虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

はまちりめん 天保生まれの教育論

2006-10-31 | 読書
昔はこうではなかった、とは誰でもいう。
昭和の30年代を懐かしむ人がいれば、そのころも、その時代の風潮を嘆き、戦前を懐かしむ人もいた。100年前から、すでに、学校教育は罪悪だ、といっている人もいる。
田中正造は、伊藤博文と同じ歳。1歩まちがえば、相楽総三の仲間の関東草莽の騒乱に飛び込んでいたかもしれない幕末人。
天保人の教育論を聞け。

「今の教育、父兄ははまちりめん(長浜縮緬という高級な縮緬のこと)を出す。染めやねり薬を多く投じて染めて卒業せしむ。表の色は卒業せしも、朽ちたる薬にてすでに織物は死したるなり。ねり殺すとはこのことならん。恐るべきは教育の名の下に人殺しをなす。平ちりめん、はまちりめんともに養蚕して生糸を取り、織りなすまではまじめなり。染屋にいたりて質素を殺して、色沢のみ安価にしあげんとす。仕上げて素要は殺さる。染めざるにしかず」

「学生を見よ。何学生でも皆人民を救う学文を見ず。たとえば栃木県の学生、法律も100人位あらんけども、人民を救う学生は一人もない。その他、経済なり、政治なり、人民を責め欺きて自分の懐を。・・略・・・いかに学力があってもその知識は悪である。油断するとこの類の仲間に入る」

先月の衆議院選挙の補選で大阪3区から当選した議員がこういっていた。「がんばる人がむくわれる社会。がんばる人もがんばらない人も結果が同じなのはよくない。結果の平等は悪平等だが、挑戦する機会は平等にしたい、という安部政権の主張が広く支持された」

よく聞く言葉で、この人独自の考えではなく、現政権が訴えているデマゴーグ言説。自由競争という経済原理を個々の労働者の次元に話をすりかえている話だけど(みんな、がんばってる。むくわれるのは、大企業だけではないか)、それはおいといて、これを受験におきかえると、受験勉強にがんばっている人は、それなりに地位や就職で生活面でむくわれないと悪平等、受験にがんばれない人はそれはそれで苦労してもしかたがない、にも聞こえる。

人はいざ知らず、自分のことだけが大事。これが日本の今の哲学(?)。自分もかなり汚染されているが。





教基法関連チェック(朝日)30日~5日

2006-10-30 | 新聞・テレビから
30日(月)・・・記述なし。
いったい、いつまで続けるつもりだろう→自分。
「教育」を見つめることは、国民にとっては「政治」を見つめることだと思っているから、まあ、これもわたしにとっての「政治」だ。
31日(火)・・・昨日の教育基本法審議の記事。基本法より、必修漏れやいじめが主テーマに。民主党は、この問題(必修漏れやいじめ)を追求し、基本法成立を棚上げにさせる考えとか?
民主党は信じてないから、あぶないあぶない。政府は、今回のいじめ事件をまた利用して、審議時間を少なくしても基本法成立へもっていくかも。
履修漏れもいじめも、幼児から高校生までまきこまれているこの国のテスト選別体制に根源の因がある、と声高に言うマスコミはいまやどこにもないのが驚き。
1日(水)・・・かこみ記事の中に、昨日の特別委員会で共産党議員が発言。9月に開かれた政府主催のタウンミーティングで、青森県教育委員会が、内閣府の指示を受け、教育基本法改正案に賛成の立場の質問を地元の学校関係者に依頼した可能性がある、と指摘したとの記事。しかし、なぜ、囲み記事にする。報道記事にすればいいのに。
2日(木)・・・記述なし。
3日(金)・・・記述なし。
4日(土)・・・記述なし。
5日(日)・・・記述なし。

義民 すりかえ

2006-10-29 | 一揆
百姓一揆の指導者を義民として顕彰する活動は、戦前、昭和初期もけっこう多い。
戦争前夜の国家統制の強い時代に、なぜ、時の為政者に反抗した義民を顕彰することができたのだ?百姓一揆といえば、労働運動、社会主義とも近似性はあるのに。村長さんや市長さんが先頭に立って顕彰をする。不思議だな、とは思っていた。

どうも、戦前の義民は、法をやぶり、権力に反抗した点よりも、命を捨てて村を救った、滅私奉公の臣民として顕彰したのかもしれない。村のために命を捨てたところだけを取り上げ、圧政下の中で権力を見つめる目の必要性は無視したのかもしれない。すりかえだ。

こんなすりかえはたくさんある。あの吉田松陰。安部首相も尊敬しているそうだが、あの草莽の革命家を勤皇の志士、天皇制支持者、明治維新の宰相の師匠としてすりかえているのかも。

政府、あるいは学識者はすりかえが得意だ。
田中正造の鉱毒問題を水害問題とすりかえ、池田小事件を学校警備の問題としてすりかえ、不審者の事件を警察による地域監視体制にすりかえ、教育問題を、教師の問題、学校への競争原理の必要にすりかえ、財政政策の失敗を公務員問題にすりかえ、企業の非道な合理化をニートの問題にすりかえ・・・・いや、きりがないぞ。
このすりかえにマスコミも一緒に唱和するから油断ができん。

画像は竹中半兵衛の墓。三木城攻めのとき、この陣中で病没。ここは、今、ぶどう園になっている。



高校3年生♪

2006-10-29 | 新聞・テレビから
高校の履修漏れがニュースになっているので、思い出した。
高校3年、明日、受験しに上京するという日に、学校から連絡。すぐ、追試をうけに来い。化学だ。なにせ、2点か3点しかとれてない(100点満点)ので、許してくれない。大雪の中、学校にいった。あのころは、受験に関係のない化学や物理、数学でさんざん苦しめられた。

受験戦争という言葉は昔からあったし、わたしが高校生のころも、毎年、春になると、受験に失敗して自殺という新聞記事もちょくちょく見た。今のように塾ははやってなかったけど、学校は、公立のくせに国立理系、国立文系、私大系、就職組と高校の後半からクラス変えもしていた。当時から思っていたものだ。おれたちは、予備校に来ているのではない。よけいな進学指導はするな、と。学校に来るのは、ただただ、かわいいあの子の顔が見られるからではないか。大学のための高校生活ではなく、おれたちのための、今を生きるための高校生活だと。あのころは、まだあの舟木一夫の高校3年生「クラス仲間はいつーまでーもー」の歌の気分が少し残っていた。


あれから少しも受験教育は改善されることなく、高校はますます予備校化され、受験教育は低年齢化し、子供の生活権はないがしろにされてきた。いつしか受験戦争という言葉も使われなくなった。

学力をあげることをめざし、学校の競争を促すという「教育再生」の趣旨はこの学校の荒廃化に政府が後押しをする。大昔からいわれてきている受験競争の是非についてはこの教育の専門家たちは何も語らない。

この国の受験教育(始まってから100年にもなる)が、今度の問題の本質だけど、「教育改革」を掲げる安部政権は、これにどんな態度、つまりすりかえをするだろうか。とても興味がある。週5日制の見直し、教育委員会の強化なんてことで決着かもしれない。

有名校とかよばれている学校の高校生活は楽しいだろうか。楽しいはずがないと思う。学校が受験指導してくれる?学力をあげてくれる?わたしだったら、そんなことはしてもらいたくない。大きなお世話じゃないのか?

今の高校生には、あの「高校3年生」の歌ほど空しく聞こえる歌謡曲もないかもしれない。高校生よ、学校に抗議しろ。親は、授業料を返却してもらえ!


疑問 翼のある石仏(慈眼寺)

2006-10-28 | 日記
兵庫県三木市の慈眼寺(ジゲンジ)はねずみ小僧次郎吉の墓(回向院から分骨)があるので有名だが、その寺に行く一本道の路傍に翼のある石仏が立っている。

翼のある仏さんてあるのだろうか?翼といえば、天使でキリスト教と思ったのに。キリシタンに関係するのだろうか。それとも、案外と翼のある仏像はあるのか?わからないまま、画像をアップする。かなり古くて、表面はだいぶくずれているが、両手を合わせているようだ。

教基法関連チェック(朝日)23日~29日

2006-10-23 | 新聞・テレビから
また、やる。これで4回目。
23日(月)・・・昨日の衆議院補選で自民党が勝ったことを受けて、政権基盤は安定し、臨時国会の審議も与党主導で進む見通しで、教育基本法改正案の今国会成立に向けた勢いを増しそうだ、の報道。
社説は、「まずは合格点の安部首相」と題し、「初陣を飾った」「順調な滑り出しだ」と安部首相をほめる。政治は、とにかく選挙に勝つことだという政治家サイドの視点であり、選挙をした国民を愚弄していることに気づかない。同時進行で阿部自民党を応援しているのはだれだ?
月曜日の「ウイークリー教育」はまたも教育再生会議(教育基本法の議論はもう必要ないらしい)。「専門家から疑問や懸念」とまた大学教授の意見を聞くだけで、教育を受ける子供や市民の意見は無視。教育の問題くらい、専門家に聞かなくても、新聞社独自の判断をしてみろよ!
24日(火)・・・記述なし。
25日(水)・・・記述なし。
26日(木)・・・記述なし。
27日(金)・・・記述なし。
28日(土)・・・社説に「教育基本法」改正案はやはり疑問だ、という見出しで、賛成だとも反対だともいわない。「愛国心を子供に競わせることにはならないか」「徳目を法律で定めていいのか」「教育の独立を薄められることはないのか」など等「・・・のか」の疑問だけで、「大丈夫だよ、心配なし」と返答されたらどうするのだ?教育基本法の改正は、教育の世界だけの改変ではなく、憲法の改変と共に財界・政府が仕掛けている日本改造のシナリオだという視点がない。
「日本の未来の担う子供をどう育てるか。成立を急ぐ余り、大きな方向を誤ってはならない」と結んではいるが、大きな問題だと思うなら、なぜ今まで記事にしない。気がかりなことをなぜ記事で検証しなかったのか。来週から審議が始まるそうだが、野党のつっこみが弱かった、などと国会の審議のせいにすることはゆるされない。
29日(日)・・・記述なし。

田中正造と宮崎滔天

2006-10-22 | 読書
田中正造全集17巻の月報に宮崎滔天研究家の近藤秀樹(中央公論日本の名著「宮崎滔天」の解説者)が、「田中正造と宮崎滔天」と題して、二人の関わりについて書いている。

宮崎滔天のこんな文も紹介していた。

「わが国は神聖なる歴史を有する特別の国なり。その国民は忠良無比の大和民族なり。諸外国はいざ知らず、わが国ばかりは、不祥なる革命の起こる気遣いなし、とは、忠君愛国を我物顔に振りまく一部階級人士の常套語なり」(今、平成の世でもこういう人士はいるなあ)。「されど、記者(滔天)は断言する。飢え死にに甘んずるほどに忠良の国民に非ざるを。その証拠には、佐倉宗吾、後閑の茂左衛門、田中正造、大塩平八郎は今なお神と崇められ、その墓前には四季折々の花と香の煙の絶え間なきに非ずや」(しかし、いまや一揆の指導者、大塩、田中正造は忘れられようとしているけど)

宮崎滔天が田中正造と交流を持ったのは、正造の晩年で、大正2年。
福田英子(景山英子)から小石川の滔天の家に田中正造を泊めてほしい、とたのまれてから。正造は各地に正造を泊めてくれる篤志家をもっていたようだけど、小石川にはなかったそうな。

滔天の家は、2階の6畳一室、1階の6畳と3畳の2室。3畳は女中部屋なので、2室だけが、家族の住まい。いつも家族5人と女中、居候をあわせて6、7人くらいが住んでいた。
滔天は、正造翁を2階の6畳に居候といっしょに寝かせることにした。正造翁は「夜中に小便に起きるから下のほうがよい」と滔天にいうも、滔天は「かまいません。2階の戸を開けてトタンの上にお流しください」といったので、2階で寝ることに。
1階の部屋で家族で団欒をしていると、突然、ジャージャーと音が聞こえる。子供は雨だ、雨だ!とびっくり。そのうち、滔天夫人の槌子さんが気づいて子供に小さい声でいう。「先生の小便だよ。騒いではいけないよ」。子供は、ワっと噴き出す。
夫人はまたそれを制する。「制するものも、制せられる子供も、皆口に手を当てて顔真っ赤にしている様」だったそうな。おもしろい。楽しい情景です。

そういえば、昔、2階の窓からトタン屋根の上にむかって小便をした記憶が男性諸氏にもあるのではないでしょうか。

なお、滔天夫人の宮崎槌子さんは、谷中村の土地所有の名義人の一人になります。








田中正造全集

2006-10-22 | 読書
田中正造全集(20巻)を手に入れた。6900円。1冊あたり350円。出版当時は1冊2900円だったのだから、安い。しかも、月報も全部揃っており、これも内容が充実している。全巻を読むことはなく、ときどき思い出したように取り出して眺めるだけで、ダンボールの中につっこんだままになるだろうけど、得した買い物をした気持ちだ。酒とタバコの量を少し減らさなくてはならないが。

この田中正造全集を企画し、実現に向けて動いたのが黒澤酉蔵氏だ。雪印乳業の創立者であり、北海道の酪農の発展に尽くした人。米寿の年に発起されたそうだ。

黒澤酉蔵は、17歳のときに、田中正造の直訴事件の報道を聞き、単身、正造に会いにいって、その忠実な一番弟子となり、20歳までの4年間、正造の手足となって鉱毒問題に尽力する。学業も中断し、投獄も経験する。貧乏な農家の家庭に生まれ、母の死を契機に家族を養うため、単身、北海道に渡り、そこで一牧夫から再出発する。

田中正造文集でも黒澤酉蔵あての手紙は多数おさめられており、正造が最も信頼した若き同志だ。

この黒澤酉蔵は、水戸の生まれ。酉蔵が思い切った行動をした理由として、月報にのせられている「恩師田中正造先生」の中では、水戸学の影響、水戸の特徴である、知行合一の精神と書いてあった。

米寿の年になって恩師田中正造の真の姿を後世に残そうと奔走する黒澤酉蔵。実に羨ましい師弟関係だ。17歳の少年を同志として遇した正造もそうだが、親ほど年のちがう正造の行動に感銘した少年の情熱もすばらしい。

田中正造に直接会うことのできない者としては、田中正造全集で正造翁のかすかな匂いを感ずるしかできない(荘子は、「本はカスだ。そこには、真実は何もない」といったけど、まあ、しゃあない)


柳田国男の生家

2006-10-21 | 日記
砥峰高原の帰り、福崎を通るので、福崎の柳田国男の生家に寄った。
柳田国男は本は何冊か持ってはいるが、まだ今いち関心なし。昔の庶民、農民の暮らしを研究したけど、ただひとつ黙殺した題材が百姓一揆だもの。田中正造がきらった農商務省の役人だっしなあ。生家の画像だけのせよう。小さな家です。

砥峰(とのみね)高原

2006-10-21 | 日記
兵庫県の砥峰(とのみね)高原に行った。
ススキの高原。
ススキの高原といえば、奈良の曽爾高原が有名だが、どっちがいいだろうか(曽爾高原はまだ行ったことがない)。
なかなかいい景色だ。足と時間に余裕のある人は、ススキの高原の中をどんどん歩き進んでいた。当方は、「ほうー、すごいなー、いい景色だー」といいながら滞在時間30分で下山。

田中正造が好きな孟子

2006-10-20 | 読書
田中正造に「好める史的人物」という晩年の文がある。

日本からは、三浦屋高尾。吉原の遊女高尾太夫だ。「彼女は金銭のために精神を売らざりし。彼女が史的人物なるや否やは知らず、もししからざれば、願わくば、これを史に加えよ」と書く。

西洋からは、ドリウ(英国の学者)。この人は若き日の正造の愛読書だった「西国立志篇」に出てくる学者らしい。

東洋からは、孟子。やっぱり、だ。
梁恵王篇から15と22の文章を掲げている。

15とは、孟子の中で最も有名な文章で、こんな内容。

ある国の王様が孟子に聞く。「昔、殷の湯は、臣下でありながら君主の夏の王を追放し、周の武王は、臣下でありながら、君主の殷の王を討伐した。臣下でありながら、その君を誅してゆるされるものだろうか」
孟子は答える。「仁をそこなう者を賊といい、義をそこなう者を残という。残賊の人は、もはや、君ではなく、一夫である。一夫をこらしめたとは聞いているが、まだ君をこらしめたとは聞いていない」

この文章で、孟子は革命を認めたとして、日本の国体にはあわない。孟子の書物をのせた船は日本にむかうと沈没する、などと昔はいわれたそうだ。

22は、こんな話。ある国の王様が「わが国は小国で、大国に貢いでも、相手国からの侵略をまぬがれそうもない。どうしたらいいだろう」と孟子に聞く。
孟子は昔のある大王の話をする。その国に蛮族が侵入し、いろいろな物を貢いでも侵略してこようとする。結局、蛮族が求めているのは、その国の土地。で、王は臣下に言う。「君子は、その人を養うゆえんのものを以って人を害せず」という。この土地は、もともとこの国の人を養うゆえんのもの。その土地のために蛮族と戦争をして人々を殺してしまったら申し訳ない。みなさん、わたしは去る。わたしがいなくても心配することはない。新しい領主のもとでもやっていける。王は土地を去り、別の土地に移住した。人々は、この王を「仁人なり。失うべからず」と人々も王のあとについていったという話。

大学廃すべし

2006-10-18 | 読書
ネタがないので、田中正造の言葉を借用してまた駄文を。

「大学廃すべし。腐敗の淵藪なり」と正造は言った。

全共闘が盛んな時代、「大学解体」という言葉がはやった。全共闘がどういう意図からそれをいったか知らないけど、この言葉には同感した。もちろん極論だが、大学の機能を一時ストップして、教育の頂点である大学の存在を問うことが学生の当然の主張だと思った。実際、大学には通わず、ただ授業料だけをとられる勉強きらいな学生にとっては、大学は存在しなかったも同様だったから。今、この声はまったくない。大学教授が恥ずかしげもなく、大きな顔をだしている。税金の無駄遣いではないのか。

「帝国大学の学士中、おおくは忍耐力の一つは卒業せり。恥を忍ぶ、侮辱を忍ぶ、惻隠の心を失うを忍ぶ。醜汚を忍ぶ、人の財を奪うを忍び、人を殺すを忍ぶ、同胞兄弟に破廉恥をなすを忍び、国の亡びるを忍ぶ。この学生はこの忍耐力を卒業せり。地方教育、学生の精神を腐らす。中央の大学また同じ。学ばざるにしかず」

田中正造のこの怒りには、足尾銅山の古河市兵衛に味方して真実をゆがめた多くの学者先生、官僚たちへの強い不信がある。

教育再生会議では、「学力をつける」ことが最重要課題だという。学力、けっきょく、テストの点数でいい点をとる生徒たちを作ることだが、これもいつかきた道ではないか。難関のテストをくぐりぬけた秀才官僚や秀才軍人たちが導いたのが太平洋戦争だったと極論することだってできる。学力のある秀才たちが日本の文化に何を残したか。それに反して、田中正造をはじめとして大学を出ていない独創的人物の遺産のなんと豊かなことか。

教育パパだとかいって、子供に学力を、いい学校へ、という気持ちがほんとにわからん。子供にとっては虐待だろう。

昔、江戸時代なら、学力があっても、学力があるからこそか、バカはバカという認識は庶民は持っていたはずだ。武士や学者先生、庶民がその人情知らずを笑う話には事欠かない。

学力のある人、知識のある人は、人間としてはちょっと疑ってみるべし、というのは、庶民の常識だった。

小学校中学校は楽しかった。いろんなヤツがいたから。勉強のできない、というか、勉強を拒否する子供たちがいて、得がたい人生の友を得た。というか、勉強嫌いの同類がいて楽しかった。高校となると、ある程度選抜されることもあって、ケタはずれに勉強しない人は少なく、人間の風景としてはさびしい感じがした。学力と人間のえらさとは何の関係もない。

今は、小学校から選抜された学校に通わせたい親がいるという。わからん!
学校に教育されてたまるかい!という意識はないのだろうか。子供はみんな学校はきらいだ。それが当然だ。学ばざるにしかずだ!

なんか怒りのじいさんみたくなってきたぞ。おもわず一人笑い。
田中正造全集を注文してしまった。今月は苦しくなるなあ。



全集の古本調べ

2006-10-18 | 読書
全集の古本屋の値段を調べた。古本はいつも「日本の古本屋」で調べて買っている。一番安い値段だけかかげた。
・高杉晋作全集(上下2冊)・・・39000円
・西郷隆盛全集6冊・・・・・・・60000円
・安藤昌益全集23冊・・・・・・33000円
・福沢諭吉全集22冊・・・・・・30000円
・堺利彦全集6冊・・・・・・・・7500円
・宮崎滔天全集5冊・・・・・・・36750円
・田中正造全集20冊・・・・・・6900円

どうみても田中正造は安い。

古本調べ

2006-10-17 | 読書
岩波書店の田中正造全集20巻は版元にも在庫はないようだ。田中正造全集を精選した同じく岩波書店の田中正造選集全7巻もすでに品切れ重版未定。田中正造で、古本以外で買えるのは、岩波文庫の田中正造文集2冊だけということになる。
田中正造の人気は今、ひところに比べ、落ちているね。

ネットの古本屋で調べると、田中正造全集全20巻は、7000円から3万円と幅広い値段で売られている(買うのならもちろん、7000円だろう)。
吉田松陰全集も調べてみた。これは、2万円から5万円。しかし、吉田松陰全集は昔、難波の古本屋で格安で手に入れている(自慢だ!全集を持つと読まないけど)。

清河八郎遺著は、1冊だけで、16800円から25000円の値がついていた。高すぎる!これは昔、図書館でコピーした。

田中正造全集にちょっと心が動いている。しかし、買うとなると、タバコがすえなくなるからなあ・・・。

教基法関連チェック(朝日)16日~22日

2006-10-16 | 新聞・テレビから
またまた、教育基本法改正関連の記事をチェックする。朝日は、教育基本法改正についてどれだけの関心を持つか、あるいはいかに黙殺しているか、確認しておきたいからだ。今週1週間で、ちょうど調べだしてからひと月になるが、ほとんど記事はなかった。日露戦争よりも谷中村が大事、といった田中正造にならっていえば、北朝鮮の核よりも、こちらの方が大事だ。

教育基本法改正には関係ないけど、14日の記事で、経済財政諮問会議で、「法人税減税を検討」という記事にも腹がたった。大企業は空前の好景気。それでも、大企業の減税をするか。
明治以後の日本は、富国強兵の名の下に、あるいは、世界の中での競争に打ち勝つために、大企業を保護し、労働者に犠牲を求めた。変わらんではないか。
16日(月)・・・記述なし。
17日(火)・・・記述なし。教育再生会議、明日から、という記事はあり。
18日(水)・・・記述なし。
19日(木)・・・記述なし。ただし、昨日の教育再生会議の記事あり。また、社説は「教育再生」についてで、見出しは「学力の底上げをめざせ」。安部氏のいう「学力と規範意識を高めるのは重要な課題だ」と教育再生の方向を支持。「確かに競争は必要だ」と理由もいわずに、学校間の競争に同意する。朝日は政府の「教育再生」にも賛成なのだから、教育基本法改正についても何をいわんやだ。無視するわけだ。
20日(金)・・・記述なし。
21日(土)・・・「教育基本法改正焦点に」の記事。臨時国会はこれから中盤に入り、これからは教育基本法改正に向けての与野党の攻防が焦点となる。ただし、日程的に余裕はなく、11月上旬の衆院通過がタイムリミットか、という内容。
また、「ニュースがわからん」というコーナーで「教育基本法とは?」と題し、質問に答える形で簡単に説明。議論は白熱しそうだ、と他人行儀に書くのみ。あまり話題にはしたくないが、朝日も避けて通れない局面にきたよ、という感じ。
22日(日)・・・記述なし。
来週からは多くなるだろうか。愛国心の評価は導入しないとか小さなところで譲歩をせまってお茶をにごしてもらってはこまる。