虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

イタリア 好きだ!

2014-01-28 | 日記
海外ツァーに初めて参加した。ミラノ、ベローナ、フィレンチェ、ベネチア、ローマ、ポンペイを巡る旅。
連日、朝8時出発、夜8時ホテル帰着という強行軍。団体旅行は元気なうちに参加しないと、高齢者にはしんどいです。疲れた-。



で、とりあえず、イタリア人の印象。といっても、素通りして見ただけだから、ただの希望的偏見だ。


町中はとにかく車が多い。車の保有台数では世界第二位だそうだ。しかし、町中は歴史的建造物があるので、駐車場は作れず、道路沿いに車を駐車することになる。車と車の間にすきまがなく、びっちり並ぶ。車を出すときはまず警笛を鳴らし、前の車、後ろの車を押し(ぶつけ)て、出すそうだ。車のバンパーはぶつけるためにあるとか。車もほこりで汚れている。わたしの車と同じ。親しみを感じた。

車といえば、イタリアはルールに従うよりも自分の判断を大事にするそうで、黄色信号は、当然「注意して進め」だが、緑信号も「注意して進め」なんだそうだ。赤信号でも進んでくる車が多いからとか。赤信号でじっと立って待っているのは日本人だけなのかな?

町中にはゴミ箱が置いてあり、ごみ箱にはタバコの吸い殻入れもついている。このゴミ箱にある吸い殻入れに吸い殻を入れたらよいと思うのだが、タバコの吸い殻はゴミ箱を無視してあちこちにポイ捨て。世界的観光地域なので、日本なら、景観上からも、自粛したり、町の人達が清掃したりしそうだが、あまり頓着しないみたい。こちらも気楽に路上で吸うことができた。

ただし、ホテルや公共建物の中では、禁煙。早朝、がまんができず、ホテルのドアを開けて外でタバコを吸ったところ、ドアは自動でロックされ、外にしめだされた日本人がいたけど、だれなのかは恥ずかしいので言いません。

フィレンチェの美術館に入ったところ、現地ガイドさんから、「写真撮影は適当に」といわれた。あるコーナーでは、撮影OK,しかし、あるコーナーでは、美術館の係の人が、撮影禁止、という。ガイドさんと係の人がいいあう。「ここはダメ」「ここはいいと言われている」と。両者ともゆずらない。こんなことが何度もあった。二回ほど、追いかけてきて「さっきの撮影禁止はまちがっていました」とあやまりにきた。「同じ職場の人でもバラバラなんです」とガイドさんは苦笑していた。いいではないか。気に入った。

公共交通機関のストライキに遭遇した。自由行動の人達は心配していた。どうなるのだろう。ホテルの人に聞くと、「わかりません」。「だって、わたしは、ここまで歩いてくるから。ストライキ関係ないから」。
「自分にしか関心ない。人のことは気にしない」とガイドさん。うーん、おれにそっくり。ストラキ当日の朝、スト決行と決定。しかし、すぐに平常に戻ったそうだ。ストをやったのかやらなかったのかすらはっきりしなかった。しかし、労働組合が強く、ストライキをしょっちゅう実行できる国はうらやましい。ストライキがおきても市民は平気なんだ。

昼食はレストランで食べるが、昼食のたびに、飲み物は何にしますか、と聞かれる。水もお金がいるのだから、どうしてもワインかビールを注文する。昼食の時は、ワインかビールを飲む習慣があるのかもしれない。たしか、昼休みは2時間くらいあって、家に帰って休む人もいると聞いた。そのとき、ワインを飲むにのだろうか。美術館にいた係の人もたしか赤い顔をしていた。一杯やっていたのかもしれぬぞ。昼から酒を飲む。いいではないか。

イタリアはスリが多いので、気をつけろ、笑顔で親しげに話しかけてくる人には警戒を、とガイドブックにはよく書いてあるが、そんなことはない。たしかに、人が集まる観光地には、アフリカ黒人系の露天商の人や、物売りの人が立っていて、「コンチワ」などと日本語で話しかける。しかし、どの人もおとなしく、気弱そうな顔をしていて、決して強制したりすることはなかった。イタリアは、移民を受け入れる国なのだ。
観光ツアーには決まって観光客が連れて行かれるショッピングの店がある(トイレを借りるためでもあるが)。そこは、露天商が売っている値段よりも何倍も高く売りつけている。どちらが、日本人をカモにしているのかわからん。

イタリアには日本のような高層建築は少ない。なにせ、何百年も前の建物があちこちに建っているのだから。コンビニも、自動販売機もない。失業率は高く、経済的に貧しい(それでも食料自給率は日本よりはいいが)。政治も安定しない。イタリア人は、政府や国に生活をまかせてはいない。

イタリア人は、颯爽として歩いていた。早足のわたしも負けそうなくらい。どの人も胸をはって堂々としていた。姿勢がいい。背をまるめて、下向いてしょぼしょぼ歩く人は見なかった。女性は小顔で、みんな美女ばかり。1度、女性がタバコの火をかしてください、と近づいてきたが、思わず、手がふるえた(笑)。男性は、3分の1くらいが、頬からあご、口に髭を生やしていた。髪は短髪で、男性的。

どうも、わたしは、イタリア人タイプかもしれない(男性的なところはないけど、アバウトで自分にしか関心がなく、気楽で、適当なところか)。誤解だったら、申し訳ない。とにかく、イタリア、気に入った!













朝日の「教育」

2014-01-17 | 新聞・テレビから
今日の夕刊、2ページを使って、朝日の教育事業を紹介していた。
「朝日新聞社では「教育」に力を入れています。日々の紙面だけでなく、さまざまな事業に多くの部局やグループ会社が取り組んでいます」とある。

進学ガイダンス、就職活動応援、全国国立、有名私大相談会などなど、全国の大学、また企業の就職部(就職情報会社など)と連携しているようだ。3月には、国際教育フォーラムを開き、講師には武田薬品の社長も参加、とある。武田薬品といえば、薬のデータの医学論文捏造で、大学の研究者との関係が問題にされていたのではなかったのか?教育フォーラムに出すなら、武田薬品と大学の関係についてもっと調査をするべし。

まあ、ここまで、大学との関係が深いと、大学についての鋭い記事は会社としては書けないのだろう。現在の学力競争、進学・就職競争システムについても、現状を認めているのだから、まるで進学雑誌のような記事になり、教育についての根本的な問いは許されないのかもしれぬ。

正月、1面トップで始まった「教育特集」、たしか1週間ほどで終わったけど、内容は、グローバル教育、学校のデジタル化、特活、塾・・・、えーとなんだっけ?うーん、すっかり忘れた、まったく印象に残らないどうでもよい記事でしかなかった。ほんとうの問題を避けて、どうでもよい「教育」を書くと、あんな記事になる。

「教育」について書くなら、例えば、大阪や東京の、君が代強制、また、教育委員会制から首長の教育介入。教科書検定。学校の民営化。今では、教師にもABCとか評価して給料で差をつけているそうだが、ほんとに、そんなことしてよいのか。道徳科、早期英語教育。

学力テストの問題もある。あれは、成績重視の一部の親だけが関心があるもので、いったい、だれに必要なのか。だれが、どんな問題を作っているのか。その内容のチェックはしたのか。そのテストの意義がどれだけあるのか。これもまったく議論がない。

かつては、受験教育についての批判、無視、拒否という立場もあったが、いまや、まったく影をひそめた。
就職のための大学、大学のための受験教育。これでいいはずがないだろう。そして、企業と一体化した大学の堕落。日本の大学の入学金、授業料の高さも問題だ。

いや、なによりも、教育について書くなら、子供達のの環境だろう。あいかわらず、子供の自殺のニュースがある。子供たちは、おそらくボロボロにされているのだろう。しかし、その現実を見つめずに、グローバル教育、デジタル教育、授業の未来などと、バラ色のような、屁のような「教育記事」しか書かない。

「教育」を語ることは、どんな世の中で暮らしたいか、を語ることのなのだろう。孫のためにどんな世の中をめざすか。

今の大学や企業と連携している朝日には、もう「教育」を問う力はないのかもしれない。
いや、朝日が、日本の大学の授業料、企業、国からの補助金など、大学の実態解明にむかえば、言葉を撤回する。
久しぶりに気炎を吐いたぞ(笑)

明後日から10日ほど、旅にでます。

謹賀新年 正月の新聞

2014-01-01 | 新聞・テレビから

元旦の新聞。

朝日の1面は、「教育2014 世界は 日本は」というシリーズ記事。2面、16面もそうだ。
第一回の今日は「グローバルって何」で世界のグローバル教育を紹介している。

なんで、「教育」なんだ・・・?

「だれもが自論を語ることができ、正解は一つとは限らない。それが教育だと思う」と編集委員が書いているが、これが理由だろうか。政治的問題ではないというのか?

秘密保護法案、集団的自衛権、憲法改正、消費税増税、原発再稼働、日米同盟、問題が山積する日本(ちなみに、今日の本紙には、消費税以外、上記の文字はなかった)、わたしが編集長なら、「これでいいのか日本」とかの特集でもして、安倍政権の今年の動きを総力予測するところだが、「教育」が特集とは・・。

社説はといえば、「政治と市民 にぎやかな民主主義に」と、気の抜けた随想。この危機の時代におけるジャーナリストの気魄がまったく感じられない。

新聞というのは、本来、権力に対峙する野党精神が真骨頂なのだが、いつのまにか、政官財学メディアの連携が完成したためか、政治問題に正面から堂々と対峙できなくなったにちがいない。

しかし、「教育」は非政治的な問題ではない。
「教育」の世界が、子供達が、政・財・官によって、どれほどボロボロにされているか、特集をするなら、その実態解明だろう。

朝日は(朝日に限らずメディア)は、グローバル人材の育成、英語教育というのは、世界の趨勢として、同意しているように見える。しかし、グローバル人材の育成は大企業の要求だ。ほとんどの子供達、国民は、少なくともわたしは、そんな人間にしてもらいたいとは思わない。一部の企業用エリートを作るために、国の教育全体を変えようとしている動きに危惧を感じる。早期英語教育など必要なし。

「教育2014 世界は 日本は」という特集を組むのであれば、朝日よ、現在の大学の企業依存の実態など、「大学」や「大学教授」の問題にもメスを入れるべし。

町から、小さなお店が消え、歌も消え、本屋も消えた。テレビからは、報道番組は消え、ドラマも消え、お笑い番組のみ。このままでは、新聞が消える日も遠くない。

もっと危機感をもってほしい。まったく危機感のない朝日の正月新聞だった(朝日はまだましな方なのか?)