虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

小田実さんの健康を祈る

2007-04-29 | 日記
小田実のホームページには、毎月1回月初めに小田実の連載記事がのることになっているが、今月はまだのらない。変だなあ、と小田実が中心になっている「市民の意見、関西」のHPを見ると、4月の例会は延期、語り手(小田実)の体調が不良、と出ていた。大丈夫だろうか、心配だ。よくなってほしい!!
小田実は坂本龍馬と同じくらい好きな人なんだから。

画像は花山院。

多田銀銅山 「悠久の館」

2007-04-29 | 日記
昨日、久しぶりに多田銀山に行った。
何回、行っても、ここは独特な雰囲気がある。近くには、大きなジャスコがあるのに、ちょっと山道をすすむと、消費社会と隔絶した風景。車では奥まで通り抜けられないためか、銀山史跡に関心のある人以外は訪れないからかもしれない。
だれもいない金山神社や甘露寺、代官所跡、坑道、せせらぎ。かつての盛時には3000世帯、1万5000人の人口で、ここに遊郭から芝居小屋、相撲小屋まであったそうだが、今は、だれもいない。幽霊話など奇怪な伝承もある。何万という鉱夫たちがここで亡くなったのだから、当然かも。静かだけど、女性は一人では歩けないだろうと思う。夜だったら、わたしでも歩けない。

4月からここに「悠久の館」という小さな展示施設がオープンした(町立)。入場無料。絵地図や出土品、代官屋敷の模型などがあり、パソコンで銀山について調べられるようにもなっている。銀山の入り口にあるが、探索する人にとっては安心な施設になるかもしれない。

ここには、平賀源内も調べにきたらしい。
大坂城の財宝をここに隠したという埋蔵伝説もかなり信憑性が高いらしく、ミステリアスな場所だ。

花山院(三田)

2007-04-28 | 日記
ウグイスの鳴き声を求めて(ウソ)花山院へ行ってきた。三田市だ。山寺だが、車で登れる。駐車場もあり、拝観料も無料。山の上にあるので、眺めがきれい。近くには有馬富士、遠くには小豆島(見えなかったけど)。うぐいすは鳴いている。

平安時代はさっぱりわからないし、知らない。源氏物語も読んでない。天皇の名前や関係がややこしくてきらい。

なんでも今から1000年前、花山天皇という人がここにいて、ここで亡くなったそうだ。寺の境内に墓もある。花山天皇は、どうもだまされて19歳で出家し、諸国を放浪、ここで晩年を過ごしたそうだ。紫式部の前の時代、藤原氏の権力闘争の時代だったそうだ。花山法皇は、西国巡礼33箇所の中興の祖ともいわれるそうだ。だから、ここは西国巡礼33寺の番外寺として、巡礼者はここも訪れるとか。

この花山天皇と女性の悲恋話は、源氏物語の最初の話(桐壺?)のモデルとかいう話もあるらしい。
花山さんが、ここに来たとき、12人の女官も慕ってついてきた、というから、もてたのか?花山院に登る途中の道に「琴弾坂」という碑も立っていた。ここで琴をひいて、花山天皇をなぐさめたとか。うーん、この時代のことはどうもピンとこないや。

この花山院を下ったところには、12人の尼(女官)の墓もありました。
ゴールデンウイークでもこういうところはすいているんだな。だれもいない。


昔の教祖 吉本氏

2007-04-28 | 新聞・テレビから
能勢町長谷の画像をのせたかった。画像だけではなんなので、今日の新聞からひとこと。吉本隆明氏のインタビュー記事が出ていた。「社会をどう受け止めるか」。

聞き手は、編集委員。
吉本隆明氏は、かつては、一部の学生の教祖だった。なにを言っているのか単細胞なわたしには理解できない文章を書くが、好きな友人にとっては、吉本がこういっていた、吉本の思想はこうだ、と吉本を自分の支えにしているような人もいた。

インタビューをめちゃくちゃ、かんたんにまとめる。
ー格差社会をどう見る?
「中の下の人たちがあわてはじめている」
ー中流層崩壊の意味は?
「資本主義がおかしくなるときは、そこから(中流層)崩れる。
ーその影響は?
「社会が不安定になる」
ー中流層を維持するには?
「公教育の役割が重要だし、科学技術の研究開発は、産業や雇用の基盤を強める。さらに独自の伝統や文化、習慣をもっと世界に広げることだ」
ー市場経済が発達して、家族も地域もバラバラになった、どう変えたらいいですか?
「親が考えを変える。子どもは、親を見て学ぶ」
ー日本社会はこれからどういう方向にすすむ?
「強制力のある政治になれば別だろうけど、そうでないならば、他人のことを考えられる成熟した資本主義になればましだろう」
見出しは「身近な平等から始めよう」で、吉本氏がこういっているところがある。
「中流の「中」が富まないと、自分が富んだことにならない、ということをし続ければいい。私も友達のなかで文学とか雑誌を出したいというのがいた時には、出せるだけのお金は出して手助けしてきた」

なんじゃ、これは!!!
安部首相も喜んで、なにかの勲章でもあげたくなるかもしれないぞ。
かつて、吉本の本をバイブルのように持っていた友人は今どうしてるだろう。
吉本と同じく、中流である自分と社会に満足してるのかもしれぬ。

大野山アルプスランド

2007-04-24 | 日記
猪名川にこんなところがあった。大野山アルプスランド。阪神地区では最も高い山らしい。753m。猪名川の源流がある。頂上には、天文台もある。たしかに、全天360度、空が見える。UFOの観察には最適の場所だ。6月の中ごろからは、ここは、あじさいが咲き乱れ、けっこう有名だそうだ。知らなかった。晴れた日は、瀬戸内海も遠望できるそうだが、今は、かすみたなびく春なので、見えない。しかし、ウグイスがなき、風もここちよく、気分爽快になる場所だ。春ですね。

備後天明一揆

2007-04-22 | 一揆
手のひらサイズの小さな一揆の本がある。
芦田川文庫「備後天明一揆」(徳田太郎著、約150ページ)だ。ネットの古本屋で手に入れた。

芦田川とは、備後福山地方を流れる川。
備後一揆とは、天明6年12月から翌年の3月まで福山藩(安部正倫藩主)で闘われた大一揆。この一揆についての記録は、日本庶民生活史料集に「安部野童子問」があり、この文庫は、主に、この記録を中心に平易に一揆をまとめてある。
「安部野童子問」という書物は、浪速城南隠士という人が、備後鞆の銘酒「保命酒」を独酌し、うつらうつらしているとき、忽然と童が現れ、われは安部の童子なり、この書をさずける、といって消えた、というスタイルではじまる。一揆の記録には、よくあるスタイルだ(公然とは物語できない)。内容もおもしろそうなのだけど、まだ読めていないので、この小さな文庫は参考になりそうだ。

一揆にはほとんど侍はいない、テレビドラマの「3匹の侍」はありえない、と以前、書いたけど、この一揆には、武士も首脳部に参加していると書いてある。そういえば、南部一揆にも武士の影があるし、藩内の対立の激しい家では、藩から追放された者もいたかもしれない。「山中一揆」の首謀者の一人である「日名田の半六」という百姓も、もとは備後福山浪人で、竹内流柔術家の高橋半六だという説もあるそうだ。また、この「安部野童子」という一揆の記録を書いた人は、古くから菅茶山(一揆の年、藩から教授にむかえられるが断っている)であるとか、福山藩士であった田辺玄庵(一揆に関わったといわれる)ではないか、という説もあるようだ。

著者は1911年生まれ。まだご存命としたら、95歳。この文庫が出たのは昭和63年。著者の写真も載っていたが、もう白髪白髭の老人だった。

デモクラシーナウ

2007-04-08 | 日記
「レイバーネット」の記事で、「デモクラシーナウ」の日本語サイトができたことを知った。デモクラシーナウとは、ニューヨークのダウンタウンから発信されている報道番組で、企業スポンサーを一切受け付けてなく、商業メディアが取り上げないニュースや意見も紹介し、知る人ぞ知る番組だそうだ。ホストはエイミー・グッドマンとファン・ゴンサレスという著名なジャーナリスト。一貫して反戦姿勢をとっている。

さっそく、見てみた。主要ニュースの一部が日本語訳にしてあるが、全部を読むには、やはり英語力が必要で、ちょっと無理。記事には、ハワード・ジン(古くから反戦活動している人だ)の写真があった。ジンがなにか書いてあるのだろうけど、読めません。

しかし、こうしたメディア、日本にもできないだろうか。日本には、オーマイニュースという、市民記者が記事を書くインターネット新聞もあるけど、あれは、娯楽ニュースなどもあって、姿勢が鮮明でなく、よくわからない。

アワープラネットというのも今日、初めて見た。「国民投票法案」についての映像が15分ほどあった。

インターネットを使った番組もいろいろあるのだなあ。知らなかった。

10年ぶりで携帯電話を新しく変えた。今までは、折りたためないJフォンというやつだったけど、今度は、写真はとれるし、ヤフーにも接続できるすごいヤツ。ちょっとうれしいが、使えるかどうかわからない。

松本清張の歴史小説

2007-04-06 | 読書
司馬遼太郎のファンだったので、松本清張の作品はあまり読んでいなかった。
最近、清張の初期の短編小説をいくつか読んだ。昭和30年時代、司馬遼太郎がまだデビューしてなかったころだ。推理小説(現代小悦)だと、その舞台背景になっている昭和30年代の世界はどうしても古く感じてしまうが、歴史小説なら、舞台は古びない。

清張ははじめは歴史小説家として出発した。
作家として独立し、東京に居をかまえたとき、歴史小説の先達、海音寺潮五郎の家にもあいさつにいった。このとき、海音寺の娘さんは清張の顔を見て腹をよじって笑ったらしい。すると、海音寺は、あの人は才能のある、立派な人だ、と娘を叱った、という話をどこかで(たしか海音寺潮五郎全集の月報かなんかだったか)読んだことがある。

清張の初期の歴史小説は、戦国に材をとったものが多く、どれも短編だが、やはりおもしろい。推理小説の世界に入ってからは、歴史小説は少なくなり、江戸時代の「かげろう絵図」や「天保図録」「逃亡」「西海道奇談」など、時代小説、伝奇小説を書く。戦国や幕末は司馬遼太郎にゆずり、清張は司馬の書かない太平時代の江戸を書いた感じだ。いや、清張は英雄豪傑は好きではないので、ふつうの人間が出てくる江戸がよかったのかもしれない。

戦国ものの歴史小説の長編としては、「火の縄」があるくらいで、本格的な歴史長編小説は残さなかった。推理小説もよし、「昭和史発掘」などのノンフィクションもよし、古代史もの(まったく未読)もよし、でも、やっぱり、清張の本格的な大型の歴史小説も残してほしかった。

司馬遼太郎は、NHKをはじめ、朝日、サンケイなどマスコミが大きく持ち上げているが、松本清張は、あれほどの業績を残したにもかかわらず、マスコミがその後も後押しする、後押しして国民世論の形成に寄与させようとするところはあまり見られない。

テレビでは清張の推理小説はくりかえしドラマ化されるけども、「昭和史発掘」も「天保図録」も「西海道奇談」も映像化されていないと思う。
清張の「昭和史発掘」など実におもしろいノンフィクションドラマになると思うのだけど、どこか企画する局はないものか。無理だな、と思う。
清張の史観、社会や時代の見方は、今の時代風潮とはきっと相反するからだ。



天声人語の新しい筆者

2007-04-02 | 新聞・テレビから
4月1日から朝日は紙面が新しく変わるそうだ。天声人語の筆者も代わり、4月からは、福島申二氏と冨永格氏になるとか。
冨永格、覚えている。パリ支局長のとき、フランスのデモを「デモさん、ストさん」と市民の街頭運動を揶揄し、水をかけた人物だ。欧州滞在10年とかの新聞社でもバリバリのエリートなのだろう。

4月1日の天声人語。100年前の今日、夏目漱石が入社する、という記事が出た、と漱石について半分くらい書き、そのあとを受けて、100年後の今日、天声人語の筆者も代わった、と書く。新しい筆者の登場を紹介するのに、100年前の夏目漱石の登場を引用するとは、おそれいった。「漱石先生のような明星とはいかない、もとより小さき人である」と書いてはいるが、だったら、漱石を出すのはおかしい。後半は、「そういえば、漱石の盟友の正岡子規は大の野球好きだった」と突然、強引に話を変え、子規の歌の筆者の薀蓄を披露する。最後は、「伝統の上に新しい言葉を刻んでいければと思う」と結ぶ。

筆者は福島申二氏か冨永格氏かどちらなのかは知らない。
しかし、この臆面のなさ、庶民にはとうてい持てない感覚は、冨永格氏だと思うがどんなものだろう。かれなら、こんな文章は書ける。(冨永格は、あのデモについての記事しか知らないのだが)。