虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

市村敏麿1 基本文献

2008-02-28 | 宇和島藩
宇和島の市村敏麿についてこれから少しずつメモをしていきたい。

まず、基本文献だ。
昭和30年3月に東宇和郡黒瀬川村教育委員会で発行された100ページの「革新家市村敏麿翁の面影」が基本文献になる。編集人は、徳田三十四氏。黒瀬川村の教育長であり、郷土史研究家。黒瀬川村とは、旧古市村の土居、遊子川、高川村、魚成村が合併した村の名。その後、城川町となる。

昭和51年に発行された「土居郷土誌」の編集者徳田実氏の父親になる。親子二代で郷土史を書いていることになる。

といっても、徳田三十四氏が一人でこの本を書いたわけではなく、徳田氏はあくまで編纂者、あちこち史料を集めて編纂したものだ。

内容は、革新家市村敏麿伝 谷本市郎
    無役地事件 東京自由新聞
    呉石・二宮新吉伝  
    二宮新吉伝一夜説 
    役地事件一夜説   
    無役地事件判決書  大阪控訴院
    古市村庄屋芝八代記
    付録(随想メモ)  徳田三十四
    川津南芝家系図

 
ここに出てくる谷本市郎氏とは八幡浜の郷土史家のようで、市村敏麿の長男で磯津村で医師をしている田中操氏から、所蔵している文献資料を借り受け、文を書いたようです。革新家市村敏麿は昭和13年1月より、八幡浜毎夕新聞に掲載されたそうです。谷本市郎氏がはじめて市村敏麿伝をまとめたことになる。
次回から少しずつ読んでいきたいと思う。


市村敏麿に思いを寄せる人

2008-02-24 | 宇和島藩
宇和島の草莽の志士であり、明治の農民の裁判闘争(無役地事件)の代表となった市村敏麿。しかし、宇和島の草莽の志士なんてだれの関心もひかない。主役はやっぱり薩摩、長州、土佐。あの多摩草莽である新選組さえ大河になったのになあ。

いや地元宇和島でも知る人はほとんど皆無に近い。地元宇和島の市史にすら一切記入されていないのではなかろうか。宇和島に縁のあるわたしは、以前から市村敏麿には関心があった。だが、共に語れる人がいないのをさびしく思ってきた。ところが、大阪に、この市村敏麿に強い関心を持ち、評伝を書くことを志している人がいることを知った。

脇田憲一氏。1935年宇和島生まれ。
脇田氏は、2004年に「朝鮮戦争と吹田・枚方事件ー戦後史の空白を埋めるー」(明石書店)という立派な本を出版した。大正デモクラシー等の著作での有名な松尾尊充(京大)はこの本を2004年のベスト5の1冊にあげている。

枚方・吹田事件なんてだれも知らないだろう。わたしも知らなかった。日本共産党の軍事行動時代の事件だ。説明は省く。脇田氏は、1952年、17歳で枚方事件に参加(何もわからずに参加したそうだが)、検挙される、釈放後は、日本共産党の山村工作隊員として奈良奥吉野に入りこんで活動。日本共産党がそれまでの方針を「極左冒険主義」として否定したあと、日本共産党を離党。その後は、鉄鋼労働者として、労働組合運動に従事し、高槻生協理事長、高槻市議などを経て、現在は、労働運動史、社会運動史を研究されている。

「朝鮮戦争と吹田・枚方事件」という本は、著者の青春期の痛烈な体験をふりかえり、あの事件はなんだったのだろうと、検証したものであるらしい(実は読んではいない)。ただ、前章だけ読んだ。前章の見出しが「四国山地からー野村騒動異聞」だ。

脇田氏は、市村敏麿の故郷愛媛県城川町を「第二の古里」といっている。昭和18年、脇田家は大阪にすんでいたが、空襲が激しくなったため、ご両親の古里宇和島に疎開したらしい。しかし、宇和島も昭和20年7月末の大空襲で焼け出され、山奥の現城川町(旧土居村)に疎開し、この土地で、国民学校の5年生から新制中学卒業までの5年間を過ごす。思春期の5年間は第二の古里にちがいない。

1976年、土居村にいる旧友から突然「土居郷土誌」(1976年発行)を送られ、そこに書かれている、「野村騒動」「無役地事件」を知り、衝撃を受ける。こんな事件があり、こんな人々がいたのか、と。
前章は、2003年、脇田氏が古里土居村を訪ね、野村騒動の首謀者塩崎鶴太郎の子孫や城川町史談会を訪ねて市村敏麿に思いを寄せるという探索の旅の報告になっている。

戦後史に興味を持ってこの本を手にした人は前章の130年前以上の百姓一揆の話をどのように受け取ったのだろうか。しかし、脇田氏としては、是が非でも前章に、この話を持ってきたかったにちがいない。それほど、市村敏麿に強い関心を持っている。四国の僻遠の土地、あそこに、こんな人物がいて、こんな事件があった、しかし、だれもそれを知らない。抹殺されてきた。抹殺されてきた歴史という意味では、脇田氏にとっては、ご自身が体験された枚方事件も同じかもしれない。一人でも多くの人に、かつてこんな事件があって、こんな人々がいた、ということを知ってもらい、掘り起こしてもらいたい。思いはわたしも同じだ。

過日、脇田氏と歓談する機会を得た。野村騒動や無役地事件を話題にして話ができたのは、初めてで、楽しかった。脇田氏は、山村工作隊として、奈良の奥に入ったときは、村の人から「昭和の天誅組」といわれたと大笑い。戦後の作家では花田清輝が好きなようだが、「若い人もよい書き手がいる。白井聡の「未完のレーニン」はよい本だった」、といっていた。まだまだお若い。


犬山の争い

2008-02-12 | 新聞・テレビから
今日の朝日の夕刊の窓(論説委員室から)というコラムで、犬山市の市長が、教育長に辞職を求めた、ということが書いてあった(記者は伊藤智章という記者)。

犬山市といえば、全国学力テストへの参加を唯一、拒否した市だ。

全国学力テストなんてのは、子供には迷惑だし、税金の無駄使いだとわたしは思っていた。国の一方的な都合からはじめたもので、教育については、全国の市町村に国の指示に従わせようとするとする狙い、その試金石でもあったにちがいない。教育は、いったい、いつから学力問題になったのだ、学力って何なのだ、と考える余裕もなく、あれよあれよと、経済界の要請する教育改革がすすめられている。

犬山市は、断った。その理由や詳しい経緯は知らないが、よくぞ、やった、と思った。教育は、独自のやりかたでやります、という県や市があって当然だ。

学力テストへの参加をやめたのは、犬山市の教育長の英断らしい。だが、市長(元自民党県議)は、これに不満で、(おそらく上からさんざん圧力をかけられるのだろう)、教育町に辞職を求めたらしい。
報道されないから、これはいつのことかわからぬ。今年の1月だろうか?

コラムは、「二人の争いは、全国一律の調査がもたらした不幸なのかもしれない」と結ぶが、なんとも主語も述語もはっきりしない、あいまいな書き方。

これは、市長の教育への不当な介入であり、抗議すべきことだ。そして、いったい、学力テストとはなんなのだ、税金を投じてやる必要があるものなのかを改めて問うべきことだ。

市長が教育長に辞職を求めた、ということはこのコラムで初めて知った。なぜ、これをニュースとして、報道記事として書かないのか。ニュース価値はないのか。

これは、「二人の争い」というものではない。
地方の時代などとうたわれながらも、教育の国家統制の動きは今、すごい勢いだ。

岩国市長選

2008-02-11 | 新聞・テレビから
今日は各紙とも社説は、岩国市長選だった。
一斉に社説に載せるような事柄なのだったら、なぜそれまで問題点を報じなかったのか。

朝日だけ、社説はなし。代わりに、毎週やっている「希望社会への提言」で、たしか年金や保険料に関すること。朝日よ。こんな提言はたくさんだ。いつから、政策立案者になったのだ?それよりも、防衛庁の犯罪、在日米軍の再編の詳細な報道をしろよ。財政難だ、増税はやむをえない、と言う前に、防衛費や米軍にどれだけ税金を使っているか知らせよ。

各社の社説の見出しだけ掲げる。

読売 「岩国市長選 米軍艦載機移駐を着実に進めよ」
日経 「岩国の民意を踏まえ在日米軍再編を進めよ」
産経 「岩国市長選 現実的な判断が下された」
毎日 「岩国市長選 国は対立解消の責任を果たせ」
東京 「岩国市長選 街を分断した国の強引」

読売、日経、産経は、結果をよし、とし、これで在日米軍再編へゴー、の立場。
毎日、東京は、アメとムチを使った国のやり方を反省し、これからは市民とちゃんと対応せよ、という説。全国紙は、どこも日米同盟支持だから、これくらいのことしかいえない。朝日も、似たようなものだろう。

ただ、どの新聞社もいわないが、井原氏が負けたのは、たった1782票の差なのだ。勝った、負けた、などとはいえない結果だ。市民の間では、ちっとも決着はついていないのだ。


大阪が危ない

2008-02-10 | 新聞・テレビから
岩国の市長選挙、これが気になって、テレビをつけているが、まだ結果がでない。朝日は、昨日も今日も、岩国市長の記事はないが、明日はどんな記事をのせるだろう。

それにしても大阪はあぶない男を知事にしたものだ。大阪は、東京に比して反権力の町なんてよくいわれたけど、それも昔の話だ。大塩の乱で路傍に投げ出された大坂の庶民は、お上から大塩の話をすることは厳禁されたにもかかわらず、大塩様とほめちぎったそうなのに。

今度の知事は、跡部山城守どころではない。知事室のHPで知事の就任演説を読んだ。

「わたしは正義感のある男ではない」「みんなに奉仕をしようと思ったことはない」「自分のことだけ考えてきて生きてきた」と、何度も語る。正直ではある。弁護士になったのも、正義感からでも、人へ奉仕するためでもなく、自分のためになったのだろう。弱い立場の人を救う弁護士活動ではなく、すぐに会社(消費者金融会社?)の顧問をしていることを見ても弁護士を金儲けの手段と考えていたことはまちがいない。なぜ、こんな男が知事になる。理由としては、大阪があまりに悪口をいわれるので、だまっていられなくなったからだ、という。

この知事は、権力と金のある者のために、強権政治をおしすすめるつもりだろう(といっても、背後から動かされるのだと思うが)。

就任後、すぐに石原都知事と自衛隊を表敬訪問している。大坂の学校も、東京都のようにしたいにちがいない。日の丸君が代で教師から自由精神を奪い、学校に塾を導入する。めちゃくちゃだ。

もっとも、朝日の天声人語も、この東京杉並区の試みには賛成しているから、世の中、どうなってるのか。(天声人語子は、西堀栄三郎の言葉をひいて、「まずは、やってみなはれ」と無責任なことをいっている。

非常事態宣言をして財政改革を訴え、人員削減、賃金カットを当然視する。
江戸時代の各藩もどこも財政破綻状態で、改革の名のもとに、禄を減らし、庶民からの搾取をおしすすめたが、庶民のしっぺがえし(一揆)を受けたところも多い。

今度の知事は長続きはしないと思う。安部氏のように、途中で投げ出すような感じがする。強権政策が成功するか失敗するか、自民党、経済界も応援しつつも、半分はようすを見ているのだろう。成功したらもうけもの?

だから、かれも、何かしないではおれない。企業側が喜ぶこと、庶民、弱者に痛みをがまんさせることをするだろう。圧倒的な支持を得た、という理由でそれをする


テレビで職員に、「わたしといっしょに死んでください」といっていたが、大阪府庁の役人の中に、この新知事の政策に反対し、ケンカする役人がいるのだろうか。

大阪府民は、1年後も、この知事を応援しているだろうか?



大雪 希少本

2008-02-09 | 読書
大雪だ。車の上に10cmくらい雪がつもっていた。子供みたいに雪像を作った。寒いけど、雪景色もたまにはいい。

雪でどこにもいけないので、ネットの古本屋を探索してみた。

市場にあまり出ていない、あっても高値がついている本がいくつかある。
文庫本なのに、高くて、ちょっと手がでないものでは、中村真一郎の「頼山陽とその時代」だ。中公文庫、復刊してくれないものか。

全集では、海音寺潮五郎全集の中の「天と地と」が見つからない。他のはあるのに。
河出書房の愛蔵決定版トルストイ全集(一番新しいトルストイ全集だが)の中で、「宗教論」の巻も姿が見えない。「復活」や「戦争と平和」など、有名な作品はあるのだけど。

朝日文庫の中国古典選はいいシリーズだったが、絶版。ただし、論語や孟子などは古本で出ているのだが、なぜか福永光司の「荘子」がないようだ。「荘子」は内篇、外篇、雑篇がある。これは貴重本になっているのかもしれない。




慧日寺 再び

2008-02-09 | 日記
1月に訪ねた慧日寺が気に入ったので、親孝行なわたしは、先週、親をここに案内した。

やはり仏殿の扉は開いていなかった。中の仏像も、天井の竜の絵も見ることができない。でも、拝観したい人は、申し出てください、との木の札があった。社務所のブザーを押すが、だれもでてこない。で、本殿に掲げられている板を木槌でたたく。たぶん、寺を訪ねる修行僧は、この板をたたくのだろう。

やっと、出てきてくれた。住職の息子さん。大学を出たばかりといった感じの今風の若者。住職も、奥さんも他出中。ブザーは接触が故障していたとのこと。本殿、仏殿を案内してくれた。91歳になるおばあさんも「庭も見てください」と案内してくれる。冬の寺の庭もなかなか、いい。

本殿には、昔、ここの住職が檀家を回るときに乗っていた籠も吊り下げられていた。立派な屏風も二つあった。

京都の寺なら、駐車場代、拝観料などがとられるが、ここは一切無料。
ここを訪れたら、必ず、案内を乞い、中を見せてもらってください。とても親切にしてくれます。茅葺の建物(これだけでも一見の価値はあるが)だけで帰ってはいけません。

画像はトラネコの屏風。

長谷川伸

2008-02-08 | 読書
長谷川伸の「日本敵討ち異相」(中公文庫)が行方不明になっていた。おそらく、昔、ブックオフあたりへまちがえて廃棄してしまったのだろう。文庫本だと、こういうことがよくある。古本屋へ本を大量に売ったとき、幸田成友の「大塩平八郎」もまちがえて売り、その古本屋へでかけてまた買い戻したこともある。

しかたなく、ネットで長谷川伸全集の中の「日本敵討ち異相」の巻を手に入れた。この全集もほしいところだけど、文庫本で大半は持っているので購入はしていない。
司馬遼太郎を別格にすれば、歴史小説として愛着しているのが、海音寺潮五郎と長谷川伸の二人だ。好きだから、ほんとは全集がほしいのだが。

二人ともいわゆる売れる作家ではない。海音寺はたびたび復刊されるが、長谷川伸の文庫を見つけるのは難しい。海音寺は、自分の作品がテレビ化されたとき(天と地と)、引退宣言をしたほど、マスコミには迎合しない作家だったが、長谷川伸もその名作といわれる作品は、原稿料なしで書いたものが少なくない。金儲けのために作品は書かなかった。

瞼の母などの股旅物の作品は読んでいないが、かれの「荒木又右衛門」、「足尾九兵衛の懺悔」「上杉太平記」「相馬大作と津軽頼母」「相楽総三とその同志」などは、まさに歴史小説の逸品。無駄のない硬質の文章で、どれもくりかえし読むにたえる。特に「足尾九兵衛の懺悔」はおすすめだ。

草莽の志士相楽総三などは、長谷川伸が書いてくれてはじめてその存在が世に知られた。まだ検証されてはいないし、長谷川伸もふれてはいないが、相楽は、清河八郎とも大いに関係ある人物、清河の後継者だと思っている。

長谷川伸は、やくざものは書いてくれた。百姓一揆の義民のかなりそばまで近づいてくれていたのではないか。歴史の中で抹殺され、埋もれた人間たちを描いた長谷川伸。百姓一揆は、長谷川伸のような作家にこそ書いてほしかったのだが。残念。

なぜ長谷川伸を復刊しないのだろうか。そして、なぜ「バカの壁」(古いか)のような読むにたえないゴミ本がベストセラーとして売り出されるのか。

顔を見るだけで虫酸が走る男が圧倒的支持で知事になるのと同じ理由なのだろうか?