虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

姑息 

2011-12-31 | 新聞・テレビから
毎回、新聞から悪口ばかり書いているけど、これも老人のボケ防止策と思っておゆるしを。

さて、今日は消費増税の素案まとまる、がトップニュース。
経済のことはまるでわからぬ老人だが、「姑息」という言葉だけが思いつく。

だいたい、消費税増税案といえばいいものを、「社会保障と税の一体改革」とくる。しかも、税の抜本改革だと?どこがだ。

法人税は大企業のいうことを聞いて、減税。
低所得者層との公平を期すために富裕層の所得税の最高税率をあげた、だと。40%から45%にあげる。たった5%。申し訳程度で恥ずかしくないか。1980年代までは、75%だったのだ。どこが抜本改革か?自動車取得税の廃止とかは、だれも消費者は言ってないはずなのに、自動車会社の一言で決まりのようだ。


生活必需品の消費税率は上げないようにすればよいのに、高所得者も恩恵を受け、逆進性を薄めるし、事務作業が増えるからと、どうもはじめから真面目に検討した形跡がない。富裕層や大企業のことは配慮するが、庶民のことは考えないのだ。ただ、そのかわり、低所得者には給付金を与えるという。お上からの慈悲金のつもりか。きっと手続きが面倒にちがいない。しかも、この給付金を本格化するためには、共通番号制を導入してから、とかいう。問題のある共通番号制をこの一件でなし崩し的に導入しようとする。まったく姑息だ。

共通番号制の目的は国民を管理するだけでなく、国民のすみずみから税を徴収し、取り残しのないようにするためだろう。

姑息といえば、先日の沖縄県庁への評価書、深夜搬入という事件も姑息だ。姑息なことが目立ちすぎた。

このままではだめだ、と思いつつ、今年も終わってしまう。
みなさん、よいお年をお迎えください。

学校IT化

2011-12-31 | 新聞・テレビから
先日連載された「教育あしたへ デジタルがきた」に約80通の反響があったということで、今日また、1面全部を使って、読者の声と解説をのせている。

新聞記事で反響80通というのは少ないのではないか。びっくりするような反響ではないはずだ。しかし、少なくても多くても、はじめから企図していたのだろう。むろん、!T産業への朝日の支援だ。
読者の声8通をのせているが、どれも学校のIT化に反対する声はない(1通だけ、先生が機械になれず、黒板で授業をした方が早い、という意見はあったが)。ほとんどが、学校のIT化に期待する、という内容。そして、解説記事(編集委員氏岡真弓)は、自治体の支援不可欠と見出しで書く。つまり、学校IT化の予算をふやせ、といっている。

ここには、学校で、何を教えるのか、誰が教えるのか、という視点はない。ただ、学力を効率的に教えるための教育技術だけが大事で、人間はどうでもよいのかもしれぬ。

今年は、電機業界と総務省、メデイアが連携して、全国の地デジ化を強行したが、来年は、学校、家庭のIT化をメデイアは強くすすめるつもりだろうか。


ふつうじゃない日本人の国民性

2011-12-26 | 新聞・テレビから
今日じゃなく、昨日の新聞だけど、民主党の議員がマニフェストの公約に違反していると、離党したという記事が出ていた。選挙前の公約がウソだったとわかっても、離党する議員はたったの一人。

うその公約、マニフェストを掲げる政党とか国会議員を訴える法律はないものだろうか、と思う。政治家としても、国民に広く訴えてきた公約に違反してきたことには、責任を感じて当然だし、国民も怒って当然なのだが、どうも、このままなにごともなくすすみそうだ。

おかしいぞ、日本人・・・。最近の日本の国民性はふつうじゃない、と感じだした。

橋下教育改革 なぜ問題?

2011-12-26 | 新聞・テレビから
朝日の夕刊。
「橋下教育改革 なぜ問題?」の見出しで、文科省へのインタビュー記事。
質問は、「首長が教育目標を決めるのはだめなのか?」(だめに決まっているではないか)
「首長は教育について一切発言できないのか?」(こんなことはだれも言っていないだろ)
「首長は教育に影響力を持ってはいけないのか?」などなど、あほな質問。
編集委員、西見誠一と署名している。

朝日の編集委員は、橋下教育改革、なぜ問題なのかわからないのか。インタビュー記事だけで、解説記事も自身のコメントもなしだ。

それにしても、世の教育学者、有識者はなぜ黙っているのか。学者としての良心も責任感もないのか。

まあ、かつて軍国主義の時代、まっさきに時代に迎合したのが、新聞、その次が学者たち、という歴史があるので、新聞や学者たちに期待してはいけないのかもしれない。

産・官・学の大学

2011-12-24 | 新聞・テレビから
「ひらく日本の大学」調査を河合塾と共同調査をしたとして、朝日は2面を使って、大学教育について特集をしている。大学の広告ページかと勘違いしそうな記事だ。

FDやGPA、とか米国方式を導入しているとか、学ぶ仕掛け次々とか、こんな宣伝をだれに頼まれたのだろう。

大学も企業であり、役人やメディア(新聞、放送)関係者の重要な再就職先なので、大学を批判する記事は新聞にとっては、これまたタブーなのか?


朝日は教育記事に力を入れてるらしく、時々、教育記事も連載しているが、学力を伸ばすための工夫などの記事はあるが、「受験教育」という言葉はすっかりなくなった。受験教育の最終目標である大学の実態、大学の学問のあり方をまずまな板にのせなければならないのだが、まず、書かない。

あの悪名高い、原子力関係の大学教授たち、政府の審議会委員に名を面ね、なにかというと、有識者という役割で、利用される大学教授たち。昔の学生なら、学内で追放委員会を作り追放したはずだ。

医学や理工系の科学系の大学の先生のことは知らないが、法律や歴史や文学などの文化系の大学の先生たちはいったい何をしているのか、と思う。学生の質の低下よりも教授の質の低下を問題にすべきではないのか?

わたしは、古いのかもしれないが、大学の先生といえば、真理の探究に生涯をかけ、時代の風潮や社会からも超然とした、ちょっと世俗離れしたイメージを持っていたのだが、近頃は、政治家やビジネスマンの如しだ。

いったい、大学の受験料、入学金、授業料はいくらだ?その金額は世界でもおそらくトップクラスだろう。いや、入るために世の親たちはどれだけのお金をつぎこむのだろう。

受験産業もまた原子力むら同様、大きい。大学(企業)、予備校、私立学校、塾、出版等膨大な産業だ。その大学は、産業界と国とがっちり連携している。

わたしが高校生だった40年以上前は、まだ「受験地獄」とか「受験勉強の弊害」を問う声は多かった。なぜ、テストの成績をあげる必要があるのか、テストや入学試験は何のためにあるのか、と素朴な学生の声もあった。

しかし、あれから半世紀、「受験地獄」だとか受験制度を批判する声はすっかりかき消された。
40年前は、大学生も、「産学協同粉砕」、「大学解体」などと叫んでいたが、今の若い人はまったく通じないにちがいない。

大学の権威が地に落ちてるのに、「ひらく大学」なんて特集は大学の宣伝記事にしか思えない。

軍国主義教育から営利(企業)主義教育?

2011-12-20 | 新聞・テレビから
今日の新聞ではないのだけど、最近、朝日に「教育あしたへ」へというルポ記事で、「デジタルが来た」という連載が4,5回あった。

学校現場へのIT、パソコンの導入化が産・官・学の連携ですすめられているという。企業にとっては、学校という市場をラストリゾートとして利潤を生む頼みの綱と見ている向きもあるとか。
朝日の記事は、しかし、この学校現場の変化を批判的に書くのではなく、どちらかといえば、未来の学校の姿として無批判にルポしていた。

電子黒板、電子教科書、電子ノート、一人一台のパソコン、パソコンを使った授業、試験。
ここには、全国何万人という不登校児童のことも、年々増える心の病で休職する教師のことなど眼中にもない。パソコンやデジタル、たまには目新しいかもしれないが、子供にとって、それがなんになるのだろう。教育の場が、産・官・学の連携で、大企業のために、ますます荒廃されていく、と思う。パソコン化、IT化は子供のためではなく、大企業のためだろう。

産・官・学・自治体の原子力ムラは今年、広く人々に知られたけど、電気・電力・IT産業を中心とする大企業と政府(総務省・文科省)と大学の連携による、電気・IT産業ムラもあるのではないか。そこでは、子供のことよよりも、学校の電子化、パソコン化、企業製品導入を優先する。パソコンを使った授業をするのが、最も先端的な教育法として、政・官から推奨されているのではないか。学校に、パソコンはいらない、なんて言葉はおそらくタブーになっているはずだ。

戦前の教育は、軍国主義教育として批判された。しかし、今はどうなのか?
軍国主義ではないけれど、なんといったらよいか適当な言葉がないのだは、大企業主義教育(?)、・・・弱いな、営利主義教育?・・でもないか、なんか、とんでもない事態が進行している気がする。

国民のためとして、必要もない戦闘機を何億もかけて導入するこの国の姿と、それはよく似ている。





言う言葉なし

2011-12-18 | 新聞・テレビから


今日は、「原発審査委員、業界と密接」の記事。原子力安全委員会の審査委員のうち半数は、東電をはじめ、審査される立場の業界に所属する専門家だという。

だいたい、あの原発事故で何の役目も果たせなかった原子力安全委員会が、今日までまだなんの改変もなく、そのまま存続していること自体が不思議でならない、斑目委員長はとっくの昔に恥を知って辞めているものだと思った。委員長が辞めていないものだから、委員たちもそのまま居座っていたのだろう。わたしたちは、かれらに、税金を払っている。

あの九電の社長はどうなったのだ?辞めるとか辞めないとかいっていたけど、そのまま居座っているのだろうか。その後の報道なしだ。

原発の推進側に奉仕しながら、かつ、原発の安全審査委員をもつとめる。どんなえらい学者かしらんが、恥知らず、というべし!


手続き

2011-12-12 | 日記
徳島へ日帰りで行ってきた。往復6時間。先週から歯痛で、頬がふくらんだ状態で、かなりきつい旅になった(歯医者は年末になり、予約いっぱいで、すぐに診てくれない)。

伯母の介護サービスを受けるためには、住所を大阪に移す必要があり、転出届けをもらうためだ。
まず、支所へいき転出届け、市役所へいき、介護保険など保健証の返却。

つぎ、こちらの支所で転入届けを出し、そこから、はじめて介護の相談を受けることができる。
手続きは大変だけど、このめんどうな手続きは避けて通れない。

手続きは大嫌いで、学生の頃は、単位登録の手続きやら、試験を受けるという手続きも含めて、放棄していた時期があり、そのために大きな負担を負った。人生とは、手続きなり、とこのとき、はじめて知った。

年金、税金、車の免許、選挙、その他、ゆめゆめ手続きをお忘れなきよう。

見てない「坂の上の雲」

2011-12-11 | 日記
チェンネルを回してると(いや、ボタンを押すと)、NHKで「坂の上の雲}をやっていた。
古本屋を開店してから忙しくなったのでテレビもあまり見られなくなった。部分部分だけちょっと見た。
NHKの悲願だったドラマ「坂の上の雲」だが、視聴率はその意気込みほどのものではないのでは、と思う。なぜ、今、こんな時代に日露戦争なんだ?どうしても違和感は禁じ得ない。

NHKや「坂の上の雲」のドラマ化を推し進めた側は、当初の思惑が大きくはずれたと感じているにちがいない。今年の大震災・原発事故以来、政府や大企業、マスコミなどこの国の指導者層のレベルのひどさをいやというほど見せつけられたからだ。

どうせ、戦争物をするなら、「ノモンハン」や「ガダルカナル」などをやればいい。当時の上層部がいかに自分たちのことだけ考えて、国民のことを考えていなかったか、まさに、今の国民の姿を目にするにちがいない。


社会保障と税の一体改革

2011-12-06 | 新聞・テレビから
だれが言い出したのか、「社会保障と税の一体改革」。

この言葉ほど、国民を愚弄した言葉はないだろう。

「改革」という言葉は、だれだって、良くなる意味に聞こえる。社会保障も、税も、良い方向に改革する?いいことではないか、と思える。

ところが、税の改革とは、消費税を上げること。消費税だけを単独にしたら、批判が集中するので、社会保障を充実するための消費税増税とする。消費税増税の理由が社会保障だ。

では、社会保障、年金、医療、介護は充実するのか?ノンだろう。年金支給は引き下げる、医療費の自己負担は増やす、など社会保障も危ない。社会保障も改悪だ。

未曾有の財政難、大借金がすべての原因だという。その財政難は高齢者が増えて、社会保障費が増えたからだ、というが、そんなことはとっくの昔から予想されたことだろう。財政難の原因を小子高齢化のせいにされてはたまらない。財政難を招いた政治家、官僚が責任をとるべきだ。

財政難といいながら、米国への思いやり予算、米国の軍需産業をもうけさせるための防衛予算などは減らさず、また、大企業の法人税は減税、ただただ、この国の弱い人々からのみ、搾り取る改革だ。

高齢者の年金支給額など、ささやかなものだ。高い医療費を払いながら、年金だけで暮らす高齢者にとって、年金支給が減ることは大きな痛手だ。それを若者と高齢者の不平等をなくすため、という。どこかおかしくないか。

荘子に「朝三暮四」という故事がある。猿(おろかな者)は目先のことにこだわるという例えのようだが、言葉のごまかしについての例えでもある。

「社会保障と税と一体改革」などという言葉を持ち出したヤツは、きっと国民を猿と思っているにちがいない。

おれたちは、猿か?
だまされるのはもういいかげんしようではないか。