虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

朝日のグローブ?

2010-06-28 | 新聞・テレビから
今日の朝日朝刊。全部で32ページあるけど、広告が多いので、ちょっと数えてみた。全面すべて広告になっているのは、9ぺーじ。スポーツ記事は6ページ。読まないスポーツと広告が半分近く占めるわけだ。1面トップから政治、国際、経済まで国内外の報道記事は5ページ。社会面2ページを加えても7ページ。広告ページより少なく、しかもこの限られた紙面を、政局がらみの、どうでもいいつまらぬ記事が埋める。

今日、この中にちょっと白い「グローブ」という8ページの紙面が入っていた。広告だろう、と思っていたら、ちがった。朝日は、月2回、この「グローブ」を挿んでいるらしい。かなり前からだけど、気づかなかった。

大きく「覚悟の社会保障」という見出し。それが選挙前の今回の特集なのだ。リードを読んでみる「手厚い社会保障を望む人は多い。しかし、ない袖は振れない。「ただ飯」に見えるような魔法は結局、高くつきがちだ。取り返しのつかない事態になる前に、負担の「覚悟」が必要ではないか。将来の「安心」のためにも」

何をいっているのだ。「ただ飯」とはなんだ。どこの回し者だ。
新聞の購読をやめる人は多い。
販売店さんには申し訳ないのだが、わたしも、真剣に考えよう。家計の無駄は仕分けしなくてはならないのだ。

さらば日米同盟

2010-06-27 | 読書
今朝の新聞に広告が出ていた。講談社の他の本十数冊と共に。「さらば日米同盟」はタバコ一箱くらいのスペースで出ていた。ともあれ、一応、新聞広告に出てよかった。
安心した。わたしも手に入れた。各本屋さんでそれぞれ何冊くらい置いているか、目のつくところに置いているか、気になるが。

本来、こういう本は、新聞社が出すべきなのだ。次に、学者、ジャーナリストが。そして、社民党、共産党が。かつてなら、各出版社は競って出したはずだ。しかし、今は、だれも出さない。あえて、元外交官の天木直人が出した。日米同盟について国民的議論をしてほしい、ということが出した目的だ。先の普天間問題で、新聞は国民的議論が必要だ、といいながら、そういう企画をするようすはない。消費税増税ばかりだ(消費税増税になったら、まず、新聞の購読を止める、ということを新聞社はわかってるのか?)。

著者は、日米同盟からおさらばするなら、それに代わる防衛政策を考えなくてはいけないと、平和国家を目指す自主防衛政策を提示している。

論客が多く、デイベートばやりの昨今だから、責任のある言論のためそうしたのだろうが、しかし、わたしなどは、そこまでする必要はないと思う。日米軍事同盟はいやだ。戦争に自衛隊員が参加することはごめんだ。それだけでいいと思う。

戦争に反対するのに、理屈なんかいらねえや。生命を尊重する立場から、戦争はだめだ。それが、太平洋で、南洋の諸島で、300万人以上の人が無残に殺された人々の遺言ではないか、と思うのだ。理屈なんかいらねえや。心情から人は反対できる。国際関係を理解しないと、戦争に反対できない、ということはない。まあ、これは一般国民の立場で、言論人としてはそういうわけにもいくまい。

著者は憲法9条新党が必要だ、と説く。社民、共産党が連立できず、また、本気でやる気がないのなら必要だ、とわたしも思う。

本の中で、筆者はしばらくは憲法改正はないだろう、と書いていたが、そうであればよいが、わたしは心配だ。財政再建、消費税増税、年金、問題が山積する中では、憲法改正に手をつけることはない(日米同盟深化したら、その必要性もなくなる)ということだろうが、どさくさにまぎれて、何をするかわかったもんじゃないから。

多くの人に読まれてほしい本だ。この本を黙殺させてはならない。


「さらば日米同盟」のゆくえ

2010-06-21 | 読書
今日は、車を駐車場に停め、わざわざ新刊屋さんに入った。
天木直人の「さらば日米同盟」(講談社)を買うためだ。今日が発売日。
新刊本の棚を調べるが、置いていない。店員さんに聞いて調べてもらうと、入荷は明日だという。「何冊入荷しているのですか?」と聞くと、「1冊です」の答え。
池田市のブックファースト。池田市では一番大きな本屋さんだ。
たった1冊?講談社ほんとに売る気があるのだろうか。
新聞に広告の出ているつまらない新刊本は山積みしているのに。

天木直人は、イラク戦争に反対して大使をクビになった元外交官だ。
どんな人かはよくは知らないけど、ただ無数にいる官僚の中でただ一人イラク戦争に反対して行動した人だ。

孔子は、好きな人物として、当然ながら、まず「仁者」をあげた。しかし、世の中に「仁者」はまあ、いない。次の好きな人物として、孔子は「狂狷」をあげる。おだやかな人物ではないだろう。大塩平八郎のように、自分を主張し、時に周囲と問題を起こす人物かもしれない。しかし、孔子はそんな人を愛した。

天木直人氏はおだやかな人だと思うが、しかし、世の中オール日米同盟賛成の中で「さらば日米同盟」を出すこと自体、「狂狷」の資格十分だろう。

共産党でも社民党でも、ほんとに反対なら、もっと動けよ、声を出せよ、本も出せ、手を尽くせ、と思う。だらしないったらない。

学者、知識人たちは、こんな本は出さない。黙殺するかもしれない。
孔子はこういう人たちをなんといったか。「郷原」と呼んだ。
孔子が最も憎み、自分の敵、とまでいった知識人・紳士たちが「郷原」だ。
駐車場代が無駄になったので、ちょっと怒ってる(笑)

花を見て心を平静にしよう。画像は勧修寺のしょうぶ。勧修寺は京都の寺にしては駐車場が無料で、庭がいい。おすすめスポットだ。

NHKスペシャル 沖縄返還密使 若泉敬

2010-06-21 | 映画・テレビ
6月19日、ワールドカップ対オランダ戦、日米安保が発効した日、NHKでやっていたのを録画していた。

どのメデイアからもジャナーリズム精神が失われた昨今、今や、NHKのドキュメンタリースペシャルのみが、がんばっているではないか。いい番組だった。

若泉 敬は、国際政治学者で、保守派の若き論客だった。アメリカに知人の多い若泉に佐藤栄作は沖縄返還の特別密使として交渉するよう依頼する。アメリカは緊急時の核もちこみに同意しないと、沖縄返還はできない、と強調。沖縄本土返還が悲願だった日本としては、緊急時の核持ち込みは密約として同意する。密約文書にはニクソン、キッシンジャー、佐藤栄作、そして若泉 敬の4人の署名があり、この4人しか知らない密約だった。

佐藤栄作はその後、非核を貫いたとしてノーベル賞を与えられる。若泉は、佐藤栄作の死後、佐藤の日記の閲覧を遺族に申し出て、沖縄返還当時の日記を読む。しかし、そこには密約についても、沖縄返還の交渉についてもほとんど何も記されていないことを知り愕然とする。

また、沖縄返還交渉のアメリカの担当者が、その後、あの沖縄返還は、沖縄の基地をアメリカが自由に使用し、沖縄をアメリカの戦争のために使用するための交渉で、核は単なる外交カードで沖縄返還はアメリカ外交の勝利だった、とうちあけるのを聞き、驚く。

沖縄返還後、米軍基地は固定化され、強化され、沖縄の人々の苦しみは続く。若泉は自責の念にかられる。そして、沖縄返還の密約を公表し、交渉の経緯を伝えようと、本を出版する。本を出版することで、世間は、密約という驚くべき事実を知り、あらためて沖縄問題に目を向け、外交や安全保障について根本からの議論がまきおこることを期待した。

だが、政治家、官僚、学者たちはすべて黙殺、国会で野党が追及することもなく、沖縄県議会においてすら問題にもされない。

若泉は、晩年(といってもまだ若いが)は沖縄にたびたびでかけ、慰霊碑の前にいつまでも座って祈り続ける日々が多かったようだ。

沖縄の慰霊碑の前で切腹する気持ちもあったようだが、66才の時、青酸カリを飲んで自殺。

若泉は、沖縄問題を無視する日本を「愚民の楽園」といっていたそうだ。

「愚民の楽園」。胸に刺さる言葉だ。

テレビで見た記憶で書いているので、正確なことはわからない。関心のある方は再放送があったら、自分で見て確かめてほしい。


法人税減税?ようわからん

2010-06-19 | 新聞・テレビから
消費税増税をするが、同時に法人税減税をするという。
わたしは、パソコンがさっぱりわからないのと同じく、経済もさっぱりわからない。興味もなかった。

財政再建のため、社会保障費のため、消費税をあげるといわれると、そうか、しかたないか、とも思う。

でも、この税収の下がっている時に、なお、法人税を減税するとはどういうことだ?

テレビでも当然のごとくいわれる。先進主要国の中では一番高い、と。その主要国の法人税率を全部、見せてほしい。それに、主要国で、最低とか最悪とかいうことはなにも法人税だけではないだろう。食料自給率から、教育費の個人支出割合(国の支出割合)、労働時間、自殺率等、主要先進国と比べて負けているということはほかにもたくさんあるにちがいない。

それに法人税率の数字だけ比べてもわからない。主要国の法人が公共のため、社会に還元しているありようもそれぞれちがうだろう。
だいたい、税収が不足し、消費税をあげようとしているのに、法人税の税収を減らしてもいいのか?法人税は、しばらく待ってからでもいいのではないの?法人税を下げると、企業が元気になり、雇用もふえる?風が吹けば桶屋がもうかる、みたい。

あの朝日でさえ、今日、書いていた。「日本から企業が海外に移転するのを防ぐなどの効果は見込めるが、経済政策の「決定打」となるわけではない」と。効果ははっっきりとはわからないわけだ。ただ、大企業が喜ぶであろうことはまちがいない。

共産党は、消費税は法人税減税の穴埋めにあてられる、などと言っている。これはほんとうなのかい?

大学の経済学の先生というのは一体、なにやってるんだ?
猿でもわかるように、国の財政について庶民に語る学者はいないのだろうか。

消費税に反対するのは、今では社民党と共産党(国民新党もそうか?)だけ。
舛添氏は、菅首相を「社会主義がかっている。左寄りだ」などと批判している。
まったくちがう菅総理でさえそうなのだ。ましてや、消費税に反対するものは(憲法改正に反対するものも)、即、社会主義者、サヨクとレッテルをはる時代になっているようだ。

普天間・日米同盟・憲法

2010-06-16 | 新聞・テレビから
明日から、また選挙までの新聞記事を注目してみることにしよう。関心のある記事は、普天間、日米同盟、憲法だ。選挙までの期間に、これについてどれだけ記事にするかどうか。

菅政権になって、新聞、メデイアはなんとなく、好意的になっているような気がする。
かつて鳩山・小沢についてはもうえげつないほどの記事を書いていたが、今度は一転してあたたかい歓迎ムードを感じる。

日米同盟を維持、消費税増税、とメデイアが要求する通りの方向をめざしているからだろうか。アメリカも財界も官僚もOKだろう。

鳩山政権は普天間問題で、退場した。政府の方針と住民の気持ちは対立したままで、なんら解決してはいない。住民の声を無視したまま、このまま政府の方針が通るはずがない。選挙の争点でもあるはずだ。

新聞はどれだけ報道するか、あるいは報道しないか。
やっぱり政府・財界の新聞なのか、まだ国民の新聞といえるのか、はっきりするだろう。

無題

2010-06-14 | 日記
古本うしおに堂の本は1960年代から1970年代に出版された本が多い。

そのころの本が一番よいと思っているのだが、それはわたしの少青年時代であり、単に年寄りの懐古趣味だからだろうか。
そうではないと思っている。あのころの日本人は元気だったのだろう。
今の若者、この2000年代に出版された本を二十年後、三十年後も愛するだろうか。

映画でも、名作は1960年代から1970年代のものではないか。
音楽もそうだ。名曲名歌はだれもがあの時代のものをきっと挙げると思う。ジャズの名盤が出たのも、あの時代だ。
文化のエネルギーが盛んだった。

今はコンピューター機器のみ、技術のみ便利さは飛躍的にましたが、音楽も、本も、映画も実に寒い。人間も寒い。

国会中継で、菅首相の国会答弁を見たが、早口でスラスラと答弁はするが、役人が作った原稿を見ながらの棒読み。なんとかならないかい。

年金問題、後期高齢者問題、普天間問題、どんな問題があろうと、テレビの番組が変わるのと同様、すぐにすっかり忘れる。寛容というべきか、まったくなすすべがないのか。

自分を含め、まったく元気をなくしてしまっている。これはいかんぞな。


雨降りの日、時代遅れはブツブツ言う

2010-06-13 | 日記
雨降りだからブツブツ言おう。

テレビを見ると、「超党派で税制(消費税)の論議をしましょう」と管首相が話しているそうだ。「超党派」といっても、党派にそんなにちがいはない。
そのうち、超党派で憲法改正の論議をしましょう、と与党が必ず言ってくる。

普天間基地の問題、、新しく首相が変わってから新聞紙面から姿を消した感じ。あいもかわらず、小沢の政治とカネを話題にしているけど、ほんとに「怒」になりそうだ。小沢の政治とカネなんかよりも、米軍と日本の「政治とカネ」の問題をそのくらいのしつこさで追求しろ!、米軍の移転費用については、なーんにも書けないくせに。

最近、ソルジェニーツィンにやっと関心を持ち始めた。うしおに堂にも揃えた。

ソルジェニーツィンは1970年代には書店によくあり、話題になってよく売れたのではないか。新潮文庫の「収容所群島」を見ると、昭和50年の2月20日に発行で、その3ヶ月後の5月には6刷となっている。ベストセラーといってもいい。就職した会社の専務さんも手に持っていたくらいだから、これを読まねば時代に遅れると思ったのだろうか。

わたしは自慢じゃないが、流行には従えない男。若者にジーパン、長髪が流行った時代、わたしは、角刈り、ふつうの長ズボン、下駄ばき姿で歩き、しばしば「自衛隊に入りませんか」と勧誘されたものだ。

村上春樹の本も読まない。雑誌「群像」で「風の歌を聴け」を読んだとき、村上春樹は若手で一番いい、と思ったけど、こんだけ流行すると、読む気がしなくなる。あまのじゃくというか、あとからにしようと思う。

カラオケでも歌うのは、ひたすら時代遅れの70年代の歌ばかり。

だから(説明が長すぎる)、ソルジェニーツィンも読んでいない。ずっと縁がなかった。
最近、たまたま古本屋でソルジェニーツィンの本を手にした。いつのまにか書店からはソルジェニーツィンの本は消え失せ、全部、絶版だと気がついた(一部の本は高額で復刻されているようだけど)。

消えてなくなりそうになると、がぜん、関心がわく。
それにしても、あの時代のソルジェニツィン人気はなんだったのだ。今の絶版はどうしたわけだ。単にソビエトが崩壊したから、もう役目は終わったというものではないだろう。国家があるかぎり、ソルジェニツィンの問題は存在する。なのに、本屋から姿を消す。みんなの関心がなくなる。

若い人は手にすることさえもできない。その存在さえも気づかない。新聞紙面から沖縄が消え、消費税や小沢の記事が占めるのと同じか?

古本屋は流行に左右されない。存在意義はある。(突然の、へんなオチ、多謝)。
今度、カラオケで「時代遅れの男」(だったか?)練習しようかな。
この稿、まとまらず。



松木神社 再び

2010-06-08 | 一揆
藤樹書院を訪ねたとき、ついでに、熊川宿の松木神社を訪ねた。高島市から若狭の熊川宿まで車で30分程度だ。

5年前にも訪ねたので、2回目だ。今回、行ってみると、神社の鳥居をくぐったところに、松木庄左衛門が年貢の嘆願をしている像が建っていた。これは上中町住民センターに建っていたものを、ここに移し替えたのだろう。5年前にはなかった。ここに建てていたほうが、熊川宿を歩く人には、この神社が一揆にゆかりのある神社だとわかっていい。

宿場館というところで、5年前、「若狭の義民」という本を手に入れたので、補充用としてもう1冊ほしいと思って、探してもらったが、これがない。隠しているわけではなく、見本用しかないのだ。義民の本をほしい、という人はめったにいないのか、「松木さんですか?」と聞かれた。子孫だと思われたのかも(笑)。

あれは希少本なのだ。家に帰ってから、値上げしてしまった。まず買う人はいないだろう、という値をつけてしまった。申し訳なし!

松木庄左衛門の必死の像。日米軍事同盟を是とする政府に対し、なお沖縄基地撤廃を訴える人々の志とも共通するものがなかろうか。

藤樹書院 近江聖人の里

2010-06-06 | 日記
中江藤樹の里を訪ねた。琵琶湖の西。高島市。若狭に近い。のどかな風景。

車は中江藤樹記念館の駐車場(無料)に置くといい。記念館の隣は藤樹神社。儒学者の中江藤樹がなんで神様になるんだ、と思ったが、大正時代にできたらしい。また記念館の横には「陽明園」という中国風の庭園もあり、王陽明の石像が建っている。だれもいません。

記念館には藤樹の書などが展示してあり、原田龍二が藤樹役になった映画も放送しているようだ(見なかった)。藤樹の文字はとても明確でわかりやすいと思った。書というと、くずした、とても読めない文字もよく見るけど、藤樹の文字は好感を持った(字のへたな自分がいうのもおこがましい)。

記念館を出て5分ほど歩くと、藤樹の墓所(玉林寺)、藤樹書院がある。周りは清流が流れている。
藤樹書院の中に入る。無料。ご自由に見学してください、とある。藤樹の神主(しんしゅとよむ、仏教の位牌みたいなもの)がおいてあり、藤樹の来た着物なども展示してある。畳敷きで、これは昼寝するにはもってこいの場所だと思った。ここで、藤樹や弟子たちは学問したのだが、この建物は明治13年に再建したものらしい(旧書院は火事で焼けた)。

藤樹書院の隣が「良知館」といって、無料の休憩所、案内所、藤樹関係の本なども売っている。求めれば、藤樹書院の説明もしてくれる。でも、あまり訪れる人はいないようで、暇そうだ。村の人たちのボランティアだろうか?何度もいうが無料というのが気に入った。

かつて天保時代にも、大塩平八郎がここに何度も訪れた。そのころも、ここを訪れる人はあまりなく、荒れ果て、ただ一人志村周二という人が番をしていた。志村周二は大塩の乱の関係者としてたしか処刑されたのではなかったか?

漢文は読めず、現代語訳で読むだけだが、儒学(孔孟学)はきらいではない。いかに生きるべきか、人間としてどうふるまうべきか、という学問。特に、陽明学は、心の持ち方を主題にしている。だいたい、現代で、学問と名のつくもので、いかに生きるべきかや心の持ち方を研究する学問なんか存在しない。小学校から大学までどの学問も(学問というべきかどうかわからないけど)、役に立つかどうか、テストで採点できるようなものばかり。その点、儒学は、外国の聖書のように人間の指針となる。トルストイの教えなどとも共通性を感じる。ことに心が弱く、悪いわたしのような男には救いになる。

でも、かといって、学校教育に儒学や道徳の授業を復活してほしいとは思わない。大迷惑、大反対だ。心の学問は、外から教えられるものではない。

中江藤樹は41才で亡くなっている。亡くなるのが早すぎる。しかし、死後300年以上もその土地の人から敬慕されているなんてすごい。




池田に映画館がなくなった

2010-06-03 | 映画・テレビ
5月いっぱいで池田の中央シネマがなくなった。
池田駅前の映画館はすでになくなっているので、これで池田市に映画館はなくなってしまった。どこの市もそうかもしれない。住んでる町から映画館がなくなる。

池田の映画館はよく利用した。ここで「七人の侍」も見たし、正月は「男はつらいよ」も見ていた。最近は入っても、いつも5,6人で、しかもシニアの1000円料金の利用者ばかりでは、人件費も出せないのだろう。

町から、本屋がなくなり、映画館がなくなり、夫婦でやっている小さな個性的な食堂がなくなり、暮らし、文化はますますさびしいものになっている。一部大企業のIT商品ばかりを買わされる。これが資本主義のゆきつくありさまなのだ。この200年ほどの日本で、今が文化が最低の時代かもしれない。

池田の映画館が消えたことはとても残念だ。

なぜ記者会見をそのまま放送しない

2010-06-02 | 映画・テレビ
夕方、ニュース番組で鳩山首相の記者会見の中継が入りました、ということで、最初、3分くらいは放送していたが、いつのまにか画面は小さくなり、鳩山さんの声は流されず、代わりに、ゲストやコメンテーターの話になった。

他の局を回すがやっていない。NHKも流していない。沖縄集会のときもそうだったが、いつも、こうだ。

国民にそのまま中継して、国民にその話を聞かせ、判断させようとはしない。ほんとうのところはわからないまま、テレビ局で編集されたものや、ゲストの話ばかり。テレビのいいところは生の現場中継ができるところだろう。記者会見を放送しなくて、どうする!
あるいは記者会見は新聞で詳しく、という約束でもあるのか?

テレビの娯楽番組の劣化はいわれているが、報道番組の劣化もひどい。

来年は勝手に地デジに移行だとかわけのわからんことを決めて、テレビの買い換えを迫っているが、テレビの不買運動でも始めようかしらん。こういうことを言う自由はまだあるよな。


テレビ、新聞での政治とは、政治ではなく、政局だけ。次はだれが代表で、民主党内の派閥は、選挙は、とか、政治家しか関心のないどうでもいいことばかり報道し、国民を政治から眼をそらす。政局の事情通だけの政治解説者がテレビは多すぎる!密約問題の解明はどうなったのだ?

鳩山首相は社民党を連立離脱させた責任をとってやめる、といっているが、一政党に責任をとるよりも、国民に責任をとってやめるべきだろう。「政治トカネ」で責任をとるというなら、もっと早くからやめてくれい。

普天間問題は今までの自民党案と変わらず、日米同盟の深化を約束したことは、かれの胸の中ではひそかに自分をほめているかもしれない。国民には評判わるかったけど、アメリカと財界政界には「おれはやりましたよ」とつぶやいているのではないか。

今度の辞任は選挙めあてはあきらかだ。われらの首相は、アメリカと自分の政党と選挙のことしか考えていない。暗然とするではないか。

自民も民主も期待されない中、いよいよ政界再編成のチャンス、保守連立合同政権、そして、憲法改正。メディアも政党も財界も望んでいた方向にいく。そして、与党のいうことは国民が黙って耳を傾けてくれるような国に仕切り直すのかもしれない。