虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

小田実(あの人からのメッセージ)

2007-12-30 | 映画・テレビ
NHKBSで午後1時から4時まで、「あの人からのメッセージ2007」として、今年、なくなった人の言葉を振り返る番組をしていた。阿久悠、城山三郎、小田実、山口小夜子他、十数人がでていたと思うが、特に小田実についてが一番、長く、30分以上の時間をもうけていた。ゲストには吉岡忍、佐高信。ほとんどは、先日、放送された小田実の番組と重なるけど、29歳のときの映像(白黒の番組だが)が見られたのはよかった。彼の早口は含羞からきているとゲストが話していたが、これは同感だ。城山三郎も、べ平連の活動に参加し、ジョーン・バエズの後ろで、小田実といっしょに歌を歌っている城山三郎の写真も出ていた。

アメリカとの武器契約世界5位

2007-12-30 | 新聞・テレビから
昨日のBSニュース(午後2時)で、日本のアメリカとの武器契約は約1000億円に近く、世界で5番目の金額になるという報道があった。1位はオーストラリア、2位はイスラエル、3位はサウジアラビア、4位はイラク、5位が日本。戦乱の中東地域をのぞくと、世界で第2位の武器購入額だ。なぜ、平和憲法の日本が、こんなに武器が必要なのか。BSニュースは何十秒かの報道だったので、今日、詳しい報道なり、解説があるかもと思って、朝刊を調べたが、何も出ていない。別にどうってことないのだろう。

新テロ対策特別措置法案は、日本にとって、今、一番の重要案件だけど、朝日は、ことさら「補給支援特措法」と言葉を変更して報道し続けている(だれが、いつ、言い始めたのか?)。しかも、この法律については、識者の意見(賛成、反対)を
のせることもなく、特集を組むこともなく、扱いは小さい。国を左右する重要問題(特に法律)は、法が決定するまで、紙面での論評は出来るだけ避けるというのが朝日のやりかただ。

トロツキーがイギリスに亡命し、そこではじめてレーニンと会い、レーニンに町を案内されたとき、レーニンは「これがかれらの・・・だ」、と「かれら」という言葉を口癖にしていることにに気づく。かれらの図書館、かれらの寺院、かれらの新聞。かれら、とはイギリス人という意味ではなく、支配階級のことだ。

毎日、目にする新聞、テレビ、はたして、これは「われわれの」新聞、テレビなのか、「かれらの」ばかり見せられているのではないか。

滔天「三十三年の夢」

2007-12-27 | 読書
中国革命に関心がむいてきたので、久しぶりにめくってみた。この本はすぐに中国訳が出て、この本で初めて無名だった孫文の名が中国の人に知られることになる。三十三年とは、明治33年のこと。

中国革命の本拠地は日本だった。中国の革命家、留学生たちは、日本を革命の策源地とした。中国のさまざまな革命派を大同団結してできたのが中国同盟会であり、この成立に大きなはたらきをしたのが、滔天だ。革命派の薩長を同盟させた龍馬のような働きをしたといえるかもしれない。

辛亥革命がなっても、孫文は軍閥袁世凱と妥協せざるをえず、革命は挫折するが、袁世凱(皇帝になろうとする男)は、滔天に、これまでの中国の功績にむくいるために、年々の米の輸出権(利権)を与えようと申し出るが、滔天は、「渇しても盗泉の水は飲まぬ」と断ったそうだ。大正6年、黄興の葬儀にでたとき、学生の毛沢東もいて、毛沢東は、「お目にかかってご高説を承りたい」と手紙を出したそうだ(手紙が残っているそう。以上、岩波「三十三年の夢」の解説から)。

この滔天、一目見たら婦女子ならギョッと驚く豪傑の風貌なのだが(よく見るとやさしそうなのだが)、自分についてはこう書く。
「つらつらおもうに、私というものは、女性的性分をうけえて、誤って男子に生まれた一種の変性漢です。酒の援助なくては、人様の前に自分の意思を言明することもよくせず、なるべくは人様のご意見に譲歩して、その人の満足をもって自ら満足せんとする弱虫なのです」

実際、青年時代から人前で演説することが大の苦手で、熊本の蘇峰の塾にいたのだけど、毎週の演説会がいやで、そこを逃げ出したようなふしがある。そのくせ、東京に出るときには、ボロボロの着物に、背中には2本の白鞘の刀を背負っていたという。

滔天は大正11年に52歳で亡くなるが、その後の日本の中国侵略を目にしなかったのだけが救いといえるのかもしれない。

漱石の「草枕」のモデル、滔天のヨメさんの姉卓さんも、中国同盟会の機関紙民報の発行所民報社で働き、民報おばさん、とよばれる。
日本人にもこんな人がいたのか、と思える人の一人だ。




おすすめの1冊 近藤秀樹の解説

2007-12-26 | 読書
中公バックス「日本の名著」の第45巻「宮崎滔天・北一輝」は貴重本だ。

滔天の「三十三年の夢」は全文が詳しい註つきで岩波文庫で読むことができるが、他の滔天の文は、古本の滔天全集で見るしかないだろうし、北一輝の「支那革命外史」なども同じで、新刊書店では姿を見る事ができない。それだけでなく、解説がとてもいいのだ。解説だけで120ページもある。滔天と北の生涯を、学者のような冷たい目線ではなく、情熱的にかいてある(北よりも、だんぜん滔天に解説者はほれているが)。わたしは、この解説を読んで、いっぺんに滔天に興味をもち、好きになった。滔天を知らない人には、ぜひこの解説を読んでほしい、と思う。

解説者の名前は近藤秀樹という。滔天研究家。大学の先生だろうか、しかし、大学の先生にはないパッションがあり、文章ものびやかだ。すでに故人となっているが、何者だろう、と思って、ネットを調べたが、なにもわからなかった。

一乗寺からガダルカナル、近代中国

2007-12-25 | 日記
なんか大事な局面に向かうときには、息子に「おい、一乗寺だ」と言うときがあった。一乗寺とは、あの宮本武蔵の一乗寺の決闘だ。退路を断ち、全力でやるっきゃない、という心構えだ。「ふん、おれは武蔵ではない」と冷笑されたのだけど。

その後、自分にそんな元気もなくなると、かわりに、「ガダルカナルだ」と言うときがあった。つらーい、過酷な環境(職場)にむかうとき、ガダルカナルを思う。あの救いようのない過酷な戦場、ガダルカナル。あの環境を思えば、まだ耐えられる、と、戦地で無念の思いで亡くなった方たちにはじつにけしからぬ発想だ。ここは戦地だと思うことで、やっと忍ぶこともできる。

しかし、このごろ、中国近代史をかじってみて、あのころの中国農民は、ガダルカナルに劣らぬ恐るべき過酷な世界に生きていたことがわかった。日本史にも一揆や餓死はあったけど、近代中国のようなすさまじい時代、環境はないだろう(その後の現代中国はどうなのかは、まだよくわからない)。

今の日本、希望のない社会だけど、暗黒社会に生きたかつての中国民衆を思うことで、何かの力を得ることができる気もするのだけど・・・。



ネットの古本屋

2007-12-24 | 日記
今、ネットの古本屋を開業することがちょっとブームになっているらしい。
やってみようかな、とわたしでも思っているのだから。
ただ、ホームページを作成しなくてはならず、これが障害になって、前へすすめないでいる。
本は、まずは自分の持ってる本と、あとはブックオフなどからせどりするらしい。
たしかに、かつては、ブックオフには掘り出し物がよくあった。あそこは、見た目がきれいを第一に、内容には無頓着なので、貴重な絶版ものの文庫などが100円の棚でよく見つかった。でも、最近は、そんな本、なかなか見つからない。ネットで古本屋を始めた人がせっせと買い込んでいるのかもしれない。
ブックオフの方でも、ネットをはじめているので、目利きもいて、かつてのようには、いい本は100円では売らなくなったのかもしれない。





道場破り

2007-12-22 | 映画・テレビ
松竹の白黒時代劇。
本も古本ばかり読んでるが、映画も、最近は、古いのばかり見てる。これは、DYDをレンタルした。
あの寺尾聡がやった「雨上がる」と同じ原作(山本周五郎原作「雨あがる)。

三沢伊平に長門勇、奥さんに岩下志摩。
岩下志摩は大藩の家老の娘で、殿様の側室に出されそうになったとき、長門が救って、二人で脱藩して旅をしている設定。それを追う藩からの刺客。
長門の人格、腕にほれこんで仕官をすすめる家老に宮口精ニ、その娘に賠償千恵子。宿屋の主人に殿山泰司、宿の住人に左朴伝。夫婦を助ける浪人に丹波哲郎。
懐かしい顔ばかりだ。

今、BSのフォーク大全集を見ながら、これを書いている。
映画も本も歌も昔のばかりや。

NHKBS1カストロ人生と革命を語る

2007-12-17 | 映画・テレビ
12月29日(土)の午前10時10分から午後3時までNHKBS1で世界のドキュメンタリー「カストロ人生と革命を語る」が再放送されるそうだ。これは見ていない。わたしは、カストロという男も、キューバ革命も知らないけど、これはおもしろそうだ。録画しておかなくちゃ。長時間のカストロインタビューだ。
大昔、小田実は、龍馬は、カストロに似ているような感じがする、とどこかで書いていたのだけは覚えているのだが。どこを見てそう感じたのか知らない。

袁世凱と孫文

2007-12-16 | 読書
新刊書屋さんには、ほんとに中国革命の本はない。昔、あれほど毛沢東、中国革命がもてはやされたのは何だったのだろう。

といっても、わたしは、今までまったく近現代中国に関心がなかったから、当時、どんな本が出たのかも、毛沢東も周恩来も文革も何の知識もない。
自分が興味のないことはほんとに一般常識みたいな知識もない。野球やサッカーはまったく興味がなく(息子は今も熱中してるのに)、徹底して知らないのと同じ。

昔、中国革命について書いた学者は、今、何をしているのだろうか。研究内容が変わったのか、あるいは、ただ年をとり、引退してしまっただけなのか。

図書館で、横山宏章「袁世凱と孫文」(現代アジアの肖像、岩波書店)という本を借りた。1996年の出版だから、まあそんなに古くはないだろう。
この本では驚くべきことに、袁世凱を評価し、孫文を貶めているようにも読める。
この本を読むと、孫文って、エリート主義で独裁者で、民衆を信頼できなかった男で、袁世凱と人物としては大差ない、くらいに思わせる。へー、今の学界の中国革命観はこんなのかいな、と思った。そんな時代になったのか。

この叢書の次の巻が野村浩一「蒋介石と毛沢東」。蒋介石に大半のページを費やしている。毛沢東についてはわずか。野村浩一は近代中国史の泰斗(今朝の朝日の書評にこう書いてあった)らしいが、この本の巻末にこう書いてある。

「私はかつて、ある程度、同時期を扱った書物を公刊している(人民中国の誕生)。本書とは当然ねらいを異にしているが、その後の研究一般の進展、またわたし自身の研究の中で、若干の事実上の誤りに気づき、あるいは見方を改めた点もいくつかある。とくに読者にお断りしておきたい」と。
しかし、いったい、どこが事実とちがい、どこを改めたのかの説明はない。そこを説明しろよ。

ロシアが崩壊し、社会主義は終った、などといわれて久しいが、かつてのロシア革命について論じた学者は姿を消し、毛沢東を書いた学者も今どうしてるのかしらない。貧困が大きな問題となっている今日、本来なら今こそ、マルクス経済学者の意見がほしいところだけど、マルクス学者が今、いるのかどうかもわからない。マル経学者からの声はとんと聞かぬ。はやらないから、やる人もいないのだろう。
学者とは何者なんだ。

はじめに出した「袁世凱と孫文」の著者横山宏章は、はじめは大臣を志して新聞記者になり、それが無理とわかって、学者に転向したらしい。たしかに、大学教授は、「末は博士か大臣か」ではないが、立身出世の道なのかもしれない。しかし、こういう人に、革命家の、あるいは庶民のパッションがわかるのだろうか。

中国史をかじりはじめたばかりの素人だけど、専門家の本もそのまま受け止めてはあぶないなあ、と思っている。しかし、今は専門家が幅をきかせる時代。大学教授の本ばかりだ。マスコミもそうだけど、大学教授が今日ほど政府財界に尽くしている時代はないかもしれない。わたしの誤読なのかもしれないが、横山宏章の「袁世凱と孫文」。袁世凱が宋教仁を暗殺したのは勇断だった、と書くのは納得できない。



NHK 「小田実 遺す言葉」を見た。

2007-12-14 | 映画・テレビ
昨日、NHKハイビジョンで放送された「小田実 遺す言葉」。今日、録画してもらったのをさっそく見ました。1時間半、「何でも見てやろう」から、ベ平連活動、震災の市民立法の運動、9,11、現在までを過去の映像を流し、ところどころ、病室の小田実をうつし、最後のメッセージを語る。小田実の集大成。終生、デモクラシーと憲法について説き続けた小田実。葬儀のとき、霊柩車が出発するとき、参列者の中から思わず拍手がおき、拍手に送られて車が進んでいたが、ほんとに、拍手で送りたい。小田実という希望の名前はもうこの日本にいない。

映画「マリー・アントワネット」

2007-12-09 | 映画・テレビ
よせばいいのに借りてしまった。DVD「マリー・アントワネット」。
フランス革命なんて出てくるわけないじゃないか、と思いつつ、もしや、三部会やバレンヌ脱走事件、少なくとも、牢獄の場面くらいはあるかも、と思って。

やっぱり、何もなし。バレンヌの脱走事件も、牢獄も、処刑の場面も、革命の流れは一切、カット。ロベスピエールもダントンも出るはずがない。ただただ、ベルサイユ宮殿を描くだけ。それなりに西洋の絵画を見るようで、きれいではあったが。

もう借りない!と思った。

本屋

2007-12-09 | 日記
久しぶりに町の大きな本屋(2階建て)さんに寄った。
閑散としている。
子どもの頃、本屋さんといえば人でいっぱいで、人を押しのけ、かきわけして店内を歩いた思い出があるのに。
これはしょうがないことだろう。出版社が大資本に隷従し、ろくな本を出せなくなったからだ。自業自得だ。だれも、出版社がもくろむ本になど目を向けない。

自民と民主の二大政党制と、いいつづけ、大連立の話が出ると、それも一つの道だが、と平気な面をしている新聞社。常に、自民と民主をテレビに出し、国会議員の側の話題にばかり目を向けさせようとしているマスコミ。あの大連立の話は大手のジャーナリズムのボスが持ちかけたそうだが、マスコミと政・財界の固い連帯はとっくの昔にできていることだから、いまさら文句をいうことではない。こんな時代の、テレビ、新聞、本がおもしろいはずがない。だれも本屋には足を運ばない。古本屋さんだけがたよりだ。

どんな新刊が出ているのだろう、と思ったけど、かなり古本の復刻版が多かった。
海音寺潮五郎の「西郷隆盛」も朝日から新装版で出ていた。以前、大仏次郎の「天皇の世紀」も新装版が出ていた。

海音寺の「西郷隆盛」は史料をそのままのせず、海音寺がすべて現代語訳になおしているのが特徴だ。どの文章も不分明なところがなく、明晰明解。未完で終ったのが残念だが、いい本だ。



中国古典文学大系58

2007-12-08 | 読書
すごい本を見つけた。
平凡社の「中国古典文学大系」だ。これはどこの図書館にも置いてあると思うけど、その58巻だ。「清末民国初政治評論集」。

なんと、アヘン戦争から五四運動までの近代中国の思想家、革命家、政治家の文章を読みやすい日本語訳にして網羅している。

林則徐はもちろん、太平天国の洪秀全や李秀成、洋務派、康有為らの変法派、義和団史料、革命派の光復会、華興会、孫文の興中会、新文化運動として李大、陳独秀、魯迅。そして最後は若き毛沢東の文まであり、50点以上の文章をおさめる。

これ1冊で、まさに近代中国革命史だ。中国革命史を知りたいものには必携の本だろう。こんな本が、あの中国古典文学大系の中にあるとは思わなかった。

ネットの古本屋で値段を調べた。1200円。安い。今なら、6000円を下るまい。読むかどうかわからんが、注文した。

孫文伝

2007-12-07 | 読書
鈴江言一「孫文伝」(岩波書店、昭和25年)を図書館で借りた。この本は、1931年に鈴江言一が王枢之という中国名で出版したものだ(偉人伝全集、改造社)。

1931年といえば、昭和6年、わたしの親父がまだ4歳。満州事変が始まった年だ。
もう70年以上も前の孫文伝だ。その後、孫文や中国革命の研究は進んでるはずだから、史実や解釈もかなり古びているのかもしれない。
しかし、中国学者の竹内好は、これを名著だ、といっている。

竹内好は、中国革命の三部作として、宮崎滔天の「三十三年の夢」、北一輝の「支那革命外史」、鈴江言一の「孫文伝」をあげている。3人とも、中国革命に身を投じた者だ。書斎の研究者ではなく、全身を中国革命に投じた者のみが書きうるパッションがあるのだろう。

滔天は好きだ。小田実ではないけど、日本人ばなれしたヌーボーとした風貌が魅力の一つだ。「三十三年の夢」は読んだ。おもしろい。孫文を全力で支援した日本人として有名だ。
北一輝は読んでいない。かれの著作は226事件の青年将校のバイブルなったそうだが、その顔を見ても、滔天とはまったくスタイルが違う男に思えてまだ近づいていない。かれは、辛亥革命後、袁世凱によって暗殺された国民党の領袖宋教仁と交わりがあったようだ。
鈴江言一は、中国共産党の立場に立つ。中国革命は中国共産党が最後に勝利をおさめると確信していたそうだ。

借りてきただけで、読めるかどうかはわからない。読まなきゃいけない義理も義務もないんだから。

しかし、このごろ、読んでる本、読みたい本が古本ばかりなのはなぜだろう。
現代社会についていけなくなった証拠?


五四運動

2007-12-05 | 読書
丸山松幸「五四運動ー中国革命の黎明」(紀伊国屋書店)を読んだ。
著者が35歳のときに書き上げた作品で、行間に若い情熱があふれ、一気に読めた。おもしろい。

五四運動は、中国革命を五四運動以前と五四運動後に分けられるほどの画期的な民衆運動だった。五四運動前は、革命は一部の志士、政客、秘密結社たちが主だったが、これ以後、学生、労働者、農民、中国民衆の課題になったといわれる。中国共産党も、このあとに生まれる。

あの中江丑吉が放蕩無頼の生活から足を洗い、学問の研鑽にとりくんだのも五四運動からだった。中江丑吉は、学生たちから売国奴とののしられ、焼き討ちになった高官の家に突入し、高官を救い出す(縁の深い人物だったので)。生涯にたった1度の決死の行動だった。

辛亥革命がなったあと、すぐに権力欲しかない袁世凱が権力をにぎり、かつての革命党も豹変し、中国の人々にとっては、暗黒の世だったようだ。辛亥革命が成功すると、かつての革命派も、草莽の決起を弾圧し、利権を守る側についたのも、ちょっと明治政権に似ている。中国にも赤報隊のような悲劇はあったのだ。

袁世凱が皇帝になるために、有識者の審議会、やらせの陳情団、やらせのデモ、やらせのタウンミーチングみたいなことをして、ニセの民意をつくりあげるところなど、昔のこととは思えない。

民意を無視しして、ニセの民意をテレビや新聞、学識経験者たちがつくりあげているのは、今日でも同じ。今日も暗黒の世というべきかもしれない。五四運動は、その暗黒の世をふきはらう運動だった。

もちろん、五四運動の直接のきっかけは、日本だけど。

丸山松幸、その後、どんなものを書いているか調べると、「中国近現代史」、「原典近代中国思想史」のあとは、史記、とか十八誌略、易経、中国の名句、だとか古典に変わっている。

この本が出版されたのは学生運動が盛んだった1969年。もう今ははやらないと思ったのだろうか、あるいは、こんな政治的な運動や事件を書くのはこりごりしたのだろうか・・・・。五四運動は、古い中国文化、古典などに鉄槌をくだす運動でもあったそうなのだが。