虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

小林多喜二と田口タキ

2007-08-30 | 読書
小林多喜二の小説は読んだことがない。プロレタリア作家として教科書にものっているが、特高に虐殺された写真などもあり、ちょっと近づきたくなかったのだろう。プロレタリア文学というのも、なんか政治目的のために書かれた小説のようで、戦前の共産党のあまりいい感じではないイメージ(この偏見はどこで生まれたのだろう)も重なっていた。ある党派の文学者と見ていたのだろう。

しかし、百姓一揆に関心を持つのに、現代社会の政治について戦った物語であるプロレタリア文学にまったく関心がない、というのもおかしな話だ。なにか先入観、偏見みたいなものがあったのだろう。

でも、今日、小林多喜二に関心をもった。きっかけは、松本清張の「昭和史発掘」の中の「小林多喜二の死」を読んだからだ。

小林多喜二の恋愛がいい。
田口タキという最貧窮の境遇から娼婦のような身になった女性を救い出す多喜二。
多喜二は結婚を願うが、田口タキは多喜二に迷惑をかけることを恐れ、自活の道を選ぶ。清張の簡単なスケッチしか読んでないので詳しいことはわからないが、これは、まるで山本周五郎か藤沢周平の小説にでも出てくるような愛の物語ではないか。多喜二は、タキに石川啄木の歌集を渡して文化の世界への道案内もしたそうだ。多喜二の情熱もすばらしいが、田口タキもなかなかの女性だと思った。29歳で多喜二がなくなったとき、葬儀場には田口タキの姿もあったそうだが、その後、田口タキはどうなったのだろう。わからない。

小林多喜二全集は、ブックオフで長いこと1冊100円で置いていたのを知っている。たぶん、もうないだろう。チェ、買っておけばよかった、と思った。

聖断

2007-08-27 | 読書
ブックオフで半藤一利の「聖断」を手に入れた。昭和天皇と鈴木貫太郎という副題。総理大臣鈴木貫太郎が天皇に聖断をあおぎ、二人三脚で終戦に導いたというノンフィクションだ。昭和60年代に出版されているから、これはわたしの父親も読んでいたと思う。

わたしは、小田実に触発されて読んでみたいと思った。「わたしの身はどうなろうと、国民のために受諾する」と天皇がいった、というところを確かめたかった。
たしかにある。「国民が玉砕して君国に殉ぜんとする心持もよくわかるが、しかし、わたくし自身はいかになろうとも、わたくしは国民の生命を助けたいと思う・・」と。

ポツダム宣言の受諾が遅れたのは、ただただ国体護持のためだった。いや、沖縄決戦に負けた後の戦争目的は、ただ国体護持だけだったのではないか。わたしは、戦後教育を受けた身だから、国民の命よりも国体(天皇制)護持だけを願う当時の支配者たちの気持ちが理解できない。

小田実がくりかえし体験を語る8月14日の大阪大空襲のことはこの本ではむろん一切ない。14日の時点で、すでに天皇は国体の維持できることを知っていたことも、ニューヨークタイムズの記事もでてこない。

ただ鈴木貫太郎は「老子」が大好きで、総理大臣室の机にはいつも1冊の老子の本のみが置かれていた、というのが興味深かった。鈴木貫太郎は、このとき79歳だったというから驚く。

戦記ものを書く人はどちらかというと保守家が多いから、この人が憲法改悪に懸念の発言をしていたときには、おやおやと思った。
この人は、戦後憲法の平和な天皇の支持者なのかもしれない。本の中でも、天皇は一貫して戦争に反対で平和への願いをもっていたと、昭和天皇をたたえることを忘れない。

この人は、小田実より2歳上だが、まあ同世代といえるかもしれない。
しかし、同世代でも、一方は天皇制を否定し、一方は天皇制を支持する。ちがうものだ。小田実が、出版などマスコミからちょっと忌避されていたのも、ここにあると思っている。

父親と戦記もの

2007-08-27 | 読書
父親は、どちらかといえば、反文学的なタイプであまり本を読まない方だったが(働く親父はみんなそうかもしれない)、ただ、松本清張と太平洋戦争の戦記ものだけはせっせと買って読んでいた。10年前に亡くなったが、たしか、亡くなる一月前も新聞広告で陸軍参謀長長勇の伝記があることを知り、わたしに買ってきてほしいとたのんだ。これが最後に読んだ本だった。

昭和2年生まれ。城山三郎と同じく呉で海軍の練習生だったそうだ(なにせ、過去のことを穿鑿したことがないので、詳しいことはわからぬ。大学も中退した、ということも亡くなってから10年ほどたってから知ったくらいだから、まったく親に無関心な子どもだ)。

幼いころから家に伊藤正徳の海軍シリーズなどがあり、わたしも軍艦の写真などを見ていた。東条をはじめ、当時の将軍たちの伝記から兵士の体験記など、太平洋戦争ものといえば玉石混合でなんでも集めていた。海軍好きである。酒に酔うと、ヨウソロー、とか軍隊式敬礼の真似をしていた。歌はもちろん、軍歌だ。実はおもちゃの軍刀も持っていた(笑)。「たった3カ月くらいしか訓練受けてなく、戦争も経験してないくせに」とわたしたちは笑っていた。

小さいとき、絵を描いてとたのむと、軍艦の絵を描いてくれたこともかすかに覚えている。

東宝の戦争映画にはよく連れて行ってもらった。国のために青年が勇敢に戦う場面では、必ず涙を流していた。考えると、今のわたしよりもずっと若い年齢だったのだ。

といって、右翼でも軍国主義者でもなかった。そういうイデオロギーはない。この年代の人は、こういう人も多かったのではなかったのか。なんといっても、青春時代が戦争だ。たとえ、練習生であったとしても強烈な体験だったのだろう。しかも、ノモンハン、ミッドウエイ、ガダルカナルなど戦いの実相は、戦後になってはじめて明らかになった。戦後の大人たちが、戦記ものを欲したのも当然だろう。戦記ものは一定の需要があったと思う。きっと、こんなことがあったのか、という驚きで読んでいたこともあったにちがいない。あの時代の真実を知りたかったにちがいない。

あれから、空襲体験をもった人すら少なくなった昨今、戦争はどう語られるのか。
父親が戦記ものを読んでいた時代は、まだ当時の将軍たちも生きていて、戦争体験者もたくさんいた。昭和2年生まれは今年は80歳になる。今後は戦争を知らないものが太平洋戦争の記録を書くことになる。はたして書けるのだろうか。また、どんな戦記ものが作られるのか。

画像はエーデルワイス

遠い島 ガダルカナル

2007-08-24 | 読書
半藤一利の「遠い島 ガダルカナル」を読んだ。
前から、ガダルカナル戦には関心があった。五味川純平や亀井宏の本にも挑戦してみたが、やはり戦記ものというのは読みにくく、読み通せていない。だいたい、師団とかの軍隊用語もわからず、駆逐艦とか巡洋艦というもののイメージもわかないのだから。でも、この戦いは、どういう経過でおこなわれたか知っておきたいと思っていた。

一応、読み通した。だが、この本は、ガ島で戦った兵士の話はほとんどない。書くにしのびないということなのかもしれないが、中心は、ガ島をめぐる海軍の戦いである。海戦だ。

指揮官、参謀たちの愚かさを指摘してはいるが、その追求は厳しくはない。一方で、天皇の戦略眼の高さを終始、高く評価している。
もう一度、五味川純平の「ガダルカナル」を読まなくては、と思っている。

小田実が、8月15日の聖断についてこういうことを毎日新聞に書いた。8月14日、御前会議で、天皇は「わたしの身はどうなってもいい」と降伏を決めた、とされているが、これはインチキ。天皇はそのとき、自分の身の安全なことを知っていた、と。小田実は、8月11日から14日までのニューヨークタイムスの記事を調べたそうだ。すると、12日には、天皇制は残す、という記事が出ていた。当然、天皇も知っていたはずと。

毎日新聞にこの記事が出ると、この半藤一利から感謝の手紙が来たそうだ。「よくぞ、書いてくれました」と。半藤は、「聖断」という自分の本で、この間の歴史を書いているのだけど、自分では書いてなかったのだ。もちろん、知っていたのだろうけど。

ロマン・ロランの反戦小説

2007-08-23 | 読書
「魅せられたる魂」が反戦文学だけど、あんな長いものイヤという人には、短い時間で読める「ピエールとリュース」という小品がある。地下鉄の混み合う車内で知り合った少年少女のたった2ヶ月の恋物語。空爆下のパリが舞台だ。

吉永小百合も、昔、「この「ピエールとリュース」なんかもすきなんです」と言っていたのを覚えている。ロマン・ロランファンにとっては、愛すべき可憐な作品だ。

もうひとつは、「クレランボー」。はじめは戦争に賛成していたが、息子の戦死をきっかけに戦争に疑問を持ち、一人、戦争反対の声をあげ、暗殺されてしまう、という一市民の物語。

「クレランボー」は全集の中にしかないけど、「ピエールとリュース」は文庫になったこともあるし、これ1冊でも出版されているので、こっちの方が手に入りやすい。作品としても、「ピエールとリュース」は美しい。年老いて、堕落してしまった身としては、あまりにも美しすぎるけど。

戦前、この二つを訳したのは、あの鞍馬天狗の大仏次郎。大仏次郎もロマン・ロランが好きだったようだ。鞍馬天狗の正体はジャン・クリストフかも(笑)。

画像は八島湿原

ロマン・ロランと小田実

2007-08-22 | 読書
二人は、まったく縁がないようだけど(小田実はロマン・ロランを読んだこともないかもしれない)、二人に影響を受けた者としては強引に関係づけるけることができる。

作家にして反戦の旗手としては、トルストイは別にしてロマン・ロランにまず指を屈しなければならないだろう。ロマン・ロランは第一次大戦中、戦争に反対し、知識人たちを結集しようとした。ロマン・ロラン以前に、反戦運動はなかったのではないだろうか。しかも、その反戦は、社会主義でもキリスト教からでもなく、どんな党派にも属さない、個人の良心から出発したものだ。

学生のとき、ロランの「社会評論集」(「戦いを越えて」「先駆者」などのロランの政治論がおさめられている)を読んだが、小田実やベ平連の考え方に共通するものが多かった。もちろん、小田実の方が、より具体的、実際的、日本的だったが(ロランは宗教的すぎるというか、精神性があまりにも高すぎる)。

その小説が、文壇や文学の玄人筋からは黙殺されたのも似ている。(最近、文学者が新しい世界文学全集を立ち上げたそうだが、その中には、ロマン・ロランは振り落とされているらしい。おそらく、フランス本国でもすでに読まれなくなっているのかもしれない)

たとえば、文の書き方で、ロランは次のような方針を持つ。(「ジャン・クリストフの序)

「率直に語れ!虚飾も気取りもなく語れ!理解されるように語れ!一群の繊細な人々からではなく、多くの人々から、この上もなく単純な人々から、この上もなくつつましやかな人々から理解されるように!そして、理解されすぎることをけっして恐れるな!影もなく、ベールもなく、はっきり、しっかり語れ!必要とあれば、重苦しく語れ!おまえの思想をよりよく打ち込むためには、同じ言葉を繰り返すのが有効なら、繰り返すがいい。打ち込むがいい!他の言葉は捜すな!一語ともむだにするな!おまえの言葉は行動でなくてはならぬ」

ロマン・ロランの小説は実際、饒舌だ。同じことを何度もくりかえす。たしかに、小説としては、いやになるところはある。しかし、一部の玄人だけでなく、できるだけたくさんの人々に自分の思想を伝えたい、という文章の平民主義は小田実とも似ているではないか。

ロマン・ロランの小説は、1人の雄々しい人間の物語だが、革命と戦争にまきこまれる市民の物語でもある。

小田実同様、ロマン・ロランも自国からは反仏分子、ドイツのスパイ、ロシアのスパイなどと様々の中傷をあびたことも似ている、ともいっておこう。

画像は白根山の湯釜

NHK小田実をしのんで

2007-08-20 | 映画・テレビ
録画しておいたのを見た。NHK「小田実をしのんで」。
2000年8月に放送されたBS特集の他に最初と最後にドナルド・キーンがちょっとだけ出演。「今、学生たちが(戦争等に対して)黙っているのは、小田実のような指導者がいないからではないか」と話していた。

BS特集の「正義の戦争はあるのか」(小田実、対論の旅)は、何人もの人(アメリカ、ドイツ)と対談して、「人道的武力介入という戦争は正しいのか」という話をするのだが、たぶん編集上かなりカットされていて、それぞれ5分程度の対談でしかないのが残念だった。

外人の話は日本語の吹き替えで、小田実も英語で話しているところは、吹き替えだったが、ここは字幕でやってほしかった。英語はわからないけど、小田実の英語のしゃべり方も聞きたかった。

小田実らしさがちょっと出ておもしろかったところは、ドイツの人権活動家女性(コソボ空爆に賛成)との対談で、女性が話して、小田が「オーライ」と話はわかった、という顔をすると、彼女に「まだ話は終っていません」といわれたり、また、ちょっと反論すると彼女に「もっと行儀よくやりましょうよ」となどと言われていたところ(笑)

テレビに向かって小田実は自分の意見を視聴者に向けて話す場面があるが、だいたい小田実は、視線をテレビ画面からそらし、目をよそに向けて話すようだ。こういうところもファンとしては好ましい(笑)。なにせ、テレビ目線の安部さんではないが、テレビ人間(タレント)ばかり見せられる昨今だから。


でも、いい企画だった。
もう他に小田実の番組はないのだろうか。
これで、小田実の追悼番組が終わりではさびしい。




夢永海水浴場

2007-08-19 | 日記
墓参りに愛媛県の保内町にいった。お墓は海沿いにあるが、そこから車で10分のところに夢永海水浴場というのがある。海の底の石が見えるほどきれいだ。あまりの暑さに泳いだ。他に泳ぎに来ている人は、4、5組ほど。穴場だ。といっても、ここまで来る人がいないのは当然かもしれない。

一揆と幕末志士(吉村虎太郎)

2007-08-13 | 一揆
平尾道雄の「吉村虎太郎」にこうある。
「伏見挙兵寸前、備前下津井に佐倉宗吾実記を購読し、感激嗚咽した彼である」と。
史料的な裏づけがあるのだろうけど、これ以上の詳しいことは書いていなかった。
しかし、土佐の庄屋であった吉村が佐倉宗吾に強い関心をもっていたことはうなずける。幕末の志士で百姓一揆に関心をもっていたのは他にだれがいるだろうか。
まず天誅組の志士たち、それから中岡慎太郎、吉田松陰、相楽総三の赤報隊、房総の真忠組だろうか?


画像は美ガ原

小田実わが心の旅ベルリン

2007-08-11 | 映画・テレビ
NHKBS。小田実の追悼番組ということで、平成5年に放送された「わが心の旅、ベルリン」の再放送が今日のお昼にあった。今回、初めて見たのだが、感動的だった。

特に、最後の場面。小田実が、世界で一番大切にしている場所、プレッツェンゼー処刑場での小田実。感極まり、言葉につまり、今にも泣き出しそうな震え声になる小田実。

ここは、ドイツ市民が、独裁政府に抗して殺された場所。
小田は、心が弱くなったとき、ときどき、ここを訪れ、ここから勇気をもらった、と語る。こんな独裁の世の中でも、自由と解放のために戦った人がいた、ここは世界で一番美しい場所ではないか、と語る。
小田実は美しい、と思った。鬼押しから見た浅間山よりも美しい。
小田実の感動した顔を見たのは初めてだった。

加助騒動

2007-08-10 | 一揆
貞享3年の松本藩の加助騒動。
おおまかに書くと、こんな流れ。

10月14日、多田加助を頭領とする百姓たちは、松本城下におしかけ、5カ状の訴状を出す。
その中で特に重要な箇条は、今まで、1俵につき3斗の米を入れていたが、新しく3斗4・5升入れになったのはめいわく、近郷なみに2斗5升にしてほしい、という願い。年貢増徴への反対だ。

10月16日、藩は百姓たちに回答書を渡す。これまで通り1俵3斗入れでよろしい。他の箇条は認める。大半の百姓たちは、これで帰村しますが、加助たち、150人ほどは、まだ納得できない。1俵2斗5升入れにしてほしい、と城下にとどまります。そこに、これまで参加していなかった村から4.500人が集まり、藩としては、第2次回答を与えます。1俵2斗5升を認める、と。これが10月18日。これで、騒ぎは静まり、みんな村へ帰ります。5日間の騒動です。
だが、2日後の20日、さきに渡した第二次回答は百姓たちを静めるための方便、返せ、と命じ、あらためて1俵3斗入りの願いの証文を出せ、といいます。結局、1俵3斗になる。
お仕置きがすごい。首謀者だけでなく、その子ども(男)、弟たち、いや、嫁さんでおなかの中にいる子が男だったら、処分の対象になる。
首謀者11人は磔。あとの17人は、首謀者の子どもや弟たちです。
多田加助は処刑される前に、「2斗5升だ」と叫んだといわれます。

さて、従軍慰安婦、南京虐殺事件でも、あった、なかった、といろいろな説を唱える人がいますが、それは一揆でも同じ。

この一揆についても、松本藩は、年貢増徴をしていない、という説をとなえる本もあります(横山篤美「松本領百姓一揆加助騒動」郷土出版社)。

その理由が、藩の代表である藩主がいっているから、とか、証拠がないから、幕府は、藩主を罰していないから、とかだ。そして、なによりも領主側の記録を重んじる。「(領主側の記録は)客観性を持して慎重に取材し、正確を期したものと考えたい」と書く。また、年貢のような問題は、一国の憲法を改正するようなもので、「事は、慎重に協議を重ね、また、順序を踏み、粘り強く訴願をくりかえすべきである。(加助騒動は)軽挙に過ぎはしなかったか」といい、訴状は、当然、大庄屋、代官を経べきに直接に郡奉行を目指したのは、天下の大法である「徒党・強訴」の罪に問われること、首謀者は思慮が足りないのではないか、とまでいう。まるで、お殿様、お役人さまのいうことではないか。
世の中に問題があれば、選挙で示しなさい、デモやストは軽挙である、と思っている人なのだろうか。

こういうこともいっている。
一揆に参加しない村があったことを引いて、「願望と処罰を天秤にかけてたじろいだとすれば、その願望が大きくなかったということである。すなわち、年貢軽減の願いもそれほど強くなかったことである」と。これでは、反戦デモに加わらなかったということは、反戦の願いもそれほど強くなかったということである、ともいえそう。この本を読むと、藩も領主も何も悪くはなかった、と読めそう。

一揆、義民も、太平洋戦争中には、自由民権運動時代とはまたちがった視覚で、すりかえられて教えられていた。そういう風にならないともかぎらない。

貞享義民館で、館長さんは、百姓が書いた文章を示して、こういうことを話した。
「どうです。立派な文字でしょう。いったい、だれが教えたか、です。親です。親が教えたのです」。まさか、この一揆で、親の教育が大事だ、という話をしたかったのではないと思うけど・・・。

画像は松本城。






貞享義民記念館

2007-08-08 | 一揆
ここは貞享3年(1686年)、松本藩を相手に年貢増長に抗議して、多田加助らを首謀者として約1万人が松本城下におしかけた一揆を記念して建てられた。
10年ほど前、「ふるさと創設基金」とかで建てたようだ。

立派な建物だ。ここは、多田加助の屋敷のそばらしく、前には、多田加助たちを祭る貞享義民社(明治時代に建てられる)や多田加助の墓もある。
記念館の横には、「義民そば」という名のソバ屋も。大丈夫やろか。人ごとながら、採算がとれるか心配だ。
記念館の裏には、一揆の密談をした神社もある。

入ると、まず若い美人の女性スタッフがシアター室に案内してくれて、ここで20分ほどの影絵風映像でつづった一揆の物語を見せてくれる。
このシアター室は、一揆の相談をした神社の本堂を模して作られ、一緒に一揆の相談をしている雰囲気を味わえるように作られている。床にあぐらを組んで見た。
映画が終ると、館長さんが展示室でひとつひとつていねいに説明してくれる。
他にはだれもいない。めったに入館者はないにちがいない。

館長さんの説明が、松本藩はそんなに圧政ではなかった、と松本藩を弁護するように聞こえるところがあったので、え、まさか、「新しい歴史教科書を作る会」のような考え方の人だろうか、と一瞬思ってしまったが、わたしの誤解だとは思う。

ここは教育委員会の施設であり、「一揆」をどう人々に伝えるか、かんたんではあるまい。この安曇野市の教育方針が、どういうものか知らないが、天下の法度を破り、お上にたてつき「強訴」をした事件をどう教えるのか。自由民権期のように松本藩の悪政を云々するのもはばかれるのかもしれない。
松本城は年間、何万人もの観光客が集まり、松本のシンボルだ。ここは、その松本城におしかけ、糾弾し、藩によって28人が処刑された人の土地。
貞享義民記念館の立場もむずかしいと思うがどうなのだろう。

(政治が)「革新でないところはこういうのはやりにくい」と館長さんはいっていた。

当時の藩主水野家には多田加助の像を作り、それを祭っていたそうだが、その像(模造品だが)も展示してある。
多田加助の子孫の方は、今でも多田という名で、ここの近くに住んでいるそうだ。

立派な建物だけど、今は、だれも訪れる人はいない。しかし、赤字だからといって、明治以来の郷土の伝統を消滅させてはいけない。誇るべき郷土の施設だと思う。




霧が峰

2007-08-08 | 日記
土日をはさんで信州を走ってきた。
八島湿原、霧が峰(車山高原)、美が原高原。
霧が峰は初めてだ。黄色いニッコーキスゲが咲き乱れていた。
すばらしい景色だった。
このブログでは、画像は一枚しかのせられないのが残念。

小田実の告別式には何人集まるのだろうか(何千だろうと思ったが)、信州で新聞を見て800人と知って、え、たったこれだけ?と思った。葬儀場という制限もあり、こんなものなのだろうか?

8月11日にはNHKBSで追悼番組として小田実が出た世界わが心の旅「ベルリン」の再放送をするそうだ。
来月、どの雑誌が小田実の追悼特集を組んでくれるだろうか(「世界」かな?)。
いや、市民が小田実の特集本を出すのがいいのかもしれない。
小田実の作家活動や市民運動を記念して小田実記念館みたいなものがいずれできるのではなかろうか。当然、つくるべきだ。

小田実を過去の人にしてはならない。おっと、ぜんぜん霧が峰の話ではない。



小田実の小説

2007-08-02 | 読書
小田実の小説で1冊読みきったのは、学生のときに読んだ「アメリカ」だけ。

「現代史」、「ガ島」、「ヒロシマ」なども買ったことはあるが、どれも読めず、以来、小田実の小説は読まなくなった。

以前、ブックオフで「ベトナムから遠く離れて」が1冊100円で売っていたので、これは全3冊を手に入れた。でも、本箱の奥に積んだまま。これは、小田の小説がつまらないというより、読者の自分に志がないためだろう。小田の小説に一般の日本の小説と同じものを求めるのは無理だろう。小田の小説はケタはずれだ。「ベトナムから遠く離れて」など、その分厚さ、長さは、その字数だけでも驚異であり、遠ざかってしまう。。

小田の最後の小説となった「終らない旅」は図書館で借りて斜め読みしたが、登場人物は、アメリカ人、ベトナム人、韓国人が出てくる。ベトナム反戦運動をした日本人英語教師とアメリカ女性の恋愛、日本人は阪神大震災で死に、アメリカ女性は9・11に衝撃を受けて死ぬ。その日本人の娘とアメリカ女性の娘が会い、親の世代の思いを訪ねて旅をする、という流れで、中には、ベトナム戦争、空襲体験、9・11、そして憲法改憲の問題が出てくる。登場人物は、みんな英語を話せる。いや、英語を話せるだけでなく、対等に外国人と話し、なによりも、国や、政治に自分の志を持つ。とても庶民ではない。みんなタダモノとは思えない。

小田の小説は、いったい何人に読まれているだろうか。日本一読まれない小説家かもしれない、と思う。小田ファンであるわたしにしてから、ほとんど読んでいないのだから。昔、フランスにいる岸恵子が小田の「現代史」を読んで感動し、即座に飛行機で小田実に会いにいったという話を聞いたことがあるが、「現代史」も絶版になってから久しい。(なんでその岸恵子が石原慎太郎の「特攻」という映画に出たんだ!と思ったが)。

ただ、これはいえる。小田の小説が読めないのは、こちらの志が低いのだと思う。
歴史小説に百姓一揆ものが少ない、とわたしは常々不満をいっているが、小田は、百姓一揆どころか、もっと人気のないベトナム戦争、太平洋戦争、反戦運動、市民運動、差別問題などがテーマだ。いまどき、だれがこうしたものを、しかも小説を読むだろうか。わたしも含めて、みんな小説にはもっと小さなものを求めているのだろう。小田実についていくのは大変だ。

小説の中では、「国家とは何か」「戦争とは何か」という重い話を登場人物が延々と話をする場面があるが、まず、今の日常生活では見られない場面だ。大きな問題を話し合うという意味では、ちょっと19世紀ロシア文学をも思わせる。

小田実は「人間みなチョボチョボ」といい、「ふつうのおっさん」「ただの人の思想」を大切にする。しかし、小田実自身は、ただのおっさんじゃない。日本には稀有のケタはずれに高い志をもった人なんだろう、と思う。