虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

19世紀ロシア文学と革命

2005-04-10 | 歴史
 ロシア文学を日本に紹介したのは二葉亭四迷で、二葉亭がツルゲーネフの「ルージン」をまねして書いた「浮雲」が日本の近代文学の誕生になっているらしい(らしい、というのはよく知らない)。

 その後、ロシア文学は、自然主義文学とかいろいろ日本の文学に影響を与えるのだけど、しかし、19世紀のロシア文学は革命文学だったことや、当時のロシアの現実の苛烈な青年たちの運動とは切り離されて紹介されていなかったか、と思ったりする(これもよく知らないから)。

 ロシア文学というと、わたしは、トルストイとドストエフスキーのいくつかを読んだだけだけど、背景のロシアの革命事情はまったく知らなかった。しかし、背景のロシア青年の動きを知ると、またちがった関心で読みたくなってきた。

 ツルゲーネフなんか、はっきりいって一生縁のない作家だと思っていました。芸術とか叙情なんて関心ないから。でも、ツルゲーネフの「処女地」なんかは、ナロードニキ運動を描いた作品で、当時の革命的な青年を描いた作品だったと思うと、がぜん、興味をおぼえる。

 チェーホフもそう。チェーホフの中にもナロードニキが出てくる。革命家たちは弾圧され消えうせ、保守化する中で、ため息ばかりついているインテリが出てくる。ナロードニキ運動以後の時代を描いているのですね。

 トルストイ、ドストエフスキーは、革命と密接につながりがあるのはいうまでもないですね。
小林秀雄はこの2人についてこう書いています。
「裸にしてしまえば、2人とも無政府主義的革命家だ」と。

例えば、幕末の日本、あの時代の革命的な青年の意識や行動を同時代の人が小説として書いてくれたらどんなにうれしいでしょう。あの沸騰した時代の青年の物語。
ロシアは、そんな作品を生んだのです。

ヴ・ナロード(人民の中に)

2005-04-10 | 歴史
1870年代はナロードニキ(人民主義)の時代です。
ヴ・ナロード(人民の中へ)!を合言葉に青年たちが続々とロシア中の農村に入っていく。
農民たちのための社会をつくらなくてはいけない、そのためには、農民たちに教育を与え、啓蒙に勤め、農民たちと共に立ち上がろうと考えたのです。だれが組織したというのでもなく、自然発生的なようです。
 
 青年たちは、裕福な貴族、将軍、高官、冨商の子息も多く(3分の1は女性)、自分の家庭、財産、将来の身分を捨て、村の労働者、徒弟、看護婦、産婆などになって、農民のために働きかけます。この数は万を越えるのですから驚きです。青年の情熱、理想主義が、この時代のロシアほど最高潮に達したときはないでしょう。
 
 トルストイの「復活」は過去に傷つけた女性を救うために、自分の地位、財産を捨てて女性を救おうとする青年を登場させます。読んだ当時は、こんなことありえへん、と思っていましたが、ナロードニキたちは、それ以上のことをしています。自分たちの財産は、農民たちから不当に奪ったものだ、それは返さなくてはいけない、という純粋な自己否定があります。

 この理想主義的な運動は、しかし、政府の過酷な大弾圧(たとえば、村で活動していることがばれると流刑)と農民の無理解と反発で失敗に終わりますが、ロシア人の誇るべき失敗でしょう。
このナロードニキの中からまた次の革命家が育っていきます。

 この運動のことを詳しく伝える本はいまだに少なく(荒畑寒村が「ロシア革命運動の曙」などで本にしているけど、歴史家の書いたものは知らない)、日本に伝えたのは、幸徳秋水だったでしょうか。

  石川啄木がこのナロードニキに強い共感を持っていました。
         はてしなき議論のはてに
   われらの且つ読み、且つ議論を闘わすこと
   しかしてわれらの眼の輝けること
   五十年前の露西亜の青年に劣らず
   されど誰一人握りしめたる拳に卓をたたきて
   ヴ・ナロード!と叫び出づるものなし


幕末日本とロシアの若き志士たち

2005-04-10 | 歴史
 今、手元に資料がないので、正確には覚えていないのだけど、幕府からロシア留学生がロシアにきたのが、1860年ころではなかったか。
 幕末の留学生たちは、西洋の学問、技術を学び、帰国後はそれぞれの分野でリーダーになったけど、この時期のロシアの留学生はかわいそうです。ロシアについてみたら、大学は閉鎖、学生運動で騒然としています。「なぜ大学などへ行くのか。閉鎖なら閉鎖でいいじゃないか。真の科学、自由の科学は大学からは生まれない。自由人となるために、人民の中に行け」などと学生にうったえている人(オガリョフ)もいるのです。日本からの留学生(侍)が勉強する環境ではなかったでしょう。
 幕末の日本に来てキリスト教を伝えたニコライさん。かれが日本に渡ることを決意したのもこのころで、この時代の若者の機運、行動への願望と無縁ではないと思います。

 このころ、ツルゲーネフの「父と子」が出版され、いやしく文字を読めるロシア人はみんな読んでいるほど評判になったとか。これは、(といっても、半分くらいでやめてしまったので、まだ完読してないのだけど)、古い貴族的な世代と、若者たちの断絶を描いた作品らしい。上の貴族的世代は知識教養はあり、しいたげられた人々への同情はあるものの、抽象的な思惟のみで止まり、行動力がない。それに対して、平然と伝統と権威を否定し、実行力に富んだ庶民階級の若者の登場です。

この1860年、荒れる大学を鎮めようと、数年前に日本に来て日露条約を結んだプチャーチンさんが、文部大臣になりますが、失敗、解任されます。その後任になって、教育の統制をはかったのが、ゴローニンさん。高田屋嘉兵衛が活躍したとき、日本の捕虜になったゴローニンさんの息子です。
 
 新しい世代の文学者(ロシアでは革命家といってもいいか)では、ドブロリューホフという人がそうで(この人は「父と子」のモデルともいわれる)、この人の本も岩波文庫になっています(「オブローモフ主義とは何か」絶版)。25歳で亡くなります。
 また、チェルヌイシェフスキー(ややこしい名だなあ)という人は何と獄中で、「何をなすべきか」という小説を書き、これは若者のバイブルになったそうな。レーニンが最も影響を受けた小説だそうです。これも岩波文庫にあるけど、絶版中。とにかく、この時代のロシア文学史とは、ロシア革命思想史といってもよく、文学、すなわち革命事業でもあったみたい。

いよいよ1870年代、ナロードニキ運動という若者の大運動がおきますが、これは次回で。

ロシアの古参志士たち(?)

2005-04-09 | 歴史
 ロシアに回天の事業をよびかけた、まあ、幕末でいえば、吉田松陰か清河八郎にあたる人は、ゲルツエン。この人は少年のころに、デカプリストたちの遺志を継ぐために命を捨てようと誓った人。

 革命家といってよいのだけど、世界文学大系(筑摩書房)にも堂々2冊になって、文章が納められている。ロシアの文学者は、ほとんど、投獄、流刑の経験者が多く、文学者=革命家あるいは同伴者とみてもよい場合が多いです(政治的発言ができなかったので、文学雑誌に書くしかなかったからでしょうが)。

 結局、ゲルツェンは国外に亡命して発言を続けますが、ロシア社会主義の父となります。ゲンツェンの親友がバクーニン。世界を駆け回った革命家で、その活動ぶりをこじつけると、幕末の坂本竜馬か高杉晋作か(笑)。バクーニンの後には穏やかなクロポトキンも登場する。

 バクーニンもクロポトキンも無政府主義者とかいわれるけど、別に主義に生きた人ではなく、要するに、ロシアの革命のために身を捧げた人です(マルクス主義によるロシア革命のあと、19世紀のこれら革命家は不当に無視されているようですが)。

 ゲルツェンやバクーニンと親友だったツルゲーネフ。さすが、この人まで革命家とはいわないけど(でも、たしか流刑されたことはある)、革命運動や世直しを求める人々の動きに異常な関心をよせ、それを文学にとりあげています。

 今、あげた人はみんな裕福な大貴族です。他にも有名無名の貴族出身の革命家がいます。ゲルツェンといっしょに少年のころ、デカプリストの遺志を継ぐと誓ったオガリョフは自分の農奴1万人を解放したりしています(農奴解放の前に)。ロシアの革命はまず貴族が烽火をあげました。
おっと、長くなったので、また、次回に。

19世紀ロシア文学って?

2005-04-09 | 歴史
 19世紀ロシア文学は、世界文学の最高峰だとかいわれ、実際、日本の近代文学はロシア文学の翻訳から始まるけど、どうも、ロシア文学をただ文学、芸術の面だけでとらえ、その文学を生んだ当時のロシア社会には無関心だった気がする。偉大だったのは、当時のロシア文学だけではない。当時のロシア人(特に若者たち)が偉大だったのだと最近思うようになりました。

 ロシア革命というと、ふつう、20世紀になってから(1905年から)の、レーニンやトロツキーの革命運動の話が主流だけど(歴史の本はほとんどこれ)、わたしは、レーニンもトロツキーも出てこない、資本主義もマルクス主義も広がっていない19世紀のロシア、ちょうど、日本の幕末明治期のロシアに今、興味を持っています。

こ の時代の人々は、実に若々しい(社会は暗く、厳しかったけど)。この当時のロシア文学を読むと、人々はしょっちゅう、議論していますね。「改革とは何か、人生とは何か、理想とは、いかに生きるべきか、思想とは」。夜を徹して大真面目に延々と議論しています。
そして、19世紀ロシア文学とは、ほとんど、革命について語った文学だったんだ、と思うようになりました。
 長くなると、また記事が消えてしまうかもしれないので、あとは、次回に。

記事はどこへ消えた?

2005-04-09 | 日記
おかしいな。
「ロシア革命運動と幕末」(でけえタイトルだ)という新規記事を書いて(けっこう長い)、投稿したのに、記事が出てない。投稿してから、ブログで見るまでには時間がかかるのだろうか?
まだまだよくわからないなあ。

「天下の伊賀越え」

2005-04-07 | 日記
カテゴリーを作っておけば、勝手に分類してくれるということを聞いたので、実験してみよう。
今、ビデオに録画しておいた東映映画「天下の伊賀越え 暁の血戦」を見ながらこれを書いている。
ごぞんじ荒木又右衛門の敵討ちの話。
市川右太衛門が荒木、河合甚左衛門が月形龍之助、又五郎が岡田英次、渡辺一馬が北大路欣也、
他に、大友柳太郎、大川橋蔵、大河内伝次郎などオールスターキャスト。

しかし、市川右太衛門にしても月形龍之助にしても、今の自分よりも若いはずなのに、自分のお父さんと思えるくらい貫禄がある。昔の映画を見ると、いつもそう思う。

映画は史実とちがって、これは36人斬り。これはこれなりにおもしろいけど、荒木又右衛門というと、やはり長谷川伸の「荒木又右衛門」が最高です。
決戦する前に待機していた伊賀上野の茶屋(鍵屋の辻)には、昔、立ち寄ったことがあります。
荒木又右衛門は柳生十兵衛の弟子だったんですよね。


遥かなる革命

2005-04-03 | 読書
図書館で、ヴェーラ・フィグネルの「遥かなる革命」を借りてきた。19世紀後半のナロードニキの指導者だ。美貌の女性革命家で、20年間、牢獄に入れられた人で、これは、出獄後に書いた思い出の手記だ。世界ノンフィクション全集というのに抄訳が入っているけど、これは全訳で、量もたっぷりだ。あの当時、19世紀の後半、ロシアの貴族の青年たちは、革命の理想に燃えて自分の地位も名誉も財産も捨てて、農村の中に、人々の中に飛び込んでいった。
その情熱は何だったのだろう?という疑問がある。
うーん、ブログって、まだなれないや。