虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

NHKに出る義民

2008-08-31 | 映画・テレビ
今日のテレビ番組欄を見て「義民・佐倉惣五郎」という文字を見つけた。11時からの「知るを楽しむ」という番組で「神になった日本人」というテーマで民俗学者の小松なんとか(失礼、名前を失念)という人が話をするらしい。神というのがテーマで一揆の歴史話ではないと思うけど、義民という文字がテレビに出るには何十年ぶりではなかろうか。

NHKでは、今、「その時歴史は動いた」というのをやっているけど、この番組で一揆や義民を扱ったことは1度もないと思う。NHKの今の姿勢を考えると、これからもありそうもない。

画像は諏訪で見た花火。写りが悪いです。カメラが悪いのか腕が悪いのか。
夏も終わりですな。

市原清兵衛と温泉

2008-08-30 | 一揆
画像は丹波篠山の今田町今田新田の西方寺の境内に立つ市原清兵衛の義民碑。
市原清兵衛といっても丹波篠山の人以外は知る人もなく、義民の中でも知名度は低い。清兵衛はこのへんの土地の人。

丹波篠山の農民は農閑期は伊丹や池田の酒造りの杜氏として出稼ぎに出ていたそうだ。ところが天明ころになると凶作が続いたため、篠山藩では「出稼ぎ禁止令」を出し、杜氏として働くことができなくなる。市原清兵衛は、江戸に上り、藩主に直訴。出稼ぎ禁止令は撤回される。その後、清兵衛も牢から解放されますが、藩は年貢の厳しい取立てを始めたため、清兵衛は再び直訴のため、旅立ちます。しかし、途中で、刺客のために殺されたという言い伝えがあるそうです。

ネットによる情報で書いているので詳しいことは不明。
「市原清兵衛 義民伝」という本も出ているけど(1961年)限定本で出回ってなく、ふつうの図書館には置いていない(国立国会図書館にはおいてあるようだ)。アマゾンで中古本2万円近い値で出ていた。希少本なのだろう。

さて、義民といえば、温泉。この近くに温泉はないか。ある。義民碑のある西方寺と同じ住所に「こんだ薬師温泉 ぬくもりの湯」というのがある。日帰り温泉。入浴料600円。大露天風呂もある。いい温泉です。

最近、どうも温泉に興味を持ち出しました。もともとお風呂が嫌いで、入ってもカラスの行水のイラチな性格ですが、年老いたのか、何も考えずゆっくり湯につかる時間もいいなあと思い始めました。さあ、ゆっくり、ボーとしよう、鳥の声でも聞こうなどと自分に言い聞かせ、もうたっぷり1時間はたっただろうと思って出ると、まだ30分もたっていなかった。
まだまだ修行が足りん。

この近くは陶工の里でもあるらしく、「陶の郷」もあり、陶芸に関心のある人には
おもしろいところかもしれない。陶には今のところ全く興味なし。

本の探索

2008-08-30 | 日記
本屋さんからすっかり足が遠のいたので、そのかわりネットで本を眺める。

「日本の古本屋」など古本のネットをよく利用していたが、最近はオークションもよく見る。けっこういい本が安値で出ているのだ。
前は、世界ノンフィクション全集が全巻3000円とか、朝日の中国古典選全巻が3000円で出ていた。落札寸前にたぶん値段はあがるのだが、しまった、落札しておけばよかったと思うこともしばしば。世界文学全集なども全巻2000円くらいで出ていることもある。だれが買うのだろう。おそらく古本屋さんか、あるいは落札してそれをまたすぐオークションに出す人なのだろう。古本業界もネットオークションの普及でやりにくいかもしれない。買わなくても、ただ本の背表紙を眺めるだけでも楽しいのは、本屋さんと同じ。

国立国会図書館は日本最大の図書館だそうだが、まだ利用したことはない。ただ、その中の「近代デジタルライブラリー」は明治から大正にかけて出版された本文を見ることができる。一揆は少なかった。西郷隆盛や高杉晋作はけっこうある。清河八郎は3点。清河八郎履歴や潜中記事などがある。大塩平八郎も天保水滸伝などがある。画像は読みにくいが、おもしろいサイトだ。

「Webcat Plus」という検索サイトも最近知った。全国の大学にある本や雑誌が検索できる。

検索機能も充実してきたので、そのうち全国の市町村の市史に書いてある一揆を検索し、史料を読むこともできるのかもしれない。
パソコンが手離せないわけだ。

画像は飛騨一ノ宮水無神社の前に立つ大原騒動の碑

録画予定

2008-08-30 | 映画・テレビ
今日は、BS1で10時10分から「未来への提言」と題してノーム・チョムスキーのインタビューがある。朝日の番組欄では、ノーム・チョムスキーの名がないので、見逃してしまう人もいるのではないか。それから、午前1時ころから「暗殺者のメロデイ」だ。

9月の「七人の侍」と「大理石の男」も録画する予定。録画してあるのだが、紛失したり壊れたりするかもしれないから、その予備だ。好きだなあ、といわれそうだ。100均店でビデオテープを買っておかなければ。

パソコン回復

2008-08-29 | 日記
しばらくパソコンはやめようかと思ったけど、タバコと同じ、パソコンの生活は習慣化してしまっているので、やっぱりやめられない。近所のパソコン修理の人に来てもらってなおしてもらった。4000円。ちょっと痛い。しかし、背に腹は変えられない。
エクスプローラー7をインストールしたことが原因のようだ。バージョンアップとかでやたらとインストルールするのはやめたほうがいいのかもしれない。

パソコンがおかしい

2008-08-28 | 日記
パソコンがおかしい。
たぶん、インターネットをバージョンアップしますか、と出て何もわからずインストールしてしまったからだと思う。システム回復というのをやったが、ダメ。そのバージョアップしたやつを削除しようとするも、その項目だけ削除の言葉がない。実に不自由だ。わけわからん。もう、いやだ!しばらくアップできなくなるかもしれないが、それは私の事故ではなくパソコンの事故ですから。

大阪府特別顧問

2008-08-26 | 新聞・テレビから
今日の夕刊。
大阪府の特別顧問に北川正恭(元三重県知事、現早稲田大学教授)、本間正明(近畿大学教授)、永田潤子(大阪市立大学准教授)に要請するらしい。
すでに府特別顧問としては、東京の夜スペの藤原和博、建築家の安藤忠雄が就任している。
これで大阪橋本府政の方向というのはなんとなく感じることができる。
みんな、きらいな人ばかり(笑)。府民の税でこんな人を雇ってくれるなよ。

本間正明は去年は大阪大学教授で、税制委員会長だったが、愛人を公務員宿舎に住まわせていたことで、辞任した人物だ。愛人云々はどうでもいいが、この人の経済論は、政府財界に奉仕するための論だろう。小泉、安部政権が活用した御用学者だろう。また、わざわざ顧問にして何をたのむのだ?

北川正恭、どんな人物か知らないが、「地域・生活者起点で日本を洗濯する国民連合」とかうさんくさい会の代表だ。国会議員の連合だ。国会議員に日本を洗濯してもらおうとは思わぬ。

永田潤子、最近ふえてきた政府・財界好みの美人学者の一人。政府、役所の講師ばかりをよく務め、ワーキングプア層とは無縁の学者だろう、きっと(よく知らん)

藤原和博。東京で、教育を壊す尖兵になった人。橋本知事は東京都のような教育を目標としているようだ、それは財界の希望でもある。

安藤忠雄。自治体の記念館、博物館にいくたびに安藤忠雄設計というのが多い。自治体は安藤忠雄専属かとおもうほどだ。その建築のどこがいいのかさっぱりわからない。建物ばかりが立派で展示物は付録という印象をいつも受ける。

画像は下諏訪の相楽総三の墓。魁塚だ。

武道必修化

2008-08-23 | 新聞・テレビから
今日のヤフーニュースで知ったのだけど、中学校では武道は必修化に決まり、そのために文科省は来年度予算として60億円を要求しているとか。

知らなかったぞ。武道が必修化?どうせ、財界人たちが決めたのだろうけど、そのために、この財政赤字といわれるときに60億円?ふざけるな、といいたい。今、税金をそんなことにつかえる時ではないのだが、武道必修という路線は財界にとっては一刻も早く軌道にのせたい路線なのだろう。
朝日新聞をとっているが、新しい学習指導要領で武道が必修化することになったという記事は見なかったぞ。あまり問題にしなかったのだろうか?

個人的には武道は嫌いではない。球技などのチームプレーのスポーツよりも好き。
柔道、空手は少年時代、町道場に通って習った。テレビでも野球やサッカーは見ないけど、剣道や柔道の試合は見ることがある。

しかし、武道は好きな人がやればいいだろう。習う場所はいくらでもある。義務教育の場で、何十億円もかけて子供に強制するものではない。しかも、武道によって、礼儀を教えることができる、なんて言う奴がいるからいやだ。礼儀とは教えられるものではない。今、武道をいちばんよくやっているのは警察官のはずだ。警察官が一番、礼儀正しいということはないだろう。相撲取りは礼節の士が多いのか?

武道は柔道、剣道、相撲だという。空手、合気道、弓道、古武術、大極拳、少林寺拳法もいれたらどうだ。しかし、それは学校の中でできることではないだろう。必修化することではないのだ。

学力が低い、と文句をつけ、学校で能力別授業をすすめ、一方で、武道必修にも力を入れる。格差が大きくなり、社会が混迷しているといわれながらも、国はある方向に向けて、着実に手を打っている。

画像は万治の石仏。まるで現代アートのような変わった石仏だ。

阿弥陀ケ滝

2008-08-22 | 日記
白鳥町からいとしろに向かう途中に「阿弥陀ケ滝」の標識があったので、寄ってみた。なにせ、このへんに2度来ることはないし、何でも見ておこうという精神だ。そのくせ、見逃したところも多いのだけど。(白山長滝神社も寄ればよかった、と思っている。あそこにも郡上一揆の碑があったはず)。

山の駐車場に止めて10分ほど山道を登る。箕面の滝に似ているが、箕面の滝よりも高く、まわりは岩石。滝の下にも岩を歩いて近づくことができる。白山歴史博物館には、北斎が描いた「阿弥陀ケ滝」の浮世絵が展示してあった。日本の滝百選に入るらしい。しかし、滝を見ても今ひとつ感動しないわたし。見たら5分くらいでその場から立ち去るのだからしかたがないか。

話は変わるが、今日の朝日に「夏に語る」と題して、むのたけじの談話をかなりのスペースを割いてのせていた。中で、むのたけじが「資本主義の否定」を語っていたのは印象的。今、日本の言論界で「資本主義の否定」を語る人がどれだけいるだろう。みんな、気づきながらも、それを言おうとしない。言わせない雰囲気がある。だが、事態は、これを直視し、指摘しないわけにはいかないのではなかろうか。

白山中居神社

2008-08-21 | 日記
今回の旅行で「いとしろ」を「石徹白」と漢字で書くと初めて知った。この漢字、読める人は少ないだろう。だから地図でも最近は「いとしろ」とひらがなで書くことが多いみたい。

「いとしろ」は高地にある。冬は雪に包まれ、スキー場がある。車で走ると、「田舎暮らし」という幟が道路によく立っていた。別荘地の宣伝だ。信州の軽井沢のような賑わいはないけど、今後は新しい人気スポットになるかもしれない。
このいとしろの道を上まで上ったところに、白山中居神社がある。ここから、白山の南口登山道になるらしい。

江戸時代の石徹白村の住人は、すべてこの白山中居神社の社家、社人だったらしい。つまり、幕府でも大名の領民でもない、白山神社につかえる民ということか。年貢はなく(年貢をとれるほどの米もできないだろう)、名字帯刀の特別の身分だったそうだ。江戸時代は郡上藩の預かり地になっていたそうだ。

郡上藩の宝暦一揆のとき、ここでも石徹白騒動が起きる。簡単にいえば(というか詳細はよくわからない)白山中居神社の神職の支配争いで、幕府や郡上藩とつるんだ上村豊前というここの神主が、自分の支配に従わない村人約500人(村民の3分の2)を白川村などに追放する。厳寒の季節、着の身着のまま、中にははだしの者までいたそうだから、悲惨な流浪の旅だ。五十数人がなくなったそうだ。杉本左近たちが駕籠訴し、箱訴し、結局、郡上一揆と同時に裁判にかけられ、郡上一揆と同時に判決が下る。上村豊前は死罪になる。杉本左近は一ヶ月の謹慎ですむ。郡上一揆外伝というべきものだ。

小室信介の「東洋民権百家伝」では郡上一揆については、一揆の首領たちの名も、その詳細も伝わらず、ためにこの「石徹白騒動」の杉本左近を紹介しているが、あれから郡上一揆の探索、発掘は進み、今では郡上一揆は映画にまでなり、各地に碑が立つ。しかし、こちらの「石徹白騒動」の方はあまりすすまず(最近、本が出たようだけど)、碑もない。

白山中居神社の鳥居をくぐると、橋があり、下は石徹白川の清流。大きな岩がごろごろしている。涼しい。周りは杉の巨木。見学にきていたのはわたしの他に1組だけだった。静かだ。冬は真っ白に包まれる神社なのだろう。



飛騨古川

2008-08-21 | 日記
古い町並みがある、というので寄ってみた。
飛騨古川駅(立派な駅だ)の広い駐車場に無料で止められる。
観光客もまばら。まだあまり観光地化されていない。
白壁の土蔵と鯉の泳ぐ瀬戸川の町並みというのを歩く。
たしかに、小さな瀬戸川には鯉がうようよしていた。
のんびりゆっくり歩いたらいいのだが、せっかちで、いつも走るように歩くわたし。あまり印象には残らなかった。


帰雲城址

2008-08-20 | 日記
帰雲城、かえりくも城と読むらしい。
白川郷から白鳥にむかう白川街道の途中で、標識があったので、車を止めた。道路わきにある。

「天正13年(1585年)旧11月29日、東海、北陸、近畿に及ぶ広範の地域を襲った巨大地震によって、帰雲山に大崩落がおこり、帰雲城とその城下集落が一瞬にして埋没したと伝えられる」

ここから帰雲山も見えるが、山が崩れた跡もそのまま残っている。しかし、ある日、突然、城も城下の人々も一瞬にして消え去るなんてことが日本史にもあったのだ。帰雲城という名前もロマンを誘う。そばに、帰雲城の人々の慰霊のために観音像も建っていた。このあたりに、城と共に莫大な財宝も埋まっているらしい。

白川郷合掌集落

2008-08-20 | 日記
白川郷合掌集落といえば、この画像をよく見る。だから、あ、見たことがある風景だと思った。これは展望台から見た景色。下の集落の入り口からバスで5分。下りは歩いて帰ったが、歩いても15分程度だ。

ここは世界遺産だけあって、観光客がいっぱい。飛騨古川から白川郷までは、山道ばかりで、他の車もあまり通らず、まさに陸の孤島へいく気がしたが、ここに着くと、どこから来たのか車でいっぱいの渋滞。駐車場にも順番で入らねばならない。駐車場からシャトルバスに5分乗って、集落の入り口までいく。
合掌作りの集落は京都の美山町のを見たことがあるが、さすがここはもっと規模が大きかった。

美人の湯しろとりー宝暦義民義民碑

2008-08-17 | 一揆
日帰り温泉「美人の湯しろとり」の広い駐車場の一角にこの碑がたっている。

この日帰り温泉「しろとり」に車で着く1分前の道路わきにも観音像を建てた宝暦義民慰霊碑もたっていた。ここも映画「郡上一揆」を記念して建てられたようだ。

「美人の湯しろとり」の温泉の屋根は丸い傘状になっている。これも一揆の傘連判状を模して作られたそうだ。露天風呂には、一揆について説明した掲示板もすみに立っていた。そのほかは、一揆の説明は何もなく、ここが一揆の発祥地だと知って入りに来る人はいないのではなかろうか。駐車場にある義民碑も気づかない人、素通りしてしまう人も多いにちがいない。

車がたくさん止まっていたので、混んでいるだろうと思ったけど、湯ぶねには一人か二人ですいていた。外の人は貸切個人風呂とか食堂にいっているのかもしれない。入浴料650円。いい温泉だ。

ここのホームページを見てみたけど、一揆の説明は何もなし。関連する記事も探してみたけど、「美人の湯しろとり」と一揆をつなげて書いている記事は見当たらなかった。一揆は表には出さない。しかし、屋根は一揆の傘連判状、施主は奥ゆかしい人なのかもしれぬ。




白山歴史博物館

2008-08-17 | 一揆
道の駅白鳥に併設して建っている。
白山文化を展示する博物館だが、郡上一揆のコーナーも設けられている。
コーナーには、人形で駕籠訴する場面が。
映画で使った黒くなった生首3つも箱の中に置いてあった。
わたしはいらちなタチでだいたい博物館や記念館では展示物をあまり見ない。掲示の文章を読むのがめんどう(笑)。さっさっと通り過ぎてしまった。すぐそばが道の駅なのに、ここもあまり訪れる人は少ないようだ。