虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

朧の刻(おぼろのとき) 銭五疑獄事件物語 波濤に散った三男要蔵

2013-11-14 | 読書


久しぶりに本の紹介。
石川県の銭屋五兵衛記念館の発行。著者は麻井紅仁子さん。幼い頃から生田流の筝(琴)を学んだ邦楽の大師範。お琴ってでかくて、狭い家にはとても置けなし、持ち運びにも不便だとかねがね思っていたけど、この方は、その大きな琴を小型の琴にする工夫をし「ネオ・コト」(小型のコト)を発明した人。会社も設立している。そればかりか、江戸時代の実在した盲目の琴師を小説にし(「幻の琴師」)、金沢市民文学賞も受賞している。主婦をやり、社長をやり、邦楽の指導で全国を駆け回り、そして小説も書く、という超人的な女性。

今回の作品は、著者、年来の宿願を果たした作品。
銭屋五兵衛といえば、海の豪商としてだれでも知っているだろう。たしか、昔、東映で片岡千恵蔵がやった。でも銭屋疑獄事件となると、よくわからない。また、銭屋五兵衛の三男要蔵となると、わたしも知らなかった。銭屋が外国と密貿易したり、アメリカへ渡った、という噂は、どうもこの要蔵のことらしい。

銭屋五兵衛の屋敷に「てつ」という女中がいた。一般には、「てつ」は銭屋五兵衛の妾とされているそうだ。実は、「てつ」は、要蔵の愛した女性で、「てつ」は要蔵の子どもを生む。要蔵とてつの秘められた愛と、その秘密を生涯守り通した「てつ」の人生を語る。


銭屋のことはよく知らないので、わたしには、判断できないのだが、著者は、銭屋五兵衛が住んでいた金石町(昔は宮越)の人で、地元の史料を調べつくし、また女性独特の直観力で、要蔵とてつの関係を語る。

「てつ」は、要蔵が刑死したあと、「鉄悟尼」という尼になり、「海月寺」の庵主になる。この「海月寺」にしばらく下宿していたのが若き室生犀星。犀星は「海の僧院」という作品で、「てつ」について書いているそうだ。

物語は、女性の語り口調(ございます)ですすめられるが、後半は「「朧の刻」を追った足跡」という取材ノートといってよいノンフィクション。女性の語り口調がちょっと苦手なわたしは、著者が関係者に次々に取材し、真相に近づいていく取材ノートが興味深かった。てつの晩年の肖像画や、てつの子ども「ひさ」の写真もある。

著者は「金沢は土壁の街」という。土壁の内部には小舞竹の下地がある。それは、だれの目にもとまらない。「だれの目にもとまらぬところでただひたむきに生きた数知れぬ人の命と祈りが、この町をささえているような気がする」と著者は書いているが、まさに、だれの目にもとまらないがひたむきに生きた人を作品にしたのが、この「朧の刻」です。

希少品 ロマン・ロラン研究誌 

2012-03-05 | 読書
「ロマン・ロラン研究」という小冊子を70冊以上入手した。一番古いもので、昭和29年発行の19号
、一番新しいのは昭和46年(1971年)の108号。
当初は隔月刊で30円だったが、そのうち季刊となり、値段も100円になっている。

原則として、購読料を払う会員にだけ配ったもので、希少品。国立国会図書館あたりでしか見ることができないかもしれない。編集はロマン・ロラン協会とある。

わたしも東京で学生生活(アルバイト生活か)をしていたころ、ロマン・ロランのファンだったので、1度だけロマン・ロラン研究会に参加したことがある。新聞の片隅に出ていた小さな案内で会の存在を知り、バイトを終えたあと、銀座まで出た。
この小冊子を見たら、それは1970年、6月13日(土)午後5時30分とある。場所は有楽町駅下車、そごう右向き 新国際ビル九階。そうだそうだ。当時のことがありありと思い浮かぶ。テーマは「人間平等思想と差別ー狭山事件を中心に-」だった。話し手は、岡村弘道氏。たまたまいっしょにビルに入り、隣に座った女の子がこの人に積極的に質問していたのをよく覚えている。懐かしい。

余談だけど、今、いっしょに住んでいる90歳の伯母さんは20歳くらいまでのことを一番よく覚えている。その後のこと、結婚したとか、働いたとかは、どうも記憶がないらしい。そんなものかもしれません。若い時代って、ほんとに全生涯の中では貴重なのですよ。余談おしまい。

で、この会の時にも、この「ロマン・ロラン研究」誌が置いてあった。このロマン・ロラン協会や、その機関誌「ロマン・ロラン研究」がその後、どうなったのかは知らないのだが、1970年にロマン・ロランの翻訳者宮本正清によってロマン・ロラン研究所というのが京都に設立される。そこでは、「ユニテ」という機関誌を発行している(今も続いている)。

わたしは、このロマン・ロラン研究所や「ユニテ」は、ロマン・ロラン協会や機関誌「ロマン・ロラン研究」の事業を引き継いだものだとばかり思っていたのだが、どうもそうではないようだ。

ロマン・ロラン研究所の前身はロマン・ロラン友の会で、ロマン・ロラン協会とは別の組織のようだ。だって、ロマン・ロラン研究所の「ユニテ」にはロマン・ロラン協会のことも、「ロマン・ロラン研究」の執筆者も出てこないし、「ロマン・ロラン研究」誌でも、宮本正清や片山敏彦は登場しない。二つの組織は相容れないものだったのだろうか?

どちらかというと、ロマン・ロラン友の会、研究所は、宮本正清や片山敏彦に代表されるように、ロマン・ロランの大御所、既得権益者(なにせ、宮本正清氏は、ロマン・ロランの翻訳を独占している笑)、高級文化人の組織。ロマン・ロラン協会は、蜷川譲に代表されるように、若手の、無名の、庶民派なのかもしれぬ。(勝手な想像なので、暴言、おゆるしを)

ロマン・ロラン研究所は、音楽などに力を入れているが、ロマン・ロラン協会は、むしろ社会・政治への関心が高く、ラデイカルな志向を持つ。

ロマン・ロランを愛する仲間の組織も、一つではなく、二つの流れがあるのだろうか?

と思っていたら、「ロマン・ロラン研究」誌に物理学者の武谷三男氏の言葉が出ていた。
「日本のロラン愛好家について私が不思議に思うことが一つある。それはそういった人たちに、ロランのものを道学者的な受け取り方をする人が多いことである。きわめて敬虔な態度で信仰告白のようにロランを語る人を見かける。ロランのものはそのようなものとまったく反対のものではないか。「ジャン・クリストフ」は、今日のフリーセックスといわれているもの、ヒューマンな、人間解放的な面をもっている」

やはり、ふたつの流れがあるのかもしれない。

とはいえ、まだよく調べたわけでもなく(調べるつもりもない)、ただ、「ロマン・ロラン研究」という古い小冊子をペラペラとめくってみて思いついたことを 書いただけです。

ロマン・ロラン協会はその後どうなったのか、それだけが気になります。





マルクス・エンゲルス選集

2012-01-19 | 読書
古本の新潮社版マルクス・エンゲルス選集(全16冊)を入手した。
昭和48年版で16刷とあるが、カバーの背に少しヤケがあるものの、状態は悪くはない。以前の持ち主がいかにこの本を大切に保持してきたかがわかる。

いくつかの巻にはうすくえんぴつで線引きがしてあった。でも、その線引きも、実に紳士的で繊細。

わたしも、線引きをよくするが、わたしのはめったやたら、乱暴にページが破れるような勢いで線を引く。しかも、大事なところを線を引くというよりも、ただ線をひっぱってると、文章をかじってるという気がするからだ。頭だけでは理解できず、肉体の作業をしないと読めないからだ。

この古本は以前の持ち主の知性と性格を感じる。わたしとは大違い。きっと、全巻を静かに根気よく読んだにちがいない。どんな人物だろう。ボーナスをはたいて全巻を購入し、少しずつ読み通したのだろうか。わたしのようながさつな人間ではないのはたしかだ。

今頃になって、やっとマルクスを読んでみたくなった。
なによりも、その発想、視点が今の日本の言論界に欠けていると思うからだ。

かつて、40年ほど前は日本のマルクス研究は世界のトップレベルだといわれたことがある。
マルクス経済学者というのはどこの大学にもたくさんいたようだ。
しかし、かれらは、今、何を研究しているのだ?いったい、かれらは、何ものだったのだ?

マルクスに群がり、マルクスを奉じ、マルクスを解説する学者が姿を消したことは、しかし、いいことかもしれない。

余計な解説者なしに、それぞれが、直接にマルクスに向き合えるようになったのだから。
わたしなど、おそらく、10のうち、9も理解できないだろうけど、10のうちせめて1くらいは、なるほど、そうか、と納得できる部分もあると思う。それで十分だと思う。








漱石の「二百十日」を認めたくない人たち

2011-08-08 | 読書
わたしが読んだ「二百十日」は旺文社文庫の「二百十日・野分」だが、その解説として、野村伝四という人が「二百十日」前後として、執筆当時の漱石の心境を書いていた(これは、昭和4年の岩波版「漱石全集」の月報から転載とある)。野村伝四とは、おそらく漱石の周辺に寄り集まってきた弟子の一人なのだろう。

この人は、「これを読んだときは、前後を通じて始終ハラハラした気分が去らなかった。それは、この作の随所に華族と金持ちという句が出てきてこの両階級がひどくやっつけられていて、つまり、今の文壇でいえば、プロ的分子とか、赤色とかの色彩がすこぶる濃厚に作中に出ているからである」

その理由について、先生の心境を語ってみたい、と書き出す。
野村氏は、漱石から「三女栄子が赤痢にかかったので、行く予定の葬式に代理で出席してほしい」という手紙をもらっている。

栄子さんの病気は軽いものであったけど、しかし、その間、家内の大消毒やらお役人の出入りやら、きっと先生の神経は高ぶっていたと思うと書く。

「栄子さんの入院から防疫院の大消毒という誰でもいやがるような事件に逢着された先生は、あたかも神経の発作がひどかった時であってみれば、「二百十日」が左傾的であるということも大いにあり得ることかと思う」

なーにいってやがる!と漱石は思うはずだ。この文章(月報)は昭和4年のものだが、たしかにその時代は漱石の「二百十日」「野分」は危険思想の部類に入るのかもしれないが、ここまで、この作品を否定するとは、それでも弟子か?

この月報の中で、「世間では僕を気違いだと言っているが、君らが言いふらすのではないか」とこの野村氏に聞いたことも書いてあるが、漱石の直観は正しかったのだ。

漱石自身は、「僕、思うに圭さん(二百十日)は現代に必要な人間である。今の青年は皆、圭さんを見習うがよろしい。しからずんば、碌さんほどには悟るがよろしい。今の青年はドッチでもない」と書いてある。

この漱石のメッセージを素直に受け止められず、左傾的なのにハラハラドクドキし、きっと子供の病気などで多忙で、神経がふつうじゃなかったのだ、とへたな言い訳をする弟子。そして、それを参考にする研究者たち。こうして国民作家漱石は、人畜無害な文豪に祭り上げられる。

「二百十日」は短編だが、「二百十日」の続編ともいうべき「野分」には漱石のメッセージがより深くこめられています。

「坊っちゃん」「二百十日」「野分」、この三作品は漱石の革命三部作だ(笑)。

しばらく(一週間ほど)「虎尾の会」のブログお休みになります。みなさん、お元気で!


阿蘇と漱石「二百十日」

2011-08-06 | 読書
来週、阿蘇へいく。
昔、一度通り過ぎたことがあるのだけど、あの雄大な景色をもう一度見たいと思っている。

阿蘇といえば、漱石の「二百十日」だ。
圭さん碌さんの二人の青年が阿蘇を登りながら、国の改革をしなくてはならん、と気勢をあげる。全編、ほとんど会話で、かけあい漫才のようで、読みやすい。

阿蘇の雄大な景色を見ながら、二人は話す。

「「僕の精神はあれだよ(阿蘇)」と圭さんが云う。「革命か」「うん。文明の革命さ」「文明の革命とは」「血を流さないのさ」ー略ー「相手は誰だい」「金力や威力で、たよりのない同胞を苦しめる奴等さ」「うん」「社会の悪徳を公然商売にしている奴等さ」「うん」「商売なら、衣食の為という言い訳も立つ」「うん」「社会の悪徳を公然道楽にしている奴等は、どうしても叩きつけなければならん」「うん」「君もやれ」「うん、やる」。

明治39年の作品。100年以上も前だ。

原発事故をきっかけに、政府、東電、役所、メデイア、いわゆる支配層たちの、無責任、無道徳反国民性を国民は目にした。しかし、ことは原発問題だけではない。外交しかり。国民の知らないところで、国民のためではなく、米国の政策に従う外交・防衛もしかり。年金もしかり。税金もしかり。裁判制度もしかり。この国のほとんどのしくみが、金力や威力のあるものに独占され、国民はそのつけを負わされる。ため息が出るではないか。漱石なら、圭さん碌さんなら、このありさまをどう思うだろうか。

漱石の「二百十日」の終わりはこうだ。

「例えば、今日わるい事をするぜ。それが成功しない」「成功しないのは当たり前だ」「すると、同じ様なわるい事を明日やる。それでも成功しない。すると、明後日になって、また同じ事をやる。成功するまでは毎日毎日同じ事をやる。三百六十五日でも七百五十日でも、悪いことを同じように重ねていく。重ねてさえいけば、わるい事が、ひっくりかえって、いい事になると思ってる。言語道断だ」「言語道断だ」「そんなものを成功させたら、社会は滅茶苦茶だ。おい、そうだろう」「社会は滅茶苦茶だ」「われわれが世の中に生活している第一の目的は、こういう文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安堵をあたえるのにあるだろう」「ある。うん。あるよ」「あると思うなら、僕といっしょにやれ」「うん、やる」「きっとやるだろうね。いいか」「きっとやる」

漱石といえば、政府が発行するお札にまでなっている文豪大家だ。で、教科書などには、こうした漱石の志士的な文脈は出さないし、文学評論家なども、漱石の過激な社会的発言などはあまり注目しない。しかし、漱石にはあの「坊っちゃん」的な、幕末の志士的なところがある。今、生きていたら、若ければ、きっとデモにも出たいと思う人なのだ。





日本SFの巨人 小松左京 逝く

2011-07-28 | 読書
今日、ネットのヤフーニュースで知った。26日に小松左京、ついに亡くなった、と。80歳。
晩年は、病気になって、自由にペンを使えなくなっていたとか、阪神大震災からうつになった、とか聞いていたので、心配していた。この人こそ、100歳になっても200歳になっても、人類の未来について書きつづけてほしかった。

わたしが、SFに興味を持ちだしたのが、小松左京からだった。昔、SFマガジンに毎号、小松左京の短編がのっていたが、どれもおもしろかった。その頃は、SFという言葉もまだ市民権を得ていなかった。SFがいっきに市民権を得て、ハヤカワ書房以外の出版社からも続々と出るようになったのは、「日本沈没」がベストセラーになってからだろう。それからの小松左京は、未来学、万博の企画、テレビへの出演などなど、猛烈な働きぶりだった。外での活躍に比べて、小松の本格SFが減ってきたようなので、ちょっと残念に思っていた。

小松の最高傑作は「果てしなき流れの果てに」だと思う。たしかテスト前日に本屋さんから新発売された。テスト前日なのに、もちろん、一気に読んでしまった。このころは、スピルバーグとかのSF映画などもない頃で、巨大な宇宙船が日本の上空に飛来するシーンなどは興奮したものだ。

短編にもすばらしいものがある。たとえば「お召し」。12歳以上の大人が突然、消えてしまう話。子供達だけで、社会をつくりあげていくのだが、後年の「日本沈没」や「首都焼失」の先駆をなす名作だ。

小松左京といえば、肥満体で、エネルギッシュな風貌だったが、いつのころからか(阪神大震災からかな?)、痩せた風貌に変わっているのを見てショックを受けた。

探偵小説では江戸川乱歩の功績が不滅なのと同じように、SFでの小松左京の功績も不滅だろう。

小松左京よ、ありがとう!

                                 合掌





100年前の医師チェーホフ

2011-07-08 | 読書
精神科医の香山リカがブログで「反原発の小出裕章をヒーローにしたのは、ニートや引きこもりの現実逃避者であり、ネットで反原発を盛り上げているのは「適応障害」で、親の力で生活しているかれらである」というような趣旨のことを書き、多くの人から批判の声があがった、という記事(ネット)を見た。

題して「小出裕章氏が反原発のヒーローとなったもう一つの理由」とか。

読んでみたけど、意図の不明なわけのわからぬ文。小出裕章がどうしてヒーローになっているといえるのか。テレビにも新聞にもあまり出てないし、異端扱いは変わらず、世論も反原発で盛り上がっているわけではない。反原発に水をさす、ととられても仕方ないものだろう。この人の診断は絶対受けたくないと思った。

100年以上も前だが、チェーホフも医師だった。短編「往診中の一事件」という作品の中で、工場主の娘の病気を診察にいった時のことを作品にしている。娘は恵まれた環境に育っているが、原因不明の病気にかかって、今でいえば、ひこもり状態で、本ばかり読んで暮らしている。いろいろな医師に診てもらったが、症状はよくならない。

医師チェーホフ(作品の中では別の名だけど)は、「別に変わったところはありません。大丈夫です」と安心させる。娘と話をする中で、チェーホフは心の中で「彼女は一刻も早くあの五棟の建物も、それからもしそんなものがあるのなら、百万の財産もすててしまう必要があるのだ」と考え、娘自身も同じことを考えていることがわかっていた。しかし、なぜ財産を捨ててしまわないのか、とはあからさまには言えないので、遠回しにこういう。

「あなたは、工場の持ち主でお金持ちの相続人という地位におられながら、それに満足できずにいらっしゃる。ご自分の権利にも確信が持てず、今も眠れないでいらっしゃるのですね。このことは、もちろん、不満をお持ちにならずに夜も安眠なさったりするよりはましなことなのですよ。あなたの不眠症は尊敬すべき不眠症です。なにわともあれ、いい兆候です」と話す。

あなたの病気は尊敬すべきもので、いい兆候です、といってくれる医者は今はいませんね。



もの申す人

2011-05-26 | 読書
「きけわだつみの声」(岩波文庫)に木村久夫さん(二十八歳で刑死)がこんなこと書いている。

「私の軍隊生活において、将校連が例の通り大言壮語していた。私が婉曲ながらその思想に反対すると、「お前は自由主義者だ」と一言の下にはねつけられたものだ。軍人社会で見られた罪悪は、枚挙すれば、限りがない。ー略ー 天皇の名を最も濫用、悪用したものも軍人であった」

当時は、「自由主義者」のレッテルをはられることさえも反国家的だったのだろう。
国や上司に対する批判的な意見は「自由主義者」の一言で片づけられてしまう。ましてや、当時、「左翼」や「共産党」などと思われたら、即、牢屋行きだったのかもしれない。

今は、さすが、自由主義者と名乗って非難されることはない。なにせ、アメリカをはじめ、日本の保守党も自由と民主主義を守ることを標榜しているのだから。
しかし、そのかわり、しきりに、使われるのは、これまた古くて手垢のついた死語「サヨク」「共産党」のレッテル。

君が代の強制に反対するもの、憲法改正に反対するもの、原発に反対するもの、米軍基地に反対するもの、とにかく、時代の支配思想に反対するもの、もの申すものは、「サヨク」という(菅首相さえ、かれは左翼だから、などと悪口いわれた)。「サヨク」とは何かよくわからないが、レッテルをはる方は、短絡的に(また、意識的に)、それはすなわち即「北朝鮮」「中国」と同じで非常識、非国民という使われ方だ。こうして、だんだんと反対して物を言う人の口を封じてきた。

唐突だが、小出裕章さんが、23日、国会に参考人として招かれ、15分、しゃべったそうだ(原発問題)。新聞にはまったく出ていないが、小出さんは、行政にもの申すために来た、と語った。
テレビでは、芸能タレントに政治についても言いたい放題にさせているが、こういう人にもっとものを言わせなければならない。

「小出裕章」の発言をブックマークしておいたが、これは、小出裕章のブログではなく、他の方が、小出裕章さんの発言(テレビやラジオ)を記録したものです。23日の国会での発言もありますので、関心のある人はどうぞ(って、今日まで知らなかったのは私だけかも)。

上が「最低」の時代

2011-05-01 | 読書
今、本がどこかにいっていて、確かめられないのだが、「きけわだつみの声」に書いてあったと思う。

たしか将官の身代わりにBC級戦犯として処刑される若者が、大切にしている本に書き込んだ遺書だったと思う。「将官連中の精神レベルはひどかった、最低だった」という意味のことを書いていた。下の兵士たちは真面目に国を憂い、命を捨てたが、上の人たちは権力、地位、利益のことばかり。
あの戦争時代は、そういう時代、上が最低の時代だったのかもわからない。そういう時代にはしてくれるな、と「きけわだつみの声」は遺言した。

今も、あの戦争の時代と同じなのかもしれない。上が最低の時代。


菅首相のことをいっているのではない。
原子力委員会のトップ、保安院のトップ、東電のトップ、天下りを当然と思う官僚のトップ、東北復興会議のトップ、メデイアのトップ、大新聞社の主筆、大学のトップ、日本のもろもろの大きな組織のトップ(例外もむろん、いるだろうが)は、国民の常識から見て、精神的に劣化した人々が占めているのかもしれない。

東電の社長は、宴会の座持ちは歴代社長NO1だったらしい。国会の答弁では役人的答弁しかしないが、関係者間では、かなり愛想がよかったのか。

何回もブログで書いて恐縮だが、孔子は、郷原(きょうげん)を最も憎んだ。
郷原とは、自分の属する職場、地域でいい評判を得ることに努めるが、自分の思想はなく、自分や他人への誠実さはない。いい人(君子)という評判を得るが、ほんとうのいい人(君子)ではないので、偽君子として孔子は憎んだ。

軍部の部内の評判をよくすることに努めて、好戦的な主張をする軍人。当時の太平洋戦争中の将官たちは、自分の地位や軍部の力関係を考える人はいたけど、ほんとうに日本の将来を考えた人がいたのだろうか。

日本人は、世間の評判を人一倍気にするので、孔子から、わたしも含めてみんな郷原だ、と叱られるにちがいない。

「花のあと」を読む。

2010-10-30 | 読書
ビデオで映画「花のあと」を見たので、原作を読んでみたくなった(藤沢周平はあまり読んでないのです)。

映画の、祖母が昔語りをするスタイルや、セリフ、内容はたしかに原作に忠実に従っている。でも、原作とちがっていることがふたつあった。一つは、主人公は美人ではないこと。
やっぱりだ(笑)。映画のようないかにも女女した美人が剣の修行をするのはおかしい(笑)。いや、もともと美人でも、剣の修行をしていたら、どこか違った風姿を持つはずだ。

もう一つは、決闘場面。一瞬で、相手を仕留めている。そうでなくてはと思う。
しかし、映画では、敵の助太刀が3人もどこからともなく現れ、主人公は敵に刀をたたき落とされ、今にも斬られそうになる場面になる。ありえないだろう。

しかし、映画の悪口ばかりいうのもなんなので、まあよいことといえば、主人公の婚約者(風采のあがらない武士)が次第に大人物だったことがよくわかるように映画では描かれていたことだ(あの俳優の笑顔がよかった)。

映画では、最後に、この婚約者は後に筆頭家老にまで出世した、と語っていたが、そんな大人物が筆頭家老になるか?おかしいな、と思ったが、原作でもそう書いていた。

なにせ、一揆の本を読んでると、筆頭家老なんて、ろくな人物がいないからなあ。





 樋口三郎「実記 天誅組始末」 復刻

2010-09-30 | 読書
今朝の朝日の大阪版に「天誅組」研究書37年ぶりに復刊」の記事。

樋口三郎さんの足で調べた天誅組の本は貴重だが、今や希少本のひとつで、アマゾンでも3000円から5000円の値がついていた(しかも部数は少ない)。

藤井寺市の天誅組研究家、草村さんという方が、樋口さんの親族に依頼され、今回、復刻したそうだ。1200円。安い。300部発行。いいニュースだ。

きっと天誅組ファンは飛びつくだろう。

天誅組というと、その名前から、過激なテロ集団、天皇主義者、右翼を連想する人もいるかもしれないが(実際、戦前は、右翼がさんざん持ち上げた)、実態は、武士以外の百姓、町人の参加も多く、首領の吉村虎太郎は、元庄屋、藤本鉄石は絵描きであり、二人とも清河八郎の同志でもある。世直しを求めて立ち上がったことはまちがいない。藩によらない草莽による決起だ。その後は藩、武士の軍隊ばかりが主導権を握ってしまう。

天誅組は、上の政治情勢の急変で、はしごをはずされ、見捨てられ、勤王の先鋒隊が賊軍になってしまう。盟主にあおいだ中山忠光は、長州に逃れるも、長州は、幕府をはばかってひそかに暗殺してしまう。政治はこわい。

女性コミック

2010-09-17 | 読書
ブックオフではマンガ、コミックコーナーは歩いたことがない。用がない。不案内だし、買わない。

でも、今日、運び込んできたダンボールの中にはコミックがいっぱい。それも女子コミック。
いらないと思ったが、ふと見ると「T・E・ロレンス」とある。おお、アラビアのロレンスではないか。神坂智子とある。知らないなあ。全7冊だ。知っている人は知っている漫画家なのかもしれない。コミックだって、ベルサイユの薔薇とか、真面目に時代を研究している作品もあるのだから、これもその手なのかもしれない(ベルサイユも読んでないが)

他にどんなマンガ家の本があったかというと、河あきら、秋里和国、東城和美、こなみ詔子、筏川かおる、明智抄、竹宮恵子、荻尾望都、竹宮恵子。

最後の荻尾望都と竹宮恵子だけは名前だけ知っていたが、ほかはまったく知らない。

女性コミックを手にしたのは初めてだが、コミックも置いておいた方がよいかもしれないな、とちょっと欲が出てきた。でも、ネットでは売らないつもりだ(売るなら白土三平 笑)。もし、店舗を持つとして、堅い本ばかりのなかに、コミックが少しあるのも店の気分がやわらいでいいかもしれない。なによりも、コミックは重さが軽いのがいい。床がつぶれる心配もない。


それにしても、このコミックの世界は広くて深いのだろうなあ、と思う。いつのまにか一大文化になってしまった。恐ろしくて近づけない(おじさんは無理)。男性マンガ、女性マンガと区別したけど、女性マンガってやっぱり女の子が読むのだろうか。男の子も読むのだろうか?

こちとら、漫画といえば、白土三平、手塚治虫、横山光輝、わちさんぺい、赤塚不二夫などの時代で止まったままだ。それででいいのかも。荘太郎が現代の女性コミックを読んでる図はちょっと恐ろしいぞ(偏見かな)。

ところで、マンガとコミックはどうちがうのだ?(それすら知らないのだ)


育児の百科

2010-09-06 | 読書
息子夫婦に赤ちゃんができたので、さっそくブックオクで松田道雄の「育児の百科」を買ってきた。これを参考に、と渡そうと思う。

30年以上も前の育児書で、わたしも、長男が生まれた時は、これを買って帰り、「よく読んでおくんだぞ、あとは頼んだぞ」と渡したことがある。(わたし自身はまったく読んでいない。昔の無責任な父親だ)。

この本の帯にもこうある。「2世代、30年にわたって ゆるぎばい信頼を得てきた 育児書のロングセラー」

1998年、12刷とある。定価は3300円だがブックオフなので、100円。

こんな大昔の育児書だが、これは最近、岩波文庫にもなったそうだ。
病気や医学は30年前のものでは古いが、育児にそんな変化はないだろう。
だれからもアドバイスを得られない新米の親にとっては役にたつのではなかろうか(やっぱり、古いか)。

手品・マジック研究家の松田道弘は松田道雄の子供だそうだ。

親父の書き込み 戦争体験

2010-08-02 | 読書
実家で高木俊朗の「焼身」という文庫本を見つけた。高木俊朗の本は希少本なので、これはいいのを見つけたと思ったら、2行、線引きがあり、書き込みがあった。これは親父の本だが、親父はめったに線引きや書き込みはしない人だ。なにを書いてるのだろう、と思った。

1945年6月29日、佐世保市に大きな空襲があった、という部分に線をひき、「海軍世知原分遣隊にて体験する」と書いてある。

もう一つは、8月6日広島に原爆が落とされた、という部分に「海軍加茂衛生学校生徒として体験」とあった。

親父から戦争体験を聞いたことはほとんどない。海軍が好きで、軍国少年のままの思いを持っていた。戦争体験といっても、たった半年ほど訓練うけただけだろうと思っていた。佐世保で、城山三郎と同じ練習生だった、とかもいっていたが、話にホラも多いので、まともには聞いていなかった。広島の原爆を見た。救援にいかされた、ともいっていた。

そうか、親父は、賀茂の海軍衛生学校にいたのか、と今頃、認識した。

晩年は、広島の呉、賀茂などを訪ねるのが夢だといっていた。17,8才ころの最も多感で、また、激動の時代だったので、一番、思い出深い土地だったのかもしれない。なぜ海軍衛生学校へ志願したのだろう。わからない。

戦争が終わって、故郷に帰り、「わたしの非力のため、戦争に負けてしまいました。申し訳ありませんでした」と近所に挨拶回りをしたそうだ。

戦争体験者はもう絶滅寸前。しっかり話を聞くべきだったが、体験者は戦後を生きていくのに精一杯で語る余裕がなく、子供も戦後の現代っ子ということで、親父の話には頭から古いと耳を傾けなかったものなぁ。


日本現代史がほしい

2010-07-10 | 読書
日本現代史がほしい。特に高度成長時代が終わった1970年代から現代までの時代史。
1970年代から現在まですでに40年経過している。この40年間の歴史を検証する本がないのはどうしたわけだ。いや、専門的なものはあるのかもしれない。でも、一般の国民にもわかりやすく書かれた本はないのでは?(わたしは知らない)。

かつて、4,50年前は歴史ブームといわれ、中央公論社の「日本の歴史」を代表するさまざまの歴史全集が出された。でも、あのシリーズもせいぜい経済大国になるまで、1970年代までで終わっていて、その後の現代史にはふれていない。

1970年代は、つい30年前の太平洋戦争から、戦後の時代までかなり詳細に書かれた歴史本が出された。当時の学者は20年30年前のことを精力的に調べ、国民に知らせた。
今はどうか。20年前、30年前の日本を検証する現代史はあるのか?1980年代の日本、1990年代の日本を振り返る歴史の本がない。これは学者の怠慢ではないか。学生に単位を与え、有識者として政府の審議会委員になるだけに成り下がった大学教授なんて、税金の無駄。

明日は参議院選挙だ。
世論調査によると、消費税増税に反対する国民は半分くらいになるそうだ。消費税増税にはっきりと反対する政党は共産、社民の二党。普通に考えたら、この二党が支持を集めてもよいのだが、しかし、新聞社の調査によると、この二党の支持率はパーセントは一桁。不思議だ。消費税反対、普天間移設問題への国民の声が、選挙には反映しない。なにが原因なのだろう?

政党か?政治家か?選挙のシステムか?メデイアか?国民に問題あるのか?

過去の参議院選挙の結果を調べてみた。
1989年には社会党は第一党になっっている。しかし、その3年後、議席を半分に減らし第二党、その3年後、新進党ができ、第三党に、そしてその3年後1998年には、民主党ができ、社会党は分裂し、社民党は5議席に凋落。その後、自民、民主の時代が続き、現在、自民と民主は政策をほとんど同じくし、大連立の噂が当然の如くいわれる。
いったい、1990年代に何があったのか。どうしても現代史がほしいと思うのだ。