虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

原発と消費税

2012-03-29 | 新聞・テレビから
今日の朝日の社説は、「増税法案了承」という題で、やっと国会への提出を了承したことを、「なにわともあれ半歩前進だ」とし、増税に異論を唱えるのは、反対のための反対で、「批判だけでは無責任」(見出し)だ、と書く。

朝日は、この半年間(いや、もっと前からか)、税と社会保障の一体改革をすすめろ、消費増税は避けられない、断固、消費増税すべき、と社論として、くりかえし、主張してきた。

消費税を上げれば、税収が増え、社会保障の財源が確保でき、財政再建にもつながる、ということだろう。こういわれてきて、みんな、しかたがないな、国の財政が破たんしては困るもの、と思わせられてきた。

でも、今日の「教えて!」というコラムでは、吉川啓一郎という記者が、「消費税 本当に税収は増えるの?」という題で、疑問を呈していた。おいおい、今になって、そんな!

吉村記者は、「税収総額が伸びない可能性もある」とある、と言う。1997年に消費税が5パーセントにあげられたが、翌98年度の税収総額は激減した、と書く。その理由の一つは、消費税増税の一方で、超高額所得者の所得税を下げ、法人税率を下げたことをあげている。お金持ちや大企業の税負担を減らすかわりに、国民の消費税負担を増やしたからだ。これは今回も変わっていない。

つい先日だったか、企業年金をごまかした投資会社の社長の月給が600万円だと聞いてびっくりしたが(若者の二人分の年収をひと月でもらうとは)、いや、こういう超高額所得者は他にもいるのかもしれない。

経済のことはわからないが、この国の経済政策や税制も、また、あの原発政策と同様、金持ち、大企業、学者、官僚、メデイアががっちり手を結んで、利権を分配しあっているように思えるのだが。

責任のとりかた

2012-03-25 | 新聞・テレビから
2、3日前だったか、大阪府教育委員会の生野照子委員長が教育条例に責任を感じて辞任する、という記事があった。

記事によると、「運用次第では、政治の暴走を止められず、子供にしわ寄せがいきかねない条例ができたことについて、責任を感じる」と語っていたそうだ。その責任をとって、辞任するのかい?無責任もはなはだしい。

昨年だったか、教育条例が可決されたら、教育委員は総辞職するといっていたはずだ。ところだ、橋下圧勝で腰くだけ。だいたい、橋下氏は、巧妙だから、自ら日の丸、君が代に敬意をもて、なんてことは言っていない。大阪府教育委員会のルールを守れ、という論法だ。学校での日の丸、君が代強制は、国の意向を忖度した教育委員会が決めたことではないか。

今更、弁解や、責任逃れは見苦しい。責任は重い。

今日の1面は、福井県の原子力委員12人のうち4人がが関電系から1490万円の寄付を受けていた、という記事。内閣府の原子力安全委員会の3割も電力会社から寄付を受けていた、と前に報道があった、これも氷山の一角で、大学の学者のモラルは最低だ。

本来なら、そういう記事が出た時点で、恥じて、即刻、委員を辞めて謹慎すべきなのだが、原子力安全委員長をはじめ、そのことで(寄付を受けたことで)辞任をした人はだれもいないのではないか。何も責任を感じていない。記事によると、「あげると言うからもらった」だと。

いや、むしろ、寄付を受けていることで、おれは電力会社側から重宝されているんだと、かえってまわりには大きな顔をし、発言力も高めていたのではないか。

日本人てこうだったのか?恥を知る文化も、日本人の伝統のなかにあったはずだ。

こういう恥を知らぬ輩や、その仲間たちが、「日本の文化と伝統を学びましょう」とか「道徳心を持ちましょう」などと、国民に説教する。

「きけわだつみの声」だったか、戦地に消えた学徒兵が遺書に「上に立つ者が一番最低で、だらくしていた」と書いていたと思うが、うーん、言葉がないぜ。


評価ばやりの昨今

2012-03-24 | 新聞・テレビから
昨日、大阪府教育基本条例、職員基本条例が府議会で8割の賛成で成立した、と1面トップ。
50年前ならだれもがとんでもない悪法と思ったはずだが、次々と悪法が成立する。これが、今の時代なのか、とため息。

当然、今日の社説は、この条例についてだと思ったけど、今日の社説は、「消費増税法案」。最近、いつのまにか「消費増税法案」という言葉になった。さんざん「社会保障と税の一体改革」という言葉を聞かされてきたけど、初めから消費増税法案といえばいいのだよ。言葉で国民をごまかせるという魂胆がいやだ。いわく、国家戦略室、いわく復興構想会議、いわく日米同盟深化。言葉はかっこいいが、いったい、なんだったんだ。

さて、職員基本条例では、職員をSからDまで評価するそうだ。いったい、どのような視点で評価するのか。いや、評価できるのか?ジャーナリストはこのあたりもぜひ調査してほしい。
歴史上の人物でも、人によって、時代によって、評価は極端にわかれる。いや、ふつうの人でさえ、評価は人によってさまざま、自分の親でさえも、子供から見て評価などできないのだ。本来、人間の評価などできない。個人的に人が人を評価するのは勝手だが、あくまでも、それは個人的な評価であって、公的なものはありえない。

小生も人を評価したり、評価されたりすることは大嫌いで、学校のテストや就職の面接テストでさえも、屈辱としか感じない。評価されてたまるか、という思いはだれにもあるだろう。ヨメさんに、わが子に、親に、先生に、上司に、恋人に、近所のおばさんにいちいち評価されてどうなる。学校の通知簿なんて、みんな、まともには受け取ってなかったでしょう(ちがったかしら?)

でも、近頃は評価ばやりのようで、アマゾンやネットのオークションで古本を買っても、出品者の評価を求めてくる。たいへんよかった、よかった、ふつう、とか5段階だ。わたしは、評価はしたくないが、求めてこられると、いつも「たいへん良かった」にする。あまりいいとはいえないと思う本を受け取ることもあるが、それも、こちらの責任だと思うもの。オークションでは、落札した人をも評価する制度もあって、ふつうに入金した落札者には「たいへんよい落札者」です、という評価がつく。わたしは、いやなので、評価は不要です、と初めに頼むことにしている。評価なんてわずらわしいだけだ。

そんなに評価が必要なら、労働者の、国民の評価ではなく、国民のための仕事をするはずの政府や国会議員たち、上の立場にある者の評価こそが必要だろう。

原子力安全委員会、保安院、経産省。評価はだれが見てもDだろう。即刻、クビのはず。新聞の記事やメデイアの番組にもDをつけるべきではないのか。政治家、裁判所判事、国会議員、外交官。こちらから、評価しなければならない人はいっぱいいる。


何も変わらない一年

2012-03-12 | 新聞・テレビから
3・11からもう一年たったのか。
早い。新聞(朝日)は、昨日、今日と、大震災一周年の特集を組んでいたが、驚いたことに、「東京電力」についての言葉も記事もない。いや、「東京電力福島第一原発の事故」という文字はある。いつからか、あの原発事故を「東京電力福島第一原発事故」と書くようになったようだ。「東京電力」の文字はただ、それだけだ。

東京電力という企業についての取材報道は、テレビも新聞も避ける、ましてや批判にはふれない。一年たっても電力会社は、依然としてメデイアを傘下に入れているのだろう。

1年前のこのブログを見てみた。原発事故後、当然、社長の謝罪会見があると思ったが、社長が会見したのは計画停電の話だった。大事故直後に発表した、あの計画停電とはいったい何だったのか?

事故後一年、東京電力は、本来なら、国民に対して、あらためて謝罪と、これからの再生について語ってもいいはずだが、メデイアはどこもそれを要求しない。

東京電力にすれば、自分に罪があるとすれば、国も、政治家も、学者も、メデイアも、同罪のはずだ。いささかも謝る必要はない、と思っているのだろう。


希少品 ロマン・ロラン研究誌 

2012-03-05 | 読書
「ロマン・ロラン研究」という小冊子を70冊以上入手した。一番古いもので、昭和29年発行の19号
、一番新しいのは昭和46年(1971年)の108号。
当初は隔月刊で30円だったが、そのうち季刊となり、値段も100円になっている。

原則として、購読料を払う会員にだけ配ったもので、希少品。国立国会図書館あたりでしか見ることができないかもしれない。編集はロマン・ロラン協会とある。

わたしも東京で学生生活(アルバイト生活か)をしていたころ、ロマン・ロランのファンだったので、1度だけロマン・ロラン研究会に参加したことがある。新聞の片隅に出ていた小さな案内で会の存在を知り、バイトを終えたあと、銀座まで出た。
この小冊子を見たら、それは1970年、6月13日(土)午後5時30分とある。場所は有楽町駅下車、そごう右向き 新国際ビル九階。そうだそうだ。当時のことがありありと思い浮かぶ。テーマは「人間平等思想と差別ー狭山事件を中心に-」だった。話し手は、岡村弘道氏。たまたまいっしょにビルに入り、隣に座った女の子がこの人に積極的に質問していたのをよく覚えている。懐かしい。

余談だけど、今、いっしょに住んでいる90歳の伯母さんは20歳くらいまでのことを一番よく覚えている。その後のこと、結婚したとか、働いたとかは、どうも記憶がないらしい。そんなものかもしれません。若い時代って、ほんとに全生涯の中では貴重なのですよ。余談おしまい。

で、この会の時にも、この「ロマン・ロラン研究」誌が置いてあった。このロマン・ロラン協会や、その機関誌「ロマン・ロラン研究」がその後、どうなったのかは知らないのだが、1970年にロマン・ロランの翻訳者宮本正清によってロマン・ロラン研究所というのが京都に設立される。そこでは、「ユニテ」という機関誌を発行している(今も続いている)。

わたしは、このロマン・ロラン研究所や「ユニテ」は、ロマン・ロラン協会や機関誌「ロマン・ロラン研究」の事業を引き継いだものだとばかり思っていたのだが、どうもそうではないようだ。

ロマン・ロラン研究所の前身はロマン・ロラン友の会で、ロマン・ロラン協会とは別の組織のようだ。だって、ロマン・ロラン研究所の「ユニテ」にはロマン・ロラン協会のことも、「ロマン・ロラン研究」の執筆者も出てこないし、「ロマン・ロラン研究」誌でも、宮本正清や片山敏彦は登場しない。二つの組織は相容れないものだったのだろうか?

どちらかというと、ロマン・ロラン友の会、研究所は、宮本正清や片山敏彦に代表されるように、ロマン・ロランの大御所、既得権益者(なにせ、宮本正清氏は、ロマン・ロランの翻訳を独占している笑)、高級文化人の組織。ロマン・ロラン協会は、蜷川譲に代表されるように、若手の、無名の、庶民派なのかもしれぬ。(勝手な想像なので、暴言、おゆるしを)

ロマン・ロラン研究所は、音楽などに力を入れているが、ロマン・ロラン協会は、むしろ社会・政治への関心が高く、ラデイカルな志向を持つ。

ロマン・ロランを愛する仲間の組織も、一つではなく、二つの流れがあるのだろうか?

と思っていたら、「ロマン・ロラン研究」誌に物理学者の武谷三男氏の言葉が出ていた。
「日本のロラン愛好家について私が不思議に思うことが一つある。それはそういった人たちに、ロランのものを道学者的な受け取り方をする人が多いことである。きわめて敬虔な態度で信仰告白のようにロランを語る人を見かける。ロランのものはそのようなものとまったく反対のものではないか。「ジャン・クリストフ」は、今日のフリーセックスといわれているもの、ヒューマンな、人間解放的な面をもっている」

やはり、ふたつの流れがあるのかもしれない。

とはいえ、まだよく調べたわけでもなく(調べるつもりもない)、ただ、「ロマン・ロラン研究」という古い小冊子をペラペラとめくってみて思いついたことを 書いただけです。

ロマン・ロラン協会はその後どうなったのか、それだけが気になります。