虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

尸居龍見 雷聲渕黙

2009-03-31 | 日記
「尸居(しきょ)して龍見(りゅうけん)し、 雷聲(らいせい)あり、渕黙(はんもく)す」と読むのだろう。こんな言葉、知らなかった。

尸とは、「しかばね」の意味、しかばねのようにじっと不動でいながら、龍のように変幻自在に活動し、深い渕のように静まりかえりながら、雷のとどろきのように響く。

先日、成正寺で入手した」最新号の「大塩研究」第60号の「この言葉」という巻頭のページに出てきた。この文字を書いた「大塩の書」が出ていた。

この言葉は、荘子の外篇、「在宥篇」にある言葉だ。大塩は、かなり荘子を読み込んでいることがわかる。「荘子」を好む儒者は多い。いや、儒者にとって、荘子は必読の基本文献なのかもしれない。

清河八郎も、自分の号を「木雞(ぼっけい)」(荘子外篇の達生篇に出てくる)としているように、荘子をよく読んでいる。

頼山陽も荘子を愛しているが、荘子を講義している時に、母親の死亡の知らせがきたので、それ以後は、荘子を手にしなかったそうだ。なにせ親孝行な人だから。


画像は、成正寺の境内に立つ大塩父子の墓。

げんなり

2009-03-30 | 新聞・テレビから
朝日のトップ記事に千葉知事に森田健作氏。森田氏は、郷土愛の育成や道徳教育の推進を公約しているそうだ。東京都、大阪府に続いて千葉県もか。政府財界層は喜んでいるにちがいない。投票率は半分以下とはいえ、なぜ森田氏に投票するのだろう。この国の選挙は謎だ。また、いやなヤツがテレビに出てくるのかと想うと、げんなりしてしまう。

同じく1面に本社世論調査として「小沢代表辞任を」63%とある。千葉県の選挙結果の日に合わせたのではないのか。朝日の小沢降ろしは一気に加速。しかし、大きく63%などと書いてほしくない。調査対象者はたったの1100人余なんだぞ。支持率とかの世論調査でふりまわすな。質問のしかたもいやらしい。「小沢さんは、「衆議院選挙が迫っているこの時期に、前例のない形で秘書が逮捕・起訴されたのは納得がいかない」として、検察の捜査を批判しています。小沢さんのこの主張に納得できますか」だって。朝日は、検察の捜査はおかしいとは思っていないのだな。

朝日歌壇に、あのホームレスの公田さんの歌が二人の選者によって選ばれていた。

   温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る

また、今日は、3人の選者によって、アメリカの牢屋に入れられている囚人郷隼人という人の歌が選ばれていた。郷さんは、ホームレスの公田さんを想った歌だ。

   囚人の己れが(ホームレス)公田想いつつ食むHOTMEALを

画像は、洗心洞跡の標識。
官舎のそばにひっそりと立つ。近くに住んでいる人もきっと気づかずに通り過ぎるにちがいない。散歩している犬は小便もするにちがいない。

大阪市よ。もうすこし、大塩を遇したらどうか。ここに洗心洞を復元してくれてもいいんだよ。そんな話はまったく出ないようだ。

大阪の町を歩く 

2009-03-28 | 日記
今日は、よく歩いた。大阪の町を歩いた。

淀屋橋で電車を降りる。そこから川沿いに西に進み、肥後橋へ。大同生命ビルを探した。ここはかつて江戸時代、加島屋久右衛門(両替屋)の屋敷があったところだと思う。昔は、大川町といったらしい。大同生命、もちろん、加島屋と関係は深い。山田屋大助は加島屋の用心棒的な存在でもあった。画像は、大同ビル。見上げるばかりのでっかいビルだ。

そこから南にくだって(江戸堀)、山田屋大助が住んでいた斉藤町あたりを探したかったが、さっぱりわからない(事前準備してなかった)。で、御霊神社、津村別院(西本願寺)まで歩いた後、再び、北上、備後町、瓦町、淡路町(大塩の乱で銃撃戦があった)、平野町、道修町へ。

道修町(どしょうまち)は江戸時代は薬の町として有名だ。「くすりに道修町資料館」に寄る。そのビルの隣は、「少彦名(すくなひこな)神社」。ビルのかげに隠れていて、そばまで来ないと気づかないような小さな神社だ。「神農さん」ともよばれている。薬の神様を祭る神社だ。薬屋だった山田屋大助もこの町は足しげく通ったはずだ。谷崎の春琴抄もこの町が舞台。

そのあと、伏見町、高麗町、今橋を過ぎて北浜に出る。江戸時代、大坂の中心地。船場の大富豪がここに集まっていた。北浜には証券取引所があり、そのビルの前には五代友厚の像が建っている。

北浜から難波橋を渡る(なんでこの橋にはライオンが立っているの?)。
大塩一党はこの橋を渡ってきて北浜に出て、北浜の富豪を焼くことにんる。難波橋から見た景色はすばらしい、とだれか(西鶴だったか?)がいっていたが、今は面影なし。難波橋を渡ると、川沿いに東に進む。造幣局(大塩の屋敷跡)に寄ってみたいのだ。まだ1度も見たことがない。

天神橋、天満橋を過ぎていく。天神橋を過ぎたところで、川沿いの公園でキリスト教会の人がホームレスの人たち約70人?くらいに食事を提供していた。

造幣局に着く。警備員さんに大塩の遺跡を聞くと、いっしょにきて、案内してくれた。周りは、官舎になっているようだ。洗心洞跡、与力屋敷門、大塩軍に砲撃された樹の跡とか見た。画像などは、また、あとでアップしてみたい。

造幣局からまた西にひきかえし、南森町のほうへいく。南森町の千代田第一ビル。かつて勤務した会社があったところ。ビルの中に入って、各階の会社を調べるが、昔の会社の名はなかった。つぶれたのだろう。このころは、よく昼休みになると、天神橋商店街で日本酒を一杯ひっかけ、そのあと天満宮で休憩したものだ。悪い社員。

天満宮にもちょっと寄ってみた。ここは大塩の乱で焼けてしまい、この年(天保8年)の天神祭りはとてもさびしかったそうな。

天神橋商店街を通り、今日の目的の成正寺にいく。これがけっこう迷った。
境内をのぞくとだれもいない。大塩父子の墓が黙って立っているだけ。今日は、大塩平八郎の法要がある日なのだ。玄関を開けると、みんな中に入っていたのだ。約30人。本堂で法要が始まった。順番にお焼香を。そのあと、境内に出て大塩の墓の前でお坊さんのお経。南無妙法蓮華経。

例年、法要のあとは、講演会があるが、わたしは、ここで失礼させてもらった。
大塩の法要に来たのは、今回で2回目。1回目はもう10年以上も前だ。昔の方が参会者は多かったような気がする。最近は、新聞のお知らせにものらないし(わたしは、成正寺に電話して聞いた)、盛り上がってないのかもしれない。参会者30人はほとんど70歳以上の人ばかり。大塩一党の関係者のほかに大塩事件研究会の人もいると思うのだが、大塩を研究している人は老人がだんぜん多い。昨夜、見た映画「命尽きるまで」も老人だったが、大塩研究はそれ以上の老人に支えられている。老人力、思うべし。

中ノ島図書館に寄ろうと思って天満橋までいくが、図書館のカードを持ってこなかったことに気づき、そのまま大阪駅まで歩いて帰る。


ベタ記事「君が代訴訟」

2009-03-28 | 新聞・テレビから
昨日の朝日。たった1行のベタ記事。
「君が代斉唱時の不起立・不斉唱などを理由に懲戒処分を受けたのは思想・良心の自由を保障した憲法に反するとして、都立学校の教諭ら計約170人が東京都に処分取り消しなどを求めた訴訟で、東京地裁(中西茂裁判長)は26日、原告側の請求をいずれも棄却する判決を言い渡した。」これで全文。
判決理由も何もなし。あきれる。

We 命尽きるまで

2009-03-28 | 映画・テレビ
昨夜、「We 命尽きるまで」を第七劇場に友達と見に行った。好評につき、アンコール上映で、昨日で最後の上映だった。朝日でも紹介されていた。

混んでいるかもと思ったが、なんとガラガラ。12、3名くらい。たしかに若者が見てもおもしろくはないかもしれない。憲法改悪措置に立ち上がった元全学連全共闘たち老人の、半ストやデモ行進、会議、集会のようすを記録したもの。それぞれの老人たちの生活や内面への追求はなく、あくまでも、外に現れた顔を見せるだけ。街頭インタビューみたいなものだ。ただ、それぞれの年を経た顔を見ることができてよかったと思う。みんな、いい顔をしている。山本義隆は、白髪で半ストの場所で、一生懸命本を読んでいるところが写っていた。撮影やインタビューは断ったのだろう。

突然、知っている人の顔も出てきたので、びっくりした。わたしよりちょっと上の世代の人々だ。老人一揆だ。第二部も作られていると聞く。そこには、ジュリー(沢田研二)も出てくるそう。しかし、映画館のガラガラは淋しい。

自由だ!

2009-03-26 | 日記
まだ定年ではないのだが、長く勤めてきた職場を自分から辞めた。こんな不況の時代に、と周囲からは言われたが、自分では辞め時だと思った。

ヤッター!自由だ!この日をどんなに待ち望んだことか。
一人でニヤニヤしているのがわかる。歌でも歌いたい気持ち。長い束縛がとれたこの気持ちは、高校を卒業したときの開放感と同じだ。あのころ、おれは自由だ、と感じ、歩くのも何をするのもうれしくて、いっぺんに健康をとりもどしたほどだ。よほど、学校が、組織が嫌いだったのだろう。しかし、若い頃は、自由だと感じたのもつかのま、即、結婚し、子供が生まれ、食べるための生活で、すぐに新たな重荷、束縛にとらわれた生活が始まった。その長い生活がやっと終わったのだ。このあとも、また、新たな悩み、束縛、重荷があるのかもしれないけど(当然、あるだろうな)、しばらくは、今の開放感をじっくり味わおう。

ガンでは5年生存率とか死亡率とか、こわい話もあるけど、人間の死亡率はみんな100パーセントなのだ。残りの、第二の人生、思うように生活していくぞ。

ブックカフエ、ネット古本ショップ、外国旅行、自分のルーツ調べ、計画はいろいろある。今までも、だいたいが休みの日になると元気になる男だから、これからはうんと元気になる予感がする。自由に祝杯だ!(おめでたいヤツといわないでくれ)

今日、新刊屋さんで、大塚ひかり全訳の「源氏物語」(ちくま文庫)第一巻を買った。これで、源氏は読み通せるかな?

古書店の名前

2009-03-20 | 日記
まずは、店の名前をつけないことには、いろいろな届けもできない。これが困る。名前をつけるセンスはまったくなし。わが子の名前も他人まかせにしたぐらいだし。名前なんて、どうでも・・・という思いもある。

「荘子」にあやかって自然堂書店、悠々堂書店、秋水堂書店はどうか、ネットで探すと、これみんなある。大塩平八郎にちなんで、太虚堂書店、これもあった。
一揆堂書店はさすがない。しかし、この名前ではお客さんは近づかず、警察にマークされそう。

雲が好きなので、雲書房、青雲書房を見たが、もちろん、いっぱいある。

大昔、親が松山で「あすなろ」という飲み屋を営業していたので(2年でつぶれたが)、「あすなろ書房」を調べたが、「あすなろ」も多い。

花の名前は書店に限らず店に多いようだ。ひまわり、すずらん、菜の花、コスモス、たんぽぽ、人気銘柄だ。個人的には「すすき」が好きなので調べたが、すすき書房はなかった。さすが淋しく枯れているようで、店の名前にはふさわしくないのだろう。
能勢書房や北摂書房はない。だいたい、こちらに古本屋はないもの。しかし、まったくおもしろくない。

「ほろよいきげん」とか「とりあえず」とか「またおいで」など、飲み屋の名前を考える方が楽しそうだ。

画像は石峯寺の石仏。

伏見稲荷 石峯寺

2009-03-15 | 日記
京都の伏見稲荷大社にいった。はじめて。商売繁盛や学業成就とかいろいろご利益があるのか、けっこう人が多かった。しかし、駐車場も無料、拝観料もいらないのが、庶民的。ここはだいたいお守りをもらうだけの所かと思っていたけど、稲荷山の上まで赤い鳥居の回廊が続いている。鳥居は1万基もあるという。ついでだから、登ってみた。頭の神様、目の神様、足腰の神様、縁結びの神様、まあ、いろんな神様がいる。キツネの石像もあちこちに立つ。老若男女、外国人もいた。ウォーキングにはちょうどいい。

石峯寺(セキホウジ)が近くなので、寄ってみた。
お寺は小さいけど、ここには、石仏五百羅漢がある。しかも、その五百羅漢の下絵を描いたのは江戸時代の画家伊藤若冲。若冲はこの寺に草庵を結んでいたらしい。若冲の墓もある。
石仏群はお釈迦様の一生を表現しているようだ。竹やぶの丘の上に置き捨てられたような感じで、かなり風化しているが、どの表情もあどけなくてまるで子供のよう。五百羅漢を見学する人は、300円の拝観料をいただきます、という看板があったが、無視して、どんどん踏み込んでいった。ひとしきり見終わったあとで、お礼のつもりで、もうーし、と寺の人を呼び出し、お金を払ったとさ(笑)。見学者は一人か二人、ひっそりしています。
ここは駐車場はないので、近くの公園のわきにとめるとよいかも。

かんぽの宿記事

2009-03-14 | 新聞・テレビから
3月14日
朝刊(朝日)に久々に「かんぽの宿」記事。
オリックスは日本郵政の入札担当者をオリックスの新しい運営会社の副社長にするという提案をしていたそうだ。13日の総務委員会で民主の原口氏が指摘したそうだ。この他にも、HMNというホテル運営会社は日本郵政よりも有利な雇用条件を示したこと、一括売却を検討する会議も1回しか開かれなかったことなどが書かれている。記事は60行余もあり長いのに(木村和規記者)、見出しは記事の長さに比べると小さい。6面に書かれていたが、これを1面トップに持ってきてもいいではないか。
これから、「かんぽの宿」問題についてどんな記事が出るか、逐一チェックしてみよう。

これは昨日の記事かもしれない。今日、たまたま見た。「あらたにす」という朝日、読売、日経の共同のネット新聞があるが、その中の新聞案内人の一人、桐山英一郎(元朝日新聞論説副主幹。現在 神戸大学客員教授)という人が、「大見得を切ったツケはだれが払う」と題して、鳩山大臣の「かんぽの宿」譲渡待った問題を批判していた。この新聞案内人は、竹中平蔵氏の説に賛同し、西川社長に同情する。
「この間、いちばんうんざりしているのは、西川社長ではなかろうか。民間感覚を根付かせるべく依頼されて、ぼろくそに言われるとあっては、後に続こうとする経済人は出て来れなくなるだろう。民間から人材が来なくなれば、それも「コスト高要因」になる」
これが言いたいことだ。
民間、民間というが、なにが民間だ。かれらが言う民間とは大企業ではないか。かれらのいう「民間感覚」とは何だ。こういう人物が論説の副主幹をやり、今も学生を教育しているとは。しかし、朝日新聞の幹部の本音を代わりに書いているのにちがいない。

3月15日、朝刊の19面の1面全部を使って「どう見た「かんぽの宿」。いつも3人の識者の意見を聞くという「耕論」というコーナーだ。
一見、かんぽの宿問題を大きく扱っているようだが、これは「かんぽの宿隠し」の記事といってもよい。なぜなら、この記事の中に、西川社長の名もオリックスの名もなく、入札に関わる疑惑についての事実は一切書かれてないからだ。一人は、自民党や民主党の事務局にいた伊藤淳夫。かんぽの問題を麻生勢力と小泉勢力の対立と位置づけ、「入札そのものの是非は定かではないが、政治は流れを作った方が勝ち」、鳩山さんの勝ち、ただし、パホーマンス政治から訣別しよう、という。入札の是非は問題ではないらしい。もう一人は、道路公団民営化委員会に所属していた民営化推進の大学教授田中一昭なる人。主張の半分以上は道路公団民営化の話で、官僚の抵抗が強いと書き、かんぽの話も「同じような官僚の抵抗があったはずだ」と書くだけで、これも具体的な入札やかんぽ問題の事実についてはふれない。
3人目は、荻上チキというネットに詳しいブロガー。新聞社からは、「かんぽの宿騒動についてのネットの反応」という観点からの話の依頼らしい。この人も、伊藤氏も「かんぽ問題は新聞やメデイアで大々的に取り上げられた」と語っているが、これは記者がそう話をふったのではないか。テレビでも新聞でも大々的に取り上げられたことはない。事実の詳細な情報は流していない。この荻上氏は、ネットでもそんなに盛り上がらなかった、と語り、「「かんぽの宿」がネットでもリあがらなかったのも、問題設定の「ゆるさ」を誰もが感じたからではないですか」と語っている。これは、新聞記者、あなたへの皮肉でもあるのだが、記者はわかっているのだろうか。ともあれ、この人の話の中にも、オリックスへの入札の経緯など、かんぽ問題の事実記事は何もなし。朝日は、かんぽを特集しながら、かんぽ問題から国民の目をそらそうとする問題設定をしているといえる。

4月3日夕刊 「日本郵政に改善命令へ」の見出しで、鳩山総務相が記者会見で、「かんぽの宿」をめぐって入札手続きが不適切だったとして、日本郵政に業務改善命令を出す方針を明らかにしたというもの。入札家庭の問題点16項目も公表する、と書いてあるが、夕刊にはその16項目の内容はない。明日の記事には当然、書くのだろう。

4月4日朝刊 「時時刻刻」というコーナーで、「入札騒動決着か」「出来レース疑惑素通りという見出し。「かんぽの宿問題」をあくまでも「騒動」としてとらえる朝日は、「3ヶ月間に及ぶ騒動は一応の区切りをつけた。ただ、公表された報告書は入札の不透明さを強調するものの、売却で誰かが利益を得ようとしたのでは、という「疑惑」は素通りした」と書く。疑惑を素通りしたことが不満なら、朝日よ、ジャーナリズム機能を活かして今後も独自に調査せよ。疑惑は、問題点16項目を見ただけでも判然としているではないか。オリックスとメリルリンチ、そして日本郵政。朝日は一貫してオリックスに疑惑の目がいかないように、郵政や総務省批判ばかり書いてきたが、そうせざるをえない大きな影の力があるのだろう。
さて、これから、朝日は、かんぽの宿事件(これは騒動ではなく、事件、疑惑だ)について記事を書くかどうか、注視しておこう。

中央公論版チェーホフ全集

2009-03-11 | 読書
チェーホフ、あまり読んでるわけではない。短編は苦手。
ただ、古本ネットで中央公論版の「チェーホフ全集」の中の数冊を買った。
このチェーホフ全集の本の装丁が以前から気に入っているのだ。

箱入りで、本にはビニールカバー。箱も本の表紙も黒と赤だけ(黒が8割)でデザイン。
シンプルで実にいい。表紙もやわらかく、コンパクトな作り。

太宰治は、「チェーホフをたくさん読みたまえ」とすすめたが、このチェーホフ全集の装丁を見ると、ここにはほんとにたくさんのロマンがつまっているように思える。中身よりも見た目で買いたくなる本だ。特に、箱よりも、中の本の表紙がいい。

中央公論版の「チェーホフ全集」の装丁。こんな感じの作りの本がお気に入りだ。

綾部山梅林

2009-03-07 | 日記
梅を見に行った。
綾部山梅林。山陽道の竜野西インターで降りて20分。遠く瀬戸内海が見え、その梅の数2万本。満開で、もう来週あたりからは散り始めるのではなかろうか。花には特に思い入れはないので、まあ、こんなものかな、という感じで特に感動はしなかった。ただ、梅は枝がおもしろい。
梅見酒をしたかった。
ここの駐車場の菜の花がきれいだった。

綾部山から室津まで車で10分なので、寄った。室津港に着く直前に「堀市」という海鮮直売所兼食堂があり、そこに立ち寄る。ここの魚は新鮮でうまい。駐車場も満杯だったが、うまく車が入れられた。セルフサービスとかいてあったので、てきとうにすしをお盆にのせ、テーブルについて食べる。食べ終わると、お盆はセルフサービスで返すことになる。あれ、お金はどこで払うんだ。このまま出ようかしらと思ったけど、一応、店員さんをつかまえて、聞いた。会計はどこ?会計は、食べる前、自分でお盆を持って会計のところに並ぶそうだ。なんだ、そうなのかい。人が多いし、店の人も忙しそうで気づかなかったぞ(笑)。

室津には、お夏清十郎の清十郎の生家跡がある。木曾義仲の第三夫人になるだれそれ(名前忘れた)がここに住み遊女になったそうだ。シーボルトも来ている。室津はかつては湊町として栄えたのだが、いつ来ても、ここは時間が止まったような静かな湊だ。

かんぽの宿隠し?

2009-03-07 | 新聞・テレビから
今日の朝日、2面は「時時刻々」で、郵政バトル第2幕として、東京中央郵便局の建て替え問題について特集。「かんぽの宿」については、これまで「時時刻々」で特集されたこともなく、このスペースの使い方は明らかに「かんぽの宿」の記事よりも大きい。しかも、「第2幕」だと?「かんぽの宿」はすでに幕が降りたとでもいうのか?だいたい、「かんぽの宿」と「郵便局の建て替え問題」とは性質が違う。建て替えは、郵政と総務省の対立かもしれないが、「カンポの宿」はオリックスや、郵政民営派の闇が関わる。「かんぽの宿」隠しが見え見え。

ついでに書くが、かんぽの宿については国会の委員会でも質疑がなされたはずだが、朝日は、その詳細な情報は一切流さなかった。そして、3月5日に、突然、「あしたを考える」という欄で、「かんぽの宿論点は?」として、議論のポイントをまとめた記事を出している。この日は、小沢民主党代表の秘書が逮捕され、定額給付金が決まった日だ。まさにどさくさのうちにちょい出しした記事で、スカのような内容だ。

今日の朝日は、文化面でも、東京中央郵便局の建て替え問題を記事にしている。朝日は、「かんぽ」から「郵便局の建て替え問題」へ話題を移すことに必死だ。
国民は、誘導される愚昧の民だと思っているのだろうか。

自生自化

2009-03-03 | 読書
自ずから生まれ、自ずから変化する。荘子の言葉。生も変化し、死も生の変化した形、荘子は、生をよしとし、死もまたよし、とする。荘子は、短命を悲しまないが、長命を喜ぶこともしない。命を大切にするが、特に、仙人のような長命を求めることもしない。

人間関係に対するには、論語なども参考になるけど、こと、個人の生死に対するには、やはり荘子が魅力だ。

老子は、短すぎる。ほとんど無口で、まるで仙人に対するよう。
ところが荘子はちがう。親しくしゃべりまくり、語りかける。文章は、老子、論語、孟子よりも多い(内篇、外篇、雑篇を含めてだけど)。説話あり、たとえ話あり、哲学話あり、ほら話あり。何度も何度も語ってあきることがないようだ。

しかも、これほど、貧しいもの、醜いもの、身体的に障害のある者、差別される者、大工や漁師など貧民を主役にした古典は、世界にないのではなかろうか。世界で最初の貧しい者のための書ではないのか。

荘子自身も、ちらちらと顔を出すのがおもしろい。後人の空想なのかもしれないが、荘子が貧しく、裏長屋のあばらやのようなところに住み、いつも粗末な服を着て、顔色もあまりよくはなさそうなこと。栄養がよくて太っている感じではない。堂々とはしていない。妻がいて、子供もいたようだ。一時、畑の管理人みたいなことをしていたが、その後は、草鞋を編んで生計を営んでいた、なんてことも想像できる。親友もいた。妻が死んだときは、歌をうたっていたので、親友からたしなめられたりする。

荘子には、聖人や教祖にはなりえない、生きている個人を感じる。孔子や老子、あるいはブッダさんのように祭られることを拒否する庶民性個人性がある。とても国からは崇拝はされない存在だろう。真理は糞小便の中にある、といったり、為政者、学者を徹底的に批判する自由な平民なのだから。

2000年以上前に、こんなヤツがいたのか、すごい、と改めて思っている。
荘子の銅像は中国には建っていないのだろうか?
わたしのイメージでは、もし銅像を建てるとしたら、老子のような老人像ではなくて、40代50代のイメージなのだが。