虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

プルードン

2008-06-29 | 読書
図書館で本山美彦「金融権力」(岩波新書)を借りてきた。

はっきりいって、むずかしくてよくわからない。サブプライムローンとか投機マネーとかはよくわからない。わからないけども、今、世界は金融権力によって動かされ、それで人々の生活はこわされ、しかも、どうするすべもないのがもどかしい。
むずかしいので、ペラペラとめくってみただけなのだが、最後の「金融権力に抗するために」という章で、プルードンが出てきたのには、目をひいた。

プルードン。フランスの貧しい階級の出身だ。パリ・コミューンの前に亡くなるが、パリ・コミューンは、プルードンの思想の影響が強かった。マルクスによって大馬鹿者ということにされてしまったが、アナーキズムが自由と個人主義を愛するフランス人によって唱えられたのものも、わかる気がする。アナーキストとしては、バクーニンやクロポトキンなどロシア人が有名で、プルードンの生涯や著作はあまり出版されていない。しかし、プルードンはフランスの庶民から出たいい男のようだ。

この本の著者は「プルードンは、名もなき市民の生活を脅かす金融のもつ暴虐性の克服方向を人民銀行の実践で示そうとした。けっしてそれは、150年前の古びた思想ではない」と書いていた。

暴徒

2008-06-29 | 新聞・テレビから
朝日の朝刊。4面の国際版の下段に「牛肉問題 暴徒、新聞社を襲撃」の見出し。
韓国の抗議デモの一部の過激行動を「暴徒」と一括し、「襲撃」とはちょっと恐れ入った。襲撃された東亜日報の記事をネットで見てみたが、おもちゃの銀玉てっぽうを打ってきた、とか、ゴミや糞尿を投げてきた、の記事があった。非暴力の民衆の抵抗方法ではないか。糞を投げるのは、日本の一揆でもあったはずだ。これだけの群集が騒いだのだから、例外的な、二、三の腕力沙汰(暴行事件)が起こらないのが不思議だろう。しかし、意図的なものではないはずだ。もっとも、権力側は、いつもデモ隊が暴徒化するのを待ちかまえているのだけど。朝日は、「暴徒、襲撃」とさっそく報じた。

鍼灸

2008-06-22 | 日記
はじめて鍼灸なるものをしてもらった。
近所のスーパーのとなりに「指圧、マッサージ、鍼灸」の看板のある店があったので、入ってみた。

以前から、鍼灸には関心があった。山田屋大助も、藤枝梅按も針師だった。江戸時代は庶民の医師ではないか。マッサージはこちらの体力、筋力が必要だが、針なら力はいらないだろうと、金と時間があれば鍼灸学校で学びたい、と思ったこともある。

「はじめてなんです。五十肩、腕が痛いのですが」
「どうぞ、横になって」
いきなりベッドに寝かされる。
電磁波療法なのか、腕に器具をつけて、あたたき振動が腕に伝わる。気持ちがいいけど、これは鍼灸ではないだろう。
「あの、鍼灸をしてもらいたいのですが」
「そうなんですか。では、鍼灸にします」
「あのー、お値段はいくらなんですか」
寝たまま、聞く。
「鍼灸は1回500円、さっきの電磁波は1200円、今日は1700円になりますね(保険がきて)」
(なんだ、はじめから鍼灸といっとけばよかった)
「針は痛いのですか」
「注射よりもぜんぜん痛くないです。刺されたのをまったく気づかない人もいます」
チクチクと刺しているのはわかるが、ほんとに痛くない。
「なんで鍼灸を知ったのですか。だれかに聞いてきたのですか」
「鍼灸は、江戸時代の医学だと思って・・・」
(おまえは江戸人か・・・・というような沈黙あり)
8本くらい刺されたようだ。そこに電気を通していた。
終わったあと、腕や肩を少し揉んでくれた。やはり、気持ちいいのは、マッサージだ。しかし、腕の痛みは消えてない。
「鍼灸ってほんとに効くのですか」と聞けばよかった。


今度は、お灸をためしてみたいと思っている。
小さい頃は、よくお灸(やいと)をすえられた。どこか裏店のおばあさんのもとに連れていかれ、ギャーと泣き叫んで、そのあとは、腑抜けのようになる。「やいとをすえる」という言葉は怖かったものだ。
だが、最近は、火をつかわないお灸があるそうだ。せんねん灸なんてちっとも熱くないそうだ。どうも年寄り話になってしまった。

社説 牛肉騒動

2008-06-22 | 新聞・テレビから
朝日の今朝の社説。
「韓国大統領 牛肉騒動の手痛い教訓」

中高校生を含め一般市民から始まった韓国の牛肉輸入に抗議する大集会。そのデモの様子を大新聞は詳細には報じなかったが、民主主義の手段のひとつである抗議、デモを「牛肉騒動」とは何事だろう。市民の抗議行動を、「騒動」と見る政府の視点にたっている。

韓国では、今回の反省に立ち、ネット関連の担当者を増やした、と昨日の朝日で報じていたが、日本もネットの監視、規制はますます強化されるだろう。もちろん、大新聞は、「騒動」のタネになるような記事は自粛するばかりだ。

2010年は龍馬伝?

2008-06-19 | 映画・テレビ
2010年のNHK大河は、「龍馬伝」だと、ネットで知った。岩崎弥太郎の目を通した坂本龍馬を描くという。NHKオリジナル作品らしい。世界を見つめ、国のために行動した経済人龍馬を描くのだろうか。人気のある竜馬が、また、NHK的に改竄されるにちがいない。龍馬の志を継いだのはだれか。自由民権の中江兆民の道か、商売人岩崎弥太郎か。「虎尾の会」の仲間であり、「乱臣賊子になるなかれ」と横井小楠から心配された龍馬、岩崎弥太郎のような政商にはならなかったにちがいない。
ちょうど、2010年は、大河「坂の上の雲」も放送中だ。「坂の上の雲」で日露戦争を、そして、「龍馬伝」で、日露戦争のときに海軍の創設者として復活した竜馬を描く。二つの番組は、相呼応したものだろう。
財界・政府にとって、NHK大河は、いまや国民教導手段としては、最高のものだ。そこに、財界の三菱の創業者を、龍馬を表に出しつつも、その功績を巧みに宣伝する。三菱といえば、軍需産業のトップで、戦争が始まれば利益が大きくなる会社ではないのか?だれが龍馬になるのだ?草莽龍馬よ、国家によってズタズタにされることのないように。

イカ釣り漁船のスト

2008-06-18 | 新聞・テレビから
イカ釣り漁船が、今日から2日間、休漁に入った。原油高騰に抗議して、だ。全国の小型イカ釣り漁船約4700隻のうち、6割強の約3000隻が休漁。これは、今の人々の共通の問題、ニュースだろう。だが、新聞(朝日夕刊)は、これもベタ記事扱い。よっく探さないと、記事は見つからない。記事はたった5行で、現地に取材することもしていない。ストライキとか、人々の不安をあおるようなことはできるだけ紙面にのせない、という「良識」による判断だろうか。イカ釣り漁船員の気持ちをもっと汲めよ。明日の朝刊には詳しくのせるのだろうか。

西成の5夜連続の騒動。これも何かありそうなのだが、今日の朝日は、警察の取材だけからの報道で、労働者側からの話は何も伝えようとはしていない。

フランス

2008-06-16 | 日記
「フランスへいきたしと思えどもフランスはあまりに遠し」とかの詩があったと思うけど、フランスは、わたしには、ますます遠くなってしまっている。

テレビやラジオでの英語講座は5つも6つも(もっとか?)あるのに、フランス語はそれぞれひとつだけ。映画やテレビ、出版物などの情報もフランスは少ない。

昔はそうではなかっただろう。わたしの親の世代の頃、終戦から1950年代頃までは、フランス映画は人気があったはずだ。アメリカよりもフランスにあこがれる人がだんぜん多かったと思う。

わたしも、若い頃は世界旅行が夢で、その中でやっぱり行きたい国はフランスだった(アメリカは対象外だった)。

大学の第二外国語も迷うことなくフランス語を選んだ(学校にいかなかったので、単位を何回も落とし、ひどく苦労した。結局、ケスクセとジュテムしか覚えられなかったが)。

小学生のころ、友達の家で、友達の姉さんが持っていた「太陽がいっぱい」のレコードを聞かせてもらったときは、なんと美しい曲だろう、と思った。

中学生だったか、はじめてレコードを買ったのも、シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」だ。(これをカラオケでやると、傑作だ。カタカナで書いてあるフランス語で歌ってみるとよい。 笑)。

はじめて女優にほれたのも「太陽の下の18才」のカトリーヌ・スパークだ(少しませてる)。この映画はイタリア映画だが、スパークはフランス人だ。

なんといっても、ロマン・ロラン。フランス文学だ。スタンダール、バルザック、ユゴー、ゾラなど、よく読まれていたのではないか?桑原武夫とか当時はフランス文学者たちも、けっこう活躍していた。
五月革命あたりまでかな、1960年代の終わりころまでは、サルトルやカミユなど、フランスの思想というのも流行していた。

今、フランスはどうなっているのだろう。さっぱり、わからない。
ブックオフで岩波文庫のユゴーの「レ・ミゼラブル」(1)を買ってきた。挑戦してみようかな、と思っている(挫折するのは目に見えているのだが)。






アンジェイ・ワイダ ETV特集

2008-06-15 | 映画・テレビ
新聞の番組欄を見ると、今日、NHK教育で午後10時からETV特集として、「アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを取り続けた男」というのをやるらしい。
ワイダはてっきり死んだと思っていたが、まだ健在なのだ。昨年は、「カチン」というソビエトによる捕虜虐殺事件をテーマにした映画を完成したらしい。見てみよう。

「愛の讃歌」

2008-06-15 | 映画・テレビ
エディット・ピアフの生涯を描いた「愛の讃歌」を見た(レンタル屋で借りた)。
久しぶりのフランス映画だ。父親は大道芸人、母親も道で歌を歌って日銭をかせぐ貧しい環境で育つ。

パリといえば、ファッション、芸術の都で、ちょっと庶民には縁遠い上流階級の匂いもあるけど、パリは労働者、貧しい庶民の町でもあるのだ。「レ・ミゼラブル」もしかり、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」でもパリの安アパートに住む貧しい人々が出てくる。「フランス革命」「パリ・コミューン」の町なのだ。労働者の町だ。かつて日本人はフランスが好きだった。ベルサイユ宮殿とか高級なファッションではなくて、貧しいが生き生きとしたパリの庶民の姿に似たものを感じていたのではないか。ピアフが少女のころ、大道で父親に歌えといわれてはじめて歌うのが、ワルシャワ労働歌。パリはそんな町なのだ。

エディット・ピアフの本当の顔は見たことはないのだけど、映画の役者はうまい。
首を前につきだし、猫背のようなかっこう。この姿勢の悪さは、越路吹雪の独特の姿を思い出した。越路吹雪は、ピアフをきっと尊敬していたのだろうと思う。

「愛の讃歌」、何度も聞いていたが、歌詞はピアフ自身が作ったそうで、この歌詞がすごい。いつも耳にしていた日本語の歌詞とはちがう。残念ながら、映画では、3番の最後の歌詞だけで、全部は歌ってくれなかったと思う。

青空がわたしたちの上に落ちてくるかもしれない。
大地が崩れ去るかもしれない。
そんなことはどうでもいいの。
世の中のことなんかどうでもいい。

とか、

髪を金髪に染めてもいい。
月を奪りにいってもいい。
大金を盗みにいってもいい。
もし、あなたがそうしろというなら
祖国を売ってもいい。
友達を捨ててもいい。
愚かだと笑われてもいい。
わたしは、何でもするわ。
あなたがそうしろというなら。

この歌詞の方がピアフに合うな。

ところで、少女のピアフがほしそうに眺めていた人形は日本人形に見えたのだが、ちがうのかな?

雑感

2008-06-13 | 新聞・テレビから
「へどが出そうになる」という慣用句があるが、朝日の社説や天声人語などは、まさに、読むと、そうなる。もっとも、めったに読まないが、たまに読むと、そうなる。かつて(まさか、ひょっとして今もか?)、朝日の社説や天声人語を熟読し、あるいは書き写して文章を学ぶ話を聞いたことがあるが、社説や天声人語が「文章の書き方」の模範にされていたのかもしれない。わたしにいわせれば、朝日の社説などは、悪文の模範だ。これ以上の悪文はない。ペラペラと口はよく回るが、自らの意見もなく、結局、何を言っているかわからない詐欺師の口上を聞くようだ。

今日は、NHKの番組改変問題の最高裁判決の社説が出ていた。最高裁は、「期待権」の判定を下したのだが、裁判の論点は別にして、この問題が注目されたのは、朝日新聞が、政治家(安部、中川氏)の干渉によって番組が変えられた、という点を指摘したことだろう。朝日は、新聞でそれを報道し、政治家は反論した。その後、この問題はうやむやのまま。おそらく、政治家と話がついたのだろう。わたしたちには知らされていない。いつのまにか、この問題は、「期待権」の問題にすりかえられた。社説では、しきりに放送局、放送局、とくりかえし、放送局の問題にしているが、新聞も含めた報道メディアの問題だろう。NHKだけの問題にしてしまっている。

「朝日新聞なんか買わない、NHKの視聴料なんか払わない」。ブログで、たとえば、こうした不買運動なんかよびかけようものなら、今のメディアはきっと規制する側に回るにちがいない。

休日

2008-06-07 | 日記
朝一番で近所の整形外科にいく。
一月ほど前、自分が思いきり閉めた車のドアが自分の腕にはげしく当たり(こんなこはよくある。落ち着きがない)、それ以来、左腕が痛む。骨にひびでもはいってるのではないか、と思っていた。医者は、「五十肩です」といった。運動が大切だと。なーんだ。

近くの図書館からシャンソンのCDを借りる。フランス語で歌っているので、耳で聞いているかぎりは、何のことやらわからん。「サン・トワ・マミー」も「恋人よ、きみなしでは」という意味だとはじめて知った。今まで、人の名前かと思っていた(笑)。エディット・ピアフはシャンソンの女王なのだ。知らなんだ。今度、ビデオで「愛の賛歌」を借りてこよう。

昼、尼崎高原ロッジというところへ昼飯を食いにいく。ここは「道の駅いながわ」から近くだ。ここのバイキングは800円。安い。コーヒーもジュースもケーキもある。味もけっこういける。山林の中だ。すいてる。11時半から2時までらしい。高原ロッジでは、はすの花が咲いていた。画像ははすの花。こどもがメダカをとっていた。

橋下知事を応援するメディア

2008-06-07 | 新聞・テレビから
今朝の朝日の社説。「大阪の大なた」。社説は、大なたを評価し、支持している。

「橋下氏の言動には様々な評価があるが、メディアを使った巧みな政治参加を演出したのは、まさに橋下流だった」と書く。

橋下氏がメディアを使った、というよりも、メディア(特にテレビ)は橋下氏に積極的に全面協力した、といっていいだろう。テレビでは橋下氏の応援ばかりだった。大幅な歳出削減案というが、その3分の1は人件費のカットだが、メディアでは人件費カットは当然視し、もっぱら、文化施設の存続や、私学助成の話にもっていく。小学校3年からの習熟度別授業や放課後学習など、子供にとって、教育にとって大きな変更になると思うのだが、こっちの方の議論は何もないまま。新聞も何も書かない。これでいいのだろうか。批判をしないまま、上からの改革に黙ってのってしまう。大阪は、メディアが政治を動かす。全国的先駆けかもしれない。

シャンソン

2008-06-02 | 日記
シャンソン歌手であり、作詞家であった矢田部道一が5月28日に亡くなったらしい。70歳。

シャンソンといえば、語りかけるような歌が多く、歌詞の内容がわからないと(日本語で聞かないと)、わたしなどわからないのだが、矢田部道一は、「再会」とか「逢い引き」の訳詩を書いた人だそうだ。この曲は金子由香里の歌で聞いたことがあるが、なかなかいい。

「再会」は、昔の恋人とふと出会って、しばし話を交わす歌だが、ほとんど語りかける調子で続く。「あら、ボンジュール、久しぶりね、その後、お変わりなくて、あれからどれくらいかしら」とか「あの方おくさんでしょう?とてもすてきな人ね、私に少し似ているわ」「私っておしゃべりね、ひきとめてごめんなさい、あんまりなつかしくてお話をしたかったの」とかの内容。
ちょっと、「シェルブールの雨傘」のラストを思い出させる。

シャンソンはフォークみたいだけど、日本のフオークよりも歴史は長い。フランス革命の時代にも盛んに歌われたのかもしれない。今度の休みの日には、シャンソンをレンタル屋さんで借りようと思っている。







さくらんぼの実る頃

2008-06-01 | 日記
パリ・コミューンの歌といえば、「インタナショナル」だけでなく、「さくらんぼの実る頃」もそうだ。シャンソンの名品とされ、宮崎アニメ「紅の豚」でも加藤登紀子が歌っていたそうだ(見てないのだが)。

詩を書いたのは、コミューン評議員で詩人でもあったジャン・バティスト・クレマン。3番の歌詞までは1866年頃に書いていたが、パリ・コミューン最後のバリケードのひとつでめぐりあった看護婦ルイズ(さくらんぼの籠を手にしていたともいう?)に強い印象を受け、4番の歌詞を書き加え、「1871年、5月28日、日曜日、フォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦、勇敢なる市民ルイーズに」という献辞をささげている。ルイーズは殺されたのだろう。

4番の歌詞はこうだ。

わたしは常にさくらんぼの季節を愛するでしょう
あの時以来、私は心に
開いた傷を秘めているのです
運命の女神が私のところに遣わされてきても
決して私の苦しみを和らげてはくれないでしょう
私は常にサクランボの季節と
心に秘めた思い出とを愛するでしょう

歌は翻訳ではなく、フランス語で歌われているようだ。

大仏次郎の「パリ燃ゆ」では、冒頭に、この最後のバリケードの戦いの時の一挿話をあげている。

「フォーブール・デュ・タンプルでは一番痛烈な射手は、ある一人の子供であった。バリケードが攻撃軍に奪取せられ、守っていた全部の者が壁に背をつけて敵の銃口の前に立つと、その少年が急に申し出た。「3分、待ってください。家がすぐ前だから、銀時計をお母さんに渡して来る。お母さんに何もなくなっては困るから」
切実さが攻撃軍の仕官の心を動かした。よしと言って放してやって、もちろん帰るものではないと見て、他の者を銃殺したところへ、ほんとうの3分間でその子供は帰ってきて、銃殺された仲間の死体が地面に散らばっている壁に素直に背中を付けて立って言った。「おれ、帰ってきた。さあ」

泣かせる話ではないか。この挿話を読んで、パリ・コミューンとは何だったのだろう、と興味をおぼえた。

シャンソンもたまには聴いてみようかな。