レンタル屋さんで「山桜」を借りて観た。
最近の洋画はひたすら刺激の強いものばかりなので(内容はまったくないのに)、
この静かな時代劇はほっとする。でも、眠くなってしまう人もいるにちがいない。
雪山や田畑、川の流れ、花などのきれいな画像がたびたび出るが、一瞬、NHKのなんとか100選とかの風景番組を見てるような気もした。
原作(短編集「時雨みち」)は読んでいないので、どんな筋だろうかと思って見た。
主人公は、再婚した野江という女性。1度目は夫が病死し、2度目の嫁ぎ先では夫とも舅夫婦ともうまくいっていない(金のことしか考えない家)。
そんな野江がきれいな山桜の枝をとろうと、手をのばすが高くてとれない。そのとき、突然、「取ってしんぜよう」と手塚弥一郎(東山紀之)が現われ、桜の枝を折ってくれる。野江は忘れていたが、この人も再婚のときの縁談に名があがった人だった。こちらは知らなかったが、相手は前から野江を知っていた。野江と手塚が出会うシーンはここだけ。このときから、野江の心になにかがはじける。
この東山は、藩政を私腹化する悪重役を斬り、牢屋に入れられる。野江は、嫁ぎ先を追い出され、東山の実家(母親が一人で住む)を山桜の枝を持って訪ねるという話だ。東山がその後、どんな処分をうけるかはわからないまま。
原作を見ると、実に短い話。山桜の枝を折ってもらった日のあとは、「手塚弥一郎が、城中で諏訪平右衛門を刺殺したのは、その年の暮れであった」と、その経緯は2ページほどでおさめ、そのあとは、野江が弥一郎の母が住む家を訊ねる場面で終わる。
「履物を脱ぎかけて、野江は不意に式台に手をかけると土間にうずくまった。ほとばしるように、眼から涙があふれ落ちるのを感じる。とりかえしのつかない回り道をしたことがはっきりわかっていた。ここが私の来る家だったのだ。この家が、そうだったのだ。なぜ、もっと早く気づかなかったのだろう」
これがモチーフであり、女性の視点からの作品だ。
批判や文句はどこにでもつけられるので、この映画でもいいたい文句はいっぱいあるけど、やめておこう。原作が短いからいろいろ膨らましている。嫁ぎ先の暮らし、原作にはない弟、原作にはない農民と東山との関係、いや、斬り方だって、原作には何も書いていないのだ。ただ、東山紀之は、侍が似合う。藤沢時代劇に合う。この映画は、東山紀之の存在でかろうじて及第しているといったら、やっぱり悪口になるかな?
最近の洋画はひたすら刺激の強いものばかりなので(内容はまったくないのに)、
この静かな時代劇はほっとする。でも、眠くなってしまう人もいるにちがいない。
雪山や田畑、川の流れ、花などのきれいな画像がたびたび出るが、一瞬、NHKのなんとか100選とかの風景番組を見てるような気もした。
原作(短編集「時雨みち」)は読んでいないので、どんな筋だろうかと思って見た。
主人公は、再婚した野江という女性。1度目は夫が病死し、2度目の嫁ぎ先では夫とも舅夫婦ともうまくいっていない(金のことしか考えない家)。
そんな野江がきれいな山桜の枝をとろうと、手をのばすが高くてとれない。そのとき、突然、「取ってしんぜよう」と手塚弥一郎(東山紀之)が現われ、桜の枝を折ってくれる。野江は忘れていたが、この人も再婚のときの縁談に名があがった人だった。こちらは知らなかったが、相手は前から野江を知っていた。野江と手塚が出会うシーンはここだけ。このときから、野江の心になにかがはじける。
この東山は、藩政を私腹化する悪重役を斬り、牢屋に入れられる。野江は、嫁ぎ先を追い出され、東山の実家(母親が一人で住む)を山桜の枝を持って訪ねるという話だ。東山がその後、どんな処分をうけるかはわからないまま。
原作を見ると、実に短い話。山桜の枝を折ってもらった日のあとは、「手塚弥一郎が、城中で諏訪平右衛門を刺殺したのは、その年の暮れであった」と、その経緯は2ページほどでおさめ、そのあとは、野江が弥一郎の母が住む家を訊ねる場面で終わる。
「履物を脱ぎかけて、野江は不意に式台に手をかけると土間にうずくまった。ほとばしるように、眼から涙があふれ落ちるのを感じる。とりかえしのつかない回り道をしたことがはっきりわかっていた。ここが私の来る家だったのだ。この家が、そうだったのだ。なぜ、もっと早く気づかなかったのだろう」
これがモチーフであり、女性の視点からの作品だ。
批判や文句はどこにでもつけられるので、この映画でもいいたい文句はいっぱいあるけど、やめておこう。原作が短いからいろいろ膨らましている。嫁ぎ先の暮らし、原作にはない弟、原作にはない農民と東山との関係、いや、斬り方だって、原作には何も書いていないのだ。ただ、東山紀之は、侍が似合う。藤沢時代劇に合う。この映画は、東山紀之の存在でかろうじて及第しているといったら、やっぱり悪口になるかな?