虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

日本村

2011-06-30 | 新聞・テレビから
ウイクリークス外交公電、今朝は朝日が分析するだけでなく、3人の学者にも分析してもらっていた。
分析した学者の一人、菅 英輝氏は、「日米安保村」とでも呼べる集団があるように感じた、と書いていた。原子力村、日米安保村、うん、まだ、他にもいくつか・・・村があるはずだ。

「朝日新聞はウイキリークスから無償で文書の提供を受け、報道内容についての制約は一切受けていません」と今日の新聞で初めて明かした。

そうなのか。無償で、しかも報道内容にはいっさい規制を受けていなかったのか。
わたしは、朝日がそれ相応の対価を払ってウイキリークスから情報をもらっていたと思っていた。
情報を独占し、少しずつ小出しにしているので、取材相手、政府や政治家への交渉カードにしているのかと思っていた。無償ならば、もっと広く公開すべきだろう。
情報を小出しにしつつも、その情報で政府を追及するわけでもなく、日本政府の「確認もコメントもしません」の返答で引き下がっている。せっかくウイキリークスから無償で提供を受けたのに、「日米安保村」の一員である朝日はそれを生かすことができないのだ。

グアム移転費の中には、マリアナ諸島に建設する施設も含まれるそうだ。マリアナでは国会で説明がつかないので、外務省は、グアムを消して、単に「整備費」としたことなども書かれてある。これは大問題ではないか。1面のニュースとして書くべきだ。

原発事故が収束してないにもかかわらず、国の支配層はもう原発稼働に動き出している。

日本史上、前の大戦に次いで大きな災害にあったにもかかわらず、原発推進をする、また、ウイキリークス外交公電の公開があったにもかかわらず、今までの日米関係を続ける。
このままでは、将来、現在の日本国民は史上、最も無力無気力なな国民だった、という評価を受ける気がする。

ツバメ、まだ生まれていません。

地デジはおすみですか

2011-06-29 | 映画・テレビ
「地デジはおすみですか」
と、まだテレビをつけるとやっている。
「まだです」。

7月24日、突然、画面がうつらなくなる瞬間を見るか、あるいはやっぱりその前に地デズ対応テレビを買っているかわからないけど、この地デジ問題、新聞もテレビもほとんどニュースにしなかったようだ。

機械のことはまったく無知で、アナログもデジタルも意味がわからない人間だが、テレビを見るために買ったテレビが、むこうの一方的な都合で見られなくなる、ということが納得できない。政府、あるいは、テレビ局なのか?テレビの映像を発信するサービス側の都合で、国民の意見をまったく聞かないで、世界の趨勢だとかいわれて、ことはすすめられる。

はい、そうですか、とおとなしくテレビを買い替える国民も不思議だ。いや、文句いう方がおかしいのだ、やむをえないことなのだ、と思わせられる。

ほとんど全国民がテレビを買いかえる。あるいはチューナーを買う。アンテナも必要だ、などともいう。これは、すごいことだ。

テレビを作り販売する電機事業会社にとって、こんな莫大な利益はないだろう。
政府との癒着を想像するのもしかたあるまい。

最近、画面の下のほうに、低所得者の人、非課税対象の人には、チューナーの無料給付ができることがあります、などと出ているが、当然だ。
地デジテレビを買い替えることができない人やチューナーを買えない人は、生活からテレビを奪われることになる。別にアホな番組は見なくてもいいけど、ニュースなどの情報は生活権利として保障すべきだ。

本来なら、全国民対象に地デジ対応テレビを買うなら、補助金を出すくらい、なんらかの対策をして国民の了解を得ることが必要だ。

今年のNHKの収益は良かった、衛星放送の契約数がふえたことが原因といっていたが、これは地デジ対応テレビを買った人がふえたのが原因ではないにだろうか。ひょっとして、地デジ対応テレビはNHKの受信料を払わなければならないような仕組みになっているのだろうか?憶測だ、よくわからない。

原発事故で、政府も大企業もメデイアも一体となった「原子力むら」が話題になったが、この地デジも、反対意見はまったく聞くことがなかったことがらだな。


暑いー!

2011-06-24 | 日記
6月がこんなに暑いとは!もう夏だ。
でも、クーラーは使わないぞ。

暑さのせいか、最近、頭がぼやけてネタが見つからない。いや、ネタがあっても、ブログに書く気力が出てこない。

ツバメさんは、巣の中で卵をあたためている。
泥と自分の唾液で巣を固め、中は枝や羽毛で作ったベッドを用意している。えらいなあ。放射能をまき散らす人間はツバメの爪のアカでも飲まねばなるまい。


ツバメの巣3 たまごがあった

2011-06-21 | 日記
ツバメの巣は高いところにあるので、巣の中をのぞくことはできない。
で、椅子の上にのり(それでも見えない)、腕を伸ばしてカメラで巣の中を写してみた。
たまごが、4つはいっていた。
ツバメはときどき巣にきて、たまごを温めている。
いつ生まれるのだろう。楽しみだ。

原発安全宣言

2011-06-19 | 新聞・テレビから
海江田経済産業相が、原発の安全宣言をし、定期検診で停止中の原発の運転再開を要請する方針だとか。安全宣言?だれが審査したのだ?あの保安院だろう。何考えているのだ、といいたい。
腹がたって、これ以上、書けない・・・。

おじいさん、おばあさん

2011-06-19 | 日記
道を歩いていると、あ、おじいさんだ、よろよろとして歩いているけど大丈夫かな、などと思うが、いや、同じ世代なのかもしれない、と思うこともしばしば。

子供の時からおじいさんおばあさんといっしょに生活したことがないからか、どうも、おじいさん、おばあさんは、別次元の人たちと思っていたようなところがある。引退した人々というイメージもあったかもしれない。

子供のときは、子供同士が、なによりも関わり深い人たちで、おじいさん、おばあさんは、遠い存在だった。わるいけど、眼中になかった存在というべきか。
中高校生の時もそう。いや、社会人になっても、関わりを持ち、同時代を生きる人として意識したのは、現役で働く人たちで、おじいさん、おばあさんは、自分たちとは違う世界にいる人たちと思っていたふしがある。おじいさん、というと、映画の笠智衆や志村喬のような老人で、自分とは共通性がない別格の人たちと思っていたようだ。
ところが、別格でも特別の存在でもないのだ。自分が年を取るとよくわかる。

はっきり言って若い頃とまったくかわらない。学生や社会人となんら変わらない。同じ人間(あたりまえだ)。自分についていえば、20歳くらいの精神年齢から少しも成長していない。80歳の人でも、20歳のころと気持ちは少しも変わらない、ときっと言うはずだ。

年相応のふけ方をしたい、とか聞いた風なことをいう人もいるが、年をとって変わることはあるのだろうか。
ロマン・ロランが「魅せられたる魂」を完成したのが67歳。トルストイが「復活」を完成したのが71歳。ロマン・ロランもトルストイも老人になって、変わってしまった、ということはない。
老子は、きっと若いころから老子の哲学を持っていたにちがいない。
あの内田裕也を見よ。どこが年老いているか(笑)。


ただ、肉体は変わる。若い頃は、空手の蹴りを修練し、頭の上まで足があがったものだが、今はあがらん。中高年のアイドルきみまろが、「朝、元気、昼はまあまあ、夜ぐったりの中高年」といっているが、たしかに夜はぐったりして、早く寝るようになった。だから、早起きになる。ここだけ変わったな。

ツバメの巣3

2011-06-14 | 日記
だんだんできてきたツバメの巣。
お昼は、こちらの姿を見るとさっと逃げていくのに、夜は、平気のようだ。
巣作りもツバメは手がなく、口で材料を運んで作るのだから大変だ。
やっぱり画像が小さいなあ。
今、わかったけど、画像をクリックすると、大きな画像で見られるようです。

駄作「十三人の刺客」

2011-06-13 | 映画・テレビ
子供が昨年公開した「十三人の刺客」のDVDをレンタルしていたので、見ないと損と思ってついでに見た。
つまらねー!映画、観に行かなくてよかった。旧作のが出来はよい。

まず、残酷な場面はいらん。よしてくれ、といいたい。
刺客側の作戦、知謀が少しも描かれていない。弓矢を捨て、「斬って斬って斬りまくれ-」だと。太平洋戦争中の無能な陸軍将校の突撃攻撃か?あほー!弓矢こそ、武士の武具だ。あの時代だったら、鉄砲を十分そろえておくのが常識だ。

ゾンビのように次々に襲いかかる敵側の侍たちもありえない。ふつう、おびえて逃げるぜ。あんなに闘志のある武士は見たことない。

坂本龍馬を寺田屋で襲った捕吏がなかなか踏み込めず、龍馬を逃がしてしまったのも、ありうる話だ。みんな、怖いのだ。大塩平八郎が潜んでいた家に奉行所の役人が踏み込む時も、たしか、くじで先頭を決めていたのではなかったか。命を捨てて敵にむかっていくことなんか泰平の時代にはできない。主君のためにあれだけ必死に戦う武士がいたら、徳川幕府は滅んでいません。

馬鹿殿さまの有能な家来半兵衛も、その有能さをまったく描いてもらっていないのはかわいそう。昌平校で学んだ、ということだが、あんな狂った殿様に仕えている武士がほんとに学問を学んだのか大いに疑問だ。

あの不死身の山の民、まったく不要。不要なものが多すぎる。激闘40分ということだが、見る方がいやになってくる。

冒頭に、たしか、「これは事実から生まれた物語である」とかの文字があったように記憶する(不確かだけど)。これも、余計だ。どんな事実をいうのだろう。明石藩の暴虐な殿様に家族を殺された木曽の猟師が殿様を猟銃で暗殺した、という伝説(噂)があることは聞いたことがある。このことだろうか?でも、それは、武士がやったことではなくて、農民だし、あんな馬鹿な戦い方はしていない。この文字も余計だ。

まったく、時代劇をなんだと思っているのだ?感想は人それぞれ。暴言多謝。




ミュージカル 「レ・ミゼラブル」

2011-06-12 | 映画・テレビ
今日、お昼からNHKBSで「レ・ミゼラブル」25周年記念2010年ロンドン公演というのをやっていた。
ミュージカルの「レ・ミゼラブル」は日本でも滝田栄とかが出てロングランを続けていたけど、見たことがなかったので、どんなのやろ、と見てみた。

全編、登場人物が歌うばかりで、ふつうのセリフはなし。でも、チャンネルを替えることもなく、見させた。途中、用事で3,40分ほど中座したのだが、最後まで見た。舞台の最後は、1985年のオリジナルメンバーや脚本家、作詞家、作曲家、演出家なども出る大フィナーレ。
なぜ、画面からはなれられなかったのか?「レ・ミゼラブル」は19世紀のフランスの貧しい人々と革命が舞台だ。貧しい民衆が赤い旗を先頭に、デモをしながら全員で合唱するところなんかやはり力強く、一揆男は胸が熱くなるのだ(笑)。

子供のころ、「ああ無情」という子供向きの本を読んだことはるが、革命とかそんな時代背景はわからなかった。ユゴーの「レ・ミゼラブル」、一揆魂を回復させるためにも死ぬまでに読みたい本だ。

ところで、「世界文学」はあまり読まれないようだけど、舞台ではけっこうよく取り上げられていますね。「風と共に去りぬ」や「アンナ・カレーニナ」は、今もどこかの劇場で舞台になっているし、あの宝塚歌劇なんか、積極的に世界文学を舞台化している。「グレートギャツビー」「誰がために鐘は鳴る」「二都物語」「嵐が丘」「赤と黒」いろいろやっている(観たことないけど)。

ミュージカルや舞台を見て、「世界文学」を読んでみようと思う人がふえてくれたら、古本屋さんは喜ぶぜ(笑)。

原発事故から3ヶ月。

2011-06-10 | 新聞・テレビから
明日で、原発事故からもう3ヶ月になる。
あいかわらず、事故の状況は厳しく、収束の見込みはない。
というか、どういう状況かあいかわらず、国民にはわからず、知らされず、だ。
保安院、東電の記者発表を中継せよ、と当初から(このブログで)頼んでいるのに、ちっとも聞いてくれないんだもん。

ぜったい安全だと信じ込ませた「原発神話」は、その昔の「無敗の大日本帝国神話」を思い出させる。
「日本はぜったいに負けない。負けるはずがない。優秀な帝国軍人や政府の偉い人たちが指導する日本、神国日本は世界最強」とほとんどの人は信じていた。

エリート指導者の甘い現実認識、情報隠し、国民の生命よりも、組織(軍)を優先する思想。敗戦が明瞭なのにもかかわらず、認めようとせず、なお特攻隊などをつくって若者たちを死なせた指導者の無能。大日本帝国がこわれたあとも、反省もなく、責任をとろうとしない指導者たち。なんだか、この国は敗戦前とあまり変わっていないのかもしれない。

この戦争時代のことはノンフィクション作家の高木俊朗などがかつて追求していたが、もはや、高木俊朗はなく、その後継ともいえる澤地久枝がわずかにいるだけだ。あの「戦争」を知らない人たちが今は圧倒的多数。今回の原発事故で、あらためて昔の日本の「戦争」を知らなくては、と思っている。戦争時代の国民は、今のわれわれとそんなに違っていないかもしれない。

明日は、原発事故から3ヶ月ということで、日本中のあちこちで、脱原発100万人集会というのをやるようだ。これは大きなニュースになるはずだ。だが、今日の朝日は、朝刊にも夕刊にも1行もそのことを伝える文字はない。知っているはずなのに、少しは親切に知らせてくれてもいいのに。大阪では午後1時から中之島公園に集まるそうです。雨天決行。

明日の朝日、原発災害のどういう総括記事を書くつもりか。

ツバメが巣作りを始めたのか?

2011-06-09 | 日記
玄関の前、駐車場の壁に泥のようなものが。
あ、これはツバメの巣ではないだろうか。
車の上にはツバメの糞が落ちている。
こんな垂直の壁に巣ができるのだろうか?
くもじゃないのに、壁にひっつけて巣ができるのだろうか。
しばらくお手並み拝見してみよう。

また政局記事が始まった

2011-06-05 | 新聞・テレビから
大震災からしばらくは、政治面は沈黙し、政治家も政治記者もどこかにもぐって鳴りをひそめていたのに、またぞろ、政治面が復活し、政局にしか関心のない政治部記者が忙しくしはじめたぞ。

先日だったか、鳩山さんが「人間はウソをついてはいけません」と真面目な顔で話しているのをテレビで報道していたが、こんな低俗番組があるだろうか。沖縄基地のウソだけでなく、「引退する」といったのに、まだ政治の場面にしゃあしゃあと顔を出せるこの国。鳩山さんが「ペテン師」とかいった時、すかさず、「あんたは?」と聞き返す記者はいなかったのかい。

被災地の復興はおろか原発事故の収束も見込みもなく、放射能の被害がどこまで広がるかわからない状況の中での政局のドタバタ新喜劇。

おそらく国会議員たちは、国民のことよりも、自分たちの生き残りに必死なのだろう。

なぜ菅首相が辞めなければならないのか、理解できる国民がいるのだろうか?
たよりない菅さんんだけど、この危急の中では菅首相の退陣を求める世論はなかったのではないか。

本来なら、国民に代わって政府を批判するのは新聞だが、この国の新聞は政府と協力関係にあるので、政府を批判できるのは野党(自民党)だけ。もともと考えに違いのない自民と民主、そのお互いの批判は権力のとりあいだけ。

で、今度は、仲良く大連立だと?この政治の動きはまったく国会議員の中だけの動きだ。見たくもない。しかし、テレビでも、とりあげるのはこの番組ばかり。

原発の問題の反省も検討もなく、原発推進の責任がある自民・民主が大連立して何をするのだろうか。
消費税増税、社会保障改革?原発推進、日米同盟の堅持?
一番は大震災・原発でやばくなった自民、民主の国会議員たちの利権保持だろう。

このさい新しい日本を作る、ということで、いっそ憲法改正もいかがでしょう、と言い出さないとも限らないぞ、この集団は。











便所の落書き

2011-06-04 | 日記
最近、どこの公衆トイレに入ってもきれいだ。落書きなどもなく、「きれいにご使用していただき、ありがとうございます」なんて紙がはっているところもある。

昔は、こうではなかった。女の人は公衆便所なんてあまり利用しなかったのではないか。
汚くて、臭くて、落書きだらけの便所。

あの狭い汚い個室のコンクリートの壁に書かれたさまざまの落書き。きまって下品なことばや下手くそなH絵が落書きされていたが、ちょっと暗い哀愁さえ感じられていかにも昭和の便所だった。70年代までは、「帝国主義粉砕!」とかの政治的スローガンなどもよくあった。駅の公衆便所などけっこう長い間、そのまま放置されたままだったし、利用者も、特に管理者に文句をいうことはなかったように思う。バカだなあ、と思いながらも、便所の落書きを少しは許容する空気もあった。

落書きで、思い出すのは、東京の上落合にあった学徒援護会の便所だ。学徒援護会というのは、学生にアルバイトや下宿を紹介する事業機関で、わたしは、学校へいくよりもここへ通った日の方が断然多い。よく世話になり、子供ができたときは、都内に家族が住めるような安いアパートを見つけられず、この学徒援護会の職員さんが自分が経営する大宮のアパートに入れてくれた。今は、学徒援護会という事業団体はなく、建物もないのかもしれない。

さてと。その学徒援護会に、学徒援護会が管理する学生寮(ビル)があって、便所は、ここをよく利用した。学生の寮らしく、便所は寮の管理批判、社会批判、政治的言辞が多かった。
ある日、わたしは、便所の落書きの一つ(意見)にコメントを書いた(さみしい男だったのだ 笑)。しばらく日数がたってからまたその便所に入ると、相手(寮生だったのだろう)からの反応があり、その返事が文章として書かれている。また、コメントをした(こちらの意見を書いた)。ひと月後くらいにまた訪れると、今度は便所の落書きはぞうきんで消されていた。しかし、見ると、「われわれの討論は消された。当局の言論弾圧に抗議する」という落書きがあった(笑)。

考えると、このブログも、まあ、便所の落書きみたいなものかもしれない。でも、落書きを馬鹿にしてはいけないよ。民衆の声は落書きから始まる。政府はネットの監視を強化する方針のようで、きれいで安心なブログばかりになるのかも。

外国への旅

2011-06-03 | 日記
倉庫を片づけていたら、30年以上前にアジアに旅行した旅行メモの手帖が出てきた。
これで、タイのユースホステルで200バーツ(当時2000円程度?)借りた旅の人の名前と住所がわかった(住所がわからなくて、まだ返却してなかったのだ)。名前は柳田さん。住所も書いてあるが、ここは下宿なので、当然、もう変わっているだろう。お金を貸した方は決して忘れないが、借りた方はすぐ忘れるといわれるが、ずっと、気になっていた。ほんとに申し訳ない。
タイのユースホステルに泊まり、下駄で旅をしていた柳田君。もし、見ていたら、連絡ちょうだいね(無理か)。

話は変わる(オイオイ)。
わたしの若いころは、世界旅行が夢だった。横浜から船でナホトカまでいき、そこからシベリア鉄道に乗って北欧にまず出る。スウエーデンあたりで、皿洗いのバイトを3ヶ月ほどして資金を貯め、それでヨーロッパを回る。
当時は普通の若者や娘さんの世界旅行記(無銭旅行記)は小さな出版社からたくさん出ていた。刺激をうけた。最近は、留学生も掃いて捨てるほどいるし、子供から老人まで海外旅行なんて何十回もいったわ、という人も多く、そんな無名の人の旅行記はあまり見ないけどね。

昔の旅の目的は、モンサンミシェルでもルーブルでもカッパドキアでもピラミッドでもない。そんな観光名所にはなんの興味もなかった。なによりも、異国の人々とのふれあい、交わりだった。セーヌの河辺で貧しいパリ娘と語らうこと、スペインの場末の酒場でフラメンコの踊り子と酒を飲むことなどなど(笑)。名所よりも、外人への憧れがあったかもしれない。

しかし、結婚し、子供ができ、いつしか海外放浪の夢は縮小し、実現がむつかしくなった。で、計画を縮小し、期間は1ヶ月、行き先はアジア(シンガポール、タイ、香港、台湾)にした。家族を放置して自分だけ出発した。たしか家の玄関を開けて出かけるとき、うしろから物が投げつけられた記憶がある(笑)。たしかに自分勝手だよ(こんな男が孫の旦那だったら、ゆるさん)。しかし、やりたいことは、どんな抵抗があろうと、やれ!これも、教訓だ(だめか?)。

格安航空券を手にいれ、飛行機の切符だけ手にいれ、あと、宿や両替などは現地で自分でやらなければならない。たいへんだったけど、しかし、どこでも人々に親切にしてもらい、現地の人々との交流はできた。強烈な思い出だ。

だが、もう、そんな若さはない。お金を両替するのも、人に道を聞くのもめんどうだから、今度は、きっとツアーを利用することになるだろうな。