができる。広い駐車場もある。年寄りでも大丈夫だ。
石、高さ5.7m,横幅6.4m,奥行き7.2m。神社に入ると、いきなりこの四角い石の建造物が目の前に。池に立てられていて、周囲を回ることができる。でも、下からではとてもカメラの画面に入りきらない。石段を登って上からも眺められるようになっていて、やっとそこからなんとかカメラにおさまった。

万葉集の中にも、これはいったいいつごろからあるのだろうと、歌った歌があり、古代人にとっても、謎の存在だったようだ。
石の上に木が生い茂っていた。これは横倒しになっていて、本来なら立てられるはずが、工事が中止のままに置かれたそうだ。

高砂市を通過中、ここは宮本伊織の生誕地という看板を見た。また、高砂やー、とか謡曲(か?)で有名な高砂神社もある。ついでに寄ってみた。

能勢妙見山

2007-01-08 | 日記
家から車で30分なので行ってみた。1000台は入れる広い駐車場に、車は1台だけ。朝の8時半にきたので、だれもいない。もう正月は終わったからな。

山門までの参道の道は雪が凍結していてすべりやすい。寒い。山門につりさげられている温度計を見ると、マイナス2度。
本殿にいくと、一人の男の人が、本殿をぐるぐる回りながらお祈りしていた。駐車場の車はこの人だな、と思った。あちこちに雪が残っている。
「南無妙法蓮華経」と書いた石があちこち。能勢妙見山は日蓮宗なのだ。

しかし、能勢妙見宮の本尊は、妙見大菩薩。北斗七星のことだそうな。片手に剣をもった甲冑姿。
なんでも、平将門も、妙見大菩薩を信仰していたとか。日蓮よりも古い。

この能勢妙見山を開基したのは、この能勢の地の領主能勢頼次。しかし、かれは本能寺の変で明智に味方し(亀岡の明智とは隣だし親しかったようだ)、秀吉方に敗れ、能勢をのがれて、備前に。備前で日蓮宗の僧侶と知り合った縁で、家康とのつながりもでき、関が原で功をたて、再び、能勢の領主になったそうな。それから、頼次は、日蓮宗を能勢に広める(今でも、能勢は日蓮宗が多い)。

山門をくぐると、能勢頼次の像と神馬の像が立っている(これは現代人が建てたものだけど)。紋は頼次のときから、矢筈十字紋。能勢頼次は高山右近などと同じくキリシタンだったと思われるから、十字架を意識したのだろうか。
とにかく、能勢妙見山は、何回行ってもよくわからない寺なのだ。



いいかげんにしてくれ民放

2007-01-07 | 映画・テレビ
年末年始のテレビ、民放ではあちこちで、細木数子がでているのであきれる。

教育について語り、歴史について語り、いまや儒学の中庸の道まで説く。儒学は嫌いではないけど、この人には徳を語らせたくないではないか。出演者全員が、なるほど、と感心したように聞くスタイル。アナウンサーの徳光はじめ、この人と平気で共演する人はわたしの信用という点では落第。なぜこんな人をテレビに出す?ただ視聴率がとれるからなのか?テレビ局では、タレントや俳優でも何か少しでも不祥事があると、よく番組から降ろしている。だったら、こんな人をこんなに持ち上げていいのか?(そのうち必ず正体がばれる。そのときにどう弁解するのだろう)。もはや占い師という扱いではなく、例えば、戦争中の徳富蘇峰みたいに、国民道徳を説いている(局がしむけているのだろうけど)。昔は徳富蘇峰、今は細木数子なのかよ。

大昔、テレビ文化を「一億総白痴化」を評した人がいたが(大宅荘一だったか?)、今に比べたら、昔はまだまだ良識があった。今のテレビ番組、一部のわずかのドラマは別にして無残に崩壊してしまったのではなかろうか。テレビ局に品格はない。テレビから流れてくる番組はもう公害。テレビの不買運動がおきてもおかしくない。

政治記者、安部首相と会食

2007-01-06 | 新聞・テレビから
どこの新聞にも首相の1日の動静を伝える記事がある。
昨日、1月5日の夜は、銀座のすし店で、朝日の早野透(コラムニスト)、毎日の岩見隆夫、読売の橋本五郎と会食会をもっている。下村副長官も同席とある。

新年早々、さっそく新聞人と会食。新聞、テレビなどへのマスコミ対策はおそらく安部政権の最重要な政治行動だと思う。早野透記者は、これから憲法改正についてどんな記事を書くかな。一昨年の夏の総選挙の総括のときには、早野透氏は「選挙では憲法改正については議論がなかった。議論もないかったのに、もし、この議員たちで、改憲を発議したら、けしからんことだ」といっていたのを記憶している。

徳富蘇峰終戦後日記(講談社)

2007-01-05 | 読書
図書館で借りた。まだ全部読了はしていないが、おもしろい。

蘇峰の日常を記した日記ではなく、敗戦直後、昭和20年8月から半年間ほどの時勢、世相への自分の思いを綴ったもの。口述筆記なので、読みやすく、時勢や人物を語る口調は蘇峰の国民史を思わせる。ただ、敗戦を嘆き、敗戦直後の国民を嘆き、天皇、軍隊、官僚に苦言をはき、なによりも大馬鹿者であった自分を嘆くところが、国民史とちがうところ。蘇峰の現代史といってもいい。

もともとは、「頑蘇夢物語」という題をつけていた。このとき、蘇峰83歳。敗戦になると、すぐに自分で「百敗院泡沫頑蘇居士」という自分の戒名を作ったそうだ。太平洋戦争中は、戦争鼓吹者の第一人者であり、A級戦争犯罪人に指定される。なぜ、本土決戦をしない、戦わずして、降伏などけしからぬ。天皇もなぜ宮城を出て陣頭指揮をとらなかったのか、とくやしがる。
近衛や東条、木戸、鈴木、山下(恥ずべき軍人だとしている)など当時の担当者の人物論もおもしろい。新聞で戦争中の事実が明らかにされると、その新聞記事も引用しながら、終戦時のどさくさに火事場泥棒のように資産をよこどりした軍隊や、切腹して責任をとった将校の少なさ、玉砕と伝えられながら帰ってきた英霊、昨日まで戦争完遂をとなえていた者が一転して民主を叫ぶ風潮など、怒りを書き綴る。

この本は安部首相のとりまき連中、憲法改正をすすめる人々にとっては、大歓迎の本かもしれない。

あの戦争はまちがってなかった。侵略戦争ではなく、自衛の戦争であった。維新以来の必然の流れであった、と戦争は否定していない。ただ、戦争のしかた、戦争の担当者がまちがっていた、アメリカは日本人から日本精神をぬきさることに成功したと説く。新しい歴史教科書を作る会のネタ本かいな、と思われるくらいだ。蘇峰は、皇室中心主義者だ。だから、民主という言葉は拒否する。民主は君主と相容れないからだ。当然、共産党、社会党、共産主義は受け入れられない。天皇あっての国民、皇室がなければ、日本はない、という。憲法改正論者が聞けば、涙を出して喜んで、バイブルにしたいかもしれない。蘇峰は明治憲法と共に生きた人なのだ。80歳の蘇峰なのだ。

蘇峰は文久3年の生まれ。清河八郎は父親の世代だ。勤皇家であり、孔孟の徒でもある。蘇峰だから、ゆるせる、あの歳だ。でも、平成の今の時代に、蘇峰と同じことを言う人は信じない。それは、敗戦を境にして、言論を変えた多くの偽知識人と同じではないか。

この本は、敗戦直後はもちろんだが、30年前でも出版されなかっただろうと思う。なぜ、今、売り出したのか、きっと仕掛け人がいると思う。

解説で御厨 貴という東京大学教授が、「蘇峰さん、好きです」と書いている。一読者が「好きです」というのならいいけど、少なくとも政治学者が解説するなら、あれほど歴史に通暁した一代のジャーナリストがなぜ時代を見誤ったのか、蘇峰に欠けていた視点は何だったのか、くらいの解説をしろよと思った。この人も、蘇峰を持ち上げて時局に便乗する学者かもしれない。

蘇峰は文化勲章を受けたそうだが、それは当然だ、日本に寄与した功績では、おれは福沢諭吉につづく、と自慢してるところなどおかしい。蘇峰は敗戦になり、はじめは切腹を考えたそうだが、介錯をしてくれる人を探しているうちに自殺の決意は捨てたそうだ。蘇峰の国民史は、英雄豪傑を縦横に論じるので、つい論じる蘇峰も英雄豪傑と勘違いしてしまうが、この本を読んでイメージが変わった。自らの責任を問う言葉はない。

あと、蘇峰が晩年、三叉神経痛に苦しんでいたことは知っていたが、なぜ、戦犯に指名されたときにその病にかかったのだろう、とふと思った。


安部首相にエール(内閣総理大臣様)朝日新聞

2007-01-03 | 新聞・テレビから
ヨーロッパ総局長木村伊量。名物記者のいない朝日新聞だが、若宮啓文、星浩、根本清樹など、何人か著名入りの記事で鵺のような朝日人の名前は知ったが、この人の名前もチェックしておこう。

ヨーロッパ歴訪前に、ということで、手紙の形で、安部首相に意見。外交デビューは鮮烈だったが、その後がよくない、もっと捨て身になって改革に猛進しては、という内容。

タウンミーテイングには、「あれほど「国益」には目の色を変える政治家たちが、なぜもっと憤慨しないのか不思議でなりません」。朝日はほんとに憤慨しているの?朝日は、タウンミーチング問題で、その後、独自に取材し、追求しているの?ノンだろう。タウンミーティングは、共産党が見つけたネタ、本間正明辞任は、週刊ポストがとりあげたスクープ。新聞が政界や財界を動かしたスクープはここ数年あるのだろうか。昨年の改正教育基本法についての無気力な報道のしかたは忘れない。

安部首相は高杉晋作を敬愛していることにふれ、「ならばこの際、「草莽の志士」のごとく捨て身になってはいかがですか。長老の顔色など気にせず、改革に猛進してこそ、活路は開ける」と書く。

高杉晋作が草莽の志士かどうかはともかく、一国の宰相に「草莽の志士」のごとく
あれ、というのは、ナンセンス。言葉の矛盾だろう。「改革」に猛進せよ、というが、安部首相の「改革」をどのように理解しているのか。
「草莽の志士」のごとくあらねばならないのは新聞だけど(新聞はもともと草莽の精神から生まれた)、今の新聞はまるで「幕閣」の一員、「老中」様ではないか。

「これから、日本はどんな国をめざすのか。今、何よりも必要なのはメッセージです」
安部さんはちゃんとメッセージを出している!
憲法改正、当面は、国民投票法案の成立。年頭所感でものべたはずだ。
それが見えないのだろうか。見たくないのだろう。目をつむりたいのだろう。できるなら、読者の目からも。
どこを探しても、年頭所感をのべた記事が見つからないが、そのメッセージをきちんと受け止められないからだろう。
対決姿勢がとれないのだ。

経団連の「希望の国」構想についても、きちんと論じるべきだ。
批判するだけでなく、戦略を提言する新聞社になるそうだが、それは、政治家と同じ土俵に立つ政治記者の論理に新聞社が支配されたからだろう。草莽の精神はない。


正月の新聞(朝日)つまらない

2007-01-01 | 新聞・テレビから
一面トップが「ロストジェネレーション」。今、25歳から35歳にあたる約2000万人の若者たちをこう呼びたいらしい。ちょっと待てい!

派遣社員、パート労働、ニート、ワーキングプアら今、若者を取り囲む環境の厳しさを世代の問題にするつもり?若者におおいかぶさる環境の深刻さは、子ども、熟年、高齢者にも同じだ。若者の過酷な問題を世代の問題として見る朝日新聞(かれらは、ワーキングプアとは無縁の世界にいる)とは何だ。

正月だから、少しは力のこもった、これからの時代を見据えた特集があると思ったが、がっかりだ。この「ロストジェネレーション」の記事の中に、労働ビッグバン、改正教育基本法、憲法改正など、今、動いている社会への視点がもしあるのならまだゆるせる。しかし、まず、ないと思う。なんで、ヘミングウエイの時代のロストジェネレーションという言葉を使うのだろう。

社会面も、「金八探して」先生に夢を、という連載記事が出ていた。改正教育基本法が通り、学校教育がますます荒廃する中で先生像を求める。教師にむごすぎないか?しかも、武田哲也の金八先生をだす(わたしは、武田哲也が大嫌い。なぜだかわからない)。

日本経団連の将来構想「希望の国、日本」が発表され、「企業も国旗・国家を」の記事。今日の記事らしい記事だ。
安部首相の「美しい日本」、経団連の「希望の国」
「美しい」も「希望」も言葉としての生命を奪われてしまった。

安部首相は年頭所感で、次は憲法改正を、と語ったそうだ(記事にはまだなっていないが)。憲法改正にむけて新聞はどう書くか、今年はチェックしていきたい。


清河八郎の正月(文久2年)

2007-01-01 | 歴史
あけましておめでとうございます。

正月ということで、八郎は正月をどう過ごしていたのかちょっと調べてみました。
文久元年(1861年)に幕府の捕吏を斬って逃亡中の八郎、この年の大晦日には伊牟田尚平といっしょに、豊後岡藩の小河一敏の家を訪ねています。忙しい大晦日に、しかも、初対面人の家をよく訪問しますね。しかも、一泊し、2日に出立するときには、50両をもらっている。なかなかこういう芸当はできません。

「小河は、47,8の人にて、いたって気のさわやかなる男にて、文学も和漢ともある由なり。我等を喜び、「年の始めに珍客を得し」と喜びかぎりなし。義兵を勧めにきたりて歳暮に有志の家にて、相会することこそ、奇特なれ。終夜、酒を酌みて、心よく安眠す」とある。これは大晦日。

「正月元日、小河氏にありて、元旦の儀にあずかる。もっとも、家中の諸士、年賀に来る者多きために、主人弥右衛門も、客応接のため、われらの方にもそこそこにして午後におよび、ようやく閑にあいなり、有志の士も来る」(潜中始末)

小河は、清河八郎よりもずっと年上で、しかも、500石、藩の要職にもついていたれっきとした武士。尊攘の士としても何度も謹慎の目にあっており、八郎の大先輩。しかし、八郎いわく「時務に暗き論あれども、それはともあれ、赤心のほどは感じ入りたる士なり」。

小河も、八郎と会ったときのことを詩にしているが、それはこんな詩。

「誰か知る 丈夫の心地清し 世間一様にただ生を偸む 尊王の大儀弁きたって後
始めて共に烈士の情を談ずべし
回天の事業まさに為すに堪えたり 烈士相い逢う春いたるの時 酒を酌んでしずかに尊攘の策を談ず 新たに知るともがらは古く相い知るに似たり」

小河一敏はその後、八郎のあとを追って京都に。しかし、京都挙兵は寺田屋事件で頓挫。8月18日の政変以後、小河は、維新まで藩で謹慎状態に置かれる。
維新後は、堺県の最初の知事になるが、明治2年、水害や凶作で貧窮民が増加すると、貧窮民の救済に独自に尽力、これが中央政府ににらまれ、免官となる。
堺市には、当時の市民が小河の功績をたたえてた碑が立っているそうだ。忘れられた志士の一人です。

明治天皇が政府の高官(かつての志士)を集めて宴を開いたとき、自分のお守り役であった田中河内介を思い出し、田中の爺はどうしている?と聞いたとき、「そこの大久保利通に殺されました」と言ったのが、この小河一敏。その場にいた大久保は一言も言いかえさなかったとか。