虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

プラハのラブストーリー映画

2008-12-29 | 映画・テレビ
最近、テレビで見た「加藤周一最後のメッセージ」で1968年のプラハの春の映像が流れたので、「存在の耐えられない軽さ」という映画を借りてきた。

もう古い映画で、題名は知っていたが、ラブストーリーというのが苦手なので見たことなかった。たしかテレビでも放送したことがあると思う。ビデオには「ラブストーリー」とあり、下着姿の女性がビデオのカバーにはついていて、プラハの春と関係があるとは知らなかったのだ。

「存在の耐えられない軽さ」なんて、わたしみたいな軽い男のことで、その存在に耐えられないよ、という女性からの抗議かと思っていた。

たしかに、女たらしの医師が出てくる。しかし、この男は、権力者から転向宣言を書くようにいわれるが、その用紙をくしゃくしゃに捨ててしまって、医師を辞めてしまう硬骨漢でもある。

この女たらしの医師の妻になるのが、トルストイが好きな真面目な女性。アンナ・カレーニナを読んでいて、夫婦の愛犬にはアンナの夫の名前カレーニンとつけるのがおもしろい。

内容はわたしにはお手上げ。理解はできなかったけど、プラハにソ連の戦車が侵入する場面は、当時のフイルムを合成して作られ緊迫感があった。
だが、メインはラブストーリーなのだろう。よくわからんが・・・・。

3時間という長さだ。

スパルタクス

2008-12-26 | 読書
ローマの支配に反乱した奴隷剣闘士スパルタクスの物語は、きっと多くの人々に興味を持たれ、たくさんの本が出ているのだろうと思っていた。その歴史は、ロマンに満ちた壮大な叙事詩になる。海音寺潮五郎でなくても、だれもがきっと挑戦したくなるテーマだろうと思っていた。ところが、これが実に少ない。

ネットで調べたところ、日本の研究者(学者)では、土井正興ただ一人(イデオロギー的史観の叙述が多いのがちょっと気になるが)。小説となると、映画「スパルタクス」の原作となったアメリカの小説と、ブルガリア人がかいた「小説スパルタクス」の2冊だけ。しかも、この2冊とも、古本屋か図書館でしか見ることができない。あまり売れなかったのだろう。

今の本屋で、「スパルタクス」の本といえば、佐藤賢一の「剣闘士スパルタクス」1冊だけだ。これも評判にはならなかった。佐藤の小説はとても歴史小説といえるようなものでなく、スパルタクスが気の毒に思えるほどの作品だけど、しかし、スパルタクスを主人公に取り上げた点だけは買わなければならない。

塩野七生の「ローマ人の歴史」を調べてみると(この作家は顔からして大嫌いだから、読まない)、勝者の混迷の巻にわずか10ページほど書かれているだけ。この作家はローマの皇帝には興味はあっても、奴隷スパルタクスには何の興味も同情も持たない人のようだ。塩野のローマ人を愛読する人はきっと同じなのだろう。

スパルタクスは、やはり、そういう存在なのか。カーク・ダグラスが主演した映画「スパルタカス」の原作は当時、共産分子が書いたものと物議をかもしたらしいが、それをあえてハリウッドで映画化したカーク・ダグラスは偉かったのだ、と改めて思った。ダグラスも差別され、苦労した人生を歩んだ人なのだろう、と思った。

スパルタクス、剣闘士というのは、奴隷の中でも最も差別される最下位の奴隷だった。見物人のために、猛獣と戦い、仲間と殺しあい、最後には自分も殺される過酷な環境。そこから約70名の剣闘士と共に脱走し、それがいつしか7万(20万ともいわれる)奴隷、貧民軍にふくれあがり、何度もローマ軍を打ち破る。最後は滅ぼされる運命なのは当然なのだが、2000年前のこのスパルタクスの行動は今でもわれわれを大いに刺激させるではないか。スパルタクスのことが人々に思い出されたのはフランス革命のときらしい。そして、ローザ・ルクセンブルクは自分たちの団体にスパルタクスという名をつけた。スパルタクスというう名は、抑圧される人々の解放闘争のようなレッテルをはられているのかもしれない。そのために、この、現代の抑圧世界でもいぜん、人々の目にはふれないような存在になっているのかもしれない。

おれたちは、奴隷ではない、自由民だ、とスパルタクスに胸はってこたえられる人がいるだろうか。

大塩と荘子と顔回

2008-12-23 | 読書
白川静「孔子伝」の中の「儒教の批判者」という章だけ読んでみた。

「儒家に対するきびしい批判者とされる荘子は、その精神的系譜からいえば、むしろ孔子晩年の思想の直系者であり、孟子は正統外の人である。孟子はみずから「孔子に私淑するもの」と称したが、私淑という点では、むしろ荘周の方が深いともいえるのではないか」とある。

ふつう、老荘といい、老子と荘子を共にし、孔孟といって、孔子孟子を共にくくり、老荘は孔孟に対立するものとされていたが、この説はわたしにはうれしい。荘子も孔子も好きだから。

そして、孔子晩年の思想とは何か。それは孔子の最愛の弟子、顔回の思想をさす。
顔回。孔子すら、わたしも及ばない、といい、「後世、畏るべし」といわしめた弟子だが、若くして死に、孔子は大声をあげて泣き、「天、われを滅ぼせり」と天をもうらんだほどだ。顔回は、ほとんど隠者であり、老荘の雰囲気ががたしかにある。「能もって不能に問い、多きをもて、とぼしきに問い、有れども無きがごとく、実つれども、虚しきがごとく、おかされても、あらがわず」といわれた顔回。

「荘子」の中にも、顔回は孔子との問答で何度も登場している。そうか、顔回の思想を継いだのが荘子か、と思った。

大塩平八郎は孔孟の徒で、儒学者だが、かれは老子や仏教を批判はするが、荘子にはかなり好意的だ。かれの主著でも「荘子は老子と同じくして異なり、孔子と異にして同じ」という古人の言葉を使っているが、さすが大塩、という感じがする。

大塩は、「太虚」という言葉を使う。つまり、心だ。トルストイのいう心の「霊」と同じだ。太虚に帰着すればこの身は自由だ、そして、太虚は万物いたるところにある、と説く。これは荘子の真人の心境であり、荘子の万物斉同とよく似ている。

孔子晩年の思想が荘子というのはおもしろい。そして、大塩平八郎は、そのへんに気がついていたようなのもおもしろい。





一心寺

2008-12-21 | 日記
一心寺も人が多かった。ここは施餓鬼の寺、骨仏の寺とも呼ばれるそうだ。宗派を問わず、納骨を受け入れてくれ、その骨で10年に一体仏像を作るそうだ。わたしの知人にも、墓は作らずに、ここに親の骨を納めた人もいる。

わたしが一心寺で知っているのは、あの大塩平八郎関係でだ。天保7年、一心寺事件というのが起きる。一心寺は家康との関係が深く(大坂の役のときは、ここに陣を置いた)、一心寺の僧侶がここに東照廟を立てようとして、東組与力を抱き込み、東町奉行大久保讃岐守を経て幕府に上申。しかし、幕府の寺社奉行が調査したところ、一心寺僧侶の悪事が露見、大塩の同僚や門弟たちも江戸に呼び出され吟味を受ける。大塩の叔父の大西与五郎などはその心労から痴呆状態になったそうだ。この事件で、東組奉行大久保はやめさせられ、あの跡部山城守が翌年、新奉行として赴任することになる。大塩もこの事件を契機に謹慎し、対客を断っている。

ここに来る人は京都や奈良のような観光寺を眺めに来るというよりも、熱心に先祖供養をしにくる人が多いようで、ここもやはり大阪の寺という感じだ。
境内には、戊辰戦争で戦死した東軍慰霊碑、八代目市川団十郎(江戸時代最高の歌舞伎役者だ)の墓、本多忠朝の墓もあった。本多忠朝の墓は「酒封じ祈願」の墓とある。酒をやめたい人はここで祈願すればよいわけだ。なんでも大坂夏の陣で本多忠朝が戦没したとき、自分の酒癖の悪いのを悔い、将来、酒のために身を誤る者を助けんと誓って死んだそうだ。
わたしは、そんなに酒癖はわるくないので、おがまなかった。

四天王寺

2008-12-21 | 日記
朝、家を出た。8時半に到着。朝早くなら駐車場もすいているだろうと思ったのだが、なんと駐車場はいっぱいでズラリと並んで待っている。出直そうと思って帰ろうとしたとき、たまたま空いてるパーキングがあったので、駐車する。

ゾロゾロとたくさんの人が歩いている。どうも四天王寺をめざしているようだ。門前、境内はテントばりのお店が立ち並ぶ。拝観料はただ。今日は、お大師さんの日なので無料なのだそうだ。だから、縁日の店が立ち、人が多いのか。
五重塔の中も入れ、上まで階段で登れた。こんなに人が多いお寺は大晦日や正月以来だ。広い境内に物売り(衣服が多い)の店が並ぶのはいかにも庶民の四天王寺という感じだ。

金堂、五重塔、宝物館など一通り見たあと、高橋多一郎父子の墓を探す。元三大師堂の境内の墓地だ。元三大師堂の前にあるのですぐわかる。高橋多一郎の墓の向かいには、坂田藤十郎の墓もあった。

高橋多一郎は、水戸藩士で桜田門事件に関わり、この四天王寺で切腹して果てる。49歳。息子庄左衛門19歳も切腹。切腹する前に後始末の費用として62両をここの寺侍に渡していたので、寺侍がそのお金で墓を立てたそうだ。

四天王寺は聖徳太子の創建とされる。楠正成がこの四天王寺に入り、聖徳太子の未来記(予言)を読んだ、という一節が太平記にあったのではなかったろうか。

パーキングが一心寺のそばだったので、一心寺にも寄った。ここから歩いて五分だ。通天閣もビルの間から見えた。

スパルタクスなどあれこれ

2008-12-20 | 新聞・テレビから
ネタはない。思いつくまま書く。

BSで放送した「仇討崇禅寺馬場」は録画予約をするのを忘れていた。失敗。
今夜の藤沢周平時代劇「花の誇り」は見るつもり。

NHKのETV特集(?)だったか、「加藤周一最後のメッセージ」は見た。加藤の最後のメッセージは40年前の1968年に対する思い入れだった。この年、チェコにソ連軍が侵入し、「プラハの春」は終わる。この時から、今にいたる停滞は始まっている、と語る。この年は、パリ五月革命、反戦運動、学生運動、ヒッピーなど若者の反乱の年だったが、このときの課題もそのまま圧さえつけられたまま今の閉塞時代になる、という。当時、学生は大学の産軍学協同体制を批判したが、このことを指摘したのは日本の学生の名誉だ、といっていた。
「明治維新以来、日本はひたすら間化、非人格化、非個性化してきた歩みだった」(うろおぼえなので正確ではない)が印象的だった。

ブックオフで佐藤賢一「剣闘士スパルタクス」を100円で買ってきた。スパルタクスといえば、カークダグラスの映画が有名だが(退屈だったが)、なにしろ世界史上、最初の一揆指導者ともいえ、興味はある。

辺見庸の最新作「愛と痛み」の中で、何度か、この映画「スパルタクス」のことを語っていた。ローマの役人たちは奴隷たちを一堂に集めて、「スパルタクスはどいつだ!」と問い詰めます。わたしたちならどうするでしょう、と辺見は言う。よくて、黙秘。わるければ「あいつです」と指差す。さらにわるいと問われる前から注進しにいく。
映画「スパルタクス」はどうしたか。
奴隷たちは、「私がスパルタクスです」と口々に答える。

「黙秘するのではなく、また、問われる前に注進にいくのとはまったく異なる精神がここにある。個を発現していく。個を突出させていく。個が名乗りをあげる。そのありようをわたしは語りたい」

朝日の天声人語にゲバラのことが書いてあった。来春公開の映画を著者は一足先に試写会で見たのだろう。
「銃への信奉は論外でも、その生き様は心を揺さぶる」と書く。どこに心を揺さぶられたのだろうか。銃への信奉が論外ならば、戦争反対、自衛隊の海外派遣反対に論陣をはっているのかね。
「正義のために大きく生きるものが少なくなってきた」と書きながら、すぐに、「「大きく」をはきちがえた妄動は多々あれど、国境を越え、大衆を熱くする顔が浮かばない」と結ぶ。ゲバラの映画に感激するのはいいけど、いまや、銃や革命への信奉は論外で、大きな妄動は迷惑です、といってるのかね。
いつ読んでも、世間や権力への追従そして個のない保身の文。

ジャーナリスト上杉隆によると(NPJで見た)、朝日の編集員曽我豪は(先日も署名入りで堂々とコラムを書いていたが)、麻生のブレーン記者で、麻生が文芸春秋に書いた論文は朝日の曽我氏がゴーストライターだそうだ。これが事実だったら、けしからぬことではないのか。ジャーナリスズムとしての正義を守るなら朝日は即刻、曽我氏を紙面から退場させるべきだ。




世界文学全集

2008-12-14 | 読書
河出のグリーン版の世界文学全集27冊が500円で手に入った。オークションだ。送料のが高くついた。本屋を開くなら世界文学全集くらい置いておきたいと思っているからだ。世界文学全集には夢が、ロマンがあるではないか。しかし、今、新刊屋さんに寄っても世界文学全集は見ることができない。(河出が出している個人編集の新世界文学全集はあるが、これは20世紀以降のもので、スタンダードなものや古典はない)。

40年前はこうではなかった。河出のグリーン版に始まり、同じく河出の豪華版世界文学全集、カラー版世界文学全集、講談社も中央公論社も集英社も筑摩書房も新潮社もそれぞれが世界文学全集を出していた。本屋さんで、わたしたちは外国の作家の名前を知り、たまたま手に取った作品で生涯を変えるほどの影響を受けることになる。わたしは世界文学全集の中の数冊を読んだきりだけど、その1冊が与えてくれる楽しみと影響は今、書店に並ぶ本の100倍はあるだろう。どの1冊でも、大いにとくするはずなのだ。なのに、書店にはない。だから、わたしが手に入れることにした。読みたいと思う若者もきっと出てくるはずだ。

つまらん「明治青春伝」

2008-12-13 | 映画・テレビ
性懲りもなく、またビデオを借りてきた。
10年前にテレビ熊本20周年だったかに熊本テレビで作られた作品。あの宮崎兄弟を主人公とするドラマ。
宮崎八郎に仲村トオル、宮崎民蔵に永島敏行、宮崎弥蔵に豊川悦司、宮崎滔天に杉本哲太。八郎、民蔵、弥蔵の3人の配役はよいとして、なんで滔天に杉本哲太なんだ?げせん!杉本哲太には、人の魅力はないと思うのだが。昔の大河「翔ぶが如く」でも、まったく魅力のない桐野を演じていたが、この作品でも最大のミスキャスト。滔天の美しいヨメ、槌さんもミスキャスト。孫文は世界のナベツネにそっくりだった(これはこれでしかたがないが)。でも、キャストよりも、脚本、監督が一番、悪い。いったい、真剣に宮崎兄弟をドラマにしたいと思ってたのか?と疑いたくなる。こんなみっともない作品、見たことないぞ。

新刊屋さんにて 小説フランス革命

2008-12-06 | 読書
新刊屋さんにはほとんど行かない。近くに大きな新刊屋さんがないためだが、あったとしても、高いし、いい本はないと思っている。

古本屋さんをするとしたら、「40年前は、こんなにいい本があった!」なんて旗でもふってみたい気がしている。たとえば、世界文学全集、今の新刊屋さんに置いているのだろうか(個人編集の新しいヤツはあるのだろうが)。昔は、河出書房新社のグリーン版というのがあった。あの緑の箱、緑の造本は実にセンスがよかった。

新刊屋さんといっても、ジャスコの店内にある本屋さん。
飯島和一(だったけ?)「出星前夜」を探した。あった。2500円(だったか、うろおぼえ)。買いたいな、と思いつつ、2500円あったら、古本で世界ノンフイクション全集が5冊、世界文学全集だって、20冊くらい手に入るぞ、なんて考え、棚に返す。

中公文庫の前に立つと、ゲバラの文庫が平積みにされている。この時代にゲバラとは、珍しいな。本の帯を見ると、映画化なんて書いてある。そうか。来年、ゲバラの一生を2部に分けて描いた映画が公開されるらしい。日本の若者はどう見るのだろう。

何も買わずに本屋を出ようとしたところ、小説フランス革命という字が目に飛び込んだ。佐藤賢一「小説フランス革命①革命のライオン」(集英社)だ。これは全10巻の予定らしい。とうとう出たか。何も考えず、そのままレジに持って行った。1500円。図書館で借りるという手もあったが、この本が図書館に入るのは、まだずっと後だろう。第1巻は、ミラボーが中心になる。むろん、ロベスピエールも登場。ロベスピエールはたぶん、最初から最後までこの小説の主人公になると思う。わかりやすくおもしろそうだ。

「出星前夜」については、図書館においてあることがわかったので、予約した。

画像は唐招提寺。本文とは何の関係もありません。

ETC車

2008-12-06 | 日記
オートバックスで夏用タイヤを冬用タイヤに換えてもらった。こちらは冬季、道が凍結する場合があるからだ。ついでに、あのETC機器を車に設置してもらった。ETC機器と設置代で1万円。

秋の初めごろ、景気対策で、高速道路を値下げする、どこまで走っても1000円にする、ただしETC車だけ、というような報道が大大的にあったと思う。最近はあまりこの高速道路の料金値下げの話は聞かないが、どうなっているのだろう。

だいたい、ETC車だけ安くするなんておかしい。ETC機器を売る会社が喜ぶだけのような感じがするが。しかし、高速道路は高すぎる。安く走れるのなら、1万円のETC設置も無駄にはならないと思ったのだけど。だまされたかも・・・。

山の紅葉も枯れてきたようだ。もう冬だ。

画像は薬師寺




「はてなし山脈」

2008-12-04 | 日記
友人が本を出版し送ってくれたので、紹介する。
編集工房ノア出版、竹中正著「はてなし山脈」。
主に紀州熊野を舞台にした短編小説集だ。
自費出版ではない。関西文学新人賞を受けた作品もあり、一定の評価は得ている作品ばかり(とは、著者の弁)。編集工房ノアとは、関西では知る人は知る良い出版社だ。

著者の竹中氏は、わたしが大阪に働きに出てから、最初に知り合った人物。
学校を出て(といっても、卒業したわけではなく、1単位落としていたので、卒業せずに)就職したのが南森町のビルの一室にある農業関係の業界紙。従業員は社長から事務の女の子、わたしも含め、たったの5人。東京支社には、3人。それでも、月間雑誌と月間新聞紙を出していた。竹中氏はそこで編集長(兼営業)をしていた。新聞広告で見つけた職場だが、小さな会社のいいところは、例えば、卒業予定だったのに、内定してから、卒業できませんでした、と伝えても、OKしてくれる。落とした単位は(体育だった)、夏に東京出張という名目で東京にいかせてもらって、単位(登山)をとらせてもらった。思えば、危ない橋を渡ったものだ。

仕事が終わると、竹中氏とは梅田駅地下でよく飲んで帰った。
竹中氏は半年ほどでそこの会社をやめ、わたしも1年足らずでやめ、それぞれちがう業界紙に勤めた。
わたしが業界紙から足を洗ったころからは互いに忙しくてもう顔を会わせることもなくなり、その後20年以上、年賀状を交わすだけだった。竹中氏は、その後もずっと一人で業界紙(専門紙というべきか)を運営し、今日に至っている。当時から小説を書いていたが、純文学志向で、歴史好きなわたしとは趣向が違い、うまいのかへたなのかはよくわからない(笑)けど、「読んだら、感激するぞ」と竹中氏はいっている(笑)。これから読もう。

この本は、田村書店(千里中央や箕面)やジュンク堂にも置いてあるそうだ。紀州の人は読むべきかもしれない。
竹中氏は紀州の人である。
出版祝ということで、酒を送った。
本の帯を書いておこう。
「紀州熊野はてなしの闇と風 山びとの生と死を伝える出自小説。少年の日々、母の棺、老人の牛乳、木地師探求へと縦横に織り成す。金沢浅野川河畔を付す。全8編」