宇和島の市村敏麿についてこれから少しずつメモをしていきたい。
まず、基本文献だ。
昭和30年3月に東宇和郡黒瀬川村教育委員会で発行された100ページの「革新家市村敏麿翁の面影」が基本文献になる。編集人は、徳田三十四氏。黒瀬川村の教育長であり、郷土史研究家。黒瀬川村とは、旧古市村の土居、遊子川、高川村、魚成村が合併した村の名。その後、城川町となる。
昭和51年に発行された「土居郷土誌」の編集者徳田実氏の父親になる。親子二代で郷土史を書いていることになる。
といっても、徳田三十四氏が一人でこの本を書いたわけではなく、徳田氏はあくまで編纂者、あちこち史料を集めて編纂したものだ。
内容は、革新家市村敏麿伝 谷本市郎
無役地事件 東京自由新聞
呉石・二宮新吉伝
二宮新吉伝一夜説
役地事件一夜説
無役地事件判決書 大阪控訴院
古市村庄屋芝八代記
付録(随想メモ) 徳田三十四
川津南芝家系図
ここに出てくる谷本市郎氏とは八幡浜の郷土史家のようで、市村敏麿の長男で磯津村で医師をしている田中操氏から、所蔵している文献資料を借り受け、文を書いたようです。革新家市村敏麿は昭和13年1月より、八幡浜毎夕新聞に掲載されたそうです。谷本市郎氏がはじめて市村敏麿伝をまとめたことになる。
次回から少しずつ読んでいきたいと思う。
まず、基本文献だ。
昭和30年3月に東宇和郡黒瀬川村教育委員会で発行された100ページの「革新家市村敏麿翁の面影」が基本文献になる。編集人は、徳田三十四氏。黒瀬川村の教育長であり、郷土史研究家。黒瀬川村とは、旧古市村の土居、遊子川、高川村、魚成村が合併した村の名。その後、城川町となる。
昭和51年に発行された「土居郷土誌」の編集者徳田実氏の父親になる。親子二代で郷土史を書いていることになる。
といっても、徳田三十四氏が一人でこの本を書いたわけではなく、徳田氏はあくまで編纂者、あちこち史料を集めて編纂したものだ。
内容は、革新家市村敏麿伝 谷本市郎
無役地事件 東京自由新聞
呉石・二宮新吉伝
二宮新吉伝一夜説
役地事件一夜説
無役地事件判決書 大阪控訴院
古市村庄屋芝八代記
付録(随想メモ) 徳田三十四
川津南芝家系図
ここに出てくる谷本市郎氏とは八幡浜の郷土史家のようで、市村敏麿の長男で磯津村で医師をしている田中操氏から、所蔵している文献資料を借り受け、文を書いたようです。革新家市村敏麿は昭和13年1月より、八幡浜毎夕新聞に掲載されたそうです。谷本市郎氏がはじめて市村敏麿伝をまとめたことになる。
次回から少しずつ読んでいきたいと思う。