虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

朝の報道(?)番組

2014-05-16 | 映画・テレビ
朝、たまにテレビをつけている。出勤前に見る。

みのもんたが降板したあとの「あさチャン!」という番組。5時半から8時まで。

なんと、若い夏目三久という美女がメイン司会者。いつも、まるでモデルのような笑みを浮かべている。報道番組の司会者というより、視聴率をあげるためにメイン司会者にすえられたモデルという感じで、自然さがない。報道番組は、この人にはまだ無理なのだ。ただ、番組のスタッフには、報道番組にしようという気はないようで、大学の先生の齋藤孝をこの美人の相棒にすえる始末だ。夏目三久と齋藤孝で、どうやって、時世を斬ることができるというのか。

昨日の集団的自衛権について、斎藤孝は、各新聞社の論説のちがいをあげて、いろいろな意見があることを知ることが大切です、なんて陳腐なこと言っていた。みのもんたが司会だった時より、格段につまらなくなった。しかし、毒にも薬にもならない安全平凡な発言を買われたのだろう。

8時からは、「モーニングバード」にチャンネルを切り替える。赤江たまえ(?だったか)、たまちゃんが以前からちょっと気に入っていた。美人だ。でも、たまちゃんは、夏目三久とちがって、物言いに自然さがあり、人形ぽくない。以前は、たまちゃん一人がメインの司会者だったが、最近(もう1年以上になるかな)、羽島なんとかという若い男性司会者が起用され、二人で司会している。

羽島は、アナウンサー、報道者というより、タレントというべき人。番組が以前に比べ(赤江たまえが一人で司会していたころ)、格段につまらなくなったとは誰しも感じるはずだ。羽島がいるために、たまちゃんがたまちゃんらしくなくなってきた。

集団的自衛権、今日は、そのゲストコメンテーターとして、小川和久という政府側に立つ軍事評論家にものをいわせていた。たまちゃん、きっと戸惑ったにちがいない。番組で、なぜ、こんな人に物を言わせるのか、と。おそらく、これが、テレビ局の方針なのだろう。


国会のある時は国会中継をやるべし

2013-02-06 | 映画・テレビ
今日は、テレビの国会中継はなし。
国会はないのか?と思ったら、夕刊に安倍首相が参議院で話した、と記事にある。
国会は開いているのだ。なぜ、やらないのだ。

最初の安倍首相の所信表明演説、そして各党の代表質問だけで、あとはやらないってことはないはず。
中継やったり、やらなかったりと、いいかげん。

国会が開かれている時は、最優先して中継すべきだ。

国民は興味がないだろう、あるいは、知る必要はない、とでも思っているのだろうか。
今日ほど、国会議員の言動から目が離せない時代はないのだ。




映画「戦争と平和」

2012-01-28 | 映画・テレビ
地デジのテレビを買わされたけど、ほとんどテレビ見ていない。
画面は大きくきれいになったかもしれないが、どこ局まわしても、クイズかお笑いバラエティなど低予算手抜きの、国民を馬鹿にした番組ばかり。チャンネルふえったって、少しもいいことないぞ。

でも、今度、NHKBSでソ連版の「戦争と平和」をやるそうだ(30日だったか?)。
これは、録画しておく。

昔、高校生のころ、はじめて見た。「戦争と平和」がどういう話かも知らず、トルストイも読んだことがなかったので、ソ連の国家事業として作ったどうせ堅苦しい映画にちがいないと思っていた。ところが、意外におもしろかった。「戦争と平和」って、こんなに瑞々しい作品だったのか、と感じた覚えがある。青春映画ではないか、と。数年後、後編を見たけど、後編は戦争場面ばかりで、がっかりした。

アメリカ映画の「戦争と平和」よりは、原作の雰囲気が少し出ていて、よい。

ビデオも出てなく、DVDは高いし、なかなか見ることができなかった。
今度、何十年ぶりで見ることができるのがうれしい。しかし、今度はもう瑞々しさを感じることはできず、がっかりするだろうか。なんといっても、高校生の頃は何を見ても瑞々しく感じるのかもしれないから。



映画の話 いろいろ

2011-09-25 | 映画・テレビ
往年の日活青春スター山内 賢さんが亡くなった(がん)とのニュース。まだお若い67歳。ご冥福をお祈りします。

山内賢は、よく和泉雅子と共演し、「二人の銀座」は大ヒットした。和泉雅子といっしょに出るなんて、くやしい!と生意気高校生は思っていた(和泉雅子ファンだったので)。今東光原作の映画「悪太郎」も見た。山内は戦前の不良中学生を演じていたが、これも和泉雅子共演、いい映画だった。山内賢の代表作かもしれない。

このころの日活映画は、札幌の「日活館」というところでよく見た。封切り映画館ではなく、古いのを3本立てくらいで上映していた。日活スターや日活映画はすきじゃないのだが(時代劇がないし)、安いのでよく通った。「花と龍」「男の紋章」なんか印象に残っている。「日活館」なんて、とっくの昔になくなっているのだろうな。

最近、昔のテレビや映画の俳優の死亡記事が続いている。わたしたちが昔、親しんだ俳優たちが亡くなる、そういう時期になったのだろうか。杉浦直樹さんも亡くなった。「岸辺のアルバム」が代表作になっているが、山口 瞳の「江分利満氏の優雅な生活」がテレビドラマになった時も主役のサラリーマンを演じていた。山口瞳、江分利満氏はわたしの父親と同じ世代で、その平凡で猛烈で哀しいサラリーマン生活像は父親の姿と重なって見えた。山口 瞳ももう忘れられた作家になりつつある。

話は変わるが、先日、時代劇「一命」が新聞の広告に出ていた。
大昔、小林正樹監督の「切腹」のリメーク版だ。監督は、なんと、あのリメーク版の「十三人の刺客」を作った人。主役は海老蔵。ぜったい、見ない(笑)。ビデオが出ても借りない。認めない。

映画「切腹」は暗い題材だけど、時代劇映画としては秀作だった。仲代達矢、いろいろな映画に出ているけど、たぶん、この一作を越える作品はないだろう。風吹く草原での丹波哲郎との決闘場面がよかったな。見たのは中学生の時だったけど、いい映画は子供でもわかる。

今度の「一命」は立体映画だという。それがどうした。総天然色であろうと(古い言い方)、立体映画だろうと、白黒映画の「切腹」には遠く及ばないのは明らかだ。
また、悪口になってしまった。ご無礼つかまつった!



なぜだ?民主党代表交代

2011-08-29 | 映画・テレビ
菅首相はまったくたよりないし、とても支持できる人ではないけど、その後継といわれる人たちの顔ぶれ。この人たちもとても菅さんより優れているとは思わない。野田さんが新しい代表に決まったけど、この人は菅内閣の一員だった人だ。菅さんが、女性問題かなんかでしくじったのならわかるけど、なぜ、この時期に交代するのだ?原発推進派、すなわち、大企業やアメリカの強い要請としか思えない。大震災、原発事故から半年でのこの政変、メデイアはなんと解説するつもりだろう。

NHKBS 証言記録 日本人の戦争

2011-08-22 | 映画・テレビ


NHKBSの「証言記録 日本人の戦争」を見た。これは、やはりNHKでしか見られない。とてもいい番組だった。(テレビ、しかたなく地デジにしました)。

前編、後編合わせて、6時間。80歳以上になる戦争体験者の貴重な証言と映像だ。
前編は、日中戦争から、昭和19年7月まで、ガダルカナル戦やインパール戦、テニアン島玉砕など。後編は、昭和19年7月から敗戦までの1年間。レイテ戦やニューギニア戦、特攻、満蒙開拓義勇団や疎開、沖縄戦などなど。

わたしも戦後生まれだから「あの戦争」のことはあまり知らない。だいたい、学校で、太平洋戦争の経過など、教えてもらったことがない。ミッドウェイで、ガダルカナルで、インパールで、レイテで、どういう戦争が行われたのか、マニアは別にして、詳細は知らないにちがいない。わたしの子供の世代になると、「ガダルカナル」と聞いたって、それ何?という始末だ。あの歴史を知らない国民が大半を占める。しかし、日本人は、あの大戦争を、戦争の各局面各作戦の詳細まで知らなければならない、と思っている。

かつて、大戦争があって、300万を超える人々が死んだ、というだけの漠然とした認識だけですましてしまってはいけない。戦国や幕末維新などの歴史などとは比較にならないくらい痛切重大な歴史のはずなのだ。



証言するのは、ほとんど80歳以上の人々だが、その高齢にもかかわらず、その語る言葉は知的で、明晰であり、真剣。衝撃を受けた。ずっと戦争についての体験をひきづり、戦争について考えつづけててきた人々の言葉は、胸をつく。とても高齢者、老人とは思えない。戦後、日本人全体が戦争を反省し、検証し、責任を明確にしなければならなかったのだが、戦後の人々はいちはやく戦争を忘れたような日々を送ったが、かれら体験者、高齢者たちだけが、戦争という現実になお対峙させられてきた、という印象だ。また、人が語る言葉の重み、凄さを思った。日々、垂れ流されるテレビのキャスターやコメンテーター、芸能人たちのテレビからの言葉の空しさ、無意味さを感じた。

かれら戦争体験者は、わたしの親にあたる世代だ。本来なら、戦争は親の仇だ。わたしたちは、なぜ多くの親たちが、あのような惨めな死に方をしなければならなかったのか、このようなことは2度と起こしてはならない、ゆるさない、と発憤して真相を追求すべきことだったのだ。だが、そうしなかった。

見ていて、戦争の悲惨さもさることながら、怒りがわきおこってくる。この怒りは何に向けられるべきか、息子の世代が明らかにすべきだったのに。

あの戦争体験者は、あと10年もすれば、この国から完全にいなくなる(いや、証言をして数ヶ月で亡くなった、という人もおられたようだ)。
もうすぐ、戦争を知らない人たちばかりの国になる。
証言を記録しておく、というNHKのこの企画はよろしい!

再放送があるそうなので、見てない人は是非見てほしい。
8月25日 前編 8月26日 後編に再放送するそうです。


アナログ放送終了

2011-07-24 | 映画・テレビ
今日の正午から、テレビは映らなくなった。
テレビはただの箱になってしまった。
全国で地デジ未対応は0.6%で、現在すでに99%の国民は地デジに対応しているというが、ほんとうだろうか?

わたしは、別にテレビがなくてもいいが(ああ、なんだかすっきりした)、独り暮らしの老人にとって、テレビは唯一の情報源であり、娯楽ではないのか?そうした対策はしているのだろうか。地デジテレビに買い換えるなんて、めんどうなことできるだろうか。
いや、テレビを買い換えただけでもだめで、なにやらアンテナをつけたりしなくてはいけないそうだ。

わたしも総務省のコールセンターに電話してみた。電話料金1分10円かかるそうだ。チューナーはいくらするの?安価なもので5000円くらい。ただし、安価なものは今すぐは手に入らないかも。アンテナはいくら?アンテナ自身は数千円だけど、設置料が店によって数万円するかも、よくわかりません、と。

全国地デジ化は、国の政策のようで、総務省は二千億円の税金を支出しているそうだ。地デジになって、テレビの何がどう良くなるのか、なぜ地デジにしなければならないのか、そんな説明は何もなく、強引なものだ。日本のように一斉に地デジ化される国は、世界にも例がないそうだが、メデイアは、地デジ化の方針については、これまでほとんど議論も解説もなく、黙ったままだった。ここにも、原発報道と同様な異常な日本があるのではないか?


原田芳雄逝く

2011-07-19 | 映画・テレビ
今日、原田芳雄が亡くなった。
好きな俳優だった。時代劇で原田芳雄の浪人姿がもう見られないのは残念だ。

原田芳雄は、たしか中学か高校時代くらいにテレビで初めて見た。
高校の坊ちゃん先生みたいな役で、明るい青春連続ドラマだった。好青年だった。たぶん、これが新人原田芳雄のデビュー作だったろう。このころ、来年は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」がNHKの大河ドラマになる、ということが決定したが、竜馬役は決まっていなかった。美男子すぎるけど、竜馬をやるなら、この人がなったらいいな、と思った。

原田芳雄は侍役がよく似合う。黙って刀を差している姿だけでほれぼれする。ただし、組織に生きる武士ではなくて(どう見ても組織の枠におさまる面魂ではない)、アウトローにならざるをえない浪人者だ。清河八郎なんて、やらせたかったなあ。

残念なのは、原田芳雄には、あまりいい時代劇に出られなかったことだ。「竜馬暗殺」とか「浪人街」「闇の狩人」などあることはあるけど、十分に原田芳雄を使っているとはいいがたい。現代劇やアクション映画よりも、もっともっとたくさん原田芳雄の時代劇を作るべきだった。

ただ、デビュー以後の時代が、原田芳雄が出るようなアウトロー時代劇があまり求められなかったのだろう。時代劇が、あの個性を生かせなかったのは残念だ。

ご冥福を祈ります。

                               合掌


藩命か愛か 「小川の辺」をネタに

2011-07-14 | 映画・テレビ
今、公開中の映画「小川の辺」はまだ見ていない。例によってビデオ屋さんでDVDが出たら見るつもりだ。
愚作「十七人の刺客」よりは、ましだと思う。

以前、新聞に映画「小川の辺」の広告が出ていた。映画の広告はよく見る。
映画の広告に「藩命か、愛か」とあった。藩命による上意討ちの相手は、自分の親友。しかも、その妻は自分の妹。親友は、百姓のことを考えて主君に藩政改革を訴えて脱藩したという。

「藩命か、愛か」と問われたら、当然、即、愛をとるだろう。
親友の方に義がある。藩命はただ藩命というだけで、なんの正義もない。

最後はどうなるのだ?親友を斬るのか?どんな結末なんだ?
原作は読んでないので、気になって「小川の辺」を読んでみた(新潮文庫{闇の穴」所収)。

原作は、親友のことはあまり書いていない。親友との決闘場面も省略していた。原作は、兄妹の関係と妹と奉公人の関係に焦点をあてて書いていて、「藩命か愛か」のテーマではないように感じた。


人物としては、藩政改革の上書を出し、謹慎させられ、上意討ちの危険が迫ってくると、脱藩した親友の方が断然、魅力的なはずだ。

主人公は、藩命に従わないと家族にも迷惑がかかると、やむをえず藩命にしたがうという、どちらかといえば、運命に耐え、組織に生きる男で、過激なところや、突拍子もないことをしでかす男ではない。藤沢周平はけっこう、こうした平凡で穏当な武士を描くことが多い。わたしは、脱藩した親友のような生き方を描いたような作品ももっと書いてほしかったのだが、長編では、雲井達雄を描いた「雲奔る」とご存じ清河八郎を描いた「回天の門」二作くらいしか知らない。

藤沢周平の短編は短編として別に問題はない。
ここからは、藤沢周平からはなれ、こっちの勝手で話をすすめる。

親友の上意討ちを命じられた主人公、藩命に従うしかなかったのだろうか?
あなたならどうする?と考えた。

方法はいくらでもある。
親友が脱藩や上意討ちになる前に藩内でそれをなんとか止める行動をする方法もあった。上意討ちを命じられても、仮病を使う、という手もある。剣が使えないという故障をいいたててもいい。いや、断る、という手もある。断って、親友と妹夫婦をひそかに逃亡させる手もある。藩命に従わなかったらお咎めをくらうかもしれないが、まずは、断ってみるべきだ。どうしても断れなかったら、藩命に従い、親友を討つ旅に出るが、けっきょく逃げられてしまって行方不明でーす、という帰朝報告をする(笑)。

江戸時代の封建時代は、そういう環境、時代ではなかったのだ、という人もいるが、いや、江戸時代に藩命に従わずに浪人になったり、脱藩した武士はけっこういる。江戸時代の大坂の町などは、そうした武士がまぎれこんで町人になった人も少なくない。

幕末になると、続々と藩命に従わない武士が出た。坂本竜馬しかり。藩命おそれずにたらず、だ。


映画の内容はどんなのかわからないけど、「凜とした日本人」という感想が広告にあったが、もし、藩命にしたがって、親友を斬る運命に黙々と従った男を「凜としている」というなら、少しちがうだろう。

「藩命」という言葉から、つい「国家の命」、「会社の命」、「社長命令」なんて言葉が頭に浮かんだので、つい、ながながと無駄話してしまったよ(笑)。

「藩命か、愛か」。愛に決まってる。

脱テレビ・・・

2011-07-05 | 映画・テレビ


小出裕章氏は、タバコはやらず(酒は飲むようだが)、クーラーは使わない、テレビも見ないそうで、太陽が昇ると共に起き、太陽が沈むと共に寝る生活をしていると耳にしたことがる。今は超多忙で、早く寝るわけにはいかないと思うけど、どれか一つくらいはまねしたいな。

タバコ、クーラー、テレビ。どれも脱するのは難しい。
とりあえず、脱テレビか。

「テレビ」こそ、哲学者、精神分析学者、社会学者、歴史学者、政治学者など様々な学者、思想家が取り組み、研究し、その正体を人々に明らかにすべきものなのに、いまだ、本格的に「テレビ」を解明した研究書は出ていないのではないか。せいぜい、幼児や子供に悪影響を与えるという脳科学者の警告書か(子供だけなく、大人にも甚大な影響を与えているはずだが)、あとは、テレビ技術についての本くらい。

「テレビ」という機械自体は悪いものではないのだろう。なにせ、初めて我が家にテレビが来た日のことは忘れられないテレビっ子の第一号世代になる。もともとテレビは大好きだ。

ただ、番組の質の低下は、せっかくのテレビという箱(大型化し画面の質もよくなったのに)が哀れに思えるくらいだ。
NHKだけがやっとレベルを保っているだろうか。かつての民放も、NHKにも負けないような、NHKに対抗する番組を作っていたこともあるのだが、最近はいい番組はNHKに完全にまかせて、民放はひたすら、安上がりで、製作に苦労のいらない娯楽バラエティ(やたら、芸能人が集合して話し合う)番組ばかりになった。NHKと民放の棲み分けができた感じだ。

もちろん、馬鹿なお笑い番組は必要ないとはいわない。吉本新喜劇などはわたしは大好き(ただ、最近のお笑い坊主三人組はきらい)。仕事に疲れ、体も精神もクタクタになっている身には、
意味のない、馬鹿番組が気分転換になるのはわかる。NHKの良質のドキュメンタリーは、労働者にはしんどい時もある。

多数の労働者を使用し、大金持ちで、権力も地位もある支配階層の人たちは、あまり「テレビ」を見ないのではないだろうか、と思うこともある。
かれらは、本物の一流の舞台を見、音楽会で生の一流の演奏を聴き、旅やグルメ番組を見るよりも、本場でに一流の食事を味わう。時間はテレビを見ることには費やさないはずだ。

疲れた労働者たちが、馬鹿番組のテレビを見させられる。

うーん、まったく支離滅裂。この稿、まとまらず。「テレビ」については、個別に具体的に、また考えることにしよう。今日も意味不明のブツブツでした。









視聴者のこと考えてるのか?

2011-07-01 | 映画・テレビ
昨日くらいから、テレビの画面に「アナログ放送終了まであと23日」とかのテロップが出るようになった。

以前から画面の下に地デジが終了します、という案内が出ているのに(それだけでいいのに)、より大きな文字で画面の9分の1を占めている。

ニュースなどの番組のテロップと重なって、文字が読みずらいし、見えにくい。NHKだけでなく、どの局を回しても同じだ。そのくせ、コマーシャルの画面にはなし。コマーシャルを邪魔したら、スポンサーに怒られるけど、番組を見る視聴者はどうでもいいのだろう。このテロップは、地デジのテレビには出てなくて、まだアナログのテレビを見ている人にだけ、出ているのだろうか。いやがらせだ!このテロップ、やめなさい!

地デジはおすみですか

2011-06-29 | 映画・テレビ
「地デジはおすみですか」
と、まだテレビをつけるとやっている。
「まだです」。

7月24日、突然、画面がうつらなくなる瞬間を見るか、あるいはやっぱりその前に地デズ対応テレビを買っているかわからないけど、この地デジ問題、新聞もテレビもほとんどニュースにしなかったようだ。

機械のことはまったく無知で、アナログもデジタルも意味がわからない人間だが、テレビを見るために買ったテレビが、むこうの一方的な都合で見られなくなる、ということが納得できない。政府、あるいは、テレビ局なのか?テレビの映像を発信するサービス側の都合で、国民の意見をまったく聞かないで、世界の趨勢だとかいわれて、ことはすすめられる。

はい、そうですか、とおとなしくテレビを買い替える国民も不思議だ。いや、文句いう方がおかしいのだ、やむをえないことなのだ、と思わせられる。

ほとんど全国民がテレビを買いかえる。あるいはチューナーを買う。アンテナも必要だ、などともいう。これは、すごいことだ。

テレビを作り販売する電機事業会社にとって、こんな莫大な利益はないだろう。
政府との癒着を想像するのもしかたあるまい。

最近、画面の下のほうに、低所得者の人、非課税対象の人には、チューナーの無料給付ができることがあります、などと出ているが、当然だ。
地デジテレビを買い替えることができない人やチューナーを買えない人は、生活からテレビを奪われることになる。別にアホな番組は見なくてもいいけど、ニュースなどの情報は生活権利として保障すべきだ。

本来なら、全国民対象に地デジ対応テレビを買うなら、補助金を出すくらい、なんらかの対策をして国民の了解を得ることが必要だ。

今年のNHKの収益は良かった、衛星放送の契約数がふえたことが原因といっていたが、これは地デジ対応テレビを買った人がふえたのが原因ではないにだろうか。ひょっとして、地デジ対応テレビはNHKの受信料を払わなければならないような仕組みになっているのだろうか?憶測だ、よくわからない。

原発事故で、政府も大企業もメデイアも一体となった「原子力むら」が話題になったが、この地デジも、反対意見はまったく聞くことがなかったことがらだな。


駄作「十三人の刺客」

2011-06-13 | 映画・テレビ
子供が昨年公開した「十三人の刺客」のDVDをレンタルしていたので、見ないと損と思ってついでに見た。
つまらねー!映画、観に行かなくてよかった。旧作のが出来はよい。

まず、残酷な場面はいらん。よしてくれ、といいたい。
刺客側の作戦、知謀が少しも描かれていない。弓矢を捨て、「斬って斬って斬りまくれ-」だと。太平洋戦争中の無能な陸軍将校の突撃攻撃か?あほー!弓矢こそ、武士の武具だ。あの時代だったら、鉄砲を十分そろえておくのが常識だ。

ゾンビのように次々に襲いかかる敵側の侍たちもありえない。ふつう、おびえて逃げるぜ。あんなに闘志のある武士は見たことない。

坂本龍馬を寺田屋で襲った捕吏がなかなか踏み込めず、龍馬を逃がしてしまったのも、ありうる話だ。みんな、怖いのだ。大塩平八郎が潜んでいた家に奉行所の役人が踏み込む時も、たしか、くじで先頭を決めていたのではなかったか。命を捨てて敵にむかっていくことなんか泰平の時代にはできない。主君のためにあれだけ必死に戦う武士がいたら、徳川幕府は滅んでいません。

馬鹿殿さまの有能な家来半兵衛も、その有能さをまったく描いてもらっていないのはかわいそう。昌平校で学んだ、ということだが、あんな狂った殿様に仕えている武士がほんとに学問を学んだのか大いに疑問だ。

あの不死身の山の民、まったく不要。不要なものが多すぎる。激闘40分ということだが、見る方がいやになってくる。

冒頭に、たしか、「これは事実から生まれた物語である」とかの文字があったように記憶する(不確かだけど)。これも、余計だ。どんな事実をいうのだろう。明石藩の暴虐な殿様に家族を殺された木曽の猟師が殿様を猟銃で暗殺した、という伝説(噂)があることは聞いたことがある。このことだろうか?でも、それは、武士がやったことではなくて、農民だし、あんな馬鹿な戦い方はしていない。この文字も余計だ。

まったく、時代劇をなんだと思っているのだ?感想は人それぞれ。暴言多謝。




ミュージカル 「レ・ミゼラブル」

2011-06-12 | 映画・テレビ
今日、お昼からNHKBSで「レ・ミゼラブル」25周年記念2010年ロンドン公演というのをやっていた。
ミュージカルの「レ・ミゼラブル」は日本でも滝田栄とかが出てロングランを続けていたけど、見たことがなかったので、どんなのやろ、と見てみた。

全編、登場人物が歌うばかりで、ふつうのセリフはなし。でも、チャンネルを替えることもなく、見させた。途中、用事で3,40分ほど中座したのだが、最後まで見た。舞台の最後は、1985年のオリジナルメンバーや脚本家、作詞家、作曲家、演出家なども出る大フィナーレ。
なぜ、画面からはなれられなかったのか?「レ・ミゼラブル」は19世紀のフランスの貧しい人々と革命が舞台だ。貧しい民衆が赤い旗を先頭に、デモをしながら全員で合唱するところなんかやはり力強く、一揆男は胸が熱くなるのだ(笑)。

子供のころ、「ああ無情」という子供向きの本を読んだことはるが、革命とかそんな時代背景はわからなかった。ユゴーの「レ・ミゼラブル」、一揆魂を回復させるためにも死ぬまでに読みたい本だ。

ところで、「世界文学」はあまり読まれないようだけど、舞台ではけっこうよく取り上げられていますね。「風と共に去りぬ」や「アンナ・カレーニナ」は、今もどこかの劇場で舞台になっているし、あの宝塚歌劇なんか、積極的に世界文学を舞台化している。「グレートギャツビー」「誰がために鐘は鳴る」「二都物語」「嵐が丘」「赤と黒」いろいろやっている(観たことないけど)。

ミュージカルや舞台を見て、「世界文学」を読んでみようと思う人がふえてくれたら、古本屋さんは喜ぶぜ(笑)。

ドラマ「見知らぬわが町」を見た

2011-05-05 | 映画・テレビ
今日のお昼、NHKで福岡発地域ドラマ「見知らぬわが町」を放送していた。

中川雅子の「見知らぬわが町」。大牟田の女子高校生が、廃坑を目にしたのをきっかけに、炭鉱の歴史の探索をはじめるノンフィクションでいい本だった。このブログでも5年ほど前にネタにして書いたことがある。期待して見た。

女子高校生がサイクリングしている途中、廃坑になっているやぐらを見る。その時、「遠い昔、あそこで悲しい出来事があったにちがいない」と心に思う冒頭のシーン、よし!その後、図書館で「三池炭鉱における囚人労働」という本の表紙をふと見ると、サイクリングで見た廃坑の写真が出ている。

女子高校生は、リュックと地図を用意し、自転車に乗って探索に出かける。大牟田に残る囚人墓地、廃坑を回る。このへんはワクワクした。撮影もすばらしい。何度も、やぐら(やぐらというのか?鉄骨でできた無機質な古い建造物)が画面に出るが、女子高校生でなくとも、この風景にはなぜか不思議に心がさわぐ。
前半はよくできていたのだが、わたしには、後半から探索の話からそれてしまい惜しいと思った。

このドラマの脚本家は家族の物語にもしたかったようで、実は、女子高校生は不登校気味の生徒で父子(父は杉本哲也)の二人暮らしの設定。しかも、父親はリストラに会い、求職中。おじいさんは、昔、炭鉱で働いていたが、事故で後遺症に苦しんでいる。おばあさん役がいしだあゆみ。いしだあゆみとか杉本哲太とか大物俳優を出すので、それ相応のセリフ、家族の物語しなくてはまずい、と気を回したのだろうか?

作者の中川さんがほんとに不登校だったのかどうか、父子家庭だったのかどうか、そんんなことは知らない。本にも家庭のことはいっさい書いていなかったような気がする。
このドラマにそんな話は必要なかったと思う。

一人の女子高校生と町にそびえ立つ廃校のやぐら。女子高校生と炭鉱の暗い長い歴史を秘めた廃坑の二つが対峙する。これこそがドラマだ。だから、スターは女子高校生だけでよかったのに、と。

でも、じじいの小言はやめよう(笑)。
おじいさんの葬式の場面では、三池の労働歌も出てきたし、実際に炭鉱で働いた人たちも登場して体験談を語ったり、当時の実写フィルも流されたし、福岡発のドラマとして思い入れが強く、あれもこれも盛り込みたかったのかもしれない。
何度もいうが、風景、撮影はよかったぞ。